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「神殿魔術師の子がひとり、幸運なことに生きていたらしい」
レイゲントンの口からその言葉が吐かれた時、シグルはゾワゾワという悪寒を感じた。
その生きていた魔術師にはすぐに見当が付いた。
カエサルに「見逃してやってくれ」と請われた、麗しい長い金髪と目の覚める程に碧い眼が印象的なあの少女。
(あいつ、死ななかったのか……)
カエサルに見逃してやれと請われ、実際にそのまま手を下すことはなかったものの、本当に見逃したわけではない。
どうせ死ぬと楽観したのだ。あの艦は最後には墜落させるつもりであったから、気を失っているのなら、それで死ぬと思った。
ただそれだけ。
たぶん。他意は無い。
しかしあまりにも手ぬるい。馬鹿なのか? 気が緩みすぎているぞ。
(俺たちが始めているのは、戦争なのに。命をかけているのに。あまりにも――)
気を引き締めなくてはならない。
「なら、その子の証言からいったいなにが起こったのかある程度わかるかもしれませんね」
キョーカノコの言うとおりだ。
彼女には、龍屍のことを見られている。その戦闘能力も、たった一体で艦隊を全滅させたことも、すべて。
そんな彼女が生きていたとなると、神殿魔術師という肩書きも相まって、確かな情報としてそれは帝国に伝えられるだろう。それにより今回の事件は、『よくわからない大艦隊の墜落事件』から『ひとりの襲撃者により全滅、および王を殺害された事件』へと色を変える。
帝国は強力な力を持った反逆者の存在を認識することになり、自然、今後はそのような存在がいることを前提とした対策が為されることだろう。
いつかははっきりとこちらの存在を知らしめるつもりではあるが、しかしそれは今ではない。時期尚早すぎる。まだ自分たちのことを認識させる時ではなかったのに。
「そうなんだけどねえ、でも、なんかその子、まだ意識を失っているらしくて」
(……え?)
レンゲントンが言ったその言葉に、シグルは顔を上げた。
「そうなんですか?」
「ええ、そうみたい。現場が遠いから、人員や情報のやり取りに四苦八苦していてね。なんたって片道三時間強かかるわけだから。なので本当のいま現在の状態はわからない。でも少なくとも、発見時の彼女は意識を失っていて、しばらくは目を覚ましそうにはない様子だったらしいわ」
「気を失っている……?」
――ついてる!
シグルは心の中で拳を握る。
たしかあの神殿魔術師には然程のダメージを与えていなかった気もするが、なんにしろラッキーである。気を失っているのなら、まだ龍屍の情報は漏れてはいない。
ならば――
(――……すぐに、消さなくては)
口を開く前に。
帝国に情報が漏れる前に。
気の毒ではあるが、やらなくてはならない。
気は進まないが、やらなくてはならない。
家族の為に。
この始まった戦争に、どうしたって我が家は勝たなくてはならないのだ。故に、奴らにはまだ、それが始まっていることを認識させてはならない。
こちらが圧倒的有利になるまで、まだ奴らに戦争を始めさせてはならない。
「今後その子は、どこに搬送されるのでしょう?」
タイミング良く、キョーカノコが訊いてくれる。
「そーねえ、まあ、セオリー通りに帝国側に送り返すのでしょうね」
「|うち(塔)で治療してあげるわけではないのですね」
「本当ならうちで看てあげた方がいいんでしょうけど……、神殿魔術師は帝国の管轄の魔術師で、国の機密を抱えていることもあり得るからね。魔術師連盟所属の塔の者に剥がさせるわけにはいかないのよ」
世界の監視者たる魔術師連盟は、本来であれば国とは独立した公平・公正な立場の執行者であるが、今ではもうほとんど帝国の言いつけで動くただの傭兵部隊に成り下がってしまっている。
故に、レイゲントンの言うような分別は必要ないようにも思えるが、まあそれが習わしであるのだから仕方がない。
「艦隊の墜落地点からだと一番近いのはやはりフルグラ王国ということになりますが……、すると王の死を国に報告しに向かう艦に一緒に乗せられていると考えるのが妥当ですか」
「そうね、その通りだと思うわ」
シグルの推測にレイゲントンが頷く。
今は撃墜発覚から約四時間ほどが経過している。
現場から王国までの距離は約二千㎞なので――
(……発見時最速で艦をだしていたとしても、神殿魔術師を乗せた艦が王国に着くまでまだ二時間ほどの猶予がある)
余裕だ。
龍屍ならば余裕で追いつける。なんだったら一時間休憩してからでも間に合うほどだ。
(余裕で、殺せてしまう)
――! あっ、でも――
しかしそこでシグルは思い至る。
(これ、本当に殺してしまっていいのか?)
国家行事で移動する王の大艦隊を襲うのは良い。なぜなら、そのことは誰でも知れる情報であるからだ。その気になれば、帝国全土の人間が知り得る情報である。
でも、今回はどうだ?
墜落現場に生存者が見つかって、そこから王国に搬送される事実を、このタイミングでどれほどの数の者が知っている?
少ない。いや、少なくはないが、不特定多数には成り得ない。少なからず、この女王国の者に限られる。下手をすると塔の――しかもごく一部のもにすら絞り込めるかもしれない。
(――だめだ)
となると――殺せない。殺すわけにはいかない。
大きな手がかりを残すことになる。自身への特定への鍵を、落とすことになる。
……どうする?
焦りが募ってくる。
「……随分と、思い詰めた顔をしているわね。もしかして、その女の子が心配? その子がもの凄い可愛い子だってあたしもう言ったっけ? 前にカエサルのとこにいた子なんだけど。……まあでも大丈夫よ、外傷自体はほとんど無いってことだったから」
思考をめぐらせていると、レイゲントンが僅かにこちらをからかうように、いたずらっぽい笑みを口端に浮かべてそう言う。
「そうですか……」
シグルは出来るだけ余分な意図が混在しないよう、つとめて無味な表情で顔を上げて言う。
「……それなら、安心ですね」
レイゲントンは少しだけ不審の色を滲ませていた。少し、不遜すぎたのかもしれない。
キョーカノコと部屋に戻り(レイルは用があると一緒には戻らなかった)、一息つくと、シグルは自身のベッドに手をかけながら言った。
「俺はもう寝るよ、おやすみ」
一刻も早く、少なくとも目撃者が王国に着くまでの間に、今後の対応を決める必要があった。
「あ、…………はい、そうですか。おやすみなさい、せんぱい」
沸かしたお湯の前で、用意しかけていた二つ目のカップを慌てて隠しながら彼女は頷く。
シグルは時計の針を確認する。まだ二時間弱ほどの猶予はある。
少しだけ迷ったが、結局――
「…………やっぱり、何かあったかいものを一杯飲んでからにしようかな」
後輩の想いを汲んでしまう。
自分のこういうところが大嫌いだ。でも、仕方がない。性分だから。
そう言うと、キョーカノコはニコリとして、「じゃあキョーカが淹れてあげます」と今さっき隠したばかりのシグルのカップをさっともう一度取り出す。
二つのカップにルビー色のハーブティを淹れると、シグルのベッドのサイドテーブルに二つ並べて、彼女はちょこんと床に座った。シグルは自身のベッドに座っている。
ちなみに、万が一ここで、床に座る彼女を不憫に思い、「座るか?」と自身の隣を勧めようものなら、「え、もしかして誘ってますか?」ともの凄い視線を向けられることになるのでおすすめしない。
彼女はかなり貞操観念が高めというか、自意識過剰なので、下手なことは言うべきではない。
それに、なんだかんだ、彼女は後輩らしく自分が床で、先輩であるシグルがベッドの構図が一番落ち着くようだった。
「もしかしてせんぱい、なにか悩んでます?」
そうしてカップにひとくち口づけたところで、キョーカノコはそう訊ねてきた。
「先生の部屋で話を聞いてからずっと、難しい顔をしていますけど」
「え……、いやべつに」
「クス、なるほど」
見透かしたように、彼女は笑い、頷いて言う。
「せんぱいは優しいから、いろんな悩みを抱えてしまって、大変ですね」
「優しい……? 俺は断じて、優しくなんかはないけど」
「いえ、せんぱいは優しいです。キョーカが太鼓判を押してあげます」
そう言って、彼女は真っ直ぐな眼で、シグルの瞳を見つめた。
シグルはその視線を受けて、目眩を覚える。
(ああ……この子はもしかして、とんでもない勘違いをしているのではないか)
墜落しほぼ全滅した艦の話を聞き、その上でなにかある種の常識めいた、哀切の情念を抱いている――そんな風に、シグルのことを考えているのかもしれない。
違うのに。
(それどころか――真逆のことを考えているのに)
艦隊を全滅させたのはシグルなのだ。皆殺しにして、殺しそびれていたひとりのことを知り、その者を無事地獄に遅れるかどうかで気を揉んでいたのに。
(そんな瞳で俺を見るな――)
今の自分には、あまりにも眩しい――。
シグルは彼女から視線を外した。
「せんぱいは優しいから、悩みをたくさん抱え込んじゃうのも仕方がないです。でも、抱え込みすぎはよくないですよ? 人は優しすぎると、逆に誰にも優しくなくなってしまいますから。そうして悲劇が起こるんです」
「優しすぎて逆に優しくなくなるってどういうことだ?」
「わかりませんか? ただの経験則なので理由を述べよと言われても無理ですけど、でもきっとそうなのです。優しすぎると、優しくなくなっちゃうものなんです」
彼女は珍しく真面目な調子でそこまで話し終えると、クスリと笑い、カップを置いた。
「なので優しすぎるせんぱいが自分を優しくないと思うのも理解出来ますし、それで悩んじゃってるのもわかっちゃいます。なので、そんなせんぱいに、このキョーカが、人生の後輩として良いことを教えておいてあげましょう」
斬新な切り口で、彼女はアドバイスを口にした。
「是非とも、せんぱいは他人にではなく、自分に優しく生きてください」
「……自分に? なんでだよ」
「せんぱいのような人は、他人に優しくあろうなんて考えていてはダメです。ロクなことになりません。いいですか? 自分を大事にするのです。自分本位に、自分に優しく生きようと努力してください。きっとそれくらいでちょうどいい塩梅になります。わかりましたか? 以上です」
講師のような仕草で指をフリフリしながら言い終えると、彼女は満足げにカップの中身を飲み干し、立ち上がる。
そうして、役に立ったでしょうというどや顔で、シグルのカップをもらい受け、それを片付けてくれる。
「おやすみなさい」
その飲み物で、彼女が果たそうとしていた目的は、どうやらこれですべて達成出来たようだった。やり遂げたようにスッキリとした顔で、彼女は夜の別れの挨拶をした。
「……おやすみ」
シグルはベッドに入る。そうしてベッドのカーテンを閉めた。
(自分に優しく……か)
思わず少し吹き出す。
まさかそんなアドバイスをもらえるとは夢にも思わなかった。
(キョーカノコよ……、そのアドバイスをあげた男は――)
その先は考えないことにした。自分に優しく。
(あの生存者は……どうすればいいのかな)
問題に取りかかると、不思議と、先ほどまでとは違った角度から考えることができていた。自分の中の妙なしがらみがすべて、消え去っているのがわかる。
キョーカノコのアドバイスが効いているのかもしれない。
(そうだな……これがいいのかもな)
すぐに、自分の中の答えは出せた。自分のとりたい方法なのだから、それは簡単だった。
でもこれを実行するには、まずみんなに話しておくべきだろう。
瞳を閉じ、意識を遙か上空に浮かべてある龍屍へとリンクさせる。
ゾンビは空の上で、王国の方をぼんやりと眺める。
(あの少女は……見逃す。龍屍の情報が流れることにはなるが……まあ、もう関係が無いさ)
計画は狂うけど、でもこれで良い気がした。
そう、もう逃げ隠れするのはやめる。
影うちみたいな真似で敵の戦力を削いでいくのはもうやめだ。
グリフォンブラッド家は、正面切って、帝国に宣戦布告をする。
それが、悩んだ末に、シグルが出した答えだった。
結果、多少不利にはなる。
最適解ではないかもしれない。
でも、きっとそれでいい。
(俺たちは――奴らとは違うのだから)
複雑な心情のまま、しかしなぜか晴れやかに、彼は忘却されし墓地街キリングザールへと急いだ。
けっこう書くの苦労した回でした
本日、あと二話あげる予定です