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「えっと、今日って何月何日か分かるかな……?」
迷いに迷ってようやくかけられた声に、しかし女の子は返答する事もなく固まったままになっている。
『ユリト、もうちょっと気の利いた事は言えなかったの……?』
そしてレイニアからのツッコミ。
『って言うかさっきのは何よ!私の身体に何かあったらどうするつもりだったのよ!』
からの怒りの叱責。
自分の身体であんな無茶をされたら怒りたくもなるだろう。
「ごめん、一応大丈夫だろうっていう確信はあったんだけど……」
そう、分厚いガラスを割ったり、車並みの速さで走れたりと身体能力が上がっていることから大丈夫だろうとは思っていたのだが、流石にやり過ぎだったようだ。
『結果的には大丈夫だったけど、私の身体なんだからね!もっと大事に扱ってよね!』
「分かってるよ、まぁ、流石にもうこんな事は無いと思うけど」
などといったやり取りをしている自分を、隣で固まっている女の子が不思議そうに見つめている。
「あの……」
と、ようやく女の子は声を発する。
「あの……、貴女のお名前を教えていただけますか?」
こちらの問いかけは華麗にスルーされてしまった。
「あぁ、俺の名前はユリ……」
『ちょっと!私の身体でその名前を名乗るの?』
女の子の質問に答える途中でレイニアから横槍が入る。
『あと、俺って言うのもどうなのよ』
レイニアからの至極真っ当な指摘を受け、名前の訂正をしようと女の子へ向き直ると……。
「ユリ……、ユリお姉様ですね!」
女の子は目をキラキラを輝かせながらこちらを見ていた。
「あの、えっと、わ、わたしは……」
言い慣れない「わたし」という一人称に戸惑いつつ訂正しようとするが、女の子は聞く耳を持ってくれなかった。
「助けてくれてありがとうございます!ユリお姉様!!」
そして女の子はこちらに飛びついてきて抱きつかれる。
「え?ちょっと」
元の日本に居た頃には女の子に抱きつかれるなんて経験は全く無かったので、混乱してしまい名前の訂正の機会を失ってしまった。
『まぁ、ユリなら女の子っぽい名前だし、とりあえすはこのままでいいかしら』
レイニアもとりあえずこのままでいいや、と言う気になってしまったようだ。まぁ、この場限りの事で一々訂正をする必要もないというところか。
それにしてもこの女の子に抱きつかれているという状況なのに、レイニアは随分と余裕なのは何故だろうか。
「それで、あなたの名前は?」
べったりとくっついて離れようとしない女の子を引き剥がし、問いかける。
「わたしですか?わたしはシアズ・ヴァイオレットと言います!」
名乗りつつ、また抱きついてくる。
「シアと呼んでください!お姉様!」
『これはまた随分と懐かれたわねー』
何故か他人事のように言うレイニア、自分の身体なのに……。
「えっと、シア……さん……?」
「シアで良いですよ、お姉様」
「じゃあ、シア、なんでこんな森の中に居たの?」
先程スルーされた日付の事はとりあえず置いておき、別の問いを投げかけてみる。
「わたし、駆け出しの魔術師なんですけど、この森に出来た魔力溜まりの浄化に来て、さっきのモンスターに襲われて」
魔力溜まり、レイニアが説明しようとしたところでシアの悲鳴が聞こえてきたんだっけか。
「絶体絶命だった所をユリお姉様に助けてもらったんですっ!」
そこでまた力一杯抱きついてくる。
『さっき説明し損ねちゃってたわね、魔力溜まりって言うのは文字通り魔力が一箇所に留まってしまった場所の事よ』
レイニアが中断されてた説明の続きを始める。
『魔力というのは基本的に地脈に沿って循環してるものなんだけど、時々地脈から外れて1箇所に溜まってしまう事があるの。そして魔力は循環してないとため池の水が濁っていくように澱んでいって、生き物が澱んだ魔力を体内に入れると突然変異を起こしてモンスターになっちゃうのよ』
つまり先程の巨大なタヌキのモンスターはその澱みから生まれた物という事か。
『だから魔術師には魔力溜まりの浄化という仕事があるのよ』
成る程、魔術師の仕事というのは理解できた。
「ところでシア、その魔力溜まりの浄化は終わったの?」
未だに抱きついたままのシアに問いかける。
「そうでした!まだ浄化を終わらせていないんでした!」
まだ終わっていなかったようだ。
「それなら俺……、じゃなくてわたしも付いて行こうか?またあのモンスターに襲われるかもしれないし」
「本当ですか!お姉様が付いてきてくれるなら安心です!」
とても嬉しそうな声で答えてくる。
『そんな事言っちゃって大丈夫なの?』
「実際に襲われるかもしれないし、とりあえずその魔力溜まりの浄化を済ませる位までは守ってあげないと寝覚めが悪いだろ」
『確かにそうだけど……』
レイニアはまだ何か言いたそうにしている。
「さぁ、行きましょうユリお姉様」
俺の手を取り嬉しそうに歩き出すリア。少し歩くと手を取るから腕を組む、に変わりそして腕に身体を密着させてくるようになる。
「あの……リア、これはちょっと歩き難いんだけど……」
「あぁ、ごめんなさいお姉様!ついつい嬉しくて」
謝ってはいるが離れようとはしない。仕方がないのでそのまま歩きつつ、気になっている事を聞いてみる。
「ところで魔力溜まりがモンスターを生み出すって事は魔力溜まりの浄化はモンスターに襲われる可能性が高いわけだけど、浄化って1人でやるものなの?」
「いえ、普通は護衛の冒険者の方たちが一緒に来るんですが、最近魔力溜まりの発生頻度が高くなってて人手が足りないんです。なので、護衛なしで来ることになったんです」
そういう理由だったのか。
「それと、この森は今まであんな大きなモンスターは確認されてなかったので、私のような駆け出しの魔術師が派遣されたんですよ」
『確かに私も今までこの森に住んでてあんな大きなモンスターは見た事ないわね』
レイニアもそう付け加える。
『そもそも冒険者を護衛に付けないといけない程危険なモンスターなんてそうそう出ない筈なんだけど』
モンスターが居るような世界、と言ってもモンスターに襲われるような事はそうそうないらしい。そんな会話をしつつしばらく歩くと森の中に他とは違う気配の漂う場所にたどり着く。
「そこが魔力溜まりですよ」
どうやら目的地に到着したようだ。しかし俺には嫌な雰囲気が漂ってるという以上の物は感じ取れない。
……そもそも魔力というのがどういうものなのかも分からないのだが……。
『これは……、かなりの量の魔力が溜まってるわね。これを浄化するのはなかなか難しそうだけど……』
「そうなのか?俺には何も感じ取れないんだが……」
『これだけの魔力が感じ取れないの?って貴方は今まで魔術の無い生活をしていたんだっけ』
隣を見るとシアが困り顔で立ち尽くしている。
「これは……、一度街に戻って応援を呼んでこないと。私だけじゃ浄化できそうに無いです……」
2人とも魔力溜まりの魔力量に驚いているが、俺には何も感じ取れない。近付けば何か分かるかもと思い魔力溜まりの方へと歩く。しかし何も感じ取れるでもなくそのままふらふらと歩いていると……。
「ユリお姉様!危ない!」
『ちょっと止まって!近付きすぎよ!』
2人の制止の声もちょっと遅かったようだ。魔力溜まりに近付き過ぎたらしい俺は、魔力の光に包まれて……。
気が付いたら特に何も起きていなかった。
「ユリお姉様!大丈夫ですかっ!」
シアが慌てて駆け寄ってくる。身体を見回してみるが、どこもおかしな事にはなっていないようだ。
「良かった、お姉様無事みたいです!」
そこで気が付いたが、目の前の嫌な気配が消えている。
「あっ、魔力溜まりが浄化されて……る……?」
「え?浄化?でもなんで……」
嫌な気配が消えたのは魔力溜まりが浄化されたかららしい。
「あれだけの魔力が一瞬で浄化させるなんて……、お姉様何かしたんですか?」
「いや、俺……じゃなくてわたしは何もしてないんだけど」
『何もしてないじゃじゃないわよ!貴方本当に何も知らないの?』
そこでレイニアから横槍が入る。
『魔力溜まりの魔力がこの身体に全部入っちゃってるわよ。何も感じないの?』
魔力が?全部?俺には全く何も感じ取れない。改めて身体を見回しても何も変化は怒っていない。
「俺はやっぱり何も感じ取れないんだけど……」
『あれだけの澱んだ魔力が身体の中に入っているのになんともないだなんて。私の身体どうなっちゃったの……』
タヌキをあんなに巨大なモンスターに変えてしまう程の魔力を体内に取り込んでなんともないのだからレイニアも不思議でしょうがないらしい。自分の身体だから当たり前なのだが。
それにしてもレイニアは魔力を取り込んだと言っているが俺には全く何も感じ取れないのは、やはり魔術なんてものが存在しない世界からやってきたからなのだろうか。と言うことは俺は異世界に来たからといって魔術が使えるようにはならないようだ。
「魔力……、魔術か……俺には全く才能が無いみたいだ」
『これだけの魔力を感じ取れないってのも逆に凄いわね。取り敢えず何もなかったからいいけど、私はモンスターになんてなりたくないんだからあんな事はやめてよね』
俺としてもモンスターになってしまうのは嫌なので今後は軽率な行動を取らないようにしないと……。
「それでシア、魔力溜まりは無くなったみたいだけど、これからどうするの?」
レイニアとの会話がひと段落ついた所でシアに聞いてみる。
「えっと、わたしは街に戻って浄化が終わった事を冒険者協会に報告しに行きます」
「そうか……。」
そこで少し思案する。
『ちょっと、何考えてるのよ』
レイニアが何かを察したのか声をかけてくる。
「またあのモンスターが襲ってきたらいけないし、街まで送るよ」
『まだこの子に関わるつもりなの?』
レイニアからの抗議の声。
「本当ですか!うれしいです!」
そしてシアからの喜びの声。
「あんなモンスターが居る森で一人で歩かせる訳にはいかないだろ……」
『それはそうだけど……、まぁいいわ、街まで送ればもう関わる理由もなくなるだろうし』
「それじゃあ早速街まで行きましょうお姉様!今からなら夕方までには街にたどり着けますよ!」
そしてまた俺に腕を絡ませてくる。女の子同士のスキンシップってこんなに積極的な物なのだろうか?そんな事を思いつつ街へ向けて歩き出す。
「そう言えばあのモンスターってこのまま放っておいていいのかな?」
歩きつつふと思った事を口に出す。
「モンスターは冒険書協会に報告しておけば、冒険者の人達に討伐依頼が出るので、いずれ討伐されると思いますよ」
『一度モンスターに変化してしまったらもう戻る手段はないから、あのタヌキは可哀想だけどあのままでいるより討伐されるのが一番良いでしょうね』
二人からこちらの疑問に対する答えが返ってくる。取り敢えずは放っておいても大丈夫そうだ。