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忘却されし墓地街キリングザール――
その街の中心部に建つ大聖堂の前で、シグルはおもむろに眼下の景色を見渡していた。
今、シグルの目の前には、七名の異形の者たちが集っている。
悪魔、吸血鬼、飛竜、骸骨、蛇女、銀狼、巨人――この恐るべき七つの種族の者どもである。
それら魑魅魍魎たちは、シグルの一挙手一投足を見逃すまいと、一心に彼に視線を注いでいた。
シグルはその七名たちそれぞれに視線を配り、やがて口を開く。
「時は来た」
すると彼の前に立っていたデーモンの少女が、神妙に呟く。
「いよいよなのね……」
デーモンの名はマイアという。
その頭部からは長い二本の羊の如き角を生やしており、唇からもやはり二本の牙を僅かにはみ出させており、背中からはコウモリのような羽、尻からは矢印のような尻尾が生えている。
見た目は可愛らしい十二才ほどの赤い眼をした少女だが、何を隠そう彼女は、転生前はシグルの母親であった人だ。
シグルはマイアの問いを首肯し、続けて声を上げる。
「そう、いよいよだ。いよいよ俺たち『鷲獅子の緋眼』は動き出す。今やこの世界のあらゆる人間を統べる帝国に反旗を翻し、討ち滅ぼし、今は無き我らがグリフォンブラッドの誇りを取り戻す!」
「おお――!」
シグルの発声により七名の異形の者たちが喚声をあげた。
それぞれの眼に血みどろの熱い闘志と激情が燃え上がっているのがシグルにも見てとれた。
それもそのはず、シグルを含め、ここに集った七名は皆、もとは同じ一族の人間であった。
同じ、グリフォンブラッド家の者たちなのだ。
かつて忠誠を誓ったエルフ・ド・ユグドゥルサイム統合帝国に裏切られ、あえなく没落し潰えた貴族家の一員。
まず父が政略で殺され、その窮状を訴えた残りの家族も理不尽に皆討ち死にとなった。
「俺たちは一度滅んだ。それは間違いない。あの処刑場にて皆打ち首にされた。……しかし幸運にも――いや、違う、天が俺たちにこう言っている――雪辱を果たせと! 命を燃やせと! 帝国を滅ぼせと!
――それ故にこうして蘇った! 帝国をねじ伏せるに足る、新たな強靱なる力を得て!」
シグルたちは一度間違いなく帝国によって殺されているが、しかしすぐに――
転生した。
記憶を保持したまま、全員が全員、別の者として生まれ変わった。
それもシグル以外は全員人間ではない強力な別の種族として生を受けている。
「キミたちはもとの貧弱な人間という生命ではありはしない。皆が皆、もれなく最強の――列強種として生まれ変わった! そうだ、今の俺たちにとってもはや人間など敵ではない!」
現在でもこの世界にて生存が確認されている数多の種族の中で、他を圧倒する高い戦闘力を持ち、明らかに他と比べ上位格の生命体であると認められている《列強種族》は全部で十二種族ある。
そして今回、シグル以外のグリフォンブラッド家の面々が生まれ変わったのはおしなべてその列強種だった。
つまり、世にも珍しい列強種の異種混合勢力こそがシグルたち《鷲獅子の緋眼》である。
「しかし俺たちは馬鹿ではない! 相手は人間すべてを統べる一大帝国……――いくら上位種の集まりであろうとたった七名で真正面からぶつかるなどということはしない!
いいか! 俺たちは準備した! 奴らを打倒するに足る用意をした!
だから今こそ、アイツらの思い上がりを正してやろう――!
千年帝国だと!? 笑わせてくれる!
俺たちの手で、奴らの張りぼての威光を地に落としてくれる! あのクソ野郎どもに、地獄の泥水が如何なるものか、味あわせてやろうじゃないか!」
シグルの声と共に、七名が喝采する。
「俺たちは誓った、グリフォンブラッドの再興を!
俺たちは望んだ、そして帝国の滅亡を!
ならば俺たちは奴らより奪い取れば良い! かつて俺たちがそうされたように、今度は俺たちが奪い取ってやればいいんだ!
奴らを滅ぼせ! 俺たちのものとしろ!
何人たりとも邪魔立てはさせない! 立ちふさがるものはいかなるものとて敵と見なせ!
悲願を果たすその為に、邪魔者は皆排除せよ!
そう――今日だっ! 今此の時より、俺たちは――
俺たち、《鷲獅子の緋眼》は――、ここ《忘れられし墓地街キリングザール》より、世界への侵略を開始するッ――!」
シグルの威勢に呼応するように、街が興奮で揺れ動く。
その雄叫びとも悲鳴ともつかぬ一族からの声々は、高らかに響き渡り続け、いつまでも鳴り止まぬかのようだった。
※※※
世界侵略開始の宣言を家族に唱え終え、シグルはひとり街の外れの方にやって来た。
遠くの――先ほどの大聖堂前の広場の方を見れば、未だ彼の愛すべき家族たちは、興奮覚め遣らぬといった様子で、互いに未来の展望と、一族の栄光について話し合っている。
「シグ、ちょっといい?」
広場から視線を外し、街の高台から見える十字架の乱立する墓地の展望に一瞬だけ視線を逸らすと、その瞬間に背後から声をかけられた。
振り返ると、紅蓮の髪をツインテールに結った少女が立っている。
「ザラか……どうした?」
彼女の名はザラスと言って、もとはグリフォンブラッド家の次女で、シグルの双子の妹でもあり、転生後は列強種の中でも最強と謳われるドラゴンとなった。
「……明後日、計画を実行に移すんでしょ? だから今のうちにいろいろ計画について確認しておこうと思って」
彼女は隣に来てシグルの手を引くと、スッと前を歩き出す。
シグルもそれに大人しくついていく。
「さっきの演説――けっこう良かったよ? みんなスゴいって褒めてた。シグをすっかり、この街の……私たち一家の主として認めてる」
「そうは言っても、ただの三男なんだけどな」
「それでも、実際誰よりも私たちの中心だよ。今私たちが再びこうして一緒に集まっていられるのは全部シグのお陰だもん。私たちを見つけて、声をかけていってくれた。そしてなにより、帝国への反旗の旗印を掲げてくれたのもシグ。全部シグのおかげ」
「その結果で、家族の誰かが死ぬかもしれなくてもか?」
ザラは可笑しそうに笑って振り返った。
「大丈夫、みんな覚悟してる。もしものことがあっても、誰もシグを責めたりなんかしないよ。それに、私たちは死なない。お母さんと、七人の姉弟……みんな一緒だし、それに……みんな強いんだから」
そう言う彼女の眼は強い意志を秘めていた。
「七人……か。ここにいない一人が含まれているな」
シグルが見つけ出すことが出来たのは母親と七人姉弟のうちの六人まで。長女のアルバだけはどうしても見つけることが出来なかった。
「きっと……、アルバ姉さんもきっとどこかで、みんなの為に動いてくれているよ」
「それはどうだかな」
アルバは転生前からどこかアウトローというか、何を考えているのか悪い方の意味で読めないところがあった。
その上ひときわ優秀であるからまた始末に負えない。完全なるトラブルメーカーだ。
「大丈夫、いつかひょっこりと現われて、私たちのピンチを救ってくれたりするに違いないよ」
「だといいけどな」
その逆の可能性の方が大いにありそうな気がしたが、シグルは口にしなかった。
ザラスの向かう先は墓地街の中枢に建つ、我らがロードリック城であった。
巨大な門をくぐり、内部に進んでいく。
「まったく、いつ来ても物々しい雰囲気ね、ここは」
たしかに、室内だというのに、鮗の内部には終始霧が立ちこめており、はなはだ不気味ではある。
「でも元々ここはただのS++級の高難度ダンジョンだからな。仕方ないだろ」
高難度過ぎて誰しもに存在を忘れ去られてしまったダンジョンを魔改造したアジトなのだ。
まあこれから自分たちは世界の敵になろうというのだ、おあつらえ向きではないだろうか。
やがて彼女は目的地に到着したようだった。
宝物庫である。
扉を開くと、天高く積み上げられた溢れんばかりの金銀財宝がある。
「ここまで溜めるのに苦労したね」
感慨深そうに呟くザラス。
それもそのはず、この中にある財宝は一国家が向こう十年はやっていけるだけのものだ。
戦いにはどうしたって金が必要になる。
その為に、五年の年月をかけて、家族全員で手当たり次第にダンジョンから根こそぎかっ攫ってきて築き上げた財である。
大変そうに聞こえるかも知れないが、皆が皆どのダンジョン攻略に必要な戦闘力はもとより備わっている者たちなので、時間さえかければ問題なくこなせた。
「私たちはすっかりお金もちだ」
ザラスは現生を確認して満足したようで、次なる地点に歩き出す。
次は武器庫である。
中には厳選されし武具たちが所狭しと並べられている。
やはりこれも、戦いには武器がいるだろうと、この世界の未踏破のダンジョンたちから根こそぎかっ攫ってきたものだ。
本当はもっとたくさんあったのだが、入りきらなくなったので低レアの物から順に金に換えてしまった。
おかげで、数年前より巷では謎に高レアの武装――通称伝説武装が大量に市場に流れ出たと商人や傭兵、冒険者たちが軒並み歓喜するに至っていたらしい。
「前に売り払った低ランク帯のですらあのお祭り騒ぎだったし。これらも市場に流したら、みんなどうなっちゃうんだろ? みんな嬉しすぎて狂喜して狂っちゃうんじゃ……」
「まあ……、ふつうに高価すぎて値段が付けられず、買い手もつかず、最終的には帝国に没収されて終わりだろうな。あいつらに寄付するようなものだ、絶対にするなよ?」
「しないよ」
冗談のわからない男――といった薄い目でこちらを睨んでくるザラス。
シグルはそれを肩をすくめることでかわした。
一国を築きそれを生涯間維持できるであろう資金と武装をこれだけ蓄えながらも、敢えてなげうってわざわざ強大な敵に立ち向かおうとしている。
正気の沙汰ではない。
シグルはいい機会なので武器庫内に入る。
明後日からはいよいよ最初の侵略を開始することになる。それに使う武具を、良い機会なので選んでおくことにする。
立てかけられている武装を吟味していると、その様子を眺めていたザラスが、おそらくははじめから言いたかったのであろう言葉を、いよいよ口にした。
「明後日の作戦は、……本当にシグがひとりでやるんだよね?」
彼女を見ると、そこには不満の色が浮かんでいた。
否、もしかすると、どちらかと言えば不安の色の方なのかも知れないが。
「まあね。何度も説明したろ? 最初はそれが一番手っ取り早い」
「ほーほー、なるほどねー、たしかに何度も聞いたよ。私たちは邪魔なんだもんねー?」
そうは言ってないと言いかけて、やっぱり口をつぐんだ。
ぶっちゃけその通りだったからだ。
明後日の作戦は暗殺に近い。まだ警戒されていない今だからこそ、それが一番確実で、合理的な手段なのだ。
「調子に乗るなよ、人間め」
ふんと鼻を鳴らして、人間離れした文句を言うザラス。
翻訳すると、気をつけろよ、ということだ。
「分かってるよ」
シグルは人間だ。
家族の中で、ただひとり、人間に転生していた。
他の家族の転生した、現世界の支配者とも言える列強種と比べれば、遙かに生命体として下位に属する人間。
しかし――
そんなシグルにも、戦う力は存在している。
「龍屍を使うから……問題はない」
シグルは人間として転生したが、また捨て子でもあった。彼は深い森の中に捨てられて、たったひとりで目を覚ましたのだ。
意識はあるが身動き一つとれない恐怖の時間を経て、彼を見つけ、保護してくれたのは一匹の龍だった。
巨大な象の形をした、龍と呼ばれる生き物。
現世界において最強と呼ばれるのは列強種族で間違いないが、其の昔は違っていた。かつて権勢を誇っていて、まだ生きていれば列強種族よりも遙かに強大であるだろうと言われれている種族が他にいた。
それが、龍を名前に冠するものたちである。
彼らは伝説種族呼ばれ、かつてのこの世界で神にも等しい神話的存在であった。
確認されていた龍は全部で七種。
不死龍フェニックス、象龍カイザー、亡龍ユークレア、独眼龍オーディン、翼龍ラー、餓鬼龍アグニ、聖王龍ニンギルス。
捨てられていたシグルの前に現れたのはそのうちの象龍であった。
そして彼はそれから十年、その龍によって育てられた。
龍はもともと瀕死であった。寿命が尽きかけていた。それでも彼を育て、十年目の冬に、とうとうその龍は死んだ。
龍は彼に力を残した。
自身の亡骸だ。
シグルはその亡骸を自由自在に操ることが出来た。
膨大なる、龍の力――それがまだその亡骸の中にはあった。
シグルはたしかに人間だ。しかし他の家族にも負けない破格の力をもっている。
ザラスもそのことを知っているので、これ以上は何も言わない。
「本当にひとりで行くのなら、ヘレナにも最後によく言って聞かせておいた方がいいよ? ぜんぜん納得してない感じだったし」
窓から外の広場を横目に見ながら、ザラスが思い出したようにそう告げた。
広場では、他の魑魅魍魎たちが井戸端会議をしているのがここからでも見えた。
いや、正確には大きな図体のフェンリルとサイクロプスが見えたのだが――きっと他の者もそこにいるのだろう。
シグルは今話題に上ったヘレナ――つまり三女のことを思い浮かべ、以前から少し気になっていたことを訊ねてみた。
「なんか最近、あいつちょっとおかしくないか? なんて言うか、性格がちょっと歪んできているというか……」
ザラスは肯定した。
「ヘレナだけじゃないけどね。みんな、転生前とは大なり小なり違ってきてる」
やはりそうか。
生まれ変わり、その上生物としても以前とは違ってしまっているのだ。
ならばいくら記憶や人格を引き継いでいるからといっても、変調を来たすのは当然のことなのかも知れない。
少しずつ、少しずつ――
今の自分に適合していってしまうのだろう。
「でも、どうなってしまっても、……みんな家族だからね」
「そうだな」
シグルは首肯する。
それに、変わらないものもある。
良い意味でも、悪い意味でも。
ザラスが背中に抱きついてくる。
「痛っ――」
シグルが表情を歪めると、彼女は切なそうにその部分を撫でた。
「まだ痛むの……?」
「いや、……でも、時々ね、無性にうずくんだ」
「見せて」
彼女はシグルのシャツをめくる。
背中の――右肩甲骨の上あたり、その部分を指でなぞる。
「ひどい……。これを見る度に、怒りがわいてくる」
シグルのその背中の位置には、紋様が、刻まれていた。呪いの。呪詛。その呪怨の印が。
「転生しても……消えなかったなんて……」
かつて帝国の王子に付けられた、呪いの印。
この印がある限り、常に、正体がバレるリスクを抱えることになる。
呪者を殺さない限り。
そう――皇帝、その人を。
「みんなで……、堂々と胸を張って、グリフォンブラッドとして生きていける世界を……、手に入れよう」
本日、あと二話ほど掲載予定です。