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しばらく歩いて少し空が赤くなってきた頃、遠くから地鳴りのような音が聞こえてくる。
「何か聞こえないか?」
「わたしには何も聞こえないですよ?」
シアには何も聞こえないらしい。音の方は段々と大きくなっているから気のせいという事はないと思うけど……。
「あ、地鳴りみたいな音が聞こえてきますね。っていうかお姉様耳も良いんですね!」
段々大きくなる音はシアにも聞こえる程になってきたようだ。それにしてもこの身体は身体能力だけでなく、聴力も高くなっているらしい。そう言えば先程はかなり遠くからタヌキとシアが見えていたから、視力も上がっているみたいだな。
などと思いつつ音のする方を見ると、例のタヌキのモンスターが物凄い勢いでこちらに突進してくるのが見える。
「うわっ、シア逃げて!」
慌ててシアを自分から引き離す。こちらに向かって突進してくるタヌキは全く勢いを弱めるとこ無く強烈な体当たりをぶちかましてきた。
どうにか防御の体制を取るも強烈な体当たりの勢いを殺しきれず吹き飛ばされる。
「痛てて、また襲ってくるなんて……」
ゆっくりと起き上がる。強烈な体当たりだったが、この身体には大したダメージにはなっていないようだ。しかしシアが襲われてはいけないし、そろそろ街も近くなってきていると思うので、このままあのタヌキを放っておく訳にはいかないようだ。
「さて、どうしようか。さっきみたいに蹴り飛ばしてもまた逃げられるかもしれないし、だからって放ってぽいたら街に向かいかねないし……」
『ちょっと試してみたいことがあるんだけど』
そこでレイニアから声がかけられる。
「試したい事て何?」
『とりあえず私の準備が出来るまでシアを守ってあげて』
こちらの問いかけには答えず指示を出してくる。タヌキは今のところシアには目を向けずこちらを威嚇している。下手にこちらから仕掛けるよりはこのままこのまま睨み合っている方が時間が稼げそうだ。
タヌキの出方を伺いつつ睨み合っている間、レイニアは何やらぶつぶつと小声で呟いている。
そうして睨み合う事30秒程、レイニアから次の支持が降る。
『右手の平をタヌキの方に突き出して!』
いきなりの謎の指示に理解が追いつかないままレイニアの指示に従い右手をタヌキに突き出す。
『ファイアーボルト!』
レイニアが叫んだ途端、手のひらから巨大な火球が飛び出しタヌキに直撃する。
爆発と轟音、爆風に思わず目を閉じてしまう。爆風が収まり目を開けるとタヌキは跡形もなく吹き飛んでしまっていた。
「なんだこれ……」
『攻撃呪文よ、まさか成功するなんて……』
レイニアも驚いている。本人も成功するとは思っていなかったようだ。
「お姉様!大丈夫ですか!?」
シアが駆け寄ってくる。
「お姉様攻撃魔術も使えるんですね!凄いです!」
「あー、えっと攻撃魔術って凄いものなの?」
「凄いですよ!攻撃魔術が使える魔術師なんて魔術師の中でもほんの一握りの人達だけですよ!」
『そうね、私もお兄ちゃんから術式は教わってたんだけど、使えた事はなかったわね。さっきの魔術溜まりの魔力を吸収してたからもしかしたらと思って使ってみたんだけど』
どうやらかなり凄い事らしい。まぁ、魔術は自分が使ったわけではなくレイニアが使った物なので凄いという実感が湧かないのだが……。
『それにしてもモンスターを消し飛ばすほどの威力だなんて、私本当にどうなっちゃったのかしら……』
流石にレイニアも不安そうだ。まぁ、病気で意識をなくして目が覚めたと思ったら知らない男に身体を乗っ取られた上に、その身体は身体能力が人間離れしたものになり、しかも魔術も強力になってるとなれば不安にならない方がおかしいだろう。
『はやくお兄ちゃんを見つけて私の身体の変化について聞いてみないと……』
お兄さんか……。確かにお兄さんならレイニアの身体に起きた変んかについて何か知っているかもしれない。
「とりあえずモンスターは倒しちゃったんだけど、街までは一緒に行こうか?」
「そうですね。もうすぐ街に着きますし、お礼にご馳走させてくださいお姉様」
再び二人で歩き出す。歩きつつ先程聞きそびれた今日の日付について聞いてみる。どうやら日記に書かれていたレイニアのお兄さんが旅立った日からは半年ほど経過しているようだ。
「半年か、半年家に帰ってないとなると流石に近くの街にはもう居ないのかな」
『そうね、情報を集めながらどこに移動お兄ちゃんの後を追うしかないみたいね』
元の世界の携帯電話のような便利な連絡手段でもあれば良いのだが、レイニアが何も言わないとこをみると流石にそれは期待できなさそうだ。
『街に行って冒険者協会に聞けば何か分かるかも』
「情報を集めながら地道に探すしかないか……」
レイニアと今後の方針について話しつつ歩いていると、ようやく森を抜けて石で舗装された道に出る。
「もうすぐ街に着きますよ」
先を歩いていたシアが振り返り声をかけてくる。
「これなら日没までには到着できそうですよ、お姉様」
歩き難かった森の中から舗装された道に出たお陰で歩くペースも上がり、シアの言っていた通り日が暮れる前に目指す街が見えてきた。
街は石造りの背の低い壁に囲まれていて、入口の所には衛兵と思しき人が1人立っている。ファンタジー作品などで見る街と比べて壁も警備も手薄なのはモンスターの出現頻度が低く、外からの攻撃に備える必要が薄いからだろうか。
「えっと、シアズちゃんだっけか、お帰り、魔力溜まりの浄化は上手くいったかい?」
街の入口に近づくと、衛兵のおじさんが声をかけてくる。
「はい、おかげさまで浄化は上手く行きました!」
シアもそれに笑顔で答える。そしておじさんがこちらを見たときにちょっと驚いた顔を見せる。
「おや、レイニアちゃん、久しぶりじゃないか。相変わらず綺麗だねぇ、お兄さんは元気にしてるかい?」
どうやらレイニアの事を知っているようだ。まぁ、レイニアの住んでいる森の家から最寄りの街みたいだし、レイニアも普段から出入りはしている筈なので当たり前なのだが。
「あー、えっと、お久しぶりです」
しかし、今レイニアの身体を動かしている自分はこのおじさんの事を全く知らないので、とりあえず無難な答えを返しておく。
「おにいさ……、じゃなくてお兄ちゃんはまだ旅に出てから帰ってきてないんです……」
レイニアのお兄さんの事を聞かれたという事は、やはりお兄さんはこの街に居ないようだ。恐らくレイニアの病気を治す方法を探して旅を続けているのだろう。
「そうなのかい、早く帰ってくると良いね」
おじさんは笑顔で2人を通してくれる。この警備の緩さはやはり治安が良いからなのだろう。
「お姉様、夕食一緒にどうですか?助けてもらったお礼にお金は私がはらいますよ!あ、それと宿も私の泊まってる所にしましょう!宿代も私が出しますから!」
街に入った途端シアが話しかけてくる。ちょっと必死過ぎるような気もするが、日も落ちているし、今から家に帰るのも怖い気がするのでせっかくなのでお言葉に甘えようか。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
そう答えてシアと一緒に街中を歩く。日の落ちた街中を淡い灯りが照らしている。この灯りも魔術で灯しているものなのだろうか。
などと思っているとレイニアが声をかけてくる。
『あの子と一緒に行動して大丈夫なのかしらね』
何かシアと一緒にいる事で気にかかる事があるようだ。
ともかくシアの案内で食事の出来る店に向かう。辿り着いた店は大通りのやや外れにあるこじんまりとした店だった。
初めて来た店なので何もわからずシアと同じものを注文する。
出てきた食事は至ってシンプルな野菜と鶏肉のようなものの入ったスープとパン、それと野菜とベーコンのサラダだった。味の方も特に奇をてらった物ではなく、この世界に来て初めて食べる食事としては安心出来るものだった。
食事中シアとは色々話をしたのだけれど、シアは気持ちがどうも上の空で受け答えが投げやりというか適当というか……。お陰でこの世界のことは今の段階で聞いてた以上の事はほとんど情報が得られなかった。まぁ、情報なら必要なものはレイニアに聞けば良いだけなのだが。
そしてシアは別の街から仕事の為にこの街に来ているようで、レイニアのお兄さんの情報も得られなかった。こちらは明日にでも冒険者協会に行けば何か情報が得られるだろうか。
女の子と二人きりでの食事なんて生まれて初めての事だったけどこちらも女の子の身体なのでなんとも複雑な気分のまま食事を終わらせて、次はシアの泊まっている宿に向かう。宿の受付でもすんなりとシアの泊まる部屋の隣の部屋が確保できた。宿の女将さんが言うには最近はこの辺りに来る冒険者が減っているとかどうとか。
「それじゃあお互い部屋で落ち着いたら少しお茶にしましょう、美味しお茶を持っているので淹れていきますねお姉様」
そう言ってシアは自分の泊まる部屋へと向かっていった。こちらも部屋に行きベットの端に腰を下ろす。今日は色々な事がありすぎてこれまでゆっくり考え事をする時間もなかったけど、こうして腰を下ろして落ち着くとこれから先どうなってしまうのかと考えてしまう。
授業中にうたた寝して目が覚めたと思ったら水の中、どうにか出られたと思ったら女の子の身体になっていて、外の世界は見たこともない異世界だった。その女の子の身体はとてつもない身体能力を秘めていて、モンスターに襲われてる女の子を助けたり、車よりも大きなモンスターを一撃でたおしたり、もはや学校で授業を受けていたのが遠い昔の出来事のようだ。
これから先自分はどうなってしまうのだろうか、元の世界に帰る事は出来るのだろうか。もしこのまま帰れないとなると俺よりも自分の身体なのに自分で自由に動くこともできないレイニアの方が可愛そうだな、などと考えていると部屋の扉がノックされる。
「お姉様、お茶を持ってきました」
シアがお茶を持って尋ねてきたようだ。扉を開けてシアを迎い入れる。
シアが手に持つトレーには良い香りを放つお茶が乗っている。部屋に置かれているテーブルにお茶を置き、二人が向かい合わせに椅子に座る。
「お姉様、今日はお疲れ様でした。改めて助けていただいてありがとうございます」
シアが改まってそうお礼を述べてくる。
「えっと、成り行きだったし、危険な目にあってる子を放ってはおけなかったし、そんなに気にしなくて良いよ」
戸惑いつつもそう答える。
「そんな、私はお姉様に助けられなかったらあそこで死んでたかもしれないのに!お礼くらい言わせてください!」
なんとも熱意のこもったセリフだが、死んでたかもしれない場面で助けられればそれも当たり前なのだろう。
『これは、嫌な予感がするわね……』
レイニアがなにやら呟いている。嫌な予感とはどう言うことだろうか?
「兎に角、お茶をお持ちしたので温かいうちに飲んでください、お姉様」
シアがお茶を勧めてくるのでお言葉に甘えて飲むことにする。柔らかな湯気の立ち昇るお茶は一口口に含むと暖かく、元の世界では味わったことのない不思議な美味しさが口の中に広がる。
「ありがとうお茶美味しいよ」
そう言いつつ二口目を飲もうとした時、この世界に来る直前の眠気とは違う強烈な眠気が自分を襲う。耐えきれず手に持ったカップを床に落とし、机に突っ伏すように眠りに落ちてしまう。
『ちょっと!起きなさい!起きなさいってば!!』
遠くにレイニアの声が聞こえる。しかし段々と遠のく意識はその声すらも遠ざけていく。
「お姉様、今日はお疲れでしょうしゆっくりお休みになってくださいね、うふふふふふふ……」
そんなシアの声を聴きながら遂に俺の意識は途切れてしまった……。