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今回は七王国がひとつである女王の視点から始まります
その日――執務室のオーク材のテーブルにてフェアレディが政務をこなしていると、帝国スピーカーによる発生音源が世界のいずこかより流れてきた。
『今日、この時より――新生覇王国・鷲獅子の緋眼の誕生を世界に宣言する!』
フェアレディ・アルタマイサ・アスガルド=ザインハート女王は、平静な態度でふと視線を起こす。
勇ましく麗しいその瞳を鋭くし、やがてペンを持つ手を止めた。
(こいつは我が国の装置を使っていったい何を言っているんだ?)
帝国全土に音声を轟かせられる発声装置は、帝国本国および七王国にしか置かれていない。臣従国にもスピーカーは置かれているが、親国に届く程度の発声量しかない小型のものだ。
つまり今この宮殿に届いているこの声は、我が臣従国か、もしくは他の七王国――そのいずれかからであると考えられる。
「ゲシュガルド!」
フェアレディは椅子から立ち上がると、すぐに自身の騎士の名を呼んだ。
彼は機敏に――しかし礼節はあくまで守りながら、部屋に入ってくる。
「はっ! ザインハート様、お呼びでしょうか」
屈強な体躯に白銀の荘厳なる鎧を身にまとった彼に、フェアレディは毅然として問うた。
「今のあの白痴の戯言はいったいどこから飛んできた? 調べはついているか!」
最初の一声がこの国に届いてから、まだ数分しか経っていない。
それでも目の前の騎士は、沈着に答えを示した。
「現段階では不明です。既に全七王国およびザインハート臣従国に暗号文を飛ばしておりますが、返信のあったものはすべての我が臣従国、および七王国のうちのたった二王国」
「またか。……たるんでいるな。普段から自身の権勢にあぐらをかき、ろくな研鑽も積めていないからこうして不測の事態に対応出来ないのだ」
「まったくでございます、ザインハート陛下。おそらくは返答のあった二王国においても、自国の臣従国の状況までは掴めておりますまい」
帝国には音声装置の他に、火急の際の情報のやり取りに用いられる暗号装置が配備されている。声ではなく、音を暗号表に乗っ取り発することで、無差別に届けられながらも、特定の相手にのみ意図を伝えられる仕組みだ。
この状況下で、当国に問題はない――という答えが返ってきているのは二王国のみ。
「陛下、ここからは私の推測となりますが――」
「よい、話してみよ」
フェアレディは先を促す。この優秀なる騎士ならば、この不足の状況下でもある程度の答えを導き出せるのだろう。
「思いまするに、フルグラ、もしくはシリアスのいずれかの王国ではないかと」
「ほう……、なぜだ?」
「音声に僅かながら海鳥の鳴き声が含まれておりました。残念ながら留鳥ではなく漂鳥であった為、それによる特定は不可能でしたが、ある程度の推測を雑えた絞り込みは可能であり、その結果、前述の二国が有力であろうと」
「さすがだな……我が騎士よ。おまえはつくづく、我が誉れであるぞ」
「ありがたき幸せ。……しかしこの程度、お褒めにあずかるほどのことではありません」
「ふっ、ゲシュガルドよ……、謙遜も過ぎれば嫌みだぞ?」
この短時間でそこまで調べ上げられる者など他にいない。
『この 地を、 ――我が臣従 とする!』
発声地が遠い為か、続いて届いた音声はやや乱れていた。となると、先の二つで考えれば、フルグラの方が有力であるか。
「フルグラ……ラヴィナスお兄様、この調子であると、よもや落とされたのかもしれぬな」
「……いかが為さいますか」
ゲシュガルドは静かにそう訊いた。
本来ならば驚き慌てふためき、そんなはずはないと否定するところであろうが、彼はそんな真似はしない。
いつだって平静に、客観的な事実でのみ判断出来る。
さすがだ我が騎士よ。
ザインハートは内心でそう微笑むと、すぐさま毅然とした表情に切り替え、勇ましくも指示をとばした。
「帝の七賢者――『セキ翼のザラス』をここに呼べ! そして大至急、この声の主についての情報を集めろ! ふふふ……良いじゃないか、久しぶりの戦争だ! 血が滾るぞ――!」
「レディ、イエスマイハート」
ゲシュガルドは片膝をつき、左手は胸に当て、右腕を自身の身体の横に伸ばして手のひらを天空に開くという――当国特異の拝礼を示し、部屋を出て行った。
フェアレディは誰もいなくなった部屋で窓からの景観を見つめ、頬を染める。
※※※
寮の部屋のベッドで目を覚まし、シグルは目をこすりながら部屋を出た。
廊下を進み、螺旋階段を降りて二階の広間に出る。
――と、
『今日これより、この時より、我々鷲獅子の緋眼国は――エルフ・ド・ユグドゥルサイム統合帝国に向けて、宣戦布告すると共に、侵略を開始する!』
そのような聞き覚えのある台詞が聞こえてくる。
見れば、広間中央にあるスピーカーからである。
(ああ……そうか、三時間前の俺の声か)
海を越えた三千キロ先の地平で行った宣言が、遅れて届いてきているのだ。帝国の扱う拡声器は、あくまでどこまでも飛んでいく音波を発するだけの装置である為、どうしても音速分の時差は発生する。
「あ、せんぱーい、起きたんですか」
ぼんやりとスピーカーの方を眺めていると、近くのテーブルの方でコーヒーを飲んでいるキョーカノコに声をかけられた。
三人がけのテーブルを一人で利用している彼女は、シグルが近づいていくとさっと椅子を引いて彼の分のコーヒーも用意してくれる。
もしかすると、独りでけっこう寂しかったのかもしれない。
「よく眠ってましたね。大っきなイビキかいてましたよ」
「……まじか」
たしかにむこうで用事が済んだ後、あとは家族に任せてリンクを解いたまま、すっかり三時間もの間眠ってしまっていたことになる。
本当なら、時差を利用して少しでもアリバイを作っておくつもりだったのに。
「よっ」
――と、
レイルがひょっこりと横から顔を出してきて、シグルのコーヒーをすする。
「あ、なんですか、キョーカをこんな大広間で独りぼっちにして颯爽と別の人のとこに行っちゃったレイル大先輩じゃないですか。こんにちは、でももうあっち行ってもらって良いですかキョーカは今シグルせーんぱい(はーと)とお話をしているところなので」
「おこんなよ、悪かったって」
「別に、怒ってませんよ? でもシグルせんぱいが来たとたん戻ってくるんですからまったくもって嫌な感じです」
むくれながらプイと顔を背けるキョーカノコ。
「おれはな、おまえにオレ達以外にも是非友達を作って貰いたくて、あーしてわざわざおまえをボッチという虎穴に追いやった訳なんだぜ? 優しさだ優しさ。虎穴に入らずんば友を得ずだ」
「うまいこといってるつもりですか? 寒。余計なお世話ですよ。だいたい、わざわざそんなことしてもらわなくてもこれまでの人生どのみちずっとボッチだったのに今さらちょっとやそっと独りにされたからってどうして友達ができるだなんて頭の悪いこと考えられるんですか? できるわけないじゃないですか。十年越えの実績を舐めないでもらえますか。そういうのスゴい迷惑だしていうか迷惑なので。普通に優しくしてください横にいてくださいお願い置き去りにしないでえっ!」
めっちゃ早口で、しかし後半は若干に涙ぐみながら真剣にそれを告げるキョーカノコを見て、シグルたちは少しだけ切ない気持ちになった。
「キョーカ、言っておきますけどもう先輩達から離れる気ないですから。お二人はもうバツイチ子持ちくらいの気持ちでいてください。どこ行ってもキョーカというコブがついてくることを肝に銘じてください。今後はそれでも良いという相手とだけ友人関係を構築するようにしてください」
「友達っていうか、呪いみたいになってんぞ……」
重い。この後輩、重い。
「それにしてもなんか、向こうの国でもスゴいことになってますね」
スピーカーから流れ出るカイザーの宣言をぼんやりと聞き流しながらキョーカノコは言った。
「覇王国・鷲獅子の緋眼……ねえ」
レイルの呟きに、キョーカノコは肯定的に頷いた。
「覇王国ってなんかちょっと響きカッコいいですよね」
良い感じに頭が悪そうでスゴく好感が持てるとシグルは思った。
しかしレイルは肩をすくめる。
「やめとけ。無駄な肩入れなんてしない方が自分の為だぜ? どうせ勝てっこない」
「やっぱそうなんですかね」
「やっぱそーなんだよ。帝国にはどうしたって人間では勝てないんだ。絶対にだ」
「どうしてです? ……人間?」
「……どうしてもだ。なんもない気にすんな」
どこか意味深にそう答えるレイルに、キョーカノコは「ふうん」とうなるに留まった。
レイルは言いたいとこまでしか絶対に言わない性格で、このような思わせぶりな言動をするだけして、しかしそれ以上のことは突っ込んでも頑として何も出さないことがもの凄く多い奴なのだけれど、しかし深追いしても雰囲気が悪くなるだけなので、友好たる聞き手としては早々に撤収してあげるのが賢明なるセオリーとなっている。
キョーカノコはこう見えてとても空気を読める奴なので、もちろんこのシチュエーションで深追いなどすることはない。素晴らしい。どうしてこれまで友達がいなかったのか不思議なくらいだ。
「……ぷぷっ。レイル先輩ってどことなくかまってちゃんですよね」
わかったキョーカノコ、そういうとこだぞ。
空気を読めても自分の感想に嘘はつけない女の子。
まあ、でもシグルは彼女のそんな率直なところは嫌いではない。大衆受けはしないだろうが。
キャッキャとツンツンするキョーカノコの指先をウザそうに払いのけながら、そうしてレイルは何かを反論しかけたが、結局口をつぐみ、フンと言ってコーヒーを飲みほした。
ちなみに飲み干したそれはシグルのものだ。
オイ、おかわり持ってこいよ。
周囲にいる生徒たちもスピーカーから流れてくる身の程知らずのことで持ちきりだった。
なにか新しいオモチャでも見つけたかのような彼らの頭の中では、きっと、新生覇王国がこれからどのようにして敗北していくのかを当然のように思い描き、期待しているに違いなかった。
告白すると、シグルもまた、時々そのようなイメージが頭を擡げることもある。
そもそもの入念な計画も、早々に放棄してしまったし。
そうでなくても、当初より想定していた、最悪の可能性というものもある。
つまり、今自分たちにもたらされているアドバンテージについてだ。
アドバンテージというものはいつだって諸刃の剣だ。すべてのものにおいてフェアであるはずのこの世界に、完全なるアドバンテージなどというものは存在しえない。
言うなれば、自分たちが手にしているものは、少なからず、他の誰かも手にしている可能性もあるわけで、それは警戒して然るべきなのだ。
しかしもう宣言してしまった。宣戦布告を。
采は投げられた。
戦争は始まった。
これからどうなるのか。
その心配は尽きない。
けれど、そう――
絶対に勝とう。
この命に代えても。
※※※
数日後、シグルは塔の廊下の掲示板にて、一枚の通達を静かに眺めていた。
『新教諭格魔術師の着任および、それに伴う新規ゼミ開設のお知らせ』
その紙にはそう書いてある。
シグルはその紙から視線を外すと、ひとり、なにか嫌な予感を抱えていた。
(タイミング……的に、どうなんだろうな)
カエサルの死亡により空いた穴を埋める為、新規ゼミを開くというのはまあ理解出来る。
でも――その新たにやってくるという魔術師の経歴、それが引っかかる。
元神殿魔術師アブリル・ライラストリアス――
あの通達にはそう書いてあった。なんとなく、最近耳にした覚えのある名前だ。残念なことに、いつ誰のことなのかは思い出せないが。しかし、心当たりというものは有り余るほどにあり過ぎている。
神殿から出戻りしてくる魔術師というのは、そう珍しいものではない。それくらいあそこはこことは一線を画する雰囲気を有している。
都会と田舎、キャリアとノンキャリア、貴族と平民――そのくらいの隔たりがある。
故に、良い意味でも悪い意味でもほのぼのとしたこちらの雰囲気で育った魔術師は、あちらの上昇志向と競争意識の塊のような職場に、アレルギー反応を示してしまうことがある。当然、その逆も然りではあるが。
そういうわけなので、別に神殿魔術師がやってくるというのは特段珍しいことではない。珍しいことではないのだが――しかし、
そう、何度も言うがタイミングである。
なにも神殿からの出戻りの理由は、先述のアレルギー云々に限られるわけではない。
廊下を進むシグルは、やがて通りの向こうからやってくるその人を確認し、やがてため息を吐く。
目の覚めるような鮮やかな碧眼に、黄金色のシルクのような長く真っ直ぐな髪。
そう――向こうからこちらに向かって歩いてくるその女子は、間違いなく見覚えのある魔術師であった。
そして、これまでのこの学園では見かけることのなかった魔術師でもある。
一見真面目の権化みたいなその風貌であるが、騙されてはいけないことをシグルは知っている。
(脳汁スプラッター女だ……!)
げんなりして、やがて目が合ってシグルは挨拶をした。
しかし内心を隠し切れていなかったのかもしれない。つまり嫌悪感が前面に押し出されていた可能性がある。
「はい、こんにちは……」
そう挨拶を返す彼女の表情からは、戸惑いが表れていた。
すれ違い、振り返ると、他のすべての生徒からは漏れ無くチヤホヤとした挨拶をされている。
しかしシグルは知っている。
そう、あの見た目と雰囲気に騙されてはならない。
奴は――
第一部、了。
今回で第一部は完結となります。
お付き合いいただきありがとうございました。続きまして第二部も頑張っていきたい…たい。
読みに来てくださっている方、評価・ブックマークしてくださった方、みんなありがとう。そしてとてもありがたい感想をくれたあなた、ありがとう。
とてもとても、励みになります。二部を書こう――という気力がわきました。心からの感謝を。
二部は本日か明日から開始する予定です。