13
『王を殺したのはこの私です』
と、黒衣の彼は告げた。
それはさながら、昼下がりのティータイムに昨晩の代わり映えしないディナーの味について言及している時のような、ささやかでありふれた口調によるものだった。
そしてむしろその醸し出す日常感とのギャップが、聞く者には恐怖となる。
「な、何を言っている……?」
アブリルの背後で、驚愕する王の声が聞こえる。
それでもしかすると、面を上げてしまったのかもしれない。幻視上の女が、その命を摘まんと視線を鋭くしようとしていた。
『よい』
するとカイザーが配下を制し、代わりに王に向かって手のひらを向け、面をあげる許しをだす。
「……くっ」
そしてそれは王にとっては屈辱となったようだ。
世界最高の人類――そのひとりであるはずの自分が、面をあげることに許しを貰っているというその事実。
「貴様……、貴様がわが父を殺したと? いったい何を言っている! 戯言を申すな! わが父を殺したのは――そこで磔になっている魔術師の女だ! そんな虚言、絶対に信じるものか!」
『……なるほど、まあそういう考えであるのなら、かまいませんよ。特段信じて貰わなくても問題はありません。ただ私は、事実を申し上げたまで。無実の者をつかまえて得意げになっている様があまりにも滑稽であったので、念のため教えてあげた方がよいかと思いましてね』
「馬鹿にしおって……っ! いいか! よく聞けよ三下! 誰が有罪で誰が無罪なのか……そんなことは関係がない! ぼくが――この新王が死刑にすると決めたならそいつが犯人なのだ!」
『…………なるほど、よく似ておられる』
カイザーは呆れたようにそう言い落とし、鼻を鳴らした。
『あなたとのこれ以上の会話は時間の無駄のようだ。この国の民に、同情を禁じ得ない。あなた達、これでよいのですか……?』
慈悲深く、跪く民にそう語りかけるカイザーに、王は罵声を飛ばす。
「な、なんだ……なんだその態度は! ぼくは王なるぞ! この世に君臨せし偉大なる王だ! そのぼくに……その民に……同情を禁じ得ない……? 馬鹿にするのもいい加減に――」
王が我慢の限界とばかりにヒステリーを起こしかけた時――
幻視上のカイザーが、椅子から立ち上がった。
そしてここからの声は、世界拡声器を通されているのがわかった。独特の、ノイズが周囲に漂っていたからだ。
これからの声明は、世界に向けて発信されている。
『いやはや、私は――心底、辟易としている。あなたたちに、あなたたちの世界に、すべてに嫌気が差している』
「何を言うか! ならば――ならば出ていけばよかろう! この世界は広いぞ! 嫌だというのなら人間領域から出ていき、広い世界で生きればよかろう!」
馬鹿にするような笑い声が王の周辺から漏れ出た。
『いえいえ、それが出ていく必要はないのですよ。なぜなら私は、この世界を蝕むあなた方を滅殺することにしたからです』
「…………は? め、……なんだ?」
『あなた方を皆殺しにすると言っているのですよ』
「なるほど……、いやわからないぞ。どういうことだ? 貴様……もしやぼくたちを相手に――」
カイザーは王の発言を待たない。
演技がかった身振りで自身を演出し、高らかに宣った。
『我が名はカイザー! 腐りきった帝国をこの世から駆除する者なり! 今日これより、私は私の統治する新国家が誕生したことを皆にお知らせしよう! 忘却されし墓地街キリングザールを首都とする鷲獅子の緋眼国こそが我が新国家だ。そして、――』
彼は幻視越しに、こちら――つまり王に向かって指を差し向けた。
『今日これより、この時より、我々鷲獅子の緋眼国は――エルフ・ド・ユグドゥルサイム統合帝国に向けて、宣戦布告すると共に、侵略を開始する!』
「な……し、侵略だと!?」
『そう――浄化である。我々は貴様たちをこの世界から駆除する! ――そしてそれはここにいる八人の手で実行される!』
次の瞬間、幻視がズームアウトし、カイザーを中心に立つ、他の七人のシルエットも同時に映し出された。
その姿は――どれもこれも、見るからに、人外そのものである。
それもまるで見たこともない種族だ。故に彼らがかの噂に名高い列強種たちであると言われても、もしかするとあっさり信じてしまうかもしれない。
「正気か……? くく、たった八人で我らをを相手に侵略だと?」
傑作とばかりにやがてそれは大きな笑いとなる。
王の周辺だけではない、民たちも――誰一人として、その言葉を信じるものはいなかった。
あれだけの恐怖を振り撒かれたばかりだというのに、それでもいざ国家レベルの戦争という話になると、途端に、誰も彼らの力を信用しなくなる。
それこそが、この千年帝国の長年の統治により民に植え付けられた固着観念。
帝国は絶対に不敗であり、無敵であり、盤石である。故に今、どれだけ搾取されようとも、虐げられていようとも、蝕まれていようとも、不意に無実の罪で殺されようとも、人生を誰かの気まぐれで終わらせられようとも――
帝国の神話は絶対の不変なのであると――その事実により行動を起こす者は生まれえない。
――だから。
(だから私は――)
アブリルは、瞳を閉じ、歯を食いしばり、そして次の瞬間に、自身を十字架に打ち付けている杭から、一思いに右手を引きちぎった。
「――――――ッ!」
潰された喉から、声にならない悲鳴が漏れる。血が噴き出し、千切れた肉片が下に降っていく。
しかし止まる事無く――次は残る左手と両脚、そのすべてを引きちぎり、そして地面に落下した。
「お、おまえ何やって……」
例のアブリルを磔にした女王国軍の大尉が驚くあまりに顔を上げ、嘲りの声をだす。しかし許しなく面をあげたことで次の瞬間にはひび割れ崩れ落ち、砂塵に変えられてしまった。
(私は――)
そんな彼を横目に、アブリルは――
(あなたを信じ、敬い、讃え、故に忠誠を誓います――!)
立ち上がり、穴の空いた両手足を操り、跪き、頭を垂れ、見事な拝礼の姿勢を示した。
全力で忠義を立てる。
心からの誠意を示す。
あなたの信仰者であるということを知ってもらう為の、生命を賭けた自己アピール。
「くく……、そうやって全国の罪人から支持をかき集めていくのか?」
王が嘲る。
アブリルは伏しながら、そいつを睨み付けた。信仰する自身の神を虚仮にするその態度に、心底から殺意がわき上がった。
しかしカイザーの声は涼しげだった。
『そろそろ始めましょう。先ほども申し上げたとおり、あなたとの会話はいささか退屈でね』
(さすがは我が王。私も見習わなくては)
アブリルは寛恕なるその声にて、短絡なる自身を戒めた。
それでも、その後の心底傲慢な王の振る舞いには、やはり苛立ちがわき上がってしまうが。
「始める? 何をだ? ああ、そうか、戦争だったな? しかしこれはぼくの勘違いだろうか? 始めるのは戦争などではなく、一方的な虐殺ではないのかな?」
そう言って王が腕を振りかざすと、空の雲間からは数え切れないほどの大艦隊が次々とその姿を現した。
「見たまえこの屈強なる数を――壮観じゃないか! ぼくが何もせぬままこれまでいたとでも? 違うな、ちゃんと手配しておいたさ。光栄に思えよ、我が国の現存勢力のありったけを見せてくれよう。カイザーとか言ったか? おまえのそのちんけな首都を吹き飛ばしてやるよ! これがおまえの初戦であり――そしてぼくの初戦でもあり――そしてぼくにとっての大勝利であり、おまえにとってのだいはい――」
刹那、天空に閃光が走った。
ドゴゴオオオオオオオオオオオオ――――!
「――え?」
まるで稲光のように、空が金色に閃いた。一瞬にして染め上がり、一瞬にして消えた。
そして次の瞬間にはその天空に爆炎が膨らみ、破裂して、そこを飛行するありとあらゆる艦隊を瓦礫に変えた。
「…………え? あれ、どゆこと? あそこにあったぼくの艦隊は?」
王は、空を見上げ、炎を上げて地上に墜ちていくそれらを見つめながら、可哀想なほどに呆然としていた。
海の向こうの空に浮く首都の方から、二、三のフラッシュが瞬く。
すると次々と、落ちていく艦隊の残骸がバンバンと閃光をともなって爆発し、今度は跡形もなく消し飛んでいった。
あとは、地上に舞い散るは黒い煤ばかり。
(あ、圧倒的――――!)
この国の総火力が、一瞬で消し炭にされた。