20
(なぜ……?)
グレイは目の前の光景に、どうしてそうなったのか理解が追いついていなかった。
自身の放った獄盾による致命の一打が、飛び込んできた男の左側面に直撃している。
キョーカノコにシグルと呼ばれたその魔術師は、左腕と左脚を折りたたみ、懸命にダメージを殺そうとしてはいるが、伝説武装による攻撃がそんな肉体的努力のみでどうにかなるわけはない。
でも――
その男はどういうわけか、生きている。
腕も脚もへし折れているだろう。しかし致命には至っていない。
本来なら即死してもおかしくない攻撃であるし、実際、今彼がかばった背後の男は、これまでずっとこの攻撃で即死し続けていた。
何かの伝説武装による防御とかならいざ知らず、ただの身体防御など貫通して然るべきである。
(なぜ)
もう一度グレイは疑問を投じる。
けれど実際問題として、どうして今の攻撃を受けたこの男が生きているのかは、問題ではない。なぜならその問の答えははっきりと分かっているのだから。
だから今ここで問うているのは、その答えについてなのだ。
(なぜわたしは今、力をゆるめたの?)
目の前の男が死んでいないのは、この男に直撃する寸前に、グレイ自身がその打する力を弱めたからだ。
弱めたからこそ、この致命の一打は、彼の両手両脚を粉砕するに留まった。
しかしそれは彼女の意思ではない。無意識というか、むしろ――
(強いられていたかのよう)
誰かによって、力を抜くことを強制された。そんな気がする。
いやしかし――
いったい誰にそんな芸当が――
その時、目の前の男と目が合う。
彼はこちらをジッと見つめていた。
その眼を見て、グレイは察した。
(この男――)
魔術を使っていた。
(もしかして、今わたしは、この男に魔術をかけられていた? 精神に干渉された?)
それによって武器を最後まで振り切れなかった。途中で力を緩めてしまった。
(でも他者の身体への意思伝達に割って入る――)
果たしてそんなことが可能なのか? そんな魔術は寡聞にして聞いたことがない。
"精神"は魔術の分野において、ある意味で不可侵の聖域にも近い。生命にとっての魂と同様、解明しようのない神秘そのものなのである。
精神干渉というレアな先天者もいるにはいるが、しかしその力は音声言語を必要としないだけのただの通信行為でしかない。
でも――そう、これも仮定する。割り切って、常識を捨てて。
本日二度目。
あり得ないのかもしれないが実際に目の前で起きている。その不可思議は現実に存在する。少なくともそう考えるのが一番理にかなっており、そもそも現在は戦闘中なのだ。四の五の言わずとりあえず是として前に進めるべきだ。
この男は、"他者の精神に高次のレベルでの介入が可能"である――。
そう割り切る。
(つまりわたしは先ほど、この男に身体の操作を横取りされた)
そう改めて言語化すると、恐ろしくて寒気がした。
他者の精神に介入しうる存在――そんな者がこの世に知らずして生きている事実に、恐ろしくて震えがきた。
しかし魔術である以上、最低限の常識は通用する。魔術は儀式であり、プログラムなのだ。
(まずどうやって魔術をかけている? 媒体は?)
グレイはシグルにめり込ませている獄盾を引き戻すと、やや距離を取り、もう一度振りかぶる。
――と、
「――――――ッ!?」
まただ。
気付けばグレイは、振りかぶっていた獄盾を地面におろしてしまっていた。身体から力が抜けていた。
シグルはこちらを見ている。
ただそれだけである。詠唱はない。つまり音声以外の媒体を用いている。
(視線――――?)
"視線"はごく稀に使用者が存在する、対人戦において最強と謳われる魔術媒体のうちのひとつである。
視線触媒の一般的な性能は、
○範囲(魔術効果を及ぼせる広さ) B 評価
○速度(魔術発動時のラグの少なさ) SS評価
○持続(魔術効果の持続時間) D 評価
○精密(複雑な構成の魔術を使用できるか) S 評価
この触媒の使い手は極めてレアで、故に使い手になれれば魔術師としての成功は約束される。
たとえば、いまこのダンジョンの中にいるはずのセブンス――帝の慈悲・影劫のヘックスがそうだ。
彼は視線の魔術触媒の使い手である。
戦闘時、彼は、常時自身の眼前に完全ステルスのカーテンを投影し続けることができる。つまり彼に視られている限り、その姿を捉えることはできないわけだ。
故にもしヘックスと敵対することになった場合には、その背後をとることが必要となる。
(まあ不可視の相手の背中なんて、とりたくてもそうそうとれないんだけど)
脱線した。
つまり今目の前にしているこのシグルという魔術師も、視線の触媒者であるのだろうか? グレイを視認することで、精神干渉の魔術を発動してきている?
(――いえ、……おそらくは否)
こちらを見つめている彼の視線――どこか、"それ"っぽくない。
言葉にはできないけれど、同じ視線触媒者のヘックスと比べると、微妙な違和感がある。
――違う。視線ではない。
純然なる勘でしかないが、彼女はその明示化できない違和感をすぐに受け入れた。
戦士は熟達すればするほど、勘が物を言うようになってくる。
勘とはつまり、経験に裏打ちされたレフレックスであるからだ。
(視線でないのだとすれば、フェイク――彼"も"装っている)
触媒を偽装は魔術師の戦闘においてこの上なく有効な戦術の一つだ。
(わたしと同じ――)
グレイもまた、"指差"の触媒はフェイクであり、実際には"刻印"の触媒を用いている。
刻印はその名の通り魔象文字により魔術を発動させる触媒形態であり、
性能は、
○範囲(魔術効果を及ぼせる広さ) S評価
○速度(魔術発動時のラグの少なさ) ※評価に値しない(ただし刻印済みの場合はB)
○持続(魔術効果の持続時間) S評価
○精密(複雑な構成の魔術を使用できるか) S評価
ヒエログラフは原則、文字数さえ増やせばいかなる構成の魔術も扱うことが可能である。最もキャパシティのある、フレキシブルな触媒と言える。
ただし文字の彫刻に多大なる時間を要するため、戦闘中に新たな魔術を彫刻する――というようなことは不可能である。故に刻印の触媒者は事前に必要なヒエログラフをいくつか用意しておき、それを状況によって使い分けていく必要がある。
グレイの場合は、爪にヒエログラフが刻まれており、"指差"のタイミングでそれの魔術を発動していた。
ちなみにダンジョンアイテム――とりわけ高ランク帯の伝説武装と呼ばれるものたちに付与されている特異スキルは、おしなべてこの刻印によるものとされている。
伝説種族がひとつ、古の畏れ多き枢機卿が一席、独眼龍オーディン。
今は亡きその龍の残した刻印を秘めし武装。それこそが伝説武装――オーディンの威光。
(きっと、視線ではない――ならばいったい何――)
グレイは距離を取りながら思案する。こめかみに汗が流れる。
詳細不明の魔術を正体不明の触媒で攻撃されている状況ほど、身の毛立つものはない。
「――――っ!?」
ハッとする。
なぜならば、気がつけば、後退しているはずだったグレイはシグルの方向に歩かされていたからだ。
(また干渉された――!)
しかも先ほどまでのほんの少し脱力させるだとか、そういう次元の干渉ではない。まざまざと正反対の行動を強制された。
(こんなことって――!)
歯を食いしばり、前に進もうとする自身の脚を懸命に食い止める。まるで自分の脚ではないようだった。異様な経験だった。
シグルは未だこちらをジッと見つめている。
恐ろしくなった。
魔術師にとって、自身の感覚というのは戦闘の鍵だ。感覚を突き詰め、精神を研ぎ澄まし魔術を放つ。
だからそれを信じられなくなったら終わりだ。
(――――!)
告白すると、グレイはもうほとんど自身の敗北を受け入れそうになっていた。
しかし、幸か不幸か、その前にシグルがそれを告げた。
「いいのか?」
それがいったいなんのことなのか、グレイにはわからなかった。
「…………なにが?」
彼は振り向いた。ダンジョンの方向に。
グレイもそれにならう。
すると、調度そのタイミングで地響きのようなものが鳴り響き、巨大な黒い骸骨がダンジョンの入り口の壁を突き破り中から爆塵と共にヌッと姿を現わした。
骸骨は入り口の前で屯しているグレイたちに一瞥を投げたが、すぐに背中を向け、明後日の方角に向かってゆっくりと駆けていく。
「あれはこのダンジョンに巣くっていたという魔物だ」
シグルがゆっくりと説明する。
「でも、中にはヘックス様が――」
ヘックスが獲物を取り逃がすはずはない。
「そのヘックス様はきみたちになんと命じた?」
「……討伐隊員及び魔術師以外のここからの脱出を許すな」
「なるほど。……ちなみにあの骸骨は、この国の王を殺すと、そう宣言していたよ。そして恐ろしく強い」
「……――!」
「改めて聞こう。……いいのか?」
彼のいわんとしていることがグレイにも分かってきていた。
ヘックスは強い。故にあの骸骨は彼の意思によってここへ来た。彼はあえてダンジョンの外へと逃がした。
なぜ?
明白である。
(ここにいるわたし達を勘定に入れてのこと――!)
だとすれば逃がすわけにはいかない。
あの骸骨は、ヘックスの勘定では、我々がここで仕留めることになっているのだ。じゃなければ何人も通すなと命じた場所に彼が敵性対象を寄こすはずがない。
逃がせば、今度はわたしたちの命が危険にさらされることになる。
追わなくては――! なんとしても仕留めなくてはならない――!
(でも――この者たちは――)
このまま放っておく訳にもいかない。ヘックスがここいれば相打ち覚悟で釘付けにしろというだろう。
逡巡する――
「アタシが見張るわ」
しかし背後から、ヴェロリカがそう言う。
グレイは彼女を見る。
その目にはグレイ以上の敗北の色が滲んでいた。
「大丈夫、任せて」
そう言うヴェロリカのこれからとろうとしている行動は、きっとヘックスのためにはならないものに違いない。
しかしグレイは、今度ばかりは彼女の意思を尊重した。
状況が状況ということもあるが、なにより彼女から確固たる決意を感じ取ったからだった。
「わかった。まかせる」
――友だちだから。おそらくは唯一の。
拘束を解き、グレイは他の神殿魔術師を連れ、骸骨の後を追った。