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アブリル視点です
このダンジョンの中に侵入してからというもの、詳細不明の妙な感情が疼いているのを、アブリルは心の奥底でずっと感じていた。
(なんだろう……これ……?)
どうも落ち着かない。
そんな彼女の不安に呼応するように、彼女の横を飛び、周囲を照らしている魔術の光もまた、ブルりと一瞬だけ揺らいだ。
入り口すぐの階段を降りてからあたりはすっかり暗闇に包まれ、ジメジメと湿っぽい空気が漂っている。
足下にはくるぶし辺りまでが水に浸かっており、靴の中にそれらが実際に染み入ってくることはなくとも、心地の悪さを感じさせていた。
後方からはレイゲントンの生徒たち三名が足音もなくついてきている。
(水場ですら音をまるで立てないなんて……)
あの女はいったいどんな教育をしているのか。
完全なる無音でついてくる三人を気配だけで察知しながら、アブリルは筆舌に尽くしがたい居心地の悪さを感じる。
むしろこの四人の中で最も大きな足音を立ててしまっているのは自分だろう。
マスタークラスなのに。
(生徒に対してこんな引け目を感じる日が来るだなんて)
ただでさえ彼女は、まだ神殿に行く前に、レイゲントンゼミへの試験に落ちた過去がある。
初めての挫折――その思い出。
(私が入れなかったゼミに入ることができた生徒たち……)
無意識下のコンプレックス。今、アブリルはその存在に気がつくことができた。
けれどその存在を認知して尚、まだ彼女の心の奥底では詳細不明の感情がうごめいているのが分かる。つまり、ダンジョン侵入後からずっと燻っている謎の焦燥と、このコンプレックスとは関係が無いのだ。
(ならいったい……?)
いったい何に、こんなにも心を揺さぶられているのか?
その答えは、やがてそれを目の当たりにした時に判明する。
「――――――っ!?」
気配――何ものかが、途方もなく大きな気配を無分別にまき散らしながら、こちらに向かって歩いてきているのに気がつく。
即座に魔術の光を消すと、アブリルは体勢を低くし、手信号を後方の三人に送る。
そしてそ――っと、最大限の努力で音を殺して、通路脇の柱の影に身を潜める。
気配は――すぐにやって来た。
前を、通り過ぎる。
鼻歌が聞こえた。それが口ずさんでいたのだろう。
手にはランタンをぶら下げており、一歩一歩、大きく優雅な足取りで、彼女たちの隠れる柱の前を通り過ぎていった。
ランタンによって浮かび上がるその姿は――巨大な骸骨だ。恐ろしく大柄で、屈強な、黒いオーラをまとった骸骨。
そして――
(――――う、――ウソ、でしょ…………?)
自分たちよりもはるかに強力な――絶望的なほどに、圧倒的な力を持った――、
そんな、アンデットだった。
(あれを……あれを退治しろというの?)
激しい動悸が襲う。
落ち着けと、鼓動を止めるようにして胸を掴み、無理矢理冷静さを取り戻す。
冷や汗が止まらない。
血の気が引いているのが分かる。
目の前でアレに通り過ぎられるという体験は、それ程の恐怖をアブリルに与えた。
このダンジョンに入ったときから、彼女を苛み続けていた謎の感情とはつまり――恐怖だったのだ。
あの骸骨の存在により、本能的に怯え、深層心理が警戒を促していた。
確信を持って言える。
(絶対に勝てるはずがない)
かつて邂逅した異次元の存在――つまりは敬愛するあの方よりもずっと、凶悪な恐怖を刻まれた。
いや、むしろあの方は、対面した自分たちにそれ程の恐怖を与えることはなかった。
きっとそういう認識しうる恐怖だとかを、更に超越したところにいる方なのだろう。
(だからきっと、骸骨があの方より強いということはきっとないだろう――)
けれど、少なくとも、自分たちよりは間違いなく強い。
絶対に、勝てない。
それだけは分かる。
そこまで考えて、指揮官としての責務を思い出す。
(私としたことが――まさか、恐怖のあまり、部下の状態把握を忘れるなんて――)
慌てて、横にいる三名をみる――
「――――――ッ!?」
しかし振り返ったその先には、予想外の光景があった。
そこには、自分と同じく絶望している二人と――
――それを装っている一人の姿。
「シグル……くん?」
問うと、彼がこちらを見返る。
間違いない――
彼は、別の感情を、演技で覆い隠している。
「きみ……、アレが恐ろしくないの……?」
思わず訊いてしまった。
そしてそれは彼にまたもや不穏な反応を引き起こすことになった。
「お、……恐ろしいです……」
「……そう」
(恐ろしくないのね……)
アブリルは昔から、人の反応から感情を汲み取ることが得意だった。顔を見ればだいたいの心中を察することができた。
だから、シグルが何故だか異様な警戒を自身に対してずっとしているのにも気がついていた。
特に彼は、ひときわ顔に出やすい。
何かあればすぐに顔に出る。
典型的、ウソをつけないタイプの人間。
たとえアブリルでなくとも、『なにか隠し事があるのだな』と、彼と接点があればすぐに勘付いてしまうことだろう。
彼は、いったい何を隠しているのだろう?
彼とあの骸骨とは、いったいどういう繋がりがあるのだろう?
――そして、あの骸骨はいったい、なんなのだろうか?
あの人外種は、この領域にいていい存在ではない。そう、まるで――
「あんたたち――! ウチらを助けに来てくれたの? もしかして魔術師!?」
――と、いつの間にやら近くにやって来ていた女性兵士にそう声をかけられた。
動揺のあまり、声をかけられるまで気がつけないなんて。
「うっぅううう……よかったあぁああよかったよおおおお!」
声をかけてきた薄汚れたその女性兵士は、兵士らしからぬ泣き顔でそう言うと、次の瞬間には大きな声で本当に泣き出し、アブリルの胸に顔をこすりつけてくる。
彼女の遠慮の無い泣き声は、通り過ぎたアレを呼び戻すのではないかと、大いに(シグル以外の)アブリルたちを怯えさせたものだが、聞くところによると、平気であるとのことだ。
「アイツ、絶対に自分からは襲ってこないんすよ!」
泣きじゃくる女の後ろにいた少年兵がそう言った。
なんでも、骸骨の行動パターンは次の通りであるとのことだ。
①このダンジョンを出ようとする者への阻害
②奇襲をかけてくる者への迎撃
③入り口にあるアイテム使用の推奨
それ以外でこちらにアクションを起こしてくることは一切無いのだという。
「推奨……? ③のアイテム推奨っていったいなんなんですか」
シグルである。
今の話を聞いて、最初に出る問いがそれなのは明らかに不自然すぎるだ。
「いや、なんか僕たちの前を通り過ぎるときに、思いついたように『入り口にツエー武器置いといたから遠慮無く使ってこいよー』って大声で言ってきたり、あとおもむろに歩きながらアイテムを落としていったりとかっすかね」
シグルは頭を抱えていた。なんだろう、この反応は……。
しかしこの兵たちも、シグル同様に、あの骸骨に対して、もはや恐怖という感情は然程抱いてはいないようだった。
「死人は?」
「ゼロっす。こっちがどんな攻撃をしかけても、嬉しそうに大笑いして時々小突いてきたりするくらいで、殺意とかはどうも無いみたいっすね」
「ふうん……」
なら、いったい――
自身の胸で大泣きしている女を見下ろしながらアブリルは思った。
「この人はいったいどうしてこんなにも泣きじゃくっているの?」
「ああ」
少年兵――名前をリョウというらしい――は、後頭部をさすりながら言った。
「ミミさん、はやく風呂に入りたいって最近泣いてばかりなんすよ。家に帰ってシャワーを浴びたいって」
無言で女をもう一度見ると、ウンウンと頷いている。
「腋があああ! 腋が昨日からそこはかとなく臭うのおお! 臭ってきたのおお! ワキガになっちゃううう! シャワーを、乙女にはシャワーが必要なのおお! おうちに、ウチをはやくお家にかえし――――ぎゃうっ!」
アブリルはそっと、彼女を地面に叩き付けた。
「とりあえず今は、ここをどうやって出るか――ですね」
キョーカノコがそう進言する。
いたく正しい。
あの骸骨の討伐は不可能である。故に、次に考えるべきは、どうやってそのことを王に伝えに戻るかだ。
「あ――でもそれなら――」
地面に叩き付けられていた女兵士――ミミが立ち上がり、打ったらしい鼻をさすりながら言う。
「まず逃げる前に最奥の所で囚われている女の子を助けてあげなさいよ!」
「女の子……?」
十中八九、カディアで話に聞いた、チゲちゃんのことだろう。
「あの骸骨が、その子を幽閉しているって言うんですか?」
シグルからの問いである。
不思議なことにどうも彼は、骸骨が人間の子供を攫うというのを、いたく不自然なこととして受け止めたようである。
「間違いないっすよ。ぼくも見ましたっす」
「生きてる! 助けにいないと!」
キョーカノコがそう息巻く。
どうやらまずは、ダンジョンの最奥に行かねばならないようだった。




