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「さっき友だちから聞いたのですけど、クリシュドールゼミというのは、対象の命を奪うことに特化した攻撃魔術――まあ彼ら曰く、これはもはや攻撃魔術と言うよりは殺戮魔術であるとのことですが、とにかくそのような攻撃魔術を研究しているゼミらしいです」
例の如くトイレの個室で聞き耳を立てて仕入れたらしい情報を、キョーカノコが教えてくれる。
シグルとレイルは昼食後のコーヒーに口を付けながら「へえ」と頷く。
「へえ……って、ずいぶんと余裕ですね。あんだけ煽られておきながら。勝つ気あるんですか?」
「うん? いや、勝つ気ないけど」
シグルが淡々と告げると、キョーカノコは「はあーっ!?」と目玉をひん剥き、身を乗り出してくる。
「勝つ気ない……って、負けるってことですか?」
「うむ」
「どうして!?」
「だって次回は負ける番だからな」
そう言ってシグルは懐から一枚の羊皮紙を取り出してみせる。
そこには、現在のランクマ全チームの累計ポイントと、最終予想ボーダーライン、及び順位推移予測が事細かに記してある。
そしてそれらにより導き出される結論として、
「次回のランクマは20ポイント獲得が最適解。つまりはベスト8になる必要があり、故に準準決勝に当たるクリシュドールゼミには絶対に負けなければならない。だって勝つと準決勝に進んじゃって獲得ポイントが20を大きく上回っちゃうからな」
「頑固か! いいじゃないですかちょっとくらいポイント取り過ぎたって」
「ここをミスるとシーズン後半、ちょっと多めにランクマに出場しないといけなくなるかもなんだ。それは嫌だからさ」
「えっまた後半のランクマ不戦敗していくんですか? ちゃんと出ましょうよー!」
「嫌だよ、俺はこう見えてけっこう忙しいんだ」
「いったい何がそんなに忙しいと言うんですか。いつも寝てばかりいるくせに」
世界侵略しているだなんて言えない。
あれ寝てると見せかけて絶賛世界侵略中であるだなんて言えるわけない。
「レイル先輩も何とか言ってくださいよー!」
矛先を変えるキョーカノコに大きく頷きを返すとレイルは神妙な面持ちで告げた。
「そんなことより」
「そ、そそそんなことより!? いきなり話題変える気マックスじゃないですか!」
喚くキョーカノコを更に華麗にスルーをしてレイルは続ける。
「気付いてるか……シグル、かなりマズいことになっているぞ」
彼の言わんとしていることをシグルはすぐに理解し、そしてみるみる青ざめて頷く。
「ああ……、ちゃんと気がついているよレイル。アレのことだな。そうだな、今回はかなりヤバそうだ」
「どうしたんですか?」
ひとり話しについていけず、不思議そうに首を傾げるキョーカノコ。
「…………おまえそれでもレイゲントンゼミの魔術師かよ。自覚持てよ」
「レイゲントンゼミの名声を失墜させようとする相手に平気で負けようとしている先輩がそれを言いますか」
一理ある。
「――が、しかし、俺たちの戦場はあんなとこにはないだろ? もっと別に、気にするべきところがあるはずだ」
「……――――ハっ! ま、まかさ……」
キョーカノコは思い当たったらしい。器用にまさかを言い間違えつつ顔から血の気を引いていく。
「……そう、そのまさかだ。ここ数日、あのババアの機嫌がすこぶる悪い。……いいか、すこぶるだぞ? extremelyだ。アレは間違いなく近いうちに爆発する」
「やっぱりそうだよな。勘違いだと必死で自己暗示かけてたんだけど……」
「……キョーカ、全然気がついてなかったです。……えー、……そんなぁ。もうランクマッチどころじゃないですよそれえ……もっとはやく教えといてくださいよぉ」
彼女はそう言って悲しみに暮れ、俯き、そして吐き気をもよおしだした。
目下、レイゲントンゼミの生徒――中でも若手の三人が最も恐れているものと言えば、それは勿論レイゲントンによる地獄の強化実習授業である。
それはレイゲントンの気分で不定期に開催され、そしてその多くは彼女が多大なる発散しきれないストレスを抱えている時に行われる。
つまりは強化実習は、そのような名目のストレス発散場であり、それはもう誠に凄惨を極める。
地獄である。アレはこの世の地獄で間違いない。
ここ最近のレイゲントンはなぜか日々多大なるストレスを如実に蓄積していっているようで、若手三人による、ことある毎のよいしょも虚しく、その蓄積は留まることを知らない。
なので、前述の地獄祭りが開催されるのも近いだろうと、そういう目算である。
「うっうっ……やだよーもうやだよー」
シクシクと泣き出すキョーカノコ。
可哀想すぎて心臓が締め付けられる思いだが、悲しいかな、泣きたいのは自分も同じだった。
「ふふふ……、どうしたんだい三人とも肩を落として。泣きそうに……というか、本当に泣いているじゃないか。そんなに僕たちとの対戦が心痛なのかな? まあ大丈夫さ、それでもそこそこ良い勝負にはなるんじゃないかな?」
いつの間にやら横に立っていたクリシュドールゼミAチームリーダーと、そのチームメイト二人が愉快そうにこちらに笑いかけてきていた。
「あ……はい、そうだといいなあ……ははは」
暗く、どこまでも暗く、どんよりとキョーカノコは言葉を返す。
「うっ……」
そのこの世の地獄としか言いようのない雰囲気に堪えられなくなったのか、彼らはまたすぐに何ごとかを言って去って行ってしまった。
「あー……キョーカ、なんかもうすっごくどうでもいいです。あの人達のこと。むしろどうしてさっきまでそんな些事に躍起になっていたのかと心底不思議なくらいです」
去って行く三人の背中を見ながら、キョーカノコが呟く。
「まあぶっちゃけ、あいつらとの試合に勝とうが負けようが、俺たちはピンピンしていられるからな。なら実質勝ちみたいなもんだ。そもそもランクマとグラマスには相手に一定以上の重症を負わせてはならないっていうルールがあるわけだからな」
そのルールを破ると、反則負けとなる上に半月間の課外任務を強制される。
課外任務というのは成績に反映されることのない時間のみをただ消化する純然なる雑務であるので、塔の魔術師にとってはまさしく罰ゲームに他ならず、それ故に前述のルールを破る者などまずいない。
それだけに試合は、間違ってもたいした怪我すら負うことのない、ただの遊技大会に他ならない。
「でも先生との授業は……うっ」
「うっうっ……うぅ」
シグルは過去のトラウマから吐き気を催し、キョーカノコは絶望のあまり涙を流した。
「むしろ死にたい……殺してくれ……嫌だ……殺せ……殺せ……」
レイルはさながら念仏のように不吉な言葉を唱え続けていた。
悲惨――あまりにも悲惨である。まるでお通夜のような昼食会場がそこにはあった。
そうして数日後、いよいよクリシュドールゼミとのランクマッチ当日。
ランクマもいよいよ大詰めの準準決勝へと進み、――クリシュドールゼミAとレイゲントンDの組み合わせが始まる。
前宣伝のせいか塔の屋外競技場にはたくさんの観客が詰めかけ、もの凄い歓声が飛び交っている。
円形の試合ステージの両サイドには両チームの選手達が開始前で控えており、クリシュドールゼミの三人は活き活きとした笑顔でその声援に応えていた。
その一方で――
レイゲントンチームであるシグルたち三人は、
「おいキョーカノコ、おまえなんでランクマ来るのにそんな特殊メイクなんてしてきてんだよ。……怖いぞ」
キョーカノコはどす黒い顔色をしており、両目を真っ赤に充血させ、そして目の下には黒いクマを作り、肌はかさかさで、唇もかさかさで、あと髪もボサボサで、しかもなんかブルブルと常に震えていた。
悪霊みたいだった。いやむしろゾンビというか。
「あはは、せんぱい……、キョーカ……、ここ最近眠れないんです……。明日のことを考えると……悪夢――いえ、過去の記憶が甦ってきて……、眠れないん……です」
先日、先生よりテレパシーが飛んできた。
――『明後日、臨時強化実習を実施するわ。B、C、Dチームメンバーは所定の時間になったら教室に来るように――以上』
地獄が明日に決まったのだ。
それで彼女は、今、こんな状態というわけだ。
なんかとても悲しくて、すごく涙が出そうになった。
何が一番悲しいかって言うと、キョーカノコだけじゃなくて三人ともおしなべて同様の特殊メイクゾンビ状態だってことだった。
おまえゾンビみてえだぞと指摘している方もゾンビなのだ。
「おいおい、どうしたんだい? あまりにも辛気臭いじゃないか? 戦う前からそんなんじゃあ、勝てるものも勝てないぞ?」
ステージの反対側からクリシュドールゼミAのリーダーが爽やかな笑みでマイクパフォーマンスを仕掛けてくる。
ぶっちゃけ彼はキラキラ輝いていて、快活で爽やかで健やかだった。
憎い――その健全な笑みが憎かった。他のゼミの奴らが憎い――なぜ自身はレイゲントンゼミなのだ。いやだ、死にたくない……いや死んだ方がマシなのだ。いやだ――強化実習はもういやだ――
そんな呪詛の念にまみれた三人を前に、リーダーは何かを確信したのか爽やかに笑う。
「あははまあ所詮は累計ポイントランキング二十位台のチーム。君たちはその程度の実力だ。試合も見たけどひどい負け方ばかりだったね。勝てないと思うのも仕方がないさ。だからそんなにも暗くなっているんだよな? ふふふ、あはは、まあ今さらだけど、みんなももうとっくに気付いていることだけど、今日この日ではっきりさせてやるよ。嬉しいね、やっとみんなに見せてあげられる」
そこで彼は例の首斬りから地獄に落ちろのジェスチャーをする。
そして今度は観客席の方から彼のその動きにあわせて台詞が発せられた。
『おまえは、俺たちの、下だーっ! わーーーーー』
リーダーはご満悦に客席に拍手をし、客席も盛り上がって拍手をした。
「いいなあ……楽しそうで……」
「いいよなあ……悩みとか無いんだろうなあ……」
「まじ交換してくんねえかなあ……ゼミ」
まるで他人事のようにそれらを眺めて、シグルたちは亡者のごときぼやきをした。
やがて試合が始まる。
先鋒はキョーカノコである。
「いってきます……」
と彼女はトボトボとステージに上がった。もはや戦う気力は彼女には残っていなかった。というか、どうせシグルたちは負ける気なのだし、彼女一人頑張る意味もないのだ。
そう、どうせこれは、ただのお遊戯大会でしかないのだし。
マジどうでも良い。
それよりも――そんなことよりもだ。
自分たちの主戦場は明日にこそあるのだ。
どうにかできないのか。もう、甘んじて自分たちは地獄を受け入れなければならないのか。
(殺し合い……)
しかしそこで、唐突に、シグルの頭の中に天啓が舞い降りる。
この手があった――
閃き、そして大慌てで他の二人にテレパシーを飛ばす。
『見つけたぞ――! 生き残りへの道を――!』
始まった試合の真っ只中にいるキョーカノコは、相手選手の攻撃を身体で受けながら、ボンヤリとこちらに振り向いた。
『助かる! まだ生きられる! 明日の地獄を回避する方法が俺たちにはある!』
「なんだよそれ?」
横のレイルがゾンビの口調で問う。試合中のキョーカノコもボンヤリと聞いていた。
『ボコろう――!』
それにシグルは答えた。
「この試合のことか? 勝つってことか?」
『いいや違う。この試合には負ける。でもただ負けるんじゃない。反則で負けるんだ』
シグルがそこまで告げて、意味を察したレイルは表情を輝かした。
キョーカノコはまだ理解していないようだ。ボンヤリとしている。
『いいかキョーカノコ、相手を半殺しにしろ。いや、なんなら殺してもいい。殺す気でボコれ。徹底的にやれ。そうすればおまえはどうなる? 反則負けだ。反則負けだとどうなる?』
――向こう半月間、課外任務を強制される!
『つまり、明日開かれるすべてのゼミの授業にはやむなく参加不能になれる』
だから当然、その授業の一つである強化実習にも参加できない。
「あ――」
キョーカノコはまるで憑き物が落ちたかのような顔をしていた。
「――あ?」
そしてそれまでサンドバッグのごとき抜け殻だった彼女が声を発するのを受けて、対戦相手もキョトンと首を傾げた。
彼女はそれに威勢良く振り向き、
「小耳に挟んだんですけどぉ、おたくのゼミ、自分たちのショボい攻撃魔術を殺戮魔術だって勝手に呼んで喜んじゃってるって、それホントですかぁー?」
輝く笑顔でそう相手を煽った。
「え」
そうしてボコる。ボコる。ボコる。
彼女はひたすらに殴り続けた。笑顔で、眩しい笑顔で、その腕を振り上げ、倒れ込む相手選手を抑えつけ、リングアウト負けなど許すことなくやはり引き戻して、審判の制止も聞かずにひたすら爽やかに鮮血を浴びて殴り続けた。
相手は声を発しなくなる。
静まり返る場内――やがて血管を浮き上がらせた審判にジャッジされる。
「反則負け!」
それを受けてステージ脇に戻ってくるキョーカノコはやりきった微笑を浮かべていた。
会場はざわついていた。
レイルも意気揚揚とステージに上がる。
そして同じく相手を半殺しにした。完膚なきまでの半殺しだった。
シグルもステージに上がった。
今では会場はビックリするほどに静まり返っていた。
対戦相手も前の二人の有り様を受けて、どこか唖然としているようだった。
「俺はお前の下なんだろう?」
シグルがそう言うと、彼は表情を引き締めて、ステージに上がった。
「言っておくけど、前の二人は手加減して負けたんだ、つまり負けじゃない。……お前達はこそくだ。実力で負けているからと言って、僕たちが敢えてやらないようにしてあげている致命攻撃ばかりを――」
彼は怒りのあまり震えていた。それに呼応して観客からも「がんばってー」「かってー!」「わからせろー」と声が上がり出す。
「いいかい、前の二試合を鑑み、僕はこれより自己防衛のため、本気で殺る。前の二人のように手加減してやったりはしない――だからもう勝てると思わな」
「ズレてる」
シグルは彼の言葉をかぶせるようにそう告げた。
「は?」
「ズレてるんだよ、その発言からして日和りすぎている。だからお前達は弱いんだ」
「弱い? 僕たちは二位だぞ、おまえらの」
「だからそれがズレてるんだ。手加減して負けた? 負けじゃない? バカなのか?」
普通は、負けたら死ぬんだよ。
レイゲントンゼミの生徒なら、まずそんな言葉は吐かない。
みんな、よく知っているから。あの教師に普段からわからせられているから。
「魔術師なら、常に殺される覚悟でいろよ」
実習であろうと、授業であろうと、油断すれば死ぬのだと、手心を加えられることを期待するなど愚かなのだと、身を以てたたき込まれている。
少なからず、いつ相手が殺しにきてもいい覚悟はできてる。
「ゲーム感覚なんだよな?」
シグルは問う。
「お遊戯大会で上位の成績……いいなあ。楽しそうだ」
そうして彼は一歩近づいた。
「じゃあ、そろそろ」
相手は、その分退がった。
「はじめようか。やるんだろう? 殺しあいを――」
シグルは満面で笑った。
後に、彼がこの時浮かべた笑みは、後の凄惨なる試合結果とも相まって、『死の宣告』と呼ばれ、レイゲントンの畏怖と権威の象徴として長く語り継がれることになる。
今話は少し長くなりすぎました…。普段より2500字も多い。
これ以上解決を持ち越したくなくてつい。
なんなら余裕あればもっと後半の試合内容も書きたかったくらいなのですが…これ以上は仕方ないですね。