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 毎年花火を見終えたら、また二人乗りでサッと帰るのに……初めてくじらは「歩いて帰ろう」などと言う。那智はそれに複雑な気持ちで従った。


 気を遣われるのは嫌だ。

 くじらが大人になっていくみたいで。


 いつだって那智はくじらが自分を置いて何処かに行くことを寂しく、心細く思っていたけれど、その一方で、いつだってそんなくじらでいてほしいと願っていたから。

 今は一緒にいるのに寂しくて、心細い。

 まるで置いてきぼりにされたみたいに。



 道が海沿いに出る。

 波の音。蝉の声。それにカラカラと自転車を牽く音。


「俺は、那智のこと好きだよ」


 ポツリ、とくじらは言う。

 照れた感じでもなければ、おどけた感じでもなく、それはなにかを落としたみたいに感じられた。特に伝えるでもなく、ただあったものを落としてしまったような、不用意でとりとめのない響き。


 競り上がってくるような焦りと苛立ちに、那智は語気を荒げた。


「わ……私は、ここにいたい……くじらがどっか行っても、ずっとっ……! くじらは…………たまに戻ってくればそれでいい!」

「いやだよ、俺は」

「どうして!」

「那智」

「好きって言った!」

「……うん」

「私はここでくじらを待ってたいのに!」


 なにがいやなのか、那智には全くわからなかった。


 くじらが好きだ。自由なくじらが。

 くじらも那智のことが好きなら、都合がいいじゃないか。

 那智をこの町に置いて、好きな場所に行けばいい。気紛れに帰ってきて、暫く一緒に過ごして……そしてまた旅立てばいい。


 それだけなのに。


「……別に誓ってくれなくて、いい」


 それだけのことなのに。


「傍にいて、幸せにしてほしい、なんて……言ってない」



 大事なものを、大事にしたいだけ。

 ただ、それだけ。



 那智が足を止めるので、くじらも足を止める。暫く困った顔をしていたくじらだったが、急にふっと笑い声を漏らすと、そのまま小さく笑い出した。


「…………なに」

「いや、なんか、急に思い出した。 ほら……小学生の時にふたりで山に登ったじゃん。 あの時のこと」


 覚えてる?とくじらは聞く。

 忘れる筈がない。那智が自分とくじらとの違いを、その線引きを明確にしたのはあの時だったから。

 むしろ那智はくじらがあの日の出来事を覚えていたことに驚いて、直ぐにはなにも発することができなかった。




 山とは言っても、地元にある、ハイキングコースがあるだけの、小さな山。それでも子供ふたりだけで出掛けるのは初めてで、ちょっとした冒険だった。

 最初は足並みを揃えて歩いていたふたりだったが、上に行くに従ってくじらはペースを徐々に上げていった。


 山頂は展望台のようになっており、それが小さく目視できるようになった辺りは芝生や東屋がある。ちょっとした休憩スペースといったところだ。


 くじらはもどかしそうにしながらも、少し後ろの那智が気になった様でそこで足を止め、那智を待って昼食をとった。



「……覚えてる、よ」

「那智は、あの時も『待ってる』って言った」



 くじらが言ったように、那智は食事を終えてもその場を動こうとはせず、結局くじらひとりで山頂まで登った。

 くじらが早く登りたがったのもあったが、那智がもうそこで満足してしまったのも原因のひとつだ。広場には人工の川もあり、景観もそれなりにいい。


 ──だがなによりも那智は、くじらに早く登ってほしかったのだ。



 この先に思いを馳せる様な、キラキラした彼の瞳に気付いて。



 今も……それはいつだって変わりはしない。


 窓の外を眺めるとき。

 急に立ち止まって方向を変えるとき。


 いつだってくじらの瞳はあの時と同じ。



 だから那智はもうそれで良かった。

 山頂になにがあったとしても、景色が美しかったとしても、多分那智の瞳はくじらの瞳の様にはそれらを映さない。

 別に悲しい事実ではなく、それは新鮮な驚きだった。



「俺は上まで行って、なんかこう……」


 そこまで言って、くじらはなんだか恥ずかしそうに「世界って広いなぁ」って思った、と続ける。


「それから……時々どうしても知らないところを見たくなる時があって。 色んなところに行って、色んな人と会った」

「…………」


 那智はくじらが皆のように『見聞を広げろ』だの『色んな経験をしろ』だのと言うのかと思い身を竦めた。

 …………そんなのくじらじゃない。


「くじらは……くじらも私に『変われ』って、言うの?」


 くじらの口からだけはそんな言葉を聞きたくなくて、那智は責めるように問いただす。くじらはぽかんとした後で、不思議そうに尋ねた。


「……なんで? そんなこと言わない」

「だって……」

「なんでそんな話になったのかよくわかんないけど……」


 くじらはただ、昔のことを思い出しただけだった。それを話したのも特別な意図があっての行為ではない。那智が動かなくても今度は置いていけないから話をすることにした、とか、どうでもいい後付けの理由位で。

 那智との噛み合わないやりとりを経て、少し考えてからくじらはされた質問へこう返した。


「那智は自分が変わってないとか思ってんの? ……んな馬鹿な」


 明らかにからかうような、小馬鹿にした響きを持ってはいたが、それは普段のじゃれあいのような軽さだ。


「……くじらは変わらないじゃない」

「失礼な、そんなわけないだろ。 身長だってまだ伸びている」

「違くて……あぁ、もうっ……」


 話が通じていないもどかしさに、今度は那智の方が両手でぐちゃぐちゃと頭を掻いた。石戸に貰った紙袋がガサガサ音を立てる。


「……なんだかひとりで馬鹿みたい」


 溜め息まじりにそう呟くと、ようやく那智はゆっくり足を動かした。くじらは那智を一瞥して前を向いた後、彼女に合わせて自転車を押す。


「そう思ってるのは那智だけじゃないんじゃない?」


 カラカラとした車輪の回る音は潮のせいで強くなった波音に消される。

 那智よりも歩幅の大きいくじらが少しだけ先に出る。海側にはテトラポットのブロックが玩具のように積み上げられていて、遠くの浜辺の方で、家族が花火に興じているのが見える。



「それ、石戸に貰ったの」

「………………うん」

「地元に残るのには、石戸じゃ駄目?」

「どういう、意味」

「石戸は那智のこと好きだろ」

「……私は、くじらが好きだよ。 石戸君はそんなんじゃない」

「……そうかな。 俺にはわからない」



 くじらは終始淡々とした口調で那智とのやりとりをした後、最後に「ほらな、那智だけじゃない」と言って小さく笑った。だがその表情は、那智の位置からは見ることができなかった。


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