猫に小判 其の二
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あしからず
ほめて育てる――どうやら、そうした価値観が時代の趨勢のようである。
だからだろうか。
ここにいる若いお父さんたちと来た日には、分別のない行動をしている我が子をてき面しても、歯牙にも掛ない。
だが、ちょっと待ってほしい。
図書館という公共空間では、静寂を守るのがもっとも基本の規範ではないか。
それが規範であるなら、いくらほめて育てるが家庭の方針だとはいえ、「他人に迷惑がかかるから、静かにしなさい」と注意ぐらいはしてもよさそうなものだ。
だいたい、「静かにしなさい」は『しかる』――ことではない。これは、あくまでも『注意』である。
注意をうながし、我が子に、きちんと公共性を教える。これは、親として、至極真っ当な責務ではあるまいか。
まして、近ごろは、厄介なご時世でもある。
他人が、よその子を注意したら、y大きなお世話だと、それをしたほうが咎められるという、そんななんとも厄介な世の中だ。ならば、なおさらのことである。
「そういわれても、我が家は、やっぱり、ほめて育てるのが方針だから」
だというのに、そのように頑迷固陋に主張されたなら、それこそ身も蓋もない。
親が、そういうなおざりな態度でいたなら、図書館という公共空間は、たちどころに公園という公共空間へと豹変しかねない。
もし、そんなことにでもなったら、あの女性職員の視線がますます尖ってしまうことになる。
それだけは、絶対に、阻止しなければならない。なので、そうならないように、くれぐれも注意してほしいものである。
それでも、まあ、ほめて育てるというのは、いわゆるQOL――つまりは、それぞれ異なる価値観による生き方の質のひとつらしいので、あえて、目くじらを立てるつもりはない。
ただ、図書館を利用するなら、『注意』と『しかる』との区別くらいは、ちゃんと認識して来館していただきたいと願うのである。
なにしろ、図書館という公共空間は、本を通じて、そうした見識を深める場所なのだから……。
なんて、もっともらしいことを口にしているぼくだけれども、もちろん、そんなことを言えた義理ではない。何分、もとより無節操なオヤジなのだから。
それに、このオヤジはふだん、小説というものを、てんで読もうとしない。
従って、口では「へえ、最近、上梓された本もあるんだ」と感心して見せているが、それも、実はSNSとかで仕入れた話を、心得顔に口にしているに過ぎない。
なので、表紙すら開いた試しがないのが、実情である。
そういうオヤジがここで目にするのは、言わずもがな。
一般紙とかスポーツ新聞とか週刊誌とか、とにかく、そういった類のものばかり。
もっとも、たまに、なにかの本を手にすることがあるにはある。
ただ、そうはいっても、それは複雑な事象を子どもたちのためにわかりやすく解説した――たとえば、『まんが日本のれきし 戦国時代へん』というようなものが、もっぱら……。
あれ、ここは、本を通じて見識を深める場所じゃなかったっけ?
それでは、見識を深めているというより、むしろ巣ごもりの無聊をなぐさめている、そんなふうにしか見えないんだけど。
はは……そうでした。
なんのことはない、これでは、このオヤジこそが、ここにある貴重な本を無駄にしている、その張本人ってことになる。
だとすれば、せっかくの貴重な本も、宝の持ち腐れ。
猫に小判とはまさにこの謂である。
おしまい