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「わたしの艦隊が……沈んでいる……」
フルグラ王が船橋の司令室から見ているすべての艦はことごとく赤黒い炎をあげていて、その船首を地面に向けてゆっくりと墜落していっている。
フルグラ王国――否、帝国、ひいては人間世界が誇る最強クラスの飛行大艦隊が、今、完全に沈黙させられていた。
「なぜ……なぜこんなことに……」
いったい何が起こっているんだ。
先刻からそのフレーズを再三繰り返してきていた。
しかし誰も答えをくれない。なぜなら、誰にもその答えは分からないからだ。
そして、もう誰も、彼以外にこの艦隊にはいなくなってしまっていたからだ。
全滅。
かの世界の監視者たる魔術師たちも、皆殺しにされてしまったらしい。
(なぜ……魔術師が負ける? 対個人の白兵戦において、最強の存在ではないのか……?)
セブンス候補までいたというのに。
しかももう一人の男はマスタークラスであるはずだ。
(なぜ負ける……? 慢心はあったが、我々の護りは、準備は、万全であったはずだ)
過去の人類統一戦争当時、一度も敗北したことのなかったこの大艦隊が、こともあろうにたった一体に壊滅させられてしまった。
そして、もうまもなく、その者は王の前にもやってくるのだろう。
怖い。恐ろしい。
逃げ出したい――
先ほどから、何度もこの場から逃げ出すことを実行しようとはしているのだが、
身体が言う事を聞かない。
――恐怖だ。死の恐怖が王を包み込んでいる。
そもそも逃げ出せるはずもない。ここは空の上なのだ。脱出艇を使うにしても、この艦隊を軽々葬り去れる奴ならば、すぐに見つけて墜とされてしまうのではないか?
(アイツの目的は……なんなのだ? いったい何者なのか? わたしは今、いったい何に襲われているんだ……?)
絶望が頭を白く染める。
しかしそんな状態でも、考えることはやめない。もはやライフワークであり、処世術なのだ。
彼はそれにより、これまでも生き抜いてきた。
命をつなげ、そしてこの地位を守り抜いてきた。
ずるがしこく立ち回り、時には誰かを足蹴にして、だからこそ帝国の王として君臨出来ている。
王は、何者にも屈してはならない。
敗北者を作っても、自身がその役にまわってはいけない。
王は人の上に立つものではない。人の上に君臨する者なのだから。
だからやめない。
考える。こざかしくも、粘り強く。
(奴の正体と立場を洗い出す必要がある)
それが分かれば目的をあぶり出せる。当然ながら弱味も知れる。つまりアドバンテージを得ることが出来る。
(さすればあとは慣れたものだ。これまでどおり、脅し、めぐらし、なぶり、場合によっては引き入れ、飼い慣らし、使い潰す)
そう、大丈夫、まだ大丈夫なのだ。
(わたしを誰だと思っている――この世界において、頂点である皇帝に続く力を持つ、七人のうちの一人なのだ。世界で最も力を持つうちの一人なのだ)
だからこんなところで、死ぬわけがない。
それだけの力が、自分にはあるのだから。
神も自身の死を望むはずがない。あんなわけのわからない者ではなく、これまでどおりのフルグラ王の栄光を望んでくれているはずだ。
足音が、聞こえてくる。
いよいよだ。とうとう、奴はこの部屋にやってくる。
この大艦隊において、もう生きているのは自身のみ。けれど生き抜いて見せる。
(最初が肝心だ。すぐに殺させることはさせてはならない。まずは会話だ――そして奴の正体を掴むのだ)
足音のする通路からの――その者が入ってくることになる入り口を凝視する。
今か今かと待ち構え――
今――その扉が開いた。
【こんにちは】
なのに、背後から、声がした。
「――――――ッ!? うわあああああああッ!」
驚くあまり、椅子から床に転げ落ち、そのまま這いずりながら逃げ惑う。
背中越しに見れば、黒い衣とフードをすっぽりと被り、顔には角を生やした面を付けた者が、先ほど自身が座っていた椅子の背もたれの横に立っていた。
先ほど扉が開いた瞬間、その一瞬で、後ろに回り込まれていたらしい。
(化け物……)
しかしそんなことは、今さらだ。こいつはそもそも、たったひとりで大艦隊を殲滅しているのだから。
「――失礼」
王は取り乱したことを詫びて、取り直して立ち上がる。
集中しなければ。
この化け物すらも、飼い慣らしてみせるのだ。
王は司令室の窓から見える、沈む艦隊を一望し、それから黒衣の者に振り返る。
「見事なものだな。……正直、驚かされた」
椅子の横に立っているそれは、ぴくりとも反応を見せない。
これではまずい。
仮面を外させなければ。
つまり、会話を――
そうして、次なる言葉をひねり出そうとしていた次の瞬間。
【お久しぶりです】
その者は自ら、仮面に手をかけた。
角の部分を掴み、引っ張る――すると、驚くことに仮面の端が(まるで魔物の口が如く様子で)顎門を開き、彼にめり込ませていた牙を抜き、その顔から外れる。
異様な仮面――もしかすると、なにかの伝説武装なのかもしれない。
とにかくその者は、仮面を外した。
(愚か者め、手間が省けたわ)
王はそう思った。
しかしその意は仮面を取ったその顔を見た瞬間に、消え去る。
「な…………!? お、おまえは……?」
【憶えてらっしゃいますか? 嬉しいですね、すっかり忘れられているものかと】
憶えていないはずがない。
なぜなら、その者は――
「ぐ、グリフォンブラッドの……!? なぜ生きている! おまえたちは死んだはず……」
処刑されたはずの、グリフォンブラッド家第三公子が、目の前にいた。仮面を取ったその男の顔は、間違いなく、十五年前に死んだその者のものだ。
黒い目、黒い髪、そして――瞳に宿る、太陽十字型の光彩。
あんな目をした者が、二人もいるはずがない。なにより顔立ちが――奴、そのものだ。
【……その節は、うちの妹がお世話になりました】
ゾッとする。
すべての算段が、破断する。
こいつに……、
こいつが……、
(――わたしの、口車に乗るはずが……ない)
「わ、……わたしじゃないぞ、わたしは……なにも……なにも……おまえたちは……――!」
【いえいえ、王よ。今さらそんな弁明は必要ありません。なぜなら、わたしは――いえ、わたしたちは、とっくに決めてしまっているのですから】
過去に死んだはずの少年が、そのまま年をとった出で立ちであるその青年は、しかしおよそ過去の彼からは想像も付かないほどの、おぞましいほどに残酷な笑みを浮かべて言った。
【あなた方アルタマイサの一族を、この手で皆殺しにしてやると】
死は免れ得ない未来なのだと――王は察した。
「死に損ないが」
吐き捨てると、その者は華麗なる貴族紳士の振る舞いで挨拶をし、冷酷なる復讐者の瞳でこちらを睨み告げた。
【いえ、死に損ないではありません。我々はたしかに死んでいます。しかし舞い戻ってきたのです――復讐を誓い、地獄の力をこの身に宿して】
※※※
シグルは、ベッドの上で目を開いた。
「あ、――――……お、おはようございます、せんぱい」
と、すぐ目の前にはビックリするキョーカノコの顔がある。
「近いぞ」
顔が。
「……すみません」
チッと舌打ちをして、なにやら悔しそうな表情で形だけの謝罪をするキョーカノコ。
いったい何をする気でいたのか。
彼女が顔をどかすのを待って、シグルは上体を起こす。
頭痛がした。
こめかみを押さえ、もう一度目を閉じる。
そんな様子を、ぼんやりと眺めてキョーカノコは訊ねた。
「せんぱい、お祭り行かなかったんですね」
「……ああ、まあね」
「キョーカは行く予定だったのですが、あいにくなことにレイル先輩が別の女をつかまえてしまったので、もう一人のマイフレンドであるせんぱいを誘いに来たというわけです」
「マイフレンドなのか」
「えっ、違いますか!?」
泣きそうな顔をするキョーカノコ。
「いや、マイフレンドだな」
「ですよね! うふふ、マイフレンドせんぱーいっ」
「お、おう……」
ベッド脇の時計に目を遣る。
時刻は夕刻の十九時を過ぎようとしていた。
「もうこんな時間……そうか……。なんだか疲れてしまって、帰りは、ゆっくり飛んできたからな」
呟いて、天井を見る。
「飛んできた……? 飛ぶ夢でも見ていたんですか?」
シグルは首を振る。
「いいや、堕ちる夢を、みていたのさ」
「はあ……そうですか」
なに言ってんだろうコイツ――みたいな表情で、キョーカノコは不思議そうに首をかしげていた。
「キョーカとお祭り、行きませんか? せんぱい」
シグルは彼女を見やる。
彼女はビクリとして、俯く。
「い、嫌なら……別に、いいですけど」
「…………行こうか。俺はマイフレンドせんぱいだしな」
キョーカノコは輝く笑顔を浮かべる。
「ほ、ホントですかっ!?」
「うん」
シグルは立ち上がり部屋を出る。彼女もウキウキとあとをついてきた。
キョーカノコはどうやら友達がずっといなかったらしいので、たぶん、誰かと祭りに行くという体験をしてみたかったのだと思う。
少しだけ、後ろめたい気持ちに苛まれながらも、しかしまだ間に合うのではないかと若干の早足で塔を出て、町の方に進む。
「何を急いでいるんです? お祭りは逃げませんよ?」
そう言いながらも、隣を歩く彼女自身も、一刻も早く会場に着きたいとソワソワとしていた。
「なんとなく、……ね。急がないと、今日ばっかりは、祭りも俺たちから逃げてしまう様な気がして」
「え……、あ、はあ……そうですか」
またもやナニイッテンダコイツみたいな顔をしてとりあえず頷いておくキョーカノコ。
そんなところで、
『緊急通信、繰り返す、緊急通信――』
頭の中に、そんな声が響き渡った。
(……きたか)
祭りの終わりだ。
『こちら、塔執行部教諭――レイゲントン・クラスター』
高度の精神干渉魔術を用いた、緊急伝令。きっと、近辺にいる全魔術師に発信されているのだろう。
わざわざ教えて貰わなくても、こんな芸当が出来るのは、彼女くらいのものだ。
『これより、緊急招集を行う。全魔術師は、十分以内に、塔内中央講堂へと集まること。繰り返す。十分以内に――』
「せんぱい、これって……?」
ただ事ならぬ気配を察して緊張しているキョーカノコに、シグルは平然として頷いた。
「行こう」
そう――
いよいよ、幕開けである。
戦争だ。