34 この世界が好きだ
3キロほど走るとこの小さい体が悲鳴をあげるのが分かった。
向こうの世界でどれだけ部活をやっていたとしても、こちらではそれは反映されていない。
ステータスも1だ。分かるか? 1だ。目の前のこの大きな人はどうせ二桁、三桁いってるに違いない。
息が上がる。次の1歩の足が重い。喉が渇いた。
――けど、この人に煽られたままで終わりたくない。
これは男と男との戦いだ。
朝露の中、森にある整えられた道を駆け、坂道を上がったり下がったりしていると森を抜け、左に大きな湖のようなものが見えた。森の中に湖があったみたいだ。
右に木々が生い茂げ、道を挟んで湖がある。なんとも落ち着けそうな場所。
「はいストップ~」
視界がぼやけてきたところで、ムロさんがゆっくりとペースダウンをして大きな岩があるところで止まった。
「ハッ……ハッ………ハァッ…………ハァ……………」
「すごく疲れてるな。無理したろ」
「ハァ………、あな、たが………ハッ……。煽るから……ですよ……」
僕の息が上がりすぎて上手く喋れてない様子を見て笑ってきた。
近くに腰をかけると、ムロさんが持ってきていた袋から水を取り出してコップに移し、2人で湖の畔でゆっくりと休憩をし始めた。
湖の近くということもあり少し寒い。
今は体が熱いからいいけど、普通の時に来たら体が冷えてしまいそうだ。
「……いい景色」
ぼんやりと風景を眺めているとこちらを見ているムロさんが視界に入ったのでそちらに顔を向けた。
「なんですか?」
「いやぁ、5キロでバテたか~と思ってな」
「……走れたからいいんですよ」
「今にも死にそうだったけどな」
「走れてるからいいんです!」
この人は本当にふざけているのか真剣なのか、よくわからない人だ。
会った時から僕の身の心配より「迷子か?」って聞いてきた人だし。いや、考えてないようで考えているのは分かるのだが、まだ掴めてないところがある。
というか、わざわざそれを言うためにこちらを見つめていたのか?
「まぁ、やっぱり俺らと一緒に冒険するにはまだ早いみたいだな」
ムロさんは湖の方へ目を向けながら僕を茶化すように言った。
いつものように、決して悪気があるわけじゃない一言だ。
その言葉を聞き、目を見開いた。考えないようにしていたことが蓋を返したように出てきた。
気にしないように務めていたのに……、やっぱり僕は……弱いから……。
本当に、ムロさんからしたらただ普段通りに茶化しただけの言葉なんだと思う。
でもそれは僕の心に刺さってしまった。
「……そう、なんですかね」
そうか、この旅ももう終わりなんだ。
あんなに楽しかった時間が終わってしまうのか……。
「やっぱり、僕が弱いから……ですか?」
「まぁ、そうだな」
「そう……ですよね。そうですよね! こんな弱い奴、いても役に立ちませんもんね」
こんな卑屈な言葉を喋る自分が、嫌いだ。
だけど、こうやって作り笑いをしていないともっと辛くなるから。
「……そんなに旅を続けたいなら、料理の専属担当でついてくるか?」
「それでいいなら――」
「いいわけねぇだろ」
ガシリと、頭を大きな手で鷲掴みにしてきた。
混乱するまま涙ぐむ目を向けると、ムロさんは繰り返してこう言った。
「いいわけねぇだろーが、何言ってんだ」
それまでの雰囲気とは違い、ムロさんの目はしっかりとこちらを見据えていた。
「自分で言うのもなんだが、俺らのパーティーは雰囲気がいい」
「えっ、自慢」
「一々反応すんな。話聞け」
力強く頭を握られ、無言を返事にするとムロさんは言葉を続けた。
「実力があんのにひけらかそうとしない堅物がいるし、酒癖が悪いが悪事を働くわけでもねぇバカ女もいる。そんなお節介な奴が二人いるおかげで冒険者組合からも組んだ奴からも大好評ときたもんだ。アイツらは俺の自慢の奴らだよ」
「……ほんとに、いい人達ばかりで。楽しかったです」
「だろーな。お前が日に日に笑うようになったってエルシアが喜んでたからな。外の世界は広かったろ? 新しいことをしたり見たりするっていうのは新鮮な事ばかりで脳みそが活き活きすんのを感じるよな。俺も村出身で弱っちかったから、分かる。冒険者に拾われて、毎日が楽しいことばかりだった」
エルシアさんからムロさんは昔、村出身だったと聞いた。
それで、警備の冒険者や村の住民が全員死んでしまうような大規模な魔物群襲来が起きて、命からがら交代でやってきていた冒険者に救われたのだと。
「だけど、楽しいだけだ。それに、どうしても上下関係が頭に過って本当の仲間にはなれなかった。俺が欲しかったのは、屁をこいても、頭をぶちまわしても、一緒にいてバカができる奴だったんだよ」
そうか、ムロさんは……僕と同じ境遇だったのか。
「お前、出会った最初に言ってたよな? 強くなりたいんだって。だったら、俺らのとこにいるのはお前のやりてぇことじゃねぇよな」
「……ぁ」
そうだ。そうだった。
この日常が楽しくて、かけがえのないもののように思えて、手放したくなかった。
だけど、強くなるという目的を果たすためにはこの環境にいてはいけない。
「んでよ、お前は強くなって何がしたいんだ?」
その質問に答えるには数秒の間が空いたが、迷っていた訳じゃない。この質問に答えたら、三人との旅が終わってしまうような気がしたから、気持ちの整理のための時間だ。
すぅっと息を吸い込んだ。
「僕は……強くなって、離れ離れになった妹を探す。昔みたいに、普通の日常を送りたいんです」
「なら猶更だ。お前が俺らの場所にいていい訳がねぇ。妹を見つけるために強くなって、自分で普通の日常を取り戻さねぇとな」
口に出してみると何故ムロさん達との日常が愛おしかったのか、手放したくなかったのかが分かった。
当たり前の日常だからだ。
不変で、一定の波を描いていて、居心地のいい……僕が理想とする日常だったからだ。
だけど、それは僕の日常ではなくてムロさん達の日常だ。僕は僕で「妹と過ごす当たり前の日常」を自分でこの手で作らないといけない。
目先の理想に囚われていては遠回りだ、本来の目的を忘れてはいけない。
「……でもっ」
ぼくは自分の裾を掴んで、堪えきれなくなった気持ちに飲まれたまま。
「強くなったら……皆さんとまた、旅をしてもいいですか……?」
「いいけど……なに泣いて……」
「……泣いたって、いいじゃないですか……! 僕は、僕、は……っ」
出会ってからの日々の思い出が溢れ出した。
狼に襲われていたところを助けてもらって、世界を歩かせてくれた。僕が不安で潰れそうになると助けてくれた。一緒に話して、一緒に笑って、一緒に寝た。
本当に……楽しかったんだ。
「楽しかったんです、すごく……。本当に。でもそれがもうすぐ終わっちゃうのが……嫌で……」
ムロさんや他の二人にとってはただの日常だったのかもしれないけど、三人と過ごした日々は僕の大事でかけがえないのない思い出だ。
グズッと鼻を啜ると、ムロさんが頭を抱き寄せてくれた。
「強くなった時に俺らとまた冒険がしたかったらいくらでも冒険してやる。から泣くな」
「……わかりました」
「わかったか? 泣くなっての」
「ないてませんっ!」
「鼻声で何言ってんだよ」
「違いまず……!」
今の僕にはその言葉があればいい。
僕はこの人たちとまた冒険がしたい。強くなるための理由なんていくらあってもいいんだ。
「……どうだった? 外の世界、楽しかったか?」
「……はい」
「なら、良かった」
「……でも、あと半日で――」
「わかったから泣くなって!」
「泣いてません……!」
「嘘つきじゃん」
思い出して出てきた涙を袖でふく僕を少し茶化し、ムロさんは出そうとしていたハンカチを引っ込めた。
当たり前に会話ができ、こうやって笑い合える。
……あぁ、僕はこの世界が好きだ。




