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 家に帰った那智は、制服も脱ぐことなくベッドに転がった。



 無表情な那智なりに、困った顔をしていたのか、それとも彼自身の余裕が本当は無かったのか……石戸は答えを求めなかった。ただ一方的に夏休みの約束を取り付けて、「また連絡する」と言うだけ言って帰った。


 次に会うときに、何か聞かれるのか。

 それとも流す気でいるのか。

 それも那智にはよくわからない。


「くじらと自分は違う」……そんなようなことを口にしたけれど、石戸とだって違う。



 石戸や相良はしきりに那智に進学を薦めてくる。



 那智の家はどちらかと言うと裕福な方だし、成績は悪くない。今からでも那智さえその気になれば、特別に人気や学力の高い学校でなければ容易に入れるだろう。


 ただ……那智はここから出たくなかった。

 そして、出来ることなら……




「……あ」


 そういえばまだくじらの通知票や配布物を渡しに行っていなかった。

 考え事をしているうちに寝てしまっていたようで、気が付けば昼過ぎ。制服のポロシャツにはじっとりと汗が滲んでいる。

 軽くシャワーを浴び手早く用意を済ませると、那智は喫茶店『くじら』に向かうことにした。




『くじら』は開くのが早い分、閉まるのも早い。

 メインはモーニングを食べに来る漁師や中卸なので、ピークは長くても精々昼過ぎまでだ。その後はちらほら客が入るくらいで、ほぼママ一人で店を回しており、マスターは明日の朝の仕込みに携わっている事が多い。

 土日の朝は海釣りをしにくる客がいる分いつもよりも忙しく、那智はバイトとしてここで働いてもいる。


「こんにちは」


 タイミングが良かったのか那智が訪れた時間、客は奥に一人常連のお爺さんがいるだけだった。マスターは奥で作業をしていたが、フロアに出ていたママは那智を笑顔で出迎え、カウンターによく冷えたアイスティーを出してくれた。

「なっちゃん、お昼は?」と聞かれ、那智は遠慮なく「まだ」と答える。半ドンで終わる終業式、おそらく用意して待っていてくれたのだろうから。

 那智の両親は共働きで、くじらの両親である二人とも旧知の仲だ。昼が用意されていないことは知られている。

 ここは那智にとって、特別な場所。


 用意されてただけあって、那智の昼食はあっという間に出てきた。野菜とチーズと鶏肉の入った、大葉ソースのホットサンド。昔大葉が苦手だった那智だが、これを食べて好きになった。


 食べている那智の隣で、ママはくじらの通知票を眺めて溜め息を吐く。


「勉強はできないこともないのにねぇ……」


 そう、くじらは運動も勉強もむしろできる方だ。

 ただ授業中に窓からずっと外を眺めていたり、マラソンで校外を走っている内にどっかに行ってしまうことがあるだけで。

 協調性がない、ということもない。特別前に出て意見を言うような事はしないが、意見が詰まったときや対立した時に代替案を出したり、場を和ませるのが上手い。

 だからこそくじらは『ちょっと変わったやつ』として皆から愛されている。

 特別目立つわけでもなく、いつの間にか馴染んでいて、いつの間にか抜けている彼を、誰かが『ぬらりひょんのようなヤツだ』と言っていた。


「……あと、コレ」


 食事を終えた那智は、鞄の中から他とは別に進路希望調査書を取り出す。


「まだ出してないの、くじらと私だけみたいです」

「あら……」


 那智の目的はここにある。


「なっちゃんも出してないの?」

「はい、実は……」


 緊張から那智は唾液を嚥下して、身体を少しだけ強ばらせた。


「卒業したら、ここで働かせて貰えませんか」

「ええっ?!…………でも、」


 当然ながらここは正社員を雇うような店ではない。ママはそう言おうとしたが、そんなことは彼女もわかっているだろうと思い、やめた。

 暫くの間ママは那智をただ見つめていた。正直なところ、何を言うべきかがよくわからなかったのだ。


「それは……この店を継ぎたいってことかい?」


 奥から出てきたマスターが代わりに那智に尋ねると、那智はコクりと頷いた。


「継ぐのは勿論ずっと先……マスターやママが辞めたいって思った後で構わないんです。 ただ、ずっと『くじら』は『くじら』であってほしい。 そこに私はいたいんです」


 那智の言葉も表情もこの上なく真剣で、マスターとママは顔を見合せて困ってしまった。

 ふたりにはくじら以外の子供はいない。愛着のあるこの店も、いずれは畳むことにはなるだろうが……それは本当にずっと先の話。那智は他所様の大事な娘。しかも知り合いのだ。


「なんだか告白みたいじゃないの。 なっちゃんそいつぁ簡単だ、くじらの嫁に来なよ」


 奥で珈琲を飲みながら本を読んでいた老人が、ふふふ、と笑いながら話に割って入る。


「ちょっともう……五十鈴さんたら……」

「ママ、お勘定。 置いとくね」


 言うだけ言って、老人はノコノコと緩慢な動作で店を出た。ママは老人といい加減な言葉の応酬をしながら、入り口の看板のコンセントを抜き、中に入れてしまう。今日はもう早じまいだ。


「……くじらと結婚すれば、許してもらえますか」


 那智から飛び出した発言に、狼狽えるふたり。

『お店を持ちたいなら先ずは調理師免許をとった方がいいよ』とか『親御さんには話したのか』とか、通りいっぺんのお説教的なものから説得をしようとしていたのだが、吹っ飛んでしまった。

 だが那智は当然そんな質問を望んではいない。

 ただ『お店を持ちたい』訳ではなく、ここを継ぎたいのだ。その為に必要な資格や知識は得るつもりだが、ここでなければそんなもの何も意味がないのだから。


「なっちゃんは、くじらのことが好きなの? お付き合いとかしてた?」

「してないですが、好きです」

「えぇぇぇ……」


 那智の表情は今一つわかりにくい。昔からそうだったが、こういうときにとても困る……そう思ってふたりはやはり顔を見合せた。




 くじら本人がいないのと那智がまだ両親に話していないことから、この話はここまでで一旦お開きになった。

「とりあえずご両親を説得できたら考える」と言われてしまうと那智も引き下がるよりない。


 那智は両親の説得について、実はあまり心配していない。

 共働きで昼間は鍵っ子の那智が『くじら』に入り浸る様になったのは、両親の心配によるものからだった。両親は那智に甘く、溺愛されていると言っても過言ではない……と那智が思うくらい。


 事実、地元に残ると言うと母は喜び、父は喜びを表に出すのが恥ずかしかったのか、逆に苦虫を噛み潰したような顔になっていた。


 ただ、誤算だったのは『くじら』を継ぎたいとなると話が全く違う、ということだ。

 更に「くじらと結婚」等という話になると、例え話なのにも関わらず父は烈火の如く怒り、もう話をできる状態ではない。


 仕方なく那智は自室に退散するよりなかった。

副題を小洒落た感じにつけれるセンスがない。

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