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「あの、おはようございます」
「あ、はい、おはようございま……、ってレイニアちゃん!お久しぶり!」
机に向かって何やら書き物をしていた受付のお姉さんに話しかけると、お姉さんは驚いた顔で答えてくる。
「えっと、私のお兄ちゃんの事について聞きたいんだけど……?」
「クレフ様の事ですか!?クレフ様帰っていらしたんですか!?」
様!?シアに続いてここでも様付けとは。それよりもレイニアのお兄さんの名前を初めて聞いた気がするな、クレフさんと言う名前なのか。
『そう言えばこの人お兄ちゃんの大ファンだったわね』
成る程、そりゃレイニアがこれだけ綺麗なんだし、そのお兄さんも相当なイケメンなのだろう。
物凄い勢いでこちらに聞いてくるお姉さんにドン引きしつつ答える。
「あ、いやまだお兄ちゃん帰ってきてなくて、聞きたい事があるからどこに行ったのか知りたくて……」
「あぁ、そうなんですか……」
そして返答を聞いたお姉さんはしょんぼりと席に戻る。
「確かクレフ様がここに来たのが半年程前になりますね。その時は……、そう、レイニアちゃんの病気と同じ症状の人が何人か居るという話と、その中で一人だけ病気から回復した人が居るという報告が上がっていると言う話をしましたね。ってレイニアちゃんも回復したんですね!」
「おかげさまで……。でも目が覚めたらお兄ちゃんが居なくて、旅に出るってメモが家にあったから何か知らないかなと思って聞きに来たんです」
レイニアの他にも同じ症状の人が居たのか。そして一人だけ回復した人が居た、そうなるとお兄さんはその回復した人の所へ行って、どうやって回復したかを知りに行ったのではないだろうか。
「その回復した人と言うのはどこに住んでいる人なんですか?」
「報告によるとその人はターバインと言う街に住んでるみたいですね。このサトリア国の隣の、バリーナ国にある街です」
隣の国、か。つまりこの病気は1国内に収まっているわけではなく、複数の国にまたがって広まっているものなのか。その中で治療出来た人が一人だけで、お兄さんはその人の所へ行っているから半年帰ってこれていない訳か。
「ターバインへ向かうんですか?あそこは今特に魔力溜まりの発生頻度が高まっていて、最近は魔族なんていうおとぎ話に出てくる集団を名乗る輩が暴れまわってるとかで、あまり治安が良くないという報告が上がってますが……」
「お兄ちゃんに聞きたい事があるんですが、待っていてもいつ帰ってくるか分からないですよね?でもターバインへ行くのは危ない、と」
「そうですね、私も出来るだけクレフさんの情報を集めようとしてるんですが、なにせ向こうが混乱していてあまり情報が上がってこないんですよね……。いっその事私が直接向こうに行けないかなとか考えているんですが……」
どうやらこのお姉さんもなかなかの過激派のようだ。この世界の女性はこういう人ばかりなのだろうか。
『ユリト、貴方何か変な事考えてない?流石にこんな危ない人そうそう居ないわよ。って言いたい所だけど一つとんでもない所があったわね……』
なにやらレイニアも不穏な事を言っている。この人やシアよりもとんでもない人の集まりがあるというのだろうか……。
「ありがとうございます。わたしは家の方に戻ってみますね」
お姉さんとの会話をそこそこに切り上げる。
『ちょっと隣の掲示板を見てもらえる?』
レイニアに言われ掲示板の前に立つ。やはり俺にはこの世界の文字は何が書かれているのかさっぱり読めない。でも言葉は通じるのはどうしてなのだろうか?
『掲示板の左の端に貼られている大きな紙が世界地図よ』
左端の大きな紙、元の世界の世界地図は全く違う地形図の書かれた紙を見る。
『その地図の……、右側の大陸の下の方、赤い印の付けられている所が今私達の居る街、アヴァンティよ。そしてその大陸の上の方の……、あら、星印が描かれてるわね。あの星印の描かれた場所がお兄ちゃんが居るらしいターバインよ』
おそらく星印を付けたのはあの受付のお姉さんなのだろう。地図で見た所では隣の国と言っても大陸の南端と北の端くらい離れている。
「この世界って何か国家間の移動が素早く出来るような移動手段ってあるの?」
『一応魔術を使って飛行する飛行船があるけど、大きな都市間の交通のみだから、アヴァンティからターバインへ直接移動する事は出来ないわね』
流石に元の世界ほど便利な交通網は引かれていないようだ。それでも国家間の移動手段があるだけマシなのだろう。徒歩で移動しなくて済むようだし。
『だからターバインへ向かうなら一度首都のサトリアへ行く必要があるわね。あ、サトリアの場所はアヴァンティの東側の、この地図でも大きく描かれてる海沿いにある街よ』
文字が読めなくてもレイニアの説明でどうにか大雑把な地理の把握はできそうだ。
『サトリアまでは徒歩や馬車での移動になると思うけど、案外この身体なら走った方が早いかもしれないわね』
地図で見ても結構な距離がありそうだが、確かに走って行くのもありなのだろうか。でもあまり人間離れした姿を人に見られたくなないような……。
『取り敢えずは一度家に戻りましょう。旅に準備をするにしても家に色々必要になる物があるはずだから。それにいい加減服を着替えたいわ』
確かに服は昨日から同じ物を着っぱなしだしそろそろ着替えたいとは思う。ここで得られそうな情報はもう無さそうだし、一度家に戻ろうか。
冒険者協会の建物を出て街の出入り口に向かって歩いていると、街のあちこちに大きな石が置かれているのが目に入る。あれは宿の部屋に置かれていた石によく似ているが、ずいぶん大きさが違うな。
『魔石が気になるの?』
俺が見ているものに気がついたのか、レイニアが言ってくる。
『そう言えば貴方は魔術の事は全然知らないんだったわね』
そして家に向かいながらのレイニアによる簡単な魔術の説明が始まる。
『魔術と言うのは魔力を術式によって目的の形で発現させる物だというのは何度か見てたから分かるわよね?』
モンスターを爆散させたり身体の自由を奪ったり、街の街灯や部屋の灯りも魔術で灯していると言っていたっけか。
「それくらいは分かるよ。昨日だけでも色々な所で魔術をみてきたから」
『そうよね。そして、魔術を使う為の魔力には生き物の体内で生成されるものと、大地の地脈の中に流れているものの2種類があるんだけど、どちらも体内を循環する、地脈の中を循環するという形で常に流れ続けていないと淀んでしまうものなの』
その辺りも昨日魔力溜まりの件で簡単に説明を受けていた物だ。
『で、街の街灯や、家庭内の灯り、火起こしなんかに魔術を使うのに一々遠くの地脈から魔力を引っ張って来るのは効率が悪いから、魔力を溜め込んでおけるものが欲しくなるわけなのよ。そこで出てくるのが宿の部屋や街中に置いてある魔石になるの』
「魔術師以外の人達って普通に魔術は使えたりしないのか?」
『基本的魔術士以外の人達は魔術は使えないわ、体内の魔力が魔術を使えるほどの量が無いし、地脈の魔力は簡単に取り出せるものではないしね』
そういうものなのか。
『それで、魔術士以外の一般の人達が魔術を使うのに魔石を使うのよ。魔石の中は生き物の血管の様に魔力が循環する構造になっていて、魔力を淀ませずに溜め込んでおけて、更に魔石に術式を仕込んでおく事で、普通の人も魔術が使える様になるのよ。それに、魔石を使った魔術は灯りを灯したりするような永続的な効果の魔術に向いてるから、魔術師も利用したりするわね』
あの石にそんな役割があったのか。そう言えば昨日レイニアも宿屋で魔石を使って魔術を使用してたな。話を聞くに魔術も魔石も元の世界の電気よりもよほど便利なものに思えてくる。まぁ、魔術の素養がこの世界の一般の人よりも無い俺にはその便利な物を使うのにレイニアの手助けが必要なのだが……。
などと自虐的な事を考えていると。
『あっ!!』
「うわぁ!」
いきなり頭の中で叫ばれてびっくりする。何かあったのだろうか。
『猫!猫よ!猫が居るわよ!!』
どうやらレイニアが猫を見つけたらしい。レイニアに言われた方向を見てみると、道の片隅で猫がくつろいでいるのが見えた。元の世界で見るのと姿形の変わらない猫だ。
「この世界にも猫っているんだな。仕草とかも全く同じだ」
感慨深く猫を眺めていると、猫の方も視線に気づいたのかこちらを見てくる
「ニャァ」
『鳴いた!挨拶してくれたわよ!』
レイニアのテンションが一々高い。俺も警戒する事なく鳴く猫に釣られてふらふらと近寄って行く。猫の側まで近寄るよ、向こうから足にすり寄ってきた。どうやらかなり人に慣れてる猫のようだ。
『猫の方からくっついてきた……!?』
人に慣れてる猫ならこういう行動は珍しく無いはずだがレイニアは何故か物凄く驚いている。俺はそのレイニアの驚き方に疑問を抱きつつしゃがんで猫を撫でてやる。
頭を撫で、背中を撫で、顎を撫でててやると猫もゴロゴロと喉を鳴らしてくる。
『撫でてるわ!私今猫を撫でてるっ!猫ってこんなにモフモフなのねっ!』
感極まって叫ぶレイニア。この世界って猫が滅多に見れない稀少な生き物だったりするのだろうか?
「猫って人に慣れてるやつなら普通に撫でられると思うんだけど、この世界じゃ猫自体が珍しいものだったりするのか?」
『私……、猫に嫌われるタイプみたいで近寄ると直ぐに猫が逃げちゃうから、今まで触れた事がないの……。私の方はこんなにも猫が好きなのに……!』
レイニアが寂しそうに言う。
「そうだったのか。俺は元々猫に好かれるタイプみたいで、割と猫がすり寄ってくる事が多かったな」
『そうなの!私今貴方がこの身体に来てくれて良かったって心の底から思えてるわ!』
なんだかこんな事で感謝されると言うのもどうかとは思うが、今までの行動からすると、レイニアは相当な猫好きみたいだ。それなのに猫に触れないと言うのは悲しい事だと思うし、こうして感謝されるのも不思議なことではないのかもしれない。
そのままひとしきり撫でてやると、猫の方が満足したのか気分が変わったのか、ゆっくりと離れて行く。
『ああ、猫ちゃん、また今度触らせてね……』
離れて行く猫を見つつレイニアが名残惜しそうに呟く。
「またどこかで猫を見つけたら撫でさせてもらおうな」
落ち着いた性格で、ともすれば自分の身体の事でも淡白な所を見せてるようなレイニアにこんな一面があったとは。俺も猫は好きだがレイニアのそれは相当なものだったな。これではシアや冒険者協会のお姉さんの事をどうこうは言えない気がするぞ。
そんな事を思いつつ街の出入り口にたどり着く。今日も街の入り口を守っている衛兵のおじさんに挨拶し街を出る。
「それで、お兄さんを探してターバインへ向かうのか?」
『そうねぇ、さっきまでは直ぐにでも元に戻る方法を探したかったんだけど、今はしばらくこのままでも良いかなって思ってるわ』
猫か?猫の為にこの状況を受け入れようとしているのか?
「いや、このままじゃダメだろ」
『そうよねぇ、私も自分の身体は自分で動かしたいし、自分の意思で猫に触れるようになりたいわ』
やはり猫なのか……。