表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戀文  作者: 束川 千勝
2/7

2.約束

 次の日の放課後、またもやいつものように薫を待つ貴子がいた。朝に会った時、一緒に帰れなかったことを謝られ、今日は一緒に帰れると笑顔で言った薫に貴子はすぐに笑顔を見せた。

変化してゆく空を眺めながら薫と樹のことを考える。今朝は三人一緒だったものの、どこか歯車が噛み合わないような雰囲気があった。それは昨日の薫と樹の行動に関係していると貴子は確信していた。別行動をした双子には何が隠されているのか。貴子はそれが気になった。しかし自分も二人に気持ちを隠していることが後ろ髪を引き、聞き出すことが躊躇われる。

窓の外で雀が群れを成して羽ばたく様をぼんやりと眺めていると、ふと気が付いた。もしも、自分の気持ちが二人に知られてしまっていたのならば。それが二人の歯車を狂わせているのだとすれば。貴子は血の気が引くような感覚に襲われた。暑いはずの教室で、足のつま先から手の指先までが一気に冷えていく。貴子は勢いよく立ち上がり、よろめいた。

 本当に、自分のせいだとするなら。貴子はとんでもないことをしてしまった、と口を手で覆った。一体これからどうすればいいのか、貴子には何もわからない。

「貴子?」

 様子を窺うような声が貴子の鼓膜を揺する。はっとして貴子は教室の扉の方を勢いよく見遣った。困惑したような表情を浮かべた薫が立っていて、彼女は貴子を見つめていた。

 薫、そう紡ごうとした喉からは声が出なかった。ひゅう、と息だけが抜けていく。

「どうしたの、」

 力強く床を踏みしめて一歩、薫が貴子に近付いた。床の軋む音がして、貴子はそれが自分の心を苦しめるもののように感じてしまい、力なく首を振った。そんな彼女に薫は更に困惑する。

「何かあったの? 具合が悪いの?」

 薫がまた一歩踏み出した。音に耐えられなくなった貴子は鞄を荒々しく引っ掴み、再度首を振る。

「なんでもない……。帰ろ」

 貴子は薫の顔を見ることができなかった。体の血は本当に巡っているのだろうか。そう思えてしまう程に、貴子の体は冷えていた。

「顔色が悪いわ。早く、帰りましょ」

 眉根を寄せた薫が貴子の肩に触れる。驚くほどひんやりとしていて、瞠目する。少しだけ揺れた肩に気付かないふりをして薫は貴子の肩を抱いた。

 廊下で待っていた樹は、薫に肩を抱かれて顔を真っ青にしている貴子が教室から出てくるや否や瞠目した。

「どうしたの、」

 薫と同じことを訊ねる樹に、貴子は何も答えない。病気のそれではないと感じ取った樹が口を閉ざし、薫に視線を遣ると、薫は首を振る。「帰ろう」と言った樹は、貴子の鞄を手に取って歩き出した。それに二人も続いて歩く。度々貴子の様子を窺うが、貴子は黙したまま、俯いていた。

そんな状態の貴子を連れ、学校を出て数分後、茜色に染まっていく空の下でふと貴子が立ち止まった。肩を抱いたままであった薫も足を止め、それに気付いた樹も二人を振り返った。

「どうしたの」

 何度も口にした言葉を、薫はまた口にした。夕方という時間帯にもかかわらず、元気に顔を出している太陽が長い影を作る。俯いている貴子の顔は誰にも見えない。薫の腕から抜け出した貴子は双子を見つめた。二人は貴子の様子を窺うだけで何も言わない。太陽が貴子の顔に影を落とした。

「わたし達、ずっと三人でいられるよね」

 か細い声が薫と樹の耳に届く。二人はその声を聞いて表情を硬くした。ちらりと顔を見合わせてから、貴子に視線を移す。

「当たり前じゃない、貴子。何がそんなに不安なの」

 薫がそっと貴子の肩に触れるが、今度は少しも揺れなかった。貴子の顔を覗き込むと、彼女は迷子になった子供のような表情を浮かべていた。貴子は口を開いては閉じて、言葉を探しているようだった。

「ぼくはね、高校にいっても大人になっても、ずっと仲良くしていけたらいいと思ってるよ」

 樹も貴子の傍に寄り、彼女の手を握り込んだ。少しだけ汗ばんだ温かい手が、冷たい指先を温めていく。

「わたしもよ。だってわたし達、貴子のことが大好きなんだもの」

 その言葉にようやく貴子が顔を上げた。その表情は、迷子になっていた子供が母親を見つけた時のようなものである。双子はそんな彼女を見て微笑む。太陽は三人を包み込むように輝いていた。そんな日差しに耐えかねた薫が笑う。

「暑いわね、早く帰りましょ。……ね、今日も寄ってくでしょ?」

 貴子が頷いたことを確認して、薫と樹は彼女の両隣でそれぞれ手を握って走り出した。

「貴子! わたし達、ずっと一緒よ!」

 突然薫が叫び出した。樹は吹き出すように笑って貴子の手を引く。

「もうすぐ夏休みだし、受験のことは忘れて遊ぼう!」

 樹の言葉に薫がいいわね、と賛成の声を上げる。貴子は少し戸惑ったような表情を浮かべてから、すぐに笑みを浮かべる。

「遊びたい! 三人で!」

 負けじと声を上げた貴子は、身が軽くなるのを感じていた。一切のしがらみから解放されたような感覚が貴子の心を軽くしていた。

「約束よ、わたし達、ずっと一緒よ」

 長い髪を揺らした薫が貴子に微笑みかけると、握った手にぎゅっと力が籠る。すると樹と握った手にも力が入り、樹からも握り返された。

「貴子ちゃんと薫、それからぼく。きっと離れないよ」

 樹も貴子に微笑みかける。貴子は二人の言葉に頬を染めて、大きく頷いた。自分の考えていたことが杞憂であったと、思える瞬間であった。歯車が噛み合ったと思ったのだ。

 そのまま走って双子の家に着く頃には、三人とも息を切らし、肩で息をしていた。その様子にそれぞれが笑う。

いつものように貴子が先に家の中へと入っていき、樹と貴子がそれに続く。行き慣れた薫の部屋に足を踏み入れ、カーペットの上に座り込む。薫は貴子の隣に座り、暑いと言いながらも貴子の肩にもたれかかった。お茶を淹れた透明のグラスを三つ持ってきた樹がそんな薫をたしなめると、貴子が大丈夫だと笑う。薫の鼻をくすぐる花のような香りが貴子を笑顔にさせた。樹が困ったように薫を見て、それから貴子の前に座る。氷の入ったグラスがじんわりと汗をかき始める。

「わたし、貴子が好きよ」

 ふと肩に額を乗せた薫が口を開いた。グラスに入ったお茶をぼんやりと眺めていた貴子は驚いたように薫を見る。樹も突然薫がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか、驚いたように目を丸くしている。

「本当よ、わたし、本当に貴子が好きなの」

 薫が念を押すようにそう言って、貴子の手を握った。熱い手の平に貴子の頬の熱も上がっていく。

「ずるいよ、薫。ぼくも貴子ちゃんのこと好きなのに」

 目の前に座る樹でさえそう言い出して、貴子は何も言えずにただ顔を赤くした。カラン、氷が空気に耐えられないと言うように音を立てた。貴子はその音に意識を二人へ戻し、好きという言葉のことを考えた。先程自分があんなことを言ってしまったから、二人はこうして言葉にしてくれているのだと、貴子は実感した。

「わたしも、薫と樹のことが好き」

 口にした言葉が甘い砂糖菓子のように舌の上で溶けていく。双子は貴子の言葉に嬉しそうに笑った。こうして見ると、二人の顔の造形は似ている。身長や雰囲気などは似ていないのだが、こうしたふとした瞬間に、似ていると感じることがある。

「二人が友達でよかった」

 自分の気持ちに蓋をするように、心を占めるもう一つの感情を表に出す。恋心は確かに貴子の中に存在している。しかしその恋心のせいで三人の友情関係が崩れてしまうことを、貴子は何よりも恐れているのだ。だからこそ、こうして自分の気持ちに牽制しておく必要がある。

「……そうね」

 薫は少しだけ言葉に詰まり、それから優しく微笑んで頷いた。樹も同様だった。どことなく気まずい空気になってしまい、また氷が音を立てる。

「……それより、夏休みはどうする?」

 話をそらすように樹が貴子と薫を交互に見ると、薫がそうね、と考える仕草を見せた。貴子はグラスを手に取ってお茶を喉に流し込む。気付かぬうちに喉が渇いていたようで、ごくごくと熱い喉を冷たいお茶が流れていった。

「そうだ、山の方の川に行かない?」

 薫がそう言ったのを皮切りに、三人は川へ避暑に行く算段をつける。早く夏休みにならないかな、と笑い合う。この和やかな空気の中、貴子はまどろみの中に戻ってきた感覚に浸っていた。きっとこの関係は崩れないだろう。自分がこの関係を崩さなければ、大丈夫なのだと貴子は思い込んでいた。悩んでいたことすら忘れたように、三人と言う関係は心地の良いものだったのだ。

 薫と樹が盛り上がっている様子を見ながら、貴子は昨日の和歌のことを思い出した。

(忘れじの行く末まではかたければ、今日をかぎりの命ともがな、か……)

 心の中で思い出した和歌を詠んでみる。やはり、この歌は自分の気持ちと繋がっていると貴子は思った。この歌を詠んだ人物も、こんな気持ちだったのではないだろうか。まどろみの中に漂う自分と、和歌の気持ちが重なっていく。

(約束が消えてしまう前に、死んでしまえたらいいのに)

 仲睦まじい双子を眺めながら貴子はそんなことを考えた。二人は約束を守ってくれるだろう。その確信はあった。しかし問題は、貴子自身にあるのだ。この恋心がいつか暴かれた時、貴子は二人の傍にいられなくなるだろう。そうなる前に、死んでしまえれば。そう思わずにはいられなかった。

 ぼんやりしていたためか、気付けば二人は不思議そうに貴子を見つめていた。やはり具合が悪いのかと問われ、貴子は苦笑した。

「ごめん、大丈夫。……でも今日は、そろそろ帰るね」

 そう言ってすっかり氷の解けきったお茶を飲み干し立ち上がる。送るよ、と樹も立ち上がろうとするが、貴子はすぐにそれを制した。

「ううん、まだ日は長いし、今日は一人で帰る」

 この双子と共にいられることに幸福を感じながらも、どこか不安を抱いていた。いつ壊してしまうかもわからない宝物に触れているような感覚だ。樹も薫も納得できないと言った表情であったが、貴子が「また明日、おやすみ」と言うと渋々見送った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ