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翌日の、もうまもなく夕暮れとなる頃に、シグルはひとり、円卓の塔内にある寮の部屋に戻る。
小さなワンルーム――そのサイドに、二段ベッドがふたつ備え付けてある。
一人暮らしが適正であるだろうサイズの部屋に、無理矢理四人を寝泊まり出来るようにした感じの手狭な部屋。
左側の上段のベッドをレイルが、下段をシグルが使用しており、右側の二つはどちらもキョーカノコが独占している。キョーカは女子なのだから当然の権利ですとのことだ。
自身のベッドに入り、目を瞑る。
そう、いよいよ戦いの時だ。
意識を自身から解き放し、遙か上空で浮遊する龍屍へと飛ばす――と、次の瞬間には視界と五感と意識が龍屍のそれへと移り、リンクした。
龍屍は、背中から六枚の翼を生やした、全身をすっぽりと覆うフード付きの黒いコートで身を包んだ人型の姿をしている。
もとはシグルを育ててくれた伝説種族・象龍カイザーの死骸である。
それを、象龍が死する際に、後に残される幼き――そして復讐の炎を心の奥底で燃やす――シグルのために、シグルの代わりに戦う人形として、自らの身体を作り変えた物だ。
生前の龍そのものとはいわないまでも、限りなくそれに近い力を秘めた、強力な戦闘力を秘めた人形。
それこそが、龍屍である。
シグルは『他の精神に干渉する』魔術に素養があった為、自身の精神をゾンビへと飛ばし、リンクさせることで、自身の身体を動かすようにゾンビを操作することを可能としている。
このドラゴンゾンビの活用により、シグルには、自身の現在地とは遙かに離れた地点での、潜入・戦闘ミッションをこなすことが可能となる。
もちろんグリフォンブラッド家の者以外でこのことを知る者はいないし、グリフォンブラッド以外の為に使用することもない。
ゾンビは上空からあたりを見渡す。
高度一万メートルであるそこからは、白い雲の絨毯により地上は見えない。
が、太陽の位置からこれから向かうべき方向は分かる。
西――沈みゆく太陽の方向に向かって飛べば、フルグラ王国だ。
つまり国王を乗せた飛行船もそちらから飛んでくる。
飛行船の平均速度は約時速三百キロメートル。
だとすると到着予定時間から逆算して、現在はここから約千キロメートル先を飛んでいることだろう。
【いくか……】
ゾンビは呟くと、自身を包む大気を体内に吸収して、周囲の大気圧を限りなくゼロに変える。それを常時繰り返しながら、目標ポイントに向けて飛行を開始した。
真空というのは、こと移動に関して言えば、この上ない条件となる。
この世界の飛行技術は先述のように飛行船の時速三百メートルほどが限界であるが、ゾンビの最高速度はマッハ3――即ち時速三千キロほどであり、およそ世界の常識の十倍の速さとなる。
つまり、千キロ先であるならば、ゾンビの飛行速度ならば二十分ほどで到達可能だ。
【あった】
二十分後――
ゾンビは前方に、こちらに向かって飛行してくる目標を確認した。
(意外と多い……)
視界に捉えられたその一団は――戦艦3、空母4、巡洋艦5の計十二隻という大艦隊相当の編成である。十二隻もの巨大な船が飛行している。
(さすがは王の移送隊……厳重そのものだな)
ゾンビはそこで、速度を先方と同等のものにし、そのまま後退を始める。
そうすることで、後退を続ける限りは、互いの距離関係も維持され続けることになる。
(でもちょっと近すぎた)
シグルは心の中で反省した。
この距離であれば、あちらからもこちらを視認することは一応可能であるだろう。
理想は奇襲だった。なので目視距離ギリギリのところからまずは様子を見たかった。
(まあ敵艦隊を当たり前に想定しているはずの彼らに、たとえ目視距離であろうとも、人間サイズのゾンビを見つけられるとは考えにくいけどね)
ゾンビは前方を飛ぶ飛行大艦隊を見据え、殺害目標はどの船に乗っているのかを推察する。
艦隊は空母、戦艦、巡洋艦の順番で配列されている。
普通に考えるならば最も守りの堅い位置を飛ぶ三隻の戦艦のうち、まあ真ん中の船あたりが妥当だろうか。
ゾンビは右腕を伸ばし、魔術を構える。
龍屍には六枚の翼にそれぞれひとつずつ、魔術か兵装のいずれかを任意にセットし使用させることが可能となっている。
そのうち左方上翼にセットしてある砲撃魔術を発動させる。
まずは王がいるであろう戦艦以外の護衛艦を、すべて撃墜しておこうと考えた。
【第百三十五異界魔術――】
そう唱えかけて、ふと思いとどまる。
(いや、やっぱり撃墜はやめておいた方がいいか……)
フルグラ王も合理性より誇りを重視する人柄であったし、この十五年間でよほど性格がひねくれたりしていない限りは、まずあの旗船にいると考えて間違いはないとは思うが。
しかし万が一ということもある。
万が一、撃墜した船に王が乗っていて、万が一、墜落しても生き延びていて、その二つの万が一が重なれば、あとは広い大地が王を待っている。
この作戦の肝はどうしたって逃げられない空の中で確実に目標を殺害することにある。
(墜とすならば確実にそれに王が乗っていないと判明してからにしよう)
そこまで考えて、シグルは魔術の砲撃を中止する。
詠唱中止により、発生し始めていた魔術エフェクトも立ち消えた。
代わりに、一振りの細身の直剣を右方中翼より取り出す。以前、城の武器庫で見繕い、セットしておいたものだ。
中身を失った翼は半透明に変わり、其の手に握られた剣は淡い青光を帯びた。
(近接戦に切り替える)
――と、次の瞬間、
ドオオンッ!
艦隊の前衛を飛んでいる巡洋艦五隻より、砲撃魔術が発射された。
(へえ……ちゃんと俺に気がつけたのか)
帝国兵もなかなかやるものだ。
(でもまあ、撃ってきたところで――)
ゾンビは発射音を聞いてから、発射されたその魔法弾を確認し、飛来する弾丸の弾道――その合間を縫って、ヒラリヒラリと最小限の動きで身を躱し、すべての弾丸を避けきる。
(見てから回避、余裕ですけど)
巡洋艦はしばし沈黙したが、やがてまた、立て続けに数多の砲撃をくり出してくる。
それらすべてを尚も容易く避けつつも、しかしシグルは多少の煩わしさを感じた。
牽制射撃で黙らせたいが、手持ちの魔法はどれも、当たれば墜としてしまう異界魔術である。
(こんなことなら、ひとつくらい限界魔術の方も積んでおくべきだったな)
後悔先に立たず。次回への反省点とする。
仕方がないので別の方法を試す。
ゾンビは速度をゼロにする。当然、次の瞬間には互いの距離が詰まる。瞬く間に迫る巡洋艦の船頭にピタリと足を付け、そのままとりつく。
(これなら撃てないよな)
事実、砲撃は止んだ。
――が、
ヴオオオオ――
次の時には羽音のような駆動音が高らかに響き渡っていた。
足下の船頭越しに隊列最奥の敵母艦を確認すると、いくつもの戦闘機が発艦してきているのが見えた。
アンチボディは、言うなれば飛行魔術と生命維持魔術の刻印を全身に刻み込んだフルプレートの甲冑である。
飛び立ったそれらは瞬く間にゾンビの周囲を取り囲む。
「なんなんだおまえはっ! どこかの国の新型アンチボディなのか!?」
取り囲んできた一人の戦闘機乗りが詰問してくる。
もちろんシグルがなにかを答えるはずはない。
「いや、違うぞ……こいつ、アンチボディではない! 生身……生身だ!」
パニックに陥っているように声を裏返し、別の乗り手が叫んだ。
「馬鹿言え! 生身でこの空にいられるはずがないだろ! ここは……我々は今、時速三百キロの世界にいるんだぞ!?」
王を乗せた艦隊は未だ、ほぼ飛行速度を緩めてはいない。
故に、ここにいる者は皆、高速移動を維持しながらの戦闘を強いられているわけだが、たしかに彼らの言うとおり、生身の人間には不可能な芸当であるだろう。
ゾンビは剣を試しに二、三度その場で振ってみてから、足場にしていた船頭からピョンと空中に飛んだ。
「がぁっ――!」
それから瞬時に取り囲む戦闘機のうち一つに詰め寄り、一刀両断する。
真っ二つになったそれは力を失い、眼下の雲の絨毯の中へと消えていく。
「こいつ――! やれ! 墜とせ!」
帝国戦闘機の標準装備である、ライフルと長剣が一緒になった銃剣を、彼らはこちらに振り回してくる。
――が、
(練度が低い……)
しかしそれはあまりに無様な有り様であった。あまりに鈍重で、あまりに大ぶり。そんなもの、間違っても当たるはずはない。
この者たちは、対アンチボディ戦の訓練しか受けていない。
【ふん……】
ゾンビは相手にすることやめた。そのまま速度を上げ、一気に包囲網を抜ける。
「なっ!? なんだ、はやすぎるぞっ!」
声を置き去りにし、瞬く間に戦艦のもとへとシグルは到達する。
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