82 おにきょーかん
翌日、訓練場で待っていた僕をティナ先生は連れ出し、デュアラル王国を出て竹林へと訪れた。
向こうの世界だったら道が整備され、入場料を設けて観光地として活用されてそうなくらいすごく綺麗な場所だ。
欧州の街並みの後は竹林か。
「いいな、ここ……」
僕が竹林を見上げていると、ティナ先生は途中で買った長いフランスパンみたいなのを食べつつ竹林の前をウロウロ。片方の手には同じパンが入ってる紙袋が抱えられてる。
行ったり来たりを何回か繰り返していると、ぴたっと止まった。
「うむ! よし! しばらくここでするか!」
「え、あれっ、ここで訓練ですか?」
「そうじゃ、魔物も丁度良さそうな感じの奴ばかりじゃしな」
「わかりました、では、身体強――」
「こら、スキルは発動禁止じゃぞ」
「ムグ!?」
魔素を使って身体強化を発動しようとしたら、口に思いっきりパンをねじ込んできた。
「はひふるんでふか(何するんですか)……!?」
「私の訓練中は全てのスキル、ユニークスキルの使用を禁止する!」
「っぱぁ……はぁ……それには何の意図が……?」
口に入れられたパンを外に出して聞いてみると、先生はニヤリと笑った。
「今は良いが、敵のレベルが上がっていくと魔素を封じる個体も出てくる。それに、スキルと言っても己の身体能力の底上げじゃから、素の身体能力が高くなければいまいち効果が期待できん。お主と手合わせをした時に感じたのは、技や戦術は拙いが、それ以上に素の膂力が足らんということじゃ。
言っとくが、力は何でも解決するからな。力を付ければ魔法攻撃に対する耐性も、物理攻撃に対する耐性も上がる。素の力というのは、あるに越したことはない。たとえば」
そういって、収納袋から一本の長剣を取り出して僕にを投げてきた。
「えっ、わっ」
「殺す気で切りかかってきてみ、ほれ」
「殺す気って……」
この長剣、真剣だよな?
重いが今の僕には扱える。背丈が足りないが、それでも全力で振るえば……。
「いいんですね?」
「はよぉせぇ。要らぬ時間を使うな」
グッと両腕に力を込めて、頭の上から踵まで真っすぐ切り分けるように振り下ろした――。
パシッ。
「コンコンッ! と。まっ、これが今の結果じゃな」
「なんっ……マジ……?」
僕が全力で振るった長剣は、人差し指と親指で作られた狐に挟まれ止められた。
グイと傾けられると体の重心が崩れてよろめき、こてんとコケてしまった。
「力は何でも解決できる! ワタシはそれでこの年になるまで生き抜いてきたからのぉ~! 魔導士相手にも例外じゃないぞ? 魔法を発動しようとしてる奴の顔面に拳をねじ込めば、魔素の巡りが悪くなって、魔法陣展開への集中力が反れて発動者自身に魔法が返ってくる。ほら、それだけでも勝てるじゃろ?」
「……なんか、極論じゃないですか?」
「ばーか。取っ組み合いになった時に勝つのは力があるほうじゃろ? 剣を合わせた時に勝つのは力があるほうじゃろ? 小手先の技なぞ力でねじ伏せれる。素の膂力が高くなかったら覚えられんスキルも、扱えん武器もある。今のお主の全力を止めたのは、何のスキルも耐性も使っとらんワタシの素の指力じゃしの」
「それは……そうですけど。ナグモさんとの訓練内容とは」
「ナグモは基礎体力と回避能力を全体的に重視をしておったらしいのぉ? まっ、ワタシに言わせたら生存時間が伸びても相手を殺す膂力が無ければ勝てるもんも勝てん。アレの考えは間違いじゃないが、ワタシが真正面からねじ伏せるのに対してアレは技や立ち回りの達人じゃからな。練習の方向性が違うのも仕方がない」
ティナ先生とナグモ先生は戦闘スタイルが違うのか。
だけど、二人の先生は独自の戦闘に関する結論を持っている。力でねじ伏せるか、とりあえず生存して相手の隙を狙うか。
「分かったかの? この訓練は、素の能力を上げるのもそうじゃが。あとはステータスが上がりやすいーとかスキルを会得しやすいーとかもある。おすすめの訓練じゃ、疑わんでもよいぞ」
「そういうことなら納得ですけど、スキルを使わずに魔物と戦うって……」
普通に危ないんじゃ、と弱気な発言はドンッと足を踏みならした音でかき消され、その大きな足音は竹林中に鳴り響いた。
「ウダウダ考えずに実践じゃ! 一つ言っておくがワタシの助けを期待するなよ? これはお主の訓練じゃからの! ハハハハ」
「……終了見込み時刻は……?」
「んー、そうじゃのぉ……魔物が来なくなるまでかの?」
周りくどく言っているが、つまり“エンドレス”だろう。
入口に立っているだけで、ビリビリと殺気が感じる場所での大きな音は「僕は、今からあなたたちの縄張りに入りますよ~、ここです!」と教えるようなモノだ。
「精々死なぬようにな?」
「……尽力します」
深呼吸して森の中に向かおうとしたら、言い忘れていたが、と先生からの声。
「恐怖心なぞ家畜の餌にもならん。くれぐれも戦闘の場に持ち込むんじゃないぞ?」
そう言い、笑顔でバイバイと手を振るティナ先生が悪魔に見える……。ああは言ってるが、本当に危なくなった場合は助けてくれるに違いない。
そう信じて竹林に足を踏み入れて戦闘を開始した。
◇◇◇
「腕が上がらぬのだったら、頭を使え」
「はぁはぁ……はぁっ。あ゛い……っ……!!」
「一応言っておくが物理的にじゃないぞ!! 分かっておるな? おい! 返事!! おーい!! クーラーデーィース! 返事じゃ! 聞こえておるんかの……?」
聞こえてます。すごく聞こえてます。「頭を使え」と言われて頭突きをするほど狂ってはいないです……。
ただ、返事をする余力すらも、惜しい……!
魔物と戦闘が始まって何時間が経ったか分からない。
竹林の中にいるから時間経過も分からないし、風景もそんなに変わらないからはっきり分からない。
ただ、昼前に来たはずなのに、日が暮れてきているというのは分かる。
使っている武器はナグモさんが用意してくれていた小刀。防具もゴブリンのクエストを受けた時と同じ装備。
僕目掛けて飛んでくるのは、バリエーション豊富な魔物達。
先生が魔物に対して足を踏み鳴らしたのは最初の一度のみなのに、次から次へと出てきて錯乱したように攻撃を仕掛けてくる。
そして、魔物を倒す瞬間、そいつが叫ぶとお仲間さんがゾロゾロと出てきてくれる。その繰り返し。
『グルァァッ!!』
飛びかかってきた猿みたいなやつを避け、脂で切れ味が落ちた小刀の一本を口中にねじ込む。
ごぼぼっと苦しむような鳴き声の後、倒れる。その体を蹴り飛ばし、近づいてきているゴブリンへぶつけた。
予備の小刀は、あと、三本。
伸ばそうとした手が鈍い。体全体が重く感じる。
「先生っ、そろそろっ……腕が……」
ゴブリンが涎を垂らしながら突き刺してきた雑な槍を捌き、腹部に蹴りを食らわせて転ばす。
すぐに体勢を立て直され、名前も分からない獰猛な角が生えた羊の魔物との同時攻撃。
避けきれず、体で受けてしまってふき飛ばされてしまう。
「ぐあっ!? カハッ……せ、先生ぇっ……!」
「そうかー死にたいのかー。いいぞー死んでも」
「そういう……ことじゃ……」
だっだっだっ。
羊の上にゴブリン。その後ろにもまだ、いる。
地面を掻いて立ち上がり、石をゴブリンに投げ、外した。
「くっそ……」
ぎりっと歯を食いしばり、竹が密集している所まで移動。
羊の機動力を、奪わないと――でも、ゴブリンにとっては奇襲のしやすい場所になるのか!
周囲に目を向けると、そこには小回りが利く魔物の影。
投石を竹を使って避け、近寄ってくるゴブリンの喉を掻っ切った。吹き出す血が僕の顔にかかり、拭うと、見えたのは、僕の数倍はある大柄な魔物。
「は……っ」
「動け」
「!? 動け、動け、動け……!」
何故か先生の言葉を復唱し、霞んでよく見えなかった大型個体の一撃を辛うじて避ける。
「相手に怯える時間などない。常に動け。常に考えろ。目の前の敵を殺せ。負けることは死ぬことだと思え。だが、逃げることは負けではない。血眼になって相手の急所を探れ。どうすれば再起不能の一撃を打ち込めるかを考えろ」
無策にも竹林を移動していく。だが、後付けで大型個体には有効だと感じた。
振り回せない、あいつは持ち前の怪力をここでは使えない――っ。
だが、その場所は小型個体が奇襲をかけやすい場所。視界の僅か外から聞こえた音で咄嗟に身を翻すと、ガチッと歯と歯がぶつかる音。
――狼っ!?
息が、続かない。頭が、回らない。怖い、最初の襲われた光景が脳裏に浮かぶ。
小刀は持ってる。だけど、持ってるだけだ。
恐怖は体を硬直させて、どれだけ鋭利な刃物でも振るわなければ、意味がない。
「考えろ! 今はそれしかできぬじゃろうが」
「――ッ!!」
先生の声。そうだ、考えろ。
「考えろっ!」
「ワタシの声を繰り返しとるだけじゃなぁ……」
「ちゃんと考えてます!!」
狼は集団で狩りをする。一体だけじゃない。目の前にじりじりとこちらの様子を伺っているような個体だけじゃない。あの時がそうだったように。
視野を広くすると、背面の竹のさらに後ろから微かに聞こえる移動音。
振るえる手で小刀を地面に置き、手ごろな石を振りかぶって草むらへと投げた。ギャインッと悲鳴。当たったらしい。
ぐるる、と目の前の狼が足踏みをした。よしっ、とりあえず相手の連携を潰せ――……
「阿呆が、死ぬぞ」
先生のあきれたような声の後、びゅんっ、と何かが空気を裂く音。
同時、顔面目掛けてゴブリンの手槍が投擲されていたことに気づく。ゴブリンがそんなのをまともに扱えるわけもない。
だけど、当たれば――痛い、死ぬ。そんな簡単な事しか思いつかない程、僕の頭には余裕がない。
体を強引に動かして避けると、狼が行動制限をしようと行く手に立ちはだかった。横からはゴブリン。反対からは狼の群れ。
どうする、何が、どちらに行っても、広い所はだめだ。だからと言って……。
この状況を切り抜けるためには、一点突破しか――だったら、それは、お前だ……!
手槍を投げた後に腰の棍棒に手を伸ばしているゴブリンの喉元を、拾いあげた槍で突き刺す。
『ゴボボァッ!!!?』
その一撃で穂が外れ、只の棒となった。使えないと判断すると、投げようとして、止まる。
(このままやってたら、何時かは僕の武器が使えなくなる時が来る……)
棒に目を落として一瞬考えていると、隙を刺すように狼が飛びかかってきたから、棒を口内に真っすぐ突き刺した。
口内から頭へと棒が突き抜け、溢れ出た脳漿と血液を頭の上から被る。
これで、後は狼の群れだけ。でも、まだ、そこらかしこで物音が聞こえる。
「敵が使っとった武器に持ち替えたのは花丸じゃ。一対多じゃということを頭に叩き込んで、その上でいろんなことを試していけ」
「……ぁ、い!」
「もう一度慢心したらワタシがお前を殺すからな」
「っ!? ぁ、あいッ!」
狼のやつ、臭いけど、そんなの気にしてる場合じゃない。いろんな液体が混ざったのを袖で拭き、開けた場所へと出た。
ざわざわ。竹林の奥から無数の足音。
げたげた。魔物の声が木霊する。
まだ、たくさんいると分かると、サァーっと僕の血の気が失せていく。
「敵を殺さぬと、増えて不利になるぞ。じゃが、殺そうとすると隙が増えるのぉ~?」
どうしたら……と声を出す力も無く、答えを求めるように先生の方をゆっくりと向くと、
「考えろ。それを含めての訓練じゃ」
近くの大きな岩石の上に座っているティナ先生は小悪魔のように笑った。
ホワイトな先生だって? 何が? 誰のこと? そんなこと誰が言った!?
胡坐をかき、パンをむしゃむしゃと頬張る。倒した魔物の死体を枝でつつき、僕の一挙動の全てを面白そうに見て、笑う。それのどこがホワイトだって?
そうしていると、草むらの奥からよく分からない魔物が先生には目もくれずに僕の方へと向かってくる。
「こんなの……死ぬって」
だだだだだ、と向かってくる敵に対して泣き出しそうな顔で武器を構えた。
そんな状態で、暗くなるまで戦闘を続行していたら突然魔物が来なくなった。
ぷつん、と緊張の紐が切れて膝から崩れ落ち、そのまま僕は意識を失った。
そして長い長い一日が終わった。




