12
アブリルはその日、フルグラ王国内市街地――その中央広場に集まる人だかりを、眼下に見下ろし、一望していた。
磔台の上から。
広場に立てられた背の高い十字架。その上に彼女は、両手足と両腕を杭にて打ち付けられている。
下から阿呆面でこちらを見上げてくる民衆の顔が目障りだった。
「皆の者、よくぞ集まってくれた。いいか、この者こそがわが父――ひいては皆の王であるラヴィナス・アルタマイサ・アスガルド=フルグラを卑怯にも毒にて殺害し、あまつさえ我が国の誇る第三飛行大艦隊さえも内部工作により墜落させた大罪人アブリル・ライラストリアスだ!」
背後の高い位置から、虫けらの幼い声が聞こえる。
おそらくは臨時櫓の中より偉そうに話しているのだろう。
アイツは張り切っていたから。
「これよりこの者の公開処刑を開始する!」
公開処刑。これよりアブリルはそれに処される。
おそらくは、謎の死で片付けるよりも、手近な者を犯人として、ショーとしてその手にかける方が、これから王位に即位する自身にとっては有益であると判断したのだろう。
全滅した艦隊の唯一の生き残りであり、その移送艦の中で暴行を働いた魔術師。
それは格好の餌であったわけだ。
加えてアブリルが移送艦で瀕死にまでいたぶったあの女王国軍大尉は、この国からの出向者であったらしい。それにより一層心証を悪くした。
「私にとっての父であり、そして皆にとっての王であった、ラヴィナス・アルタマイサ・アスガルド=フルグラ――その仇を、ぼくはこれよりこの手で討つ! それをわが父へのせめてもの手向けとし、そして新たなる王であるこのぼくからの、二度と皆をこのように悲しませないための固い決意の証左としたい!」
「うぉおおおおおおお!」
人だかりのあちこちから、そのような歓声があがる。おそらくは仕込んであった桜であろう。
必死なのだ。
自身の権力を守る為に。
(くだらない……)
本当に、どうでもいい。
なにか皮肉のひとつやふたつでも送ってあげたいものだけど、残念なことに声が出ない。
喉を――潰された。
眼下の十字架の根元に立っている兵士――その傍らが、ボロボロながらに精一杯醜い笑みを浮かべながら、こちらを見上げてきている。
そう、あの女王国軍の大尉である。
彼は艦の中でアブリルに重傷を負わされたが、代わりに上陸後、彼女をしこたま拷問にかけた。王殺しの容疑をかけられ、それ幸いと痛めつけた。その際に、彼女の魔術発動媒体である声を出せないようにされた。
魔術師は魔術を用いる際、魔力を込める媒体を必要とするが、それは個人によって様々である。アブリルの場合はそれが声だった。
見上げてきているあの男は、その手に槍を握っている。ニヤニヤとして、涎を垂れ流している。
あの調子だと、どうやら止めを刺すのは彼であるらしい。
(隣国の軍人であるくせに、ご苦労なことね)
ちょっと殴っただけだというのに、どれだけ執念深いのか。
(こいつ、……モテなさそう)
汚い者を見ているのにも飽きたので、視線を遠くに見える海に移動させる。
この街は海に面しているため、この高い位置からは海原がよく見渡せた。
「いいか! 刮目せよ我が国民よ! これこそが我が力だ! 揺るぎなき我が国力だ! 如何なる者とも、我らに牙を剥こうものなら待っているのは即刻の死なのである! それを知れ! 深く心に刻むのだ! そして大罪人アブリル・ライラストリアス――貴様は死んで悔いるがいい! 地獄の門番にはぼくからうまく言っておいてやる! 泣き叫んでも絶対に手を緩めるなとなァ!」
いよいよその時が来たらしい。
(……結局、来てはいただけなかった)
彼女はガクリと、集まっている人だかりに視線を落とす。
――と、その時、
(――――ッ!?)
アブリルは群衆の中に黒い人影を見た。
(――あの方が、来てくださった!?)
彼女は感激で瞳を輝かせる。
アブリルは王殺害の容疑をかけられた際も、拷問にかけられている際にも、一切――ひと言たりとも、黒衣の襲撃者の存在について漏らすことはなかった。
賭けたのだ、この瞬間に。
彼女はどうしてもあの襲撃者にもう一度会いたかった。しかしどうすれば会えるのかはわからない。彼は再びどこかの艦隊を襲うだろうか? 確信はない。
そもそも、アブリルは王護衛という重要任務を失敗しているため、帝国に戻っても神殿は解雇となり、塔に戻ることになるだろう。そしてそうなると、次にクリティカルな任務に就けるのがいつになるか、まったく見当がつかなくなる。
それではいけない。
――私は、今すぐに、もう一度あの方にお目にかかりたい!
それ故の行動。捨て身の策。
あの方は艦隊を手間をかけて、わざわざ乗員を皆殺しにしている。
ただ墜落させるだけではなく、その手で皆を殺しているのだ。それはなぜか? 例外を除いて、目撃者を消したい為であるはずだ。だとすれば生き残りはなぜ殺されていないのか?
(それはきっと、試されているからに違いない)
わざわざ生かされ、そして泳がされているのだ。
(だから私はそれに応える。秘密を漏らすことはない。私は信頼に足る者。だから……お願い、私に会いに来てください……っ!)
祈る――そうしながら群衆の中に見えた黒い人影を見つめた。
――が、何ごともなく、さながら見間違いの如く、人影は消えてしまった。
(違……った……?)
愕然とする。
その人影は、なにか地面に手をやっていたように見えたけれど……勘違いだったのか。
「――ッ!? な、なんだ――!」
今日このショーが始まって以来、一番のざわめきがあたりに走った。
(まさか――!)
顔を上げる。
すると、中空にて、巨大な人間が椅子に腰掛けて脚を組み、こちらを見つめていた。
(いや――違う、)
実際の巨人が浮かんでいるわけではない。
これは――幻だ。
よく見れば彼の周りに四角い映像の切れ目のようなものがある。つまり、四角い枠に切り取られた映像が、中空に投影されているのだ。
「なんだ――なぜ人が浮かんでいる? 巨人か!? ……幻視? 魔術か? 聞いていないぞ! なぜぼくのショーにそんなことを――」
『ごきげんよう、みなさん』
突如として、映像から、声が流れ出した。
その声を聞いて、アブリルは表情を輝かせた。
(あの方だ――! 来てくれた――!)
『私の名は、カイザー……――覇王カイザーという者』
「カイザー……? ふん、今は亡き、古き枢機卿たちの龍からとったのか? 恐れ多い痴れ者が」
王子が吐き捨てるように言う。
『これはこれは、フルグラの王よ。痴れ者とは――ご挨拶ですね。しかしあなたのその、伝説種族を敬する姿勢は、嫌いではないですよ』
「な――!? 応えた――だと!? どこだ!? 近くにいるのか?」
王が驚愕し、周囲を見回しているのがわかる。
人間界に遠く離れた者とコミュニケーションをとる手段はほとんど存在していない。
今回は映像をともなっているため、再現映像でなければ、近くに相手がいなければならない。
(ならばやはり、先ほどのあの影は……)
アブリルも群衆のなかを探す――
が、答えはもっと遠大なるものだった。
『ああ――そうですね、私たちならば、ここですよ。海を――見てください』
大海原――その水平線。
それは、その彼方から徐々に姿を現した。
「な……な、なんだ……あれは」
巨大な城――否、街である。
およそ見たこともないほどのサイズの不気味な城と、それを中心に取り巻く大地が、空に浮いていた。否、飛行しているのだ。
「なぜ、あんなものが浮いている……? あれは、戦艦なのか……?」
『いえ、我が国の首都ですよ。こうして挨拶をするのに、船のような些物で来るのは失礼に当たると思い、持ってきたのです』
どうやって――とは、誰も聞かなかった。いや、聞けなかった。
人は理解をはるかに超越する出来事に遭遇すると、問いを失うのだ。判断基準が狂い、瓦解して、理解の為の足がかりを失う。
「お、おまえは……」
そんな、問いとも何とも判断のつかない言葉を王は漏らす。
幻視上の者は、脚を組み替え、椅子の手すりに頬杖をつき、何かを言おうとした――が、
『我が王――王よ、なにとぞ、なにとぞ……この私に今一時の発言の機会をお与えくださいませ――ッ!』
彼の傍よりしたその声によりさえぎられた。
映像がややワイドに開き、その隣に跪く女が映される。
彼はその女に発言の許しを与えた。
『ありがたき幸せ』
幻視上の女は立ち上がり、こちらを見る。
「おお……」
広場にどよめきが走った。それもそのはず、その者は見るに美しい容姿をしていた。
されど、彼女は――
魔族だ。
瞳を見れば分かる。人間の瞳孔は円い。あの方のものもそうだった。なので彼は人間で間違いない。
しかし――いま映ったその女の瞳孔は、鋭き時雨の形状をしている。間違いなく、人外種。美しいドレスで着飾ってはいるが、人間ではない。垣間見える肌からは爬虫類のような柄の紋様がある。
(あいつ、何者――?)
あの方の傍に控えられる存在。
アブリルは嫉妬の情炎を燃やした。
女は王の傍で立ち上がり、こちらに向かって手をかざし、目を見開いた。
そうする彼女の身体は、表情は、我慢がならないとばかりにプルプルと震え、必死でそんな怒りを押し殺しているといった様子だった。
彼女はしかし平静を装い、低く――しかし麗しくもおぞましい声で言った。
『跪け』
そのあまりの不気味さに――彼女の放つ、今にもこちらを取って食いかねない殺意で、広場全体に震えが走った。
『なぜ跪かない。お前たちに今語りかけてくださっているのは、本来ならばお前たちが生涯かけて尽くしても足りないほどのいと高き位にある御方ぞ。勿体ない――あまりに、無礼。身の程をわきまえよ』
迫力に気圧され、バラバラと膝をつく者が現れだすが、全員ではないし、頭は垂れてはいない。
『これより一秒ごとに、頭を上げる者から命を奪っていこう』
言うが早いか――
「きゃああああ!!!!!」
悲鳴が走った。次々と――目にも留まらぬ速さで――
死んでいく。
立つ者、頭を下げていない者たちがさながら石像の如くに崩れ落ち、砂塵の山になっていく。
『我が王を前にしている間、一瞬たりともその膝と頭をあげることかなわぬと知れ』
「さげろおおおさげろおおおお! ひれ伏せえええ!」
阿鼻叫喚の地獄と化し、
「王よ! 平に――ご容赦を!」
おそらくは側近にて無理矢理頭を地に付けられた王も含め――その場の幾千の全員が跪く。
――磔にされているアブリルを除いて。
幻視上の女がこちらに殺意の瞳を向け――この命を奪わんとしているのがわかる。
『――よい』
が、
(――――!)
黒衣の者が、女を制した。殺さずとも良いと、そう指示した。女は一瞬、燃えるような悪意を発したようにも感じられたが、すぐに控えた。
いよいよ、彼は本題に入るようだった。
『アブリル王の艦隊を沈めたのは私です』
いろいろ説明したい事項ありまくるのですが、テンポを考えて頑張って抑えています。
それでもまだ多すぎる…のかもしれませんが