66 出会い
青年は大きな欠伸をしていた。
彼が身につけているのは白のカッターシャツ、黒いサスペンダー、黒ズボン――だが、所々皮膚が見えているところがあり、元の服の色に朱色や焦茶色が上塗りされている。
それらが髪、顔、首にも付いていることから、頭から鮮血を被ったのかと思わせる見た目に出来上がっていた。
細長い剣で乾いた地面に線を作りながら歩く足取りは、フラフラと意識が朦朧としているのかと思われるほど不安定。
しかし、その足取りも途方に暮れている様子はなく、向かおうとしている先は事前に決めているかのように迷っているということは無かった。
そのまましばらく森を進んでいくと、ゆっくりと足を止めて、自身の腹部に手を当てた。
「腹……へったなぁ」
ぽつりと呟いた後、そのまま喉まで手を這わせて行くと、首元辺りまで上がったところで何かに気づいたように手を止めた。
「アレ……? 認識票……どこかに落としたのかな」
冒険者へと支給される簡易的な身分証明物――認識票。
デュアラル王国だけに限らず、ほか二国や王国領内の街に出入りする際には門兵や見張り兵に身分証明を見せる必要がある。
もし身元を証明するモノが何もなかった場合、割引がされていない多額の手数料を取られてしまうか、不穏分子だと判断された場合は入国拒否をされる可能性もある。
それ故、認識票は冒険者の生計を立てるための必須アイテムになっている。
青年の今の姿を門兵が見ると、即刻入国拒否を叩きつけられるのは必至だろう。そのことは少年も分かっている様子だった。
頭をかきながらどこに落としたのかと思考巡らすが、思い当たる場所がないと判断すると大きな溜め息をついた。同時、腹の虫がここぞとばかりに空腹を訴えかけてきた。
「……はやく何か倒さないと、このままだと動けなくなっちゃうかな」
この少年は自分がイニシアの大森林にどれほどの期間居るのか覚えていない。ただ、日数感覚が狂うほどの時間であるのは確かだった。
『何かを倒すことで空腹を紛らわす』――この行為を他人が聞くと思わず聞き返してくるだろう。しかし、実際この青年は数十日という期間をその行為で生命を維持していた。
自分でも可笑しく思ったのか、空気が抜けるように笑うと大きく体を伸ばした。
そして再び、イニシアの大森林の最奥部から逃げ出した魔物の辿った道をなぞる様に歩き始めた。
◇◇◇
ゴブリン達が向かっていた進行方向の逆へと全速力で駆けていく。
走りながらも『魔素感知』で周辺を警戒し、体感的に数十メートルほど離れたところで少しペースを落とした。
「はぁ、はぁ……っ。臭い……か、盲点だったな」
僕があの時に予想したゴブリン達の動きは『素通りした訳ではなく、丘全体を囲もうとしていた』だった。たとえそれが考えすぎであって杞憂で終わったとしても、あそこに居続けるのは絶対に危なかったと思う……。
ゴブリン、ホブ、キングが時折止まってたのは、僕の存在に気がついていたんだろうし。
「……睡魔なんかどこかに飛んでいっちゃったなぁ」
緊張と焦りで目が覚めたのをいいことに今後の動きについて考えようとすると、ふと思いついたことがあった。
「まさか……追い込み漁とかそういうのじゃないよな?」
あそこでチラッと姿を見せて移動させることで、僕を警戒させ、おおよその逃げる方向を想定して……挟み撃ちとか。
「あれが意図的だった場合。この先にアレとは別な存在がいる? まさかな……」
そんな連携技を魔物がやってくるという話を聞いたことがない。してきたとしても、あの丘からは結構離れたから――いや、でも……近年は異常事態が……。
立ち止まって顎に手をやり考えていると、チラッと『魔素感知』に入ってきた一つの魔素を感じた。
「うわ、え、うわっ。いたし……」
右斜め前方、およその距離20メートル。
見たことの無い量の魔素だ……ゴブリンキングより数倍も大きい。
念のために小刀に手を当てていると、感じていた魔素の動きが止まったのを感じた。
歩くのをやめた……のか?
その瞬間、魔素の反応が大きくブレた。
「なっ――」
開いていた距離を一瞬で詰められ、息もつけない速度で茂みの向こうから細長い剣がこちらへと伸びてくる。
それをなんとか躱し、剣を伸ばしてきた本体に小刀で切りかかろうとしたのだが、勢いそのままで出てきたソレが、細い体で白い髪の毛、赤い瞳にメガネを掛けているのが見えた。
「人!!?」
咄嗟に構えを解いたのはいいが、真っ直ぐ飛んできた青年を体で受け止めて背中から地面に落ちた。
すごい勢いだったこともあって、その人を受け止めた体は木の根元にぶつかり、何とか止まってくれた。
「痛っ!!」
僕がブレーキとなって勢いが止まると、その人は上体を起こして剣を構え、僕の首元に刃を当てようとしてきた。
「あっぶなっ!!!」
その迷いのない動きに対し、咄嗟に『衝撃』を撃ち、軌道をずらして剣は頭上の木に深く刺さった。
「な、なんで攻撃してくるんですか!!?」
「えっ! あれ……人の声……?」
ようやく上に乗っていた人は僕が人であると気づいたようで、ダダ漏れだった魔素を引っ込めて木に突き刺さった剣を抜いた。
 




