⑦
くじらは父に呼ばれて何かを話しているようだったが、那智はそれには参加せず、二階の自室に籠った。
不意にスマホの音が鳴って、画面を覗く。
『くじらに会えた?』
石戸からのメッセージ。
思い出したように彼から貰ったプレゼントを開けると、そこには予想通り、ザトウクジラの置物が入っていた。
いつだったか、那智は言ったことがある。コレを『くじら』の窓際に飾って、『くじら』で働いていたい……と。
『くじら』にはいくつか鯨モチーフの置物があった。那智は自分の鯨を一番いい場所に置いて、くじらを想いながら働きたいと願っていた。
いつだって那智の特別な場所はあそこで、特別はくじらだったから。
でもそれは、子供の那智にだけ許されていた事なのかもしれない……那智は今そんな風に感じている。
あの時くじらは、那智を知らない目で見つめた。
掴まれた腕が熱くて……だけど、嫌じゃなかった。
それは今までとは違う。
くじらは那智の知らない間に男の人になってしまった。
那智も自分では変わってないと思っていたけれどそうじゃない。石戸が徐々に変わっていったように……くじらも、そして自分もそうなんだろう。
もう那智は簡単に「くじらが好き」とは言えなくなっている。変わらないはずだったその想いは、いとも簡単に形を変えてしまった。形を変えただけで、存在はする。だが、戸惑ってはいた。
「『好き』な気持ちには変わりがない」と、以前の那智なら言っていた筈だ。
──今は言えない。
石戸のメッセージを見て返信をしようとしたが、何も言葉が浮かんでこなかった。酷く彼に申し訳ないことをした……いや、してきたと、今更の様に思う。
石戸の気持ちが煩わしかった。
気持ちをわけたがっていたのは、自分の方だったのだ……那智はそう自覚した。彼が曖昧なままにやり過ごそうとしていたことすら、不快に思っていたのだ。変わってしまったものが、許せなくて。
(でもきっと同じかもしれない)
気付いてしまったから。
やっぱり那智はくじらが好きだ、と。
嫌悪しているあれこれを超えて、それは確かにそこにあった。
石戸はきっと、都会に出て那智とは違う誰かを好きになるのだろう。
(……くじらは誰かを好きになるのかな)
自分の知らないところで。
知らない誰かの事を。
(私はずっと、くじらを好きなのかな)
彼がいなくなった後、この地で。
或いは、どこか違うところで?
那智には想像が出来なかった。
ここが好きだ。『くじら』が好きだ。
何度考えても、その気持ちは変わらない気がした。それを『特別』にするには、大人になったら許されないとしても。
──くじらは他人なのだから。
今更、ようやくわかった。
不確かじゃない、変わらない事。
不確かと言われても仕方ないもうひとつの事。
それでも強い事。
きっと、ずっとくじらが好きだ。
形が変わっても、ずっと。