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「ほ、ほんとうに……やった……のですか。あのザインハートの無敵艦隊を……?」
オーク材のテーブルを囲んだ新生覇王国の議員たちが、『アビシニの泥鏡』にて投影された国境所の防衛映像を見て、歓声を上げた。
「し、信じられない……しかもあんなにも易々と……」
彼らは口々にそう誉め立てると、最後にいっせいに――テーブルの上座に座る仮面の男――即ちカイザーへと振り返った。
「ええ、まあ――ご覧の通りです。現在この国には最上級の防衛設備を配備されています。故に、どのような相手が来ようとも、あなた方の平和が乱されるようなことはありません」
「……す、素晴らしい」
長い沈黙の後、やがて議員たちは手を打ち始める。最初はまばらに、最終的には大きな拍手となって、カイザーに賞賛の意を示す。
「我々は……本当に幸運であったようだ。あなたのような偉大なる支配者に臣従国としていただけたこと、心より感謝申し上げます」
「いえ、そんな世辞はけっこうですよ」
カイザーは立ち上がりながら告げる。
「皆様の安全はこのように私たちが保証します。なので、せいぜいこの街を大きく、豊かに出来るように励んでもらいたい。その為の初期投資もいくらかは都合しましょう」
「もう既に多額の――ちょっとした国家予算並の額を頂いている……、これ以上まだ貰うなど……恐れ多くてとても。ですが、あんな額をいったいどこから?」
「まあ転ばぬ先の杖と言いますからね、少しずつ貯めてきていたものをほんのちょっと切り崩しただけですよ」
「……はあ、少しずつ、ですか」
「ええ、そうです。とにかく、あなた方には期待しています。おそらく、もうまもなく人間領域では大きな戦争が起きることになる。その時代をどう生きるかは、あなた方次第ですよ」
カイザーは黒衣を翻して部屋を出る。
「あ、カイザー様だあーっ!」
ちょうど通りかかった住民に名を呼ばれ手を振られる。いつの間にやら謎の人気を博してしまっていた。
そのまま窓から外へと出て、宙へ飛び立つ。一気に高度を上げて、国土の中心地にある大峡谷へと向かう。
「お兄様――」
到着し、谷間を空からのぞき込むと、二人組の片割れ――妹のヘレナがこちらに向かって微笑む。
「首尾は?」
着陸し、問うと「上々です」と言ってヘレナは自身の横のスペースを指した。
そこには、天より青白い光の帯が降りてきている。これは空に打ち上げられている『ハルースの瞳』からの光だ。
ハルースの瞳は巨大な髑髏型の鉱石の見た目をしたS-クラスの迷宮アイテムであり、上空百メートル地点に打ち上げることで最大半径三千キロにわたる限界魔術の発動を禁止するフィールドを展開するというものである。
ただしその性質上、打ち上げ高度から離れれば離れるほど効果が薄まり、展開フィールドが狭まる特性がある。なので、地上にいたってはそのフィールドはほぼゼロに縮小してしまっている。
今回、ザインハート軍の侵攻にあたり、空軍を無力化したのはこのアイテムによるものだった。
「すべてはお兄様のお考えどおりとなりました。さすがです」
「うん、まあ先ほど泥鏡で経過は確認した。じゃあ――とりあえずこれから墓地街キリングザールにて、今後のことについて話し合うことにしようか」
カイザーの指示にヘレナは頷き、皆に水玉でその旨を伝えた。
キリングザールの城内――その中の会議室で円卓を囲んだ会議が開始される。
一席――ザラスの席が空席になっているが、まあいつものことである。一応、水玉で回線は開いてあるので問題ないだろう。
「では会を先立ちまして――我らがお兄様よりご挨拶として、ありがたいお言葉を頂きます! さあお兄様っ、どうぞっ!」
「じゃあさっそく連絡事項その①からなんだけど、」
司会進行役のヘレナから謎のパスを受けたが、シグルゾンビは華麗にそれをスルーして本題に入った。
ヘレナは「お兄様……!」と悲痛の表情を浮かべていたが、まあこれもいつものことである。
「まず今朝方のザインハートからの侵攻の件なのだけれど、予定通りハルースの瞳と兄さんの空間魔術で全滅させることに成功した。お疲れ様」
シグルたちが国家防衛の為に用意した手段は以下の二つだ。
①ハルースの瞳による艦隊の無力化。
②ラーズガインの操る『空間魔術』とマイア《列強種・悪魔》の『複製魔術』の活用による地上部隊の一網打尽。
②についてだが、
吸血鬼はそれぞれ、自身の固有異空間を持っている。それは、こことは異なる、別の次元に存在する魔術空間だ。
吸血鬼たちはその中であれば圧倒的な戦闘力を発揮することが出来、それ故にその中に敵を引き入れて屠るのが常套手段となる。
今回兵士たちをまとめて転移したあの『血だまりの空間』はそのラーズガインの異空間だった。
ただしその異空間本来の入り口の大きさは、アンチボディ一機分ほどでしかなく、国境全体をカバーすることは出来ない。そこでマイアの複製魔術である。それを利用し、黒霧泥を複製し、国境全体に広げることにした。
悪魔の複製魔術は他者の魔術および魔力をコピーし自ら使用することが可能な魔術である。そして悪魔は総じて魔力量が多いので、複製するとオリジナルよりも規模が大きな効果になるケースが多い。
これらの対策は以前より準備し練られていたものだが、実戦投入は初めてのことだったので、一定の成果を上げたことに、シグルは心底ほっとしていた。
「今回、防衛策が機能したことは、我々にとっては大いなる前進と言っていい。ここでつまずくと、今後の目論見もかなり狂っていただろうから。これで安心して、次にいける」
「それなんだけどよおーシグル、俺は未だによく分かってねーんだわ。どーしてこんな七面倒くさく防衛設備を整えなくちゃなんねーんだ? あーんな魔術無力化なんてひ弱なことやんなくても、俺らで直接完膚なきまでにぶったたいてやりゃーいーじゃねえか」
骸骨であるグランが、そう疑問を呈する。
「そうだね、たしかに今の段階ならそれでも構わない。でも、今後はそれではまわらなくなるだろうから、その為の準備だよ」
国家防衛に人手を割かなくても済むというのは、この上ないメリットとなる。特に、グリフォンブラッドは八人しかいないのだから尚更だ。
「最終的な目標としては、今の魔術無効化空間を人間領域の上空全体に広げたい」
「はぁっ!? マジかよ。んなことできんのか?」
既に何度か説明した事項であるが、まるで初めて聞いた事実であるようにグランが驚く。
骸骨になってしまった我らが長男は、もはやかつての知的な彼ではまるでなく、いつだってすべてのことを新鮮に満喫出来る体質――つまりはとても忘れっぽい人間に変わり果ててしまっていた。
「できる。その為に必要なハルースの瞳の増産だけど、それはマイアに頑張ってもらっている」
通常、生物の扱う魔術をコピーするのが主である複製魔術を、物質の及ぼす効果をコピーするのに利用する。
それは悪魔的には破天荒すぎてかなり難しい作業であるらしいのだが、かつて人間であったことのノウハウを活かして、マイアは頑張ってくれている。
「まず空を潰す。そうすれば帝国の主力艦隊はほぼ無力化され、無駄な戦争すらもなくすことが出来るだろう」
「虫けらどものことまで気にかけてあげるお兄様……さすがです」
横でそうウットリするヘレナ。
てか、とうとう人間を虫けら呼ばわりする域にまで達してしまったのか我が妹は。
「まーいーんじゃねーか? 非戦闘員なんてぶっ潰しても面白くも何ともねーからな。俺は殺り甲斐のある奴らだけ相手に出来たらそれでいーわ」
かつては詩の朗読を趣味とし、ペンは剣よりも強いと信念を持って学問に励んでいた我が家の長男は、今ではすっかり謎の戦闘民族みたいになってしまっている。
「ちなみに、今朝の侵攻で、すぐ目と鼻の先にいたザインハートをむざむざ見逃したのも、今後の為なのか?」
「そうだね、今後の為だ。まだフェアレディには、これからやってもらわなくてはならぬことがある」
答えながらカイザーは笑む。
それでもなんだかんだ、以前の兄らしく、そこはかとない察しの良さをまだ持っているようで安心する。でもどうせこの応答の内容もすぐ忘れちゃって、次の会議とかで似たような質問されるんだろうけど。でも安心する。
「こちらの防衛能力を知ったザインハートはちなみにどんな反応をしていた?」
水玉を通して聞いているであろうザラスに問いを投げる。
『……愕然と――というよりは絶望か、とにかく白目剥いてたわね。でもだからこそ、その後のあたしの誘導に上手いことのってきてくれるんじゃないかと思う』
ザラスから小声の返答が来る。もしかすると周りに人がいるのかもしれない。
「んだよ――? 話しちまったのか? こっちの手の内? 何のために? まあそっちのが面白くなりそーでいーけどよ。んだよ俺らピンチになっちまうのか? なんかワクワクすんじゃねーか」
まあむしろ有利にするためにやっているに決まっているのだけれど、とりあえずそれに関しては笑って流しておく。
「ザインハートのことはザラスと――あとヘレナに任せてある。頭脳労働は優秀な彼女たちにやってもらおうよ」
「ふうん……?」
退屈そうに頭の後ろで腕を組む骸骨にカイザーは得意げに指を立てて言う。
「だから、兄さん――俺たちはは、潔く肉体労働に従事するとしようじゃないか」
「へえ……? なんだ、なんか仕事があんのか?」
「うん、前回のフルグラ陥落による帝国からの反応が思ったよりも鈍くてね。それなら今のうちにもう一国潰してしまおうと、そう考えているんだ」
「ほう。するってーと、割りと激しめに身体を動かせる仕事っぽいな」
兄はニヤリと不敵な笑みを(骸骨なので雰囲気の問題ではあるが)浮かべ、親指をおっ立てて頷いた。
「――イイね、肉体労働サイコーだッ!」