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王宮殿の前へと着陸した飛空挺から降りると、フェアレディは背後に広がる町並みを悠然と振り返った。
数多の煌びやかな宮殿と、溢れかえる往来の人々。
そこに住まうすべての者どもが、ありとあらゆる快楽を売り買いするのに必死になっている。
エルフ・ド・ユグドゥルサイム統合帝国――その七王国がひとつ、法悦王国ニーヴェ。フェアレディの兄であるルングウェイン王が治めている国だ。
ここはそれの中央都市であるファフナーである。
(随分と、我が国家とは雰囲気が違えているな)
彼女の治めている、同じく七王国が一つであるザインハート鋼の女王国は軍事国家だ。
国のトップである自身が軍部の最高司令官として君臨しながら国を動かしている。それ故、規律を重んじる秩序ある平和が築かれている。
それに比べ――
(この国は我が国とはまるで正反対だな)
ニーヴェは人間界統一を帝国が成し遂げた後、真っ先に軍を捨てて代わりに宗教を取り入れた。
国民はおしなべて国教であるユークレア教の信者であり、急事の際には僧兵として国とユークレア教の為に戦う――らしい。
(あれで本当に戦えるのか?)
法悦だとかいう快楽にヘラヘラとうつつを抜かしているその者たちの様子を見ている限り、少なからず、仮に今後この国と自国が争ったとしても、間違っても破れるようなことはなさそうに思えた。
「よお、よく来たな――フェアレディ。わが妹」
宮殿の王の自室に通された彼女の姿を認め、帝国七王国がひとつであるこのニーヴェの王、ルングウェインはそう挨拶をする。
相変わらず、ふかふかで大きなサイズの椅子に浅く座り、優雅な態度である。
――が、彼は、フェアレディに帯同し共に部屋に入ってきた男の姿を見るや否や、目の色を変え、迫力ある低音の支配者の声音で罵倒する。
「おい、貴様――誰の許可を受けてここに入ってきている」
咎められた男――つまり我が騎士であるゲシュガルドは少しも動じること無く敬礼をもって答える。
「――はっ、私はフェアレディ様の護衛騎士団団長であり専属ナイ」
「誰が喋れと言った? おまえの素性など訊いてはいない。わからんか? 俺はこう言ったのだ。ただ黙ってこの部屋を今すぐ出て行けと。それ以上ひと言でも卑しい口を開いてみろ――即刻打ち首にしてやるぞ」
ルングウェインはゲシュガルドにそう咎めた後、続いて部屋に入ってきたもう一人の紅蓮色の髪の女に目を向ける。
「ほう――貴様は、」
そして今度は叱責ではなく、代わりに賞賛のため息を吐く。
「帝の七賢者の『セキ翼のザラス』か。大層な人間を連れているな、わが妹よ」
「お久しぶりでございます」
まるで媚びる気のないその鋭い眼差しのまま、辞儀をするザラスにルングウェインは鼻を鳴らす。
「うむ。貴様のことを俺は気に入っている。妹としばしこの部屋に留まることを許そう」
ザラスは黙って辞儀のみを返した。
フェアレディはゲシュガルド《我が騎士》に目顔で退出の許可を出すと、彼は独り、黙って敬礼を行い、部屋を出て行った。
「兄上、ああ見えて彼は我が騎士なのだ。あんな言い方をせずとも――」
「フェアレディ――貴様の国の事情など知らん。ここは俺の国だ。故に俺様の裁量にのみ正義がある」
彼はそう言いながら、いつもの愉悦の表情で椅子の背もたれに横たわる。
「して、なに用だ? はるばる辺境のザインハートからこんなところまで――しかもセブンスを招集してまでやって来ているのだ。それはそれは大した用件をもってのことだろう?」
「新たに誕生したらしい、兄上の隣国について用があってきた」
「ほう」
反応だけ見れば完全に意表を突かれた様子である彼は、やはりフェアレディとはまったく違うタイプの為政者あるとわかる。
彼女はこの手の輩に付き合うことの不毛さを身にしみて知っているので、あえて彼女らしく単刀直入に要望を伝えた。
「ずばり、私はあの新生国を警戒している。よって、牽制をもってその戦力の如何をはっきりと突き止める必要があると考えている。――故に、兄上、この国の土地の一部をしばらく使わせてはもらえないだろうか?」
「くく……おまえも物好きよのう? 蟻の巣をつついても出てくるのは蟻だけだというのに」
「私はお兄様とは違い、武人ですので」
「くく、そのようだ。よかろう」
彼は雅に指先を振るい、横の壁に張りだされている国家地図の一部分を示した。
「カルディアを好きに使え。都合のいいことに空き地ばかりの寂れた地域だ。少しばかり暴れたところで問題はない」
フェアレディはルングウェインより書状を受け取り、
「感謝します」
そう告げるとザラスと共に部屋を出る。
ルングウェインのいる部屋はおかしな家具の配置をしていて、椅子から扉までの距離が異様に遠い。
廊下には彼女の騎士であるゲシュガルドが待っていた。
「手はずどおりだ」
フェアレディは彼にそう告げる。
国より連れてきている一大艦隊――宮殿の外と空に浮かんでいるあの艦隊をもって先制すれば、七王国を除いた現人間世界にある国で、無事でいられるところなど存在しない。
それほど彼女の国の軍隊は鍛え抜かれている。一騎当千の兵によって構成された無敵艦隊である。
彼女は兄とはまるで異なる、剛勇なる軍人の声音で指示をとばす。
「仕掛けるぞ」
戦力分析だの牽制だの、そういうのは彼女の気質に合わない。
「明後日、新生覇王国軍に攻撃を仕掛け――奴らを殲滅する」
※※※
「よろしかったのですか?」
部屋からフェアレディが出ていくと同時、幻惑魔術が解除され、ルングウェインの周囲でノイズのようなものが走ったかと思うと、次の瞬間、彼を取り囲む数多の従者が姿を露わにした。
つづいて、部屋の幻惑も解かれる。
ノイズの後には、フェアレディの出ていった扉以外のすべてが様相を変え、狭い個室から駄々広い謁見の空間へと様変わりをする。
そして当然、彼のその元いた個室の周りには、数多の護衛の僧兵が整列していた。
ここはルングウェインの国であり、彼の宮殿である。
故に、他の誰に不利を強いたとしても、彼だけは圧倒的優位に立っていて然るべきなのである。
「いくら妹君とはいえ、他国の者をこの国で好き勝手にさせてしまってよろしかったのですか?」
たった今姿を露わにしたなかの――ルングウェインのすぐ横にいる美しい顔立ちの男がそう質問を繰り返す。
「フレイ、あれを妹と呼ぶのは本人を前にしている時だけにしろ。あれを妹とするのは慣習と親父殿への配慮のみだ。今はどちらも必要ない」
この国の皇族はおしなべてエルフ族と同様の繁殖形式をとっている。
即ち、親の魔式精製による増殖である。
およそ血筋の中で最高のラインナップであると思われるこの人間領土統一を果たしたその時から、絶えずコピーを繰り返すことでその顔ぶれを維持し続けている。
コピー品を生成し、同じように育てる。それの繰り返し。
故に治世がぶれることはなく、衰えず、支配は永遠のものとなる。
これが千年帝国を為し得た秘訣である。
なので血が繋がっていたのは遙か昔。姉弟とは今や、遺伝子のみを共有する顔なじみでしかない。
「申し訳ございません、ルングウェイン様」
「よい。気にするな」
フレイが謝罪すると、ルングウェインは何とも無しに受け入れる。
そしてその前にフレイが口にしていた提言に答えを示した。
「自由にさせようとも、あれにおまえが危惧するような誑かしをするだけの器量は無い。あれにできる嘘があるとすれば、藪を突くと言って藪を焼き払うことくらいだろう。それが、奴の身につけた唯一の政治だ」
「つまり今回も牽制ではなく、仕掛けるのは殲滅戦であると?」
「だろうな」
「良いのですか?」
ルングウェインは興味なさげに笑む。
「政治の世界において、最高のコストパフォーマンスを発揮するのはいったい何か知っているか?」
彼は心底くだらないと自らを嘲るように鼻を鳴らして告げる。
「見――だ」