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空を進むザインハート空軍幹部の視点で始まります。
陸は前回の通り、では空は…?という話です。
覇王国への国境に飛ぶ大艦隊の指揮を任せられていた旗艦長は、その船橋から眺める眼下の光景に目を疑う思いだった。
大地を進んでいた歩兵たちが、黒い霧の中へと消えてしまっていたからだ。
(なんだ……どこへいった?)
わけがわからないまま、気付けば艦内にもどよめきが走り出す。
「艦長――っ!」
そのただならぬ気配に、彼は異変を感じ取った。
「どうした?」
「その、魔術炉が――!」
この船は魔術によって空を飛んでいる。そしてその為に必要な魔力を生み出し、魔術へと錬成しているのが魔術炉なのである。
「魔術路が突然――完全に機能を停止しました――!」
「――――っ!? なぜだ、艦の不具合なのか?」
「わかりません――」
原因不明――しかし、艦の外を見渡せば、それが偶然によるものではないと、はっきりと分かった。
魔術炉が停止し、浮力を失っているのは、なにも我が艦だけではなかったのだ。
すべて――
この大艦隊すべての魔術路が停止しており、故に、そのすべての艦が地面へと傾き始めている。
「艦長――――! このままでは、我が艦は――墜ちます! どうすればいいですか!? ご指示を!」
部下が、指示を仰いでくる。
しかし、船が動かないのだ。どうしろというのだ。
船が完全に地面へと傾く。そして重力に押し流され――自由落下を始める。
立っている地面が水平なものではなくなり、乗組員はすべて落下方向へとずり落ちていく。
窓からどんどん近くなってくる地面が見える。
もう――激突する――!
そう覚悟を決めたとき――
不思議と、まるで水中に生身で飛び込んだ時のような、包み込まれるような埋没感に襲われた。
見れば、あたりはすべての光を吸い込んでしまいそうなほどに黒い――そんな世界になってしまっている。
「どういう……?」
「吸い込まれました……艦長、落下した先――その地面を覆っていた霧に――吸い込まれて、気がつけばここに……」
はっとする。
そしてよくあたりを観察すると――
そこには、数多の、先ほどまで陸を進んでいたはずの同士たちの死体が、地面の上で積み重なっていた。
※※※
フェアレディはカルディアに設けた臨時指揮塔の中で、驚愕して目の前の空を眺めていた。
少し前まではその空を、青空を埋め尽くすほどの我が大艦隊が、飛翔していたはずだったのに。
その艦隊が国境ラインを超えた途端――
いっせいに、真っ逆さまに地上へと墜ちていった。
まるでスコールのように、漏れ無くすべての艦隊が真っ逆さまに降り注ぐ。そしてどういう訳か地上に墜ちた艦隊は謎の黒い霧に吸い込まれるようにして消失してしまった。
「い、……いったいなにが」
呆然と、なんとか言葉を紡ぎ出す。
ふと気がつけば、地上を進んでいた地上部隊もいつの間にやら消えてしまっていた。
「我が軍は……私の部下はいったいどこに行ってしまったんだ!?」
あまりの出来事に、現場で我を忘れ声を荒げるという指揮官にあるまじき醜態をさらしてしまう。
しかしそれも今さらだ。だって、醜態も何も、今目の前で、五千を超える自身の軍を丸ごと失ってしまっているのだから。
「わ、わかりません……」
さすがの我が騎士も、何も言えないまま驚愕を露わにしている。
「……おそらく、ですが」
すると横で静観していたセブンスのザラスが、やはり静かに、口を開く。
「艦が地上に墜ちる直前に、他の魔術発動を阻害するような効果の魔力波がむこうの空から出力されるのが見えました」
「魔術を阻害……? だと」
「ええ、そうです。おそらくはフィールドに存在するすべての魔術をキャンセルする魔術力場を、領空域全体に展開しているのでしょう。飛空挺はあまねく魔術により浮力を維持しています。その魔術を無効化され、ああして墜落してしまったのでしょう」
「馬鹿な! そ、そんなことが……どうしてあんなぽっとでの弱小国家に出来るというのだ! 出任せを言うのも大概に――」
「ゲシュガルド、黙れ」
「――! し、失礼を」
頭ごなしに否定するゲシュガルドを叱責すると、フェアレディはつとめて冷静な声でザラスに訊ねる。
「ザラス卿、今言ったそれは、憶測か? それとも、貴殿のその瞳にて捉えた、歴とした事実なのか? どちらだ?」
問うと、空を見ていたザラスはこちらに見返る。
その瞳には瞳孔がなく、碧い宝石のような色をしていた。
この世界において、過去に開眼した者は二人のみと言われる超伝説級レアスキル――『ヴォルドゥックの魔眼・解錠型』。セキ翼のザラスはその魔眼の開眼者だ。
その碧い魔眼は常人には見えぬすべての魔力を見通し、瞬く間に解析、その効能を見破ることが出来るのだという。
「……後者です。この目で、展開される魔力のフィールドとその効能を確認しました」
「――な、」
ゲシュガルドが言葉にならぬ驚愕を漏らす。
「信じられない……とても信じられそうにはないが……、貴殿が言うのならば……正しい、のだろうな」
目の前でそれを目撃し、これ以上にない信頼度の人間に教わったのだとしても、あまりにも非現実的なその言葉を、すんなりと飲み込めそうにない。
「あの空には絶えず魔術無効化のフィールドが展開されています。……――ああいえ、絶えず、というのは誤謬のようですね。どうやら一時的にフィールドが消えるインターバルも存在しているようです」
「なに? 本当か」
「ええ、およそ――五秒。そのインターバルを経て、また五分間のフィールド展開がはじまっています」
「五秒と……五分、か」
フェアレディは愕然として言い落とす。
インターバルと聞いたときにはそこに光明を見出せるかもと思ったが、しかしたったの五秒で何が出来るというのだ?
現存する帝国の艦で、五分間もの間魔術無しに飛行出来る規格など存在しない。
絶望的――
つまりこのことが意味するのは、我々にとって、いやこの世界の人類にとって、あの国を攻める空路は存在しないということだ。
「地上のあの霧はなんだ? あの黒い霧は!?」
ゲシュガルドが取り乱した様子で詰問する。彼らしくもない、ザラスに劣等感でも感じているのだろうか?
彼は間違いなく優秀な騎士だ。魔眼持ちに嫉妬なんて、する必要はないというのに。
「あの霧は――おそらくは瞬間転移の効果があるのでしょう」
「しゅ、瞬間……転移、だと? ……嘘だ!」
「ザラス卿、これには私もゲシュガルドの意見に賛成だ。さすがに転移は……」
離れた二つの異なる地点――その空間を歪曲させ、瞬時に移動させるという、それこそ伝説でしか耳にしたことない魔術。
しかし静かな物言いでザラスは断言する。
「間違いありません。あの霧を進んだものは、別のところに転移するのです。同様に、飛行艦隊も落下した先の霧に吸い込まれ転移したのでしょう」
「…………本当に、転移魔術を使っているというのか? あの国が? しかもあんな――国境全体を覆うほどの範囲にわたって? そんなことがあり得るのか?」
「あり得るのでしょうね。現実に今も、ああして国境を転移魔術が覆っているので」
「転移の先は?」
「そこまでは分かりません。ですが、きっと無事では済んではいないでしょうね。そうでなければわざわざ転移させる意味がありませんから」
魔眼の持ち主はこともなげにそう言う。
どうしてこんなにも淡々としていられる? すべてを見通せる力の持ち主は、こうも達観してしまえるものなのか。
「ならば私は……本当に、あの五千もの無敵の部下たちを――すべて――」
死なせてしまったというのか。
あの一瞬で?
こともなげに。
敵をこの目で捉える事も無く――
「何者なんだ……」
あいつらは。
遠くに見える覇王国――
それは、僅か数刻前とはまるで別物に見えた。
――異様。
不気味なまでの、異物感。
「どうやって攻めればいい……?」
ザラスの言っていることがすべて本当で、そのすべての技術をあの国が保持しているのだとしたら――
空から攻めれば陸へ墜とされ、
地を進めば霧に吸い込まれる。
「無敵じゃないか……無敵の、魔術要塞だ……」
ゲシュガルドがそう呟くのが聞こえた。