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戀文  作者: 束川 千勝
3/7

3.変化

 受験が近付いてきて、本格的な夏がやってくる。昼間と変わらぬ強い日差しにぬるい風が吹く夕方。明るい放課後の教室で、貴子と双子は試験勉強に身を入れていた。夏休み前の試験が一週間前に迫っているのだ。受験に響く試験で、誰もが力を入れて試験勉強に身を入れている。貴子達も、同様であった。図書室や市の図書館は同じような学生でいっぱいになり、集中できないと考えた彼女達は比較的涼しい教室で勉強することにしたのだ。

 天井に設置された扇風機が風を作り、貴子の髪を揺らした。

「貴子、髪伸びたんじゃない?」

 貴子の目の前に座って、ふと手を止めた薫が頬杖をつきながら口を開いた。貴子の首筋を汗が流れていく。それを手の甲で拭ってから貴子は髪を一房手に取ってみた。そうかな、と首を傾げてみると、そうよ、と薫が呆れた声を出した。

「確かに、そうだよね。前はもう少し短かった気がするなぁ」

 二人の話に手を止めた樹も貴子の髪を見た。貴子は更に首を傾げた。以前は肩につく程度だった髪は貴子の鎖骨よりも下へと長く足を延ばしていた。

 すでに長すぎると言っていいほどの髪を持つ薫と、長くなればすぐに切ってしまう樹。二人の髪が伸びても貴子には気付くことすら困難だ。そんな貴子は元々身だしなみには頓着があまりない。髪は伸びても邪魔にならなければいいと考えているし、まだ中学生の貴子には化粧っ気もない。薫と樹が伸びたというのなら、そろそろ切ってもいいかもしれないと貴子は思った。そのことを口にしようとした瞬間、薫が再度口を開いた。

「貴子も、このまま伸ばしてみたら?」

 手に取った一房がさらりと風にさらわれる。樹は目を細めて笑みを浮かべる。

「ぼくもそれがいいと思うな。貴子ちゃんいつも肩につくくらいで切り揃えちゃうでしょ。

……貴子ちゃんの髪を伸ばした姿、見たいな」

 樹の言葉に貴子の頬が赤くなり、薫が面白くなさそうな顔を見せた。そんな表情をする薫に驚いてしまい、貴子は目を丸くした。しかし同時に嬉しさも込み上げてくる。

 ずっと一緒だと約束したあの日。あの日から双子は今までにない表情、感情を貴子に向けて表すようになった。今のように樹に頬を染めると薫は機嫌を損ねる。逆に薫と仲良くしていると、樹が必ず自分の方が、と言ったように話に割り込んでくる。どちらも今までにないことであったので、初めは戸惑っていた貴子だが、すぐに慣れていった。

 貴子自身もあの日から、自分の胸の内に抱える不安を曝け出すようにしている。恋心は隠したままであっても、このままの関係を壊さないために、友達としての不安を曝け出すのだ。

(ちゃんと、友達になれたっていう感じがするなぁ……)

 貴子は心の中で微笑んだ。以前よりもっと距離が近くなったような気がする。

「樹が言うから伸ばすんじゃないわ。わたしが言うから、伸ばすのよ」

 薫が綺麗な顔を歪ませて貴子の髪に触れた。

「わたしが言うからよ」

 まるで呪文のように口にして、貴子の髪を撫でる。絹のような滑らかな髪に指を通すと、樹も顔を歪ませた。

「薫ばかりずるいよ」

 薫と同じ歪ませ方をした樹の顔を見た薫はすぐに笑んだ。それから貴子の髪から手を離す。

「あら、女同士の特権よ」

 ふふ、と笑い声を聞いた貴子も思わず笑みを浮かべる。珍しく拗ねた表情を見せた樹は、貴子と視線を絡ませてからすぐに逸らして、手元のノートを見つめた。その態度に勉強中だということを思い出した貴子は、薫を促して樹のように手元のノートに視線を移した。

 数時間後、下校を示すチャイムが鳴り響き、橙色の空気が三人を包み込んでいる。勉強道具を鞄に仕舞い込んだ三人は、教室を出るべく立ち上がる。以前樹と貴子が二人でアイスを食べていたことを知った薫が拗ねてしまったので、三人でアイスを食べて帰ることになった。

「わたしをずるいといつも言うけどね、」

 校舎を出て三人並んで歩いている時。薫が口を開いた。貴子は薫を挟んで隣を歩く樹を見た。不思議そうに薫を見る樹と、そんな樹を見ずにまっすぐ前を向き続ける薫が視界に入り、貴子はどきりとした。

「わたしからすれば、樹の方がよっぽどずるいわよ」

 綺麗な顔が、少しだけ歪んだ。何が、とは言わない薫の言葉を貴子は理解しきれなかったが、樹にはそれが理解できたようで、彼は笑みを浮かべた。

「ぼくがずるいのと、薫がずるいのは、同じだよ」

 だってやっぱり似てるよ、ぼく達。そう言って笑った樹に薫は大きな溜め息を吐き、彼女も笑みを浮かべた。貴子はこの時、この双子の関係の中に自分は入ることが出来ないと実感した。まるで自分だけが堅牢な檻に入れられているような感覚だ。隙間から手を伸ばせば、双子はそれに気付いて手を握ってくれる。しかし貴子がその檻から抜け出して彼らの隣に立つことは出来ない。透明な分厚い壁に阻まれているような気さえしてしまう。貴子は呆然と二人を見つめた。

 太陽が眠りにつこうと傾き始め、薄暗さが広がる。西に沈みかけている太陽からの刺激はほとんどなく、三人を撫でる風が涼しいものへと変わっていった。分厚い雲が、空の水色と茜色を織り交ぜた、幻想的な色を演出させているのを見た貴子は小さく息を吐いた。

 思えばこの双子は雲の上の存在のような、そんな神々しさを持っているように感じていた。例えば、この分厚い雲の上で暮らす存在だったのなら。貴子はそんなことを考えた。

 伸びたと言われた髪が風に乗ってふわりと揺れる。隣では同じ風が薫の長い髪を弄んでいた。雲の上の存在ならば、この同じ風で髪がなびくわけがない。貴子は自分の考えがなんとなく面白く感じてしまい、ひとりでに笑う。

「なぁに、貴子。一人で笑っちゃって」

 貴子よりも少しだけ高い位置にある頭を傾けて、薫が貴子の顔を覗き込んだ。貴子はなんでもない、と笑い返す。同じ場所にいて、同じ物を見て、会話をして。それだけで幸せな気持ちになるのだ。檻や壁などないと思える。貴子は再度空を見上げた。幻想的な雲が貴子を幻想的な世界へ誘っているが、貴子はその世界から視線を逸らす。

貴子が一度空を見上げたことで、双子も空を見上げてみたが、よく夏に見られる不思議な色の夕焼雲があるだけで首を傾げた。それを見た貴子は声を上げて笑う。無性に笑いが込み上げてくる。そんな彼女に目を丸くしていた双子も、すぐに顔を見合わせて笑い出す。なんでもないのに、笑ってしまえる関係。こんな関係を貴子は求めていたのかもしれない。

 誰からともなく、走り出す。薫が店まで競争、と大きな声を出してからは皆が精いっぱい足を動かした。

 店に着いた三人は、真っ白な棒のバニラアイスを買ってベンチに並んで座る。以前は樹と貴子が二人きりでこのベンチに座ってアイスを食べた。ふと貴子はその時のことを思い出し、双子を見遣る。

「あの時、薫はどうしてたの」

 アイスを頬張っていた薫の動きが一瞬止まる。樹も少しだけ反応を示し、薫を見た。

「……別に、どうもしてないわ」

 貴子を見ないまま、アイスを噛み切った薫が静かに言った。その表情がどうしても、以前の樹と同じに見えてしまう。何か隠していると、そう確信を持てる。この双子は、貴子には明かせない秘密を共有している。自分のことを棚に上げて彼女達を責めてしまいそうな気持になった。すっかり茜色に染まった雲が三人に影を落とす。貴子は込み上げてくる怒りを飲み込み、無理矢理に口角を上げた。

「言いたくないのなら、構わないよ、」

 そっと薫の肩を叩いて、貴子は一人立ち上がった。

「誰にだって隠し事はあるもの」

 以前は食べきれなかったアイスを食べきり、店の前に置いてあるゴミ箱へ木の棒を放り込む。カタン、と小さな音を立てた缶のゴミ箱は静かに三人の様子を窺っていた。

「もう暗くなる。帰ろ、」

 鞄を持って貴子はそう言い、歩き出す。薫はそんな貴子の様子に焦ったように立ち上がり、すぐさま彼女を追いかけた。樹も慌てて二人を追う。

「違うのよ、貴子。あなたが嫌いだから言わないんじゃないの、」

 貴子の隣に並んだ薫が、切羽詰った表情を見せて彼女の表情を見ようとするが、貴子はそれを遮るように手を振った。

「わたしはあなたが、」

 再度、貴子が手を振り、薫はそこで押し黙った。一歩後ろで様子を見守っていた樹も口を噤んでいる。太陽がすっかり沈み、薄暗さが増していくのと同じように、三人の空気が暗くなっていく。

「わかってる、薫が、わたしのことが嫌いで隠し事をしてるんじゃないって。理由があるってわかってるよ」

 カラスが鳴いて、巣へ帰って行く。ぽつり、ぽつりと雫が空から降って来て、樹が空を見上げ、二人に視線を送る。帰ろう、と声を出すと少しだけ霞んでいた。貴子も薫も何も言わずに頷いて歩き出した。家に寄りなよ、といつもなら声をかけているものの、その言葉は出なかった。薫もそれを望んでいるようで、貴子から距離を取る。小走りに雨から逃れながら、貴子は一人空を見上げた。まるで貴子の心情を表しているかのようで、貴子は二人に見つからないようにひっそりと泣いた。

 貴子は考える。もしこのままならば、約束は反故にされてしまうだろう。ずっと一緒になどいられるはずもない。ならどうすればいいか、貴子はすぐに答えに辿り着くことができた。自分がつまらない意地を張らなければいいのだ。笑顔で大丈夫だと言えばきっと薫は安心するだろう。

 店から近い双子の家に着いた後、やはり貴子はすぐに双子に背を向けた。傘を借りて広げた時、ごめんなさい、と小さな声が背中に投げかけられ、貴子は思わず振り返った。泣きそうな表情を見せた薫に貴子は胸を締め付けられる。傘が大きな音を立てて雨の雫を弾いていき、大きな雫を作って貴子の足元に落ちていく。薫はそれを見つめていた。再度ごめんなさい、と声を出せば、貴子は笑った。

「大丈夫、気にしてないよ。……また明日ね」

 そう言えば薫はほっとした表情を見せて、ぎこちないながらも笑みを浮かべた。樹も二人の様子に微笑む。ほら、やっぱり。貴子は深く息を吐いた。やはり自分がどう振舞うかで関係は変わってしまう。ならば自分が気持ちを抑え込めば、全てうまくいくはずだ。

貴子は二人に手を振った。薫はありがとう、また明日。と大きな声で貴子の背に送った。笑顔で手を振る二人には、貴子の違和感には気付くことができなかった。


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