12
切断されたアブリルの左腕が中空を舞う。
「いいかい……もう二度とは問わない。だから心して答えるんだ。そして尚且つ、僕に対する敬畏を忘れてはいけない。敬畏は大事だ。特に格上の存在に命を握られているシーンでは」
突如として姿を現したそのセブンスに対し、アブリルは肩から鮮血をほとばしらせつつ、身を翻し距離をとった。
セブンスが一人、影劫のヘックス。
――帝より『慈悲』の意味を与えられ、それを表す逆満月の紋章を背負う者。彼の羽織る白いマントには金色の逆さの満月紋様が刻まれている。
天地無用。たとえ上下がひっくり返っても本人以外には意味を解せず、それほどまでに裏表なく欲望のままに生きる者。天地は無意味であり、それ故に決して裏返してはならぬ。
さもなくば無価値な無慈悲さに襲われることになるだろうから。
「聞き捨てならない、あるまじき事実を耳にしてしまったようだ。その男が、カイザー……だって? それを知って名を呼ぶきみも……裏切り者ということで間違いないのか?」
三日月の曲剣を持つ両の腕をぶらりと無造作にぶら下げながら、彼は一歩、こちらに向かって近づいてくる。
「……ヘックス――っ!」
アブリルがその名を口にした直後、彼女の右耳が鮮血と共に斬り飛ばされた。
「残念、ヘックスさんだ。理解できたかい? 敬畏は大事だ。だって命が大事だろ? 同じことなんだ」
「っ! あぁぁッ――!」
耳のなくなった部分を手で押さえながら、彼女は苦痛の呻きをあげた。
ヘックスはその声に、高原で新鮮な空気を吸う天使のような表情で耳をそばだてている。
「きみは良い声をしているね。嫌いじゃない。むしろ好きだよ。もっと聞くたいな……きみが痛くて痛くて仕方がない――そんな風にむせび泣いている声を浴びるように味わってみたい」
「死ね」
「いいね、それ。もっと言ってくれよ」
アブリルの吐いた悪態に、ヘックスは今度はなにもせず、ただ下卑た笑みをこの上なく上品に浮かべた。
「で、どうなんだい? 今の君たちの会話から察するに――そこのきみが、あの覇王国の親玉であるカイザーで、その横の骸骨がその部下、そしてそこの良い声のきみはそいつの潜在的崇拝者であり、つまりはみんな揃って僕たちの裏切り者ということになるけれど――」
シグルたちはなにも答えなかった。
ヘックスはただそれをうすら笑みで見つめ、まるで静けさに堪えきれなくなったとばかりに続きを話した。
「僕はずっと、きみたちと一緒にいたんだ。カルディアあたりで追いついたから、そのあたりから姿を消して横を歩いていた。別に他意はない。普段からやっていることなんだ。こうして誰からも見られない力を持っているとね、ついやってみたくなるものなんだ。趣味だよ、純然なるね」
もの凄く気持ちの悪い趣味だと思った。
そしてそれとは別に、その途方も無いスキルに、少なからずシグルは驚いた。
(……まるで気がつけなかった)
シグルははっきりと魔力探知を苦手としているが、他にキョーカノコやレイル――そして元神殿のアブリルもいたのだ。いずれも世界トップクラスの魔術師たちだ。
そのいずれもが、忍ぶヘックスに微塵も気がつけなかった。
横の兄に目線を送る。
彼も、首を横に振った。
(兄さんでも、幻影が見えてはいなかった……)
さすがはセブンス――と言ったところだろうか。列強種すらも欺く幻影魔術。常軌を逸した才だ。
まあそうは言っても兄は、完膚なきまでの脳筋で、全ての小細工をフィジカルで堪えきり撥ね付けただひたすらに物理で叩くというシンプルな戦士なので、この場合、通常の列強種と同列に扱うことはできないかもしれないけれど。
シグルたちの驚きをよそに、ヘックスは先を続ける。
「誰にも知られず様子を横から眺めやれるという行為は、実にいろんな事実を僕にもたらしてくれる。今回もそうだ――きみがカイザーであると言うことだけでなく、それに内通する裏切り者まで一人釣れた」
ヘックスの横目に、アブリルは忌々しげな表情を浮かべた。そしてそれは痛切なる悔恨の念も表していた。
「まあ……いい、気にするなよ。僕はこう見えて、他人のミスには寛容なんだ。きみが今回のミスを悔やみ、反省をすると言うのなら、僕はそれを甘んじて受け入れよう。つまり――黙っててやるよ、裏切りのことは。その代わり、誠心誠意、これからは僕に尽くしてもらうことになるけどね」
とても気持ち悪いが、しかしアブリルにとっては悪いはなしではないな、とシグルは分析する。
「考え事かい?」
そんなことを考えていると、ヘックスがシグルにそう言い放った。
「ええ、まあ」
「……きみは、まるでなってないね」
ヘックスは不気味に歪んだ笑みを上品に浮かべると、一歩こちらに距離を詰めた。
「カイザー……そのふてぶてしい態度、どうやら間違いないようだね。きみのことを、僕は王に報告せねばなるまい。まさか、塔の魔術師の中に、反逆者の親玉が潜んでいたなんてね――ゆゆしき事態だ。この事態を鑑み、皇帝陛下ならば塔にいる全魔術師の抹殺すら命じられるかもしれないな」
「そんなことはさせませんよ」
「………………更に、僕個人も、きみにはまったく容赦するつもりはない。きみに関しては、この場で直接手を下すのもやぶさかではない。分かるかい? 僕がなにを言いたいのか?」
「俺たちをここから生きて出す気はないと」
「違う。出来るだけ長く生きていたくば僕への態度をあらためろと――そう言っている」
剣の切っ先で前方に半円を描くようにして両腕を広げてヘックスは言い放った。
(いちいち面倒くさい野郎だ)
「こちらこそ、あなたをここから出す気はありませんよ」
「おっ、やるのか?」
戦闘態勢に移行するシグルに嬉々とする兄。
「当然、ここで仕留める」
秘密を知られて、まんまと帰すはずがない。
本来であればもうすぐにでも、ダンジョンを抜け、兄と共に街になだれ込んでいないといけない予定なのだが――まあ、状況が状況なので仕方がない。
ヘックスは表情を歪めた。
「……まるでもう勝ったような顔をしている。いったいどうやってフルグラを陥落せしめたのかは知らないが、同じことが僕にも通用すると思ったら大間違いだ」
握る双曲剣に僅かに力を込め、彼もいよいよ戦闘態勢に移行しようとしていたその時――
「――――っ!?」
アブリルがその右手の槌を思い切りヘックスに向かって振り下ろしていた。
ヘックスはすんでのところで身を翻し、距離をとる。
「…………どうした? きみの罪は大目にみてやると、そう言ったろ」
ヘックスの言葉を無視して、大量の血液をまき散らしながらアブリルはもう一度右手の武器を大振りし、彼をもう一歩後退させる。
「カイザー様――」
そんな彼に注意を向けながら、両者の間に割って入るように移動し、アブリルは告げた。
「行ってください――こいつはここで、私が殺します」
足下に血溜まりをつくりながら、彼女は続ける。
「これまであなた様であると知らなかったとは言え、不遜な態度をとり続けてしまっていたこと、そして私に期待してくださっていたはずの働きを私がこなせていなかったこと――その償いを私にさせてください。私が命を賭して、あの者はこの場で仕留めます。あなた様はきっと、別の用件がおありなのでしょう? そちらを果たしてください」
ですからお願いします――と、彼女は涙乍らに懇願した。
「この仕事が終わった暁には、――私を、是非、あなた様の配下にしてはくださいませんか。全身全霊――全てを、言葉の通りに全てを、あなた様に捧げます。それこそが、かねてからの私の悲願」
ヘックスから決して視線は逸らすことなく、しかし全霊の敬畏を持って彼女が話しているのが分かった。
どうやら、アブリルがあの方と呼んでいたのはカイザーのことであったらしい。
そう考えると、謎の秘匿や、ニーヴェ兵の殺戮など、いろいろと不可解な彼女の言動についてある程度理解することもできた。
左腕と右耳を失い、息を切らし、自身の無罪を棒に振ってでも尚、気丈にセブンスの前に立ちはだかる彼女。
「……いいだろう。任せる」
シグルがそう言うと、隣で兄が少し残念そうに脱力するのが分かった。
「――――っ! あ、ありがとう――ございます――っ!」
感涙にむせび、瞳を潤ませ、そして輝かせるアブリル。
「必ず殺せ」
そう言ってシグルと骸骨は背中を向け、出口に向かって歩き出す。
「行かせると思うかい――?」
ヘックスが面白くなさそうに、回り込もうとする――が、
「その方の覇道を――邪魔するなあぁああッッッ!!!!」
全力のアブリルの振り下ろしがヘックスを立ち止まらせた。
否――厳密には、その振り下ろされた武器に、足を止めたのだ。
「な……、なんだ――それ……」
歪な形のそれを前に、動揺するヘックス。
(レミエンケスの心臓……か)
一方シグルは、その発動形態により彼女の手にしていた武器がなにであったのかを知る。
(今後の、一つの目安にもなるかもしれない)
Sクラスアイテム――即ち伝説武装を持つことで、塔の魔術師がどこまで戦えるようになるのか。
シグルは大きく上下するアブリルの背中を最後に一目顧みて、兄と共にその場を離脱する。




