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閑話 クラディス転生前のお話

 


 地面へと月明かりが断片的に降り注ぎ、暗くも青白い空間を作り出す。

 広大な湖には蓮の葉が浮かび、小さな雨粒を乗せて運んでいる。

 光を点滅させながら空中に浮かぶ羽虫は、月明かりと並んでその空間を彩っている。

 直径が数十メートル程ある巨木が五本ほど天高く聳え立ち、見る者の遠近感を狂わす。

 この空間にある全ての自然物が、人が踏み入ってはならないような神秘的な存在感を発している。


「ふぁぁぁ~……」


 そのような空間に数多くの動物の様な死体を積み上げ、その頂上で酷く刃こぼれをしている細長い剣を背に座っている青年がいた。

 青年は赤い瞳の上に丸眼鏡を掛け、白いカッターシャツに黒いサスペンダーと黒ズボンを着用していることから、全体的に落ち着いていて内気であるような見た目。


 風の音、虫の音色、湖から運ばれてくる水の匂い、青白い空間に点々と浮遊している薄緑色の明かり。

 多くの自然に囲まれた空間で青年はただ一人、周りには目を向けずに自身の前にあるモノを見ていた。


「あ、やっぱりスキルのレベル上がってる」


 彼の目の前に在るのはステータスやスキルが書かれている他人には見えない半透明の「ステータスボード」と呼ばれるモノ。

 それに書かれている自身の情報が、下に山のように積み上げられた多くの異形な動物――魔物を倒したことで統合と進化をしていく様子を興味深そうに見つめていた。


「まぁ、これくらいしか上がらないか。上位個体って言ってもこの辺りのは倒し尽くしたし……」


 ステータスの動きが収まると開いていた自分の『ステータスボード』を閉じ、遥か遠くの高い所から巨木の葉越しに見える月明かりを見上げた。


「……ホント、こんな称号を僕に与えてさ、どうしてほしいの? 僕以外の適任は沢山いただろうにさ」


 そう呟いた青年の投げかけに応えるように、光を点しながら飛ぶ小さな羽虫が空間の中央に位置している迷宮(ダンジョン)の方へと飛んで行った。

 その様子を嫌そうに見つめて深いため息をつくと、剣を引き抜き、死骸の山から飛び降りて羽虫が向かった先に歩いて行った。



 

      ◆◇◆




 青年が居た場所から遠く離れた場所にある城郭国家『デュアラル王国』。

 その北西に位置する場所にある闘技場では、猛者が集う部門の決着が着いたことから会場が大きく盛り上がっていた。


 中央にある壊れた闘技台の上には30余りの屈強な戦士達が戦闘不能の状態で横たわり、その中でも数人の首はあらぬ方向に曲がって息をしていない。

 そんな悲惨とも取れる状況の中、中心に返り血を全身に浴びながらも表情が一つも崩れていない少女が一人立っていた。

 その少女の肌は褐色色で耳が長く尖っているのが特徴的であり、腰下まで伸びている黒く長い髪の毛は手入れがされずに酷く傷んでいる。

 服装は白い肌着と丈の短い黒いズボンのみ。

 倒れている男たちが身につけている武器や小綺麗な防具は無く、少女の装備は両手に付けられている肘上までを覆う拳殻と言われる武器だけだ。


『今回もやったあぁぁ――ッ!! 奴隷番号727番!! いや、最強の少女……!! もうコイツが転生者だったとしても誰しもが納得をするでしょう!! 無慈悲なまでの暴れっぷり! 参加者達を小さな体で圧倒するその戦闘能力!! 分血の暗黒森人(ダークハーフエルフ)の一等級戦闘奴隷が上位部門で優勝をいたしました!!』


 拡声器通して大きな男の声が会場内に響き、それを受けた会場にいた多くの観客はさらに歓声の声量を強めた。

 だが、少女は大きな歓声には関心を寄せず、ただただ試合が終わった現実を受け止めていた。


『上位部門が終了致しました。賭けが当たった方に返戻金の金額がお手元の端末に表示がされているのでご確認ください――』


 先程まで響いていた声主が変わり、落ち着いた女性の場内アナウンスが響くと、少女の黒の瞳は光すら届かない暗き底に落ちるように一層黒く染まっていく。

 最後に倒した男の体を場外へと放り投げ、開かれた退場口に歩いて行きながら少女は唇を噛みしめた。


「どうせ……今回も買われないんだ」


 少女は渇望をしていた。自分を購入してくれる主の存在を。

 闘技場の最強の少女、前例を見ない『29連勝』という連勝記録、一等級戦闘奴隷の中でも特段優れた戦闘能力。

 通常であるなら、既に裕福な貴族に買われていてもおかしくないほどの功績だ。

 だが、これまでどれだけ戦果を挙げたとしても奴隷のオークションでの入札はゼロ。

 一時は数十億とあった最低掛け金も25連勝を遂げた時点から下がり続け出していた。


 そして、今回の奴隷オークションでも少女が買われることは無かった。





      ◆◇◆





 そんなデュアラル王国の闘技場から少しばかり南に下った先にある、欧州を彷彿させる街並みの中に一つ、周りの建物よりも比較的大きな建物が構えられていた。

 建物の内装は、入るとまず多くの机と椅子が置かれている食事処の様な空間が広がっており、側面には受付の様な場所が設けられているのが見える。


 そこよりも奥に進むと厨房や上の階へと上がる階段と通路があって、その先にもまだ空間が広がっているようだ。

 そんな白く大きな建物の前には『アサルトリア』と書かれており、その中から聞こえる怒鳴りつけるような声が外の街路まで響いていた。


「今期はよぉ……冒険者依頼(クエスト)の失敗率はゼロにしようって話をしたよなぁ……? 今期はあの脳ミソが小指の爪くらいしかねぇ血盟を引きずり下ろそうって、なぁ? したよなァ!?」


「……はぃ」


「しました……」


「……したな」


 その大きな声の正体は、食事処の床に男性二人と女性一人を正座させて怒鳴りつけている赤髪の女性だった。

 その周りには面白そうにその光景を観ている人だかりが出来上がっている。


「そうだよなぁ? ムロ、レヴィ、エルシア。お前等は特に失敗しちゃあならねぇ、その自覚はあんのか? あァ? おいムロ! どうなんだ!!」


「自覚……はあるつもりだが」


「だったらなんでただの()()冒険者依頼(クエスト)で失敗した!? この前、魔女を殺したからって浮ついてたんじゃねぇだろうなぁ!?」


 彼女らが所属する「血盟」というものは冒険者が結成する組織であり、順位付けが冒険者組合という冒険者の仕事を管理する組織によってなされている。

 この『アサルトリア』という名前の血盟は万年「準上位血盟」と呼ばれる上位十位内の血盟には入っていた。ただ、上位五位内の「上位血盟」には一歩足りなかった。


 その順位が決められる要因の中に、女性が言っている「冒険者依頼の失敗率」もとい「冒険者依頼の達成率」が含まれている。

 そして、正座させられている彼等は冒険者組合と同血盟から優秀なパーティーとして評価されていて、受ける冒険者依頼の質も難易度も必然と高い三人組だった。


 そんな一つの失敗ですら順位付けに響くだろう彼らからの飛び込んできた失敗報告は、今期は上位血盟を目指そうと全力を出していた血盟主を怒らすには事足りた。


「マジでありえねぇぞ? どうすんだよ。今んとこどこのパーティーも失敗はしてねぇんだぞ?」


「あの……マーシャル。一ついいか……?」


 ローブを身にまとい、黒髪で長髪の男性がゆっくりと手を挙げた。


「なんだ、レヴィ」


「ものすごく言いづらいのだが、今回の失敗に関しては私達三人の責任ではないのだ。冒険者組合(ギルド)からどのような報告がいっているのかは分からないが、冒険者組合(ギルド)へと冒険者依頼(クエスト)を発行した者が魔物(モンスター)の状態を詳しく書いていなかったことに問題があるのだ」


「……ほぉ?」


「そのことは先ほど冒険者組合(ギルド)へと話をしたし、冒険者依頼(クエスト)の用紙も持っていった。おそらくは今確認をしてくれているはずだ」

 

 気まずそうに話すレヴィという男性の言葉に、マーシャルの怒りの表情が段々と崩れていく。

 そうすると、レヴィが手に持っていた球体に灯りがともり、声が聞こえ始めた。


『レヴィさん。冒険者組合(ギルド)スタッフのペルシェトですけども、情報の確認ができましたよー』


「丁度良かった。ペルシェトさん、どうでしたか」


『はい、レヴィさんの言う通りで発行者側の情報が完璧じゃなかったです。魔物(モンスター)の部位の持ち帰りは討伐証明のみの記載で『討伐』という旨の依頼だったのに、防具作成のために指定した部位を持ち帰っていないからと失敗……と』


 レヴィが持っている球体――通信魔道具という「遠地にいる者同士でも通信を可能とする魔道具」から聞こえる若い女性の声。

 その声にマーシャルは腕を組みながら興味深そうに聞いていた。


『これは発行者側のミスなので、レヴィさん達のパーティーとアサルトリアの冒険者依頼(クエスト)の情報の修正をしておきます。こればかりは私どもの確認不足もありましたので……いやぁー……この度は申し訳ありませんでした』


冒険者組合(ギルド)を通さずに個人依頼だったから確認が難しいですものね。多忙の中、確認ありがとうございます。では」


 冒険者組合(ギルド)スタッフとの通信を切ると、床に正座している三人はマーシャルの方へと「ほら、どうだ?」と言わんばかりの表情を向けた。

 

「なぁ~んだ! そうだったのかー! まぁ実をいえば私もお前等三人が失敗をするとは思ってなかったんだ! うん、信じていたからな! 良かった良かった!」


「嘘だぁーマーシャルさんが嘘ついた!」


「嘘はいけないぞ、マーシャル」


「ああ、絶対嘘だ。本気で怒ってたな」


「あー……分かったよ。すまんかった」


 このように、マーシャルというアサルトリアの血盟主が謝る場面なんて滅多にみることができない。

 怒られている、ムロ、レヴィ、エルシアの三人が床に正座させられているのも滅多に見ることができない。

 その貴重な場面を周りで見ていた血盟員たちは、笑いを堪えるのに必死になった。


「……じゃあ怒られ終わった訳だし、俺達は次の冒険者依頼(クエスト)をしに行くか?」


「そうだな。移動距離が結構あるものな……エルシアもムロも準備は出来ているのか?」


「もっちろん! 私は準備万端よ!」


「あぁ、俺も問題はないな」

 

 三人は勘違いによる叱咤が終わると、満足そうに立ち上がって血盟のホームから出ていこうとした。


「次は何の冒険者依頼(クエスト)を受けたんだー? ムロ」


 入口のドアへと手を触れたムロ達に、血盟員が声をかける。


「あぁ? あー……ちょっとロベル王国の近くで3個くらい冒険者依頼(クエスト)をな。それと、新しい移動手段の試験運用も任されてるからー……それもあるな」


「3個と試験運用の付き合いって……それこそ大丈夫なのか? 今度は失敗するんじゃねぇの?」


「んな訳ねぇだろバーカ」


「あぁ。なんせ、私らは上位血盟に入ろうとしているのだ。複数の冒険者依頼(クエスト)を全て完璧にやる必要がある。この血盟は血盟員が多くはないからな、質だけでなく量も多少なりは努力をしなければいけない」


「うむ! ちゃんと達成できそうなのばかり受けたもんねー! だから心配はなしー」


「って感じだ。お前等もマーシャルに世話になってんだからやる気を見せろよ? じゃあな」


 薄ら笑いを浮かべて血盟員の質問に返すと、今度こそ血盟ホームから3人は出ていった。



     ◇◇◇



「ぅあー……やだやだ、ほんと、やだなぁー……」


 ムロ達のパーティーが血盟ホームから出たのと同時刻に、通信魔道具に翳していた手を頭の後ろにまで回して面倒臭そうな声を出した女性がいた。


 そこはデュアラル王国西部に建物を構えている冒険者組合(ギルド)本部のスタッフが仕事をする空間。


 多くのスタッフがデスクに座って書類の処理をしているその様子は、学校の職員室の様な雰囲気があり、冒険者の情報を扱うためにスタッフ以外の出入りは原則禁止とされている。


 そして、その一角に座って項垂れている女性の茶色の髪の上には髪色と同色の猫耳が生えており、装着具(コスプレ)の様な不自然さはないことから、その猫耳が本物で在ることが見て分かる。

 女性は黒いワイシャツと黒いズボンを履いているのだが、周りのスタッフは白であったり青色であったりと、服装自体も私服の様な人がいて全体的に服に統一性は無いようだ。

  

「情報の修正て、うわぁーーー……ほんと無理、めんどくさすぎる。でも失敗のままだとアサルトリアにも、あの3人にも迷惑がいくし……。ぬぁーーー!! うー……あー……」


「ペルシェト、どうしました? 先ほどから「うー」とか「あー」とか。不死者(アンデット)みたいな声ばかり出してますけど」


 ペルシェトという名の女性の元に、同じような服を着ている男性のスタッフが珈琲の入ったマグカップを片手に近づいてきた。

 そのスタッフの顔を見上げるとペルシェトは、体の調子でも悪いのか、笑っているのか、それとも眠たいのか、なんとも言えない表情を向けた。


「あぁ……ナグモさん。いや……ねぇ~、冒険者組合(ウチ)を通さずに達成報告を聞いた依頼主がこっちに冒険者が冒険者依頼(クエスト)の失敗をしたーって。経歴が綺麗な依頼主だったから何も考えずに、ほいほいっ! って処理したらー……かくかくしかじかって感じです」


「ふむ。なるほどねぇ……かくかくしかじかですか」


「うぇっ!? 今ので、つ、伝わったんですか!?」


「いいえ、全く」


 ナグモという男性スタッフは笑いながら持っていた珈琲を啜り、ペルシェトの手元に置かれている資料に目をやった。

 上から文字をざっと読むと大方は納得したように小さく頷く。

 頷きはしたが、関わると仕事が増えると判断したナグモはペルシェトの肩に手を置いて「頑張ってください」と伝えると自分のデスクへと戻って行こうとした。

 その服の裾を掴み、グイっと引っ張るペルシェト。その表情はこれからの自分がしないといけない作業を考えた億劫さで今にも泣き出しそうだ。


「ナグモさぁぁぁんー、手伝ってくださいよぉー……!」


「私も忙しいのでね。ペルシェトのを手伝いたい気持ちも山々ですが、自分の仕事がありますので」


「嘘!! ナグモさんは仕事ができるもん!! 私より! 圧倒的に!」


「……それってもう上へと情報を回したんですよね?」


「そう! そうなんです。だから何十倍にもめんどくさいし、絶対怒られるんですよぉぉ……」


「それを手伝ってほしいと?」


「ナグモさんと私ってほら……ね! 付き合い長いじゃないですか! ナグモさんが先輩で私が後輩で、昔は一緒にチームを組んでましたし、なんならお互いの寝顔も知ってる仲で――」


「誤解を招く言い方は止してください」


「ヴァ」


 一生懸命に仲が良いアピールをするペルシェトの猫耳を引っ張り、強制的に黙らせた。


「では、頑張ってくださいね」


「ぐふぅ……いや、まだだ! 誤解を招いて手伝ってくれるなら私は招きますね!! だからナグモざぁぁぁん……後生ですからぁぁぁぁぁ……お願いしまず~……」


 服を掴んでまで懇願してくる同僚の姿に、嫌そうだったナグモの表情が一瞬だけ、にやり、とほくそ笑んだ気がした。


「……最近……中央広場付近にいい店ができたらしいんですよ。肉の専門店だそうで、でもお高いんですよねぇー……」


「んぇ!? う、うん! うん!! 行きましょう! 任せてください! 私が連れていきます! 先輩のナグモさんはお財布なんか持たなくてもいいです! 全額、全額私が払いますよ!!」


「あれ、ほんとですか? なら、手伝いましょうか」


「やったー!!」


 いつも通りの結末。そうスタッフ室にいる全員は思った。

 ペルシェトがミスを犯し、ナグモがそれの手伝いを条件付きで付き合う。もはやお家芸の域だ。


 ただ、ペルシェトも仕事ができない訳ではなく、むしろ他のスタッフよりも秀でていると言っていい。

 その証拠に準スタッフリーダー、つまりはスタッフの副リーダー的な位置を任されている。


 だが、情報の修正に関する仕事はギルドスタッフが携わる仕事の中でも最大級に時間と手間がかかる仕事だ。

 依頼主と冒険者に関するデータの修正は名前の通り、そこからはそのクエストから派生した金銭的な問題や、依頼主の信用度などのチェック、ランクアップに関する情報までを修正をしないとならない。


 それらに加え、今回はペルシェトが確認を怠って手続きを楽にしようとした結果起こった面倒事であるから、余計に修正作業が多い。

 

 結局ナグモとペルシェトは日を跨ぐまで修正作業を行い、翌日には打ち上げと称して中央広場へと出掛けて行った。



      ◆◇◆



 彼らがいる世界は、地球に住む者の認識に当てはめるのなら「異世界」に当たる世界だ。

 魔物(モンスター)が跋扈し、それらを倒すために人々が命を賭けて戦う。

 科学ではなく魔法を用いり、地球に生きる者達よりも長く生き、人族だけでなく獣人族や森人(エルフ)などの亜人種が共に暮らしている。


 勇者と賢者が魔王に侵略された土地を奪い返すために、パーティーを組んで冒険をしに行く。


 しかし、それは全年齢対象のファンタジーゲームだけの話だ。


 この世界では、英雄に憧れる少年少女が冒険者へとなり、魔物に殺される。

 その体験をして運よく生き残った者のほとんどは冒険者をやめてしまう。


 少年少女は『勇者』『賢者』などの称号Ⅰ持ち(インファンテ)を羨み、嫉妬する。

 称号Ⅰ持ち(インファンテ)も数奇な運命を送ることに対して嘆き、不要だと叫ぶ。

 転生者は咎人であると多くの人族と亜人種に認識され、捕まると殺されてしまう。


 そして、そんな歪なRPGロールプレイングゲームのような世界のすべての情報を記録する『世界樹』に、たった今、二つの情報が刻まれた。


 ――『平野明人(ひらのあきと)』/第一創造神によって創造された『地球』から、第四創造神によって創造された『ARCUS』へと転生しました。


 ――『平野佳奈(ひらのかな)』/第一創造神によって創造された『地球』から、第四創造神によって創造された『ARCUS』へと転生しました。

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