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アブリルさんの視点です
「おい、おまえ……それ、なんだ?」
アブリルの振り下ろしたその武器を前に、ヘックスが汗を浮かべて問う。
「……さっき、ここの入り口においてあったやつか?」
彼の表情には、僅かながら焦燥の色が浮かんでいた。
それもそのはず――アブリルの手にあるその武器は、見るからに異様な、そして不気味な姿をしていた。
敢えて言うならば特大の銀槌であるが、しかし断定するにはやはり、それはあまりにも異様すぎる。
等身ほどの長い把手の先には、象の頭蓋ほどのサイズの金属塊が生じている。その塊はまるで水銀のように流動的な金属であり、おまけに絶えず心臓のようにドクドクと脈打っている。そしてその表面にあるおびただしい数のトゲは、鼓動に呼応するように伸縮を繰り返す。
まるで生きているかのような、異様な大槌。
それが、今アブリルの持っている、伝説武装であった。
アブリルはそれを、右手一本で操っている。
左腕は先ほど、切り落とされてしまっていたから。
肩の切断面に向かって息を吹き、気流を浴びせる。それにより、氷結魔術が発動し出血を止めた。
「息吹を媒体にする魔術師――。そうか……きみ、アブリル・ライラストリアスだね? 少し前まで、神殿にいたはずだが……」
ヘックスが思い出したように告げる。
魔術師はその魔術を発動する際、何かしらを魔力の媒体として用いる必要がある。それは時として、声であったり、文字であったりする。
なにを媒体にするかは、人それぞれであり、一部、努力では身につけようのないものまで存在する。
アブリルの息吹――即ち呼吸は、その努力では身につけようがない、先天性が必要な媒体のひとつだ。
息吹のみで即座に魔術を発動することが出来る――それはつまり僅かな予備動作で素早い魔術の発動を可能にするということだ。
一度に吐く息の量には限度があることから、莫大な魔力を練り込む必要がある大型魔術の使用ははっきりと苦手にしているが、しかし一対一の戦闘において必要とされるのはむしろ出の速い小中型魔術の方である為、対人戦においてはこの上なく強力な魔術媒体であると評価されている。
「噂では聞いたことがある。息を吹くだけで致命ギリギリの氷結魔術を高速発動できるらしいね。出の遅い、鈍重な媒体使いの魔術師では対抗措置が無いという――そうか、きみがそうなのか」
ヘックスは目の前の地面にめり込んでいる槌を警戒しながら、そっと姿勢を正す。
「たしかフルグラで見聞きしたことを一切憶えていないと言い張っていたらしいけど……そうか、きみ、そういうことか。既にさっきのガキに誑かされていただけって……そういうわけか」
「誑かしだなんて……、下品な奴。ただ私が一方的に、あの方を心より敬愛し、それ故に自主的に口を閉ざしていただけのこと」
発言と同時に長い息と短い息を二回ずつ行い、波上の氷結波と弾丸状の氷結弾を立て続けに発射する。
その全ては、媒体発露から魔術発動まで一瞬とも言えるほどの僅かな発動時間による魔術攻撃である。神殿にいる優秀な魔術師でも、完全に避けられる者の方が少なかった、彼女のファストアタック。
しかしヘックスは涼しい顔のまま、なんなく回避を成功させていた。
「あんなガキに、嬖愛を受けて、コロッと逝ってしまったわけだ?」
「――――ッ!? 嬖愛じゃない、敬愛だ!」
くだらない挑発に激昂してしまった瞬間、ヘックスが幻影により背景に溶け消える。
(――魔術の発動がはやい)
まず媒体がなにかも確認する間もなく、気がついたときには既に魔術の発動が完了している。
「僕は他人のミスには寛容だと前に言ったが……しかし、それはあくまで相手が僕に敬意の念を抱いている場合に限られる。つまりもうきみはダメだ……殺すことにするよ」
相変わらず気色の悪い奴だが、裏腹に実力は確かだ。
(とりあえず媒体がなにかだけでもつかんでおかないと――)
魔術師同士の戦闘において、相手の媒体がなにかというのは必要不可欠な情報の一つだ。
さもなくば予備動作をそうとは認識出来ないままに、突然の魔術発動に対応せざるを得なくなる。
一般の魔術師とは違い、セブンスの個人情報は最上級の取り扱いが為される。故に、下にそれらの細かな情報が降りてくることはない。
魔術媒体とはその術師がどのような規模の魔術をどのように操るのかを如実に知らしめることができるクリティカルな情報の一つだ。
ヘックスが幻影使いであることは周知されても、肝心の媒体となれば、知る由もないのである。
(でも――今の私にはこれがある。あの方からいただいた、この武器が)
右手の槌を握る。
ダンジョンアイテム。
クラスは不明であるが、先ほどニーヴェ兵を殴り殺した際の手応えと、そしてこれを用意したのがカイザーの配下という情報も相まって、間違いなく一級品であろうという予測が彼女の中では為されていた。
少なからず――かつて彼女が所持していた、白鴎のゲイルシュカントよりも上のクラス。
フルオートディフェンスの能力を持つA-クラスの白鴎のゲイルシュカントは、カイザーとの交戦時に破壊されていた。
「はああああ――ッ!」
アブリルは手に持つ槌を横に大きく薙ぎ払う。
ただの勘である。
ヘックスの武器は剣である為、また近づいてきているのではないかと当たりを付けた。
「残念」
しかし、彼の声は耳元――つまり背後から聞こえてきた。
「――――くっ!」
慌てて旋回し、そのまま槌を背後の景色に向かって振り回す。
――が、それも空を切る。
そして
ぐちゃり――と、次の瞬間、なにかが背中から彼女を貫通する。
「――――っ! くあぁあっ」
腹部を見下ろす。
そこにはヘックスの持つ曲剣――その三日月形の刃があった。それが、血まみれで彼女の腹部から顔を出している。
うめいていると、耳元でまた、奴の声がする。
「知っているかい? 曲剣とはね、本来は敵を切り裂いて使うものなんだ。その曲った刃は刺突には不向きだからね。でもね、僕は思うんだけど、曲っているからこそ、一旦身体に突き刺してしまえば――」
そうして、彼女の身体を貫通している刃が、グリグリとドリルのように回転される。
曲剣特有の薄く幅広の刀身は、それによる回転をより大きなものとして彼女の身体の内部をいたずらにえぐり取る。
「――こうやって、細長い刺剣には不可能なデカい穴を相手に開けられる! どうだい? どうだよ! 身体ん中ででっかいスクリューが高速回転してるみたいだろッ!」
傷口が抉られ、血が吹き出し、痛みが彼女の神経を脅かす。
「ぅ――ぐぅ――っ!」
思わず叫び出してしまいそうなほどの激痛だった。
しかしその声を押し殺す。叫べば、こいつを喜ばせてしまうことを彼女は知っていた。
ニヤニヤと、気配だけでも伝わってくるあの下卑た笑みを、それ以上増長させまいと、彼女は必死に、唇をかみ、自身の感情を押し殺した。歯が食い込み、唇から血が滴る。鉄の味がした。
「叫べよ。ほら、いいんだぜ? 聞かせろよ」
アブリルは血の糸を引く唇を僅かに開き、息を背後に向かって吹く。
「――――ッ!」
彼女の放つ凍結魔術により氷塊が背後スペース全体を押しつぶす――が、直前で下卑た気配は消えていた。
完全に虚を突いたはずだったが避けられてしまっている。
(このタイミング、この発動速度にも反応するなんて)
恐ろしい――卓越しているのは魔術スキルのみではない。判断力、フィジカル、俊敏性、格闘センス、全てのカテゴリで超一流。
「吐息も素敵だね。きみが魔術を発動する度に、僕はきみの美しい息を感じることが出来る」
吐き気がした。
先ほど開けられた腹の穴からは、ドクドクと大量の血が体外に流出していっている。
(死ぬ――)
これ以上血を流せば、否応なく死ぬ。
「……――限界か?」
下卑た声がどこからともなくそう囁く。
(それでも、死ねない――)
コイツを生かしたまま、死ぬわけにはいかない。
(あの方に誓ったのだから。コイツを、ここで、絶対に殺すのだと――!)
フッ――と息を吹き、腹を凍結させて止血する。
「――――あ?」
しかしそこで、ふと気がつくことがあった。
右手で握っている――|あの方から頂いた伝説武装《Sクラスアイテム》。その槌が、右腕をつたって流れ落ちる血液を吸い、脈動している。
(まさか――――)
そう、そもそもこの槌は、最初は槌ですらなかったのだ。
あの棚から拾い上げたときには、ただの棒であった。
それが――ニーヴェ兵を殴り潰しているうちにいつのまにか、流動する金属塊が先端に出現していた。
まるで心臓のように脈打つ槌。
もしかして――この槌は、偽りなく心臓なのではないか。
血を吸う。
血を吸い、脈動し、その機能を活性化させる。
「さあ――そろそろ終いにしようか。最後くらいは麗しい、大きな嬌声を響かせてくれるだろう?」
周囲を見回す。
しかしまるで、その姿を捉えることは出来ない。幻影によるカモフラージュの、その僅かなノイズすらも無い。
さすがはセブンス――
この世界で最高の七名の魔術師。その名を冠する者。
(侮っていた……)
もう少しでセブンスになれていたかもしれない――そんな自分ならば、捨て身になれば現役の天才すらも殺れるはず。
そんな風に考えていたのだが、どうやら甘かったようだ。
捨て身如きでは届かない。それくらいではあの方との約束を果たすことは出来ない。
(――命を賭けねば)
身を捨てる思いでは無く、命を捨てる覚悟で望まなければ、願いを叶えることは不可能なようだ。
「――――――ぅッ!」
アブリルは食いしばる。
(あの方の為であるなら――なにも怖くない)
おのれを殺し、理性を殺し、本能に逆らい――
右手の槌を思い切り、自身のはらわたに向かって突き刺した。
幸運なことに、ある程度の入り口は先ほどヘックスにより既に開けられている。
そこにより大きな巨塊をねじこみ、かき回す。
身体の至る穴から大量の逆流してきた血液たちが問答無用で吹き出してしてくる。血涙や鼻血、吐血――大量のそれを繰り返しても、しかし決してその手を緩めない。
痛くても、どんなに痛くても、尚も叫ぶことはせずに、ただ黙って、それをやり、血を搾り取るように抉り回した。
「…………興ざめだな、まさか自害を選ぶとは」
声が聞こえる。
貴様なんぞの下卑た興など、冷めてくれるに越したことは無い。
「けれど――」
彼女は次の瞬間、槌を体内より引き抜く。
千切れた臓物と共に、それはべっとりと濡れた姿で取り出される。
そうして天に掲げられたその槌には――その先端には、巨大な、先ほどのものとは比べものにならないほどの、視界を埋め尽くす、まるで惑星のような、それほどの質量を持つ、脈打つ鉄塊が大きく脈動していた。
ドクンドクンと――見る者を揺さぶる、赤黒くべっとりと、血を滴らせているそれ。
「――――――な」
声にならない声を漏らすヘックス。
彼がどこでその声を漏らしているのかアブリルには分からない。
しかし、今ならば――たっぷりと自身の血を吸い、最大の活性を得た今の状態のこの槌ならば――
「潰れろぉおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
大量の血を吸い出され、臓物を散り散りにされ、消えかかる意識の中で、彼女は全力で、最後の力を振り絞ってそれを振り下ろす。
地面に激突する槌の心臓は、衝突と同時にはじけ、破裂し、そして中から大量の緋い流動する金属を吐きだした。
循環する血の金属。
それらは空間を埋め尽くし、重い質量に変わり、あたり一面を圧倒的破壊力で圧し潰す――
「ああああああああああああああああああああ!!!!!」
彼女の想いをのせた、断末魔にも似た叫びと共に、彼女を囲む全ての物体は、跡形も無く潰れて消えた。
そして――
最後に残った彼女もまた、その命を涸らし、独り虚ろにその場で倒れる。
「待っていてください……必ず、私はあなた様のところに……」
彼女の意思に反して、その瞳が目蓋に閉ざされていく。
「待ってて……くれます、か……」
今度は――
私は――
会えるでしょうか――