168 業務時間外
少女は走った道を全力で戻っていた。
主人の命令に従ってアンなりのやり方で冒険者に救援を要請すると、後ろを追いかけているのか否かを確認することもせず、主人の元へ走ることだけに全力を出した。
「この道、この地形……こっちだ。この先に……!」
河川を飛び越え、渓谷に架かっている橋すら使わずに自分の足のみで駆ける。
先導する少女の後ろを着いていくのは、最高速のアンに振り切られないようにとスキルを使いながらも会話を挟む余裕を見せるケトスとナグモだった。
「この道をこんな速度で走る日が来るとは思ってなかったですよ……道を整備するように王国に要請してみましょうかね」
「賛成。それだけで冒険者の死者数は減ると思いますよ」
「今後、こういうことが月に一回起きるかもしれないですもんねぇ」
「あー……もしそんなことが起こるなら、クラディスを家に縛り付けておいた方がいいですね」
この二人は少女の魔素に反応して出てくる魔物と鉢合わせになり、後処理を任せられているような形になっていた。
森の中から、上空から、地中から顔を覗かせる魔物。そんな彼らの相手にする気は二人には無いようで、わざわざ出てきた魔物は無視され、彼らの走る速度に追いつけずに姿を見送るだけになっていた。
そうして走っていくとナグモは魔物の反応とは違う気配を感じ、隣を走るケトスに合図を送った。
ケトスは何事かと顔を顰めたが、直ぐに理解して二人は足を止めた。
「……あーぁ、そういうことね」
「これはちょっと、数が多いですね」
もう少し走れば10分もかからずに中位ダンジョンの上にある広場に着くといったところ。その付近で発見したのは、自分達と同様に広場へと向かっていると思われる数十人の人間の気配だった。
その気配を発する集団は、後ろのナグモやケトスではなくアンの存在に気付いたようだった。だが、速度的に間に合わないと判断すると、その後ろの二人を取り囲むように姿を現した。
「こっから先は立ち入り禁止だよ〜? ハハハっ!」
「あのガキ共の知り合いか?」
アンが半ば暴れるような状態で森を直進しているから、魔物だけでなく、人まで皺寄せを受ける二人。
今回ばかりは魔物ではないから無視することできない。
「ふむ、魔導士の数が多いのは不思議ですね。これほどの魔導士が遠足でもしてるんですかね」
「あ、ナグモさん、あの刺青」
「……? あぁ! あらあら、最近上位血盟から落っこちた【フーシェン】の血盟員様じゃないですか! 集団でお散歩なんてどうしました? 自暴自棄ですか?」
「あぁん!? 何言ってんだてめぇ――げっ、その顔……ギルドスタッフのナグモじゃねぇか……なんでこんな所に……」
「しかも、もう一人は変人じゃねぇか!!」
二人の姿を確認すると【フーシェン】の冒険者達は一気に隊列を組んだ。
魔導士は後衛へと周り、数名だけいた重装備がタンク役として前衛に立った。
「くそっ……こいつらがなんでここに……!!」
「いいから、お前らは魔法の発動に意識を向けろ!! 俺らが時間を稼ぐ!!」
「うわぁ、やる気だよ……どうします?」
自分達を囲んでいる冒険者が当たり前のように攻撃しようとしてくる。
冒険者同士の喧嘩はよくある事だが、こういう場面で、しかも中隊規模の人数が二人に向けて発する魔素量を見れば、これが喧嘩ではなくて殺しに来ていることはすぐに分かった。
ケトスが意見を求めると、ナグモは手袋をはめながら重装備の元へと歩いて行った。
「躾のなってない、敵意を向けてくる、規律違反常習の冒険者は……一度強めに叩いておかないといけないなって思ってたんですよね」
向けられた魔法や物理攻撃を全て手でかき消しながら進む。
ナグモの爽やかな表情は全く崩れることはないが【フーシェン】の冒険者の表情は焦りが滲みだしていた。
ナグモという冒険者スタッフは素行の悪い冒険者内では有名だった。
西部冒険者ギルドで働くナグモは、どれだけ力自慢の冒険者が暴れようが、どれだけ魔法に長けた冒険者が暴れようが顔色一つ変えずに素手で全て解決をする。その姿から一部の冒険者からは恐れられていた。
まるで生徒指導担当教諭的な立ち位置にいるナグモに【フーシェン】の冒険者はよく世話になっていたこともあり、ナグモだと気づいた瞬間に威勢が驚くほどの速さでなくなっていった。
そんな彼らからの攻撃が槍のように飛び掛かってくる中、前衛に構えている重装備の前で手を空を切るように横に振った。
「な、にが……」
【フーシェン】の冒険者達は一瞬だけ音が止まったような感覚に陥ると、前衛にいた一人の装甲が一瞬で音を立てて粉砕したことから、連鎖的に周りの装甲も鈍い音を立てて壊れていった。
「〜〜っ!?」
魔導士を護るための装甲は意図も容易く壊され、攻撃は全てかき消される。
たった一撃で【フーシェン】の前衛が一斉に機能しなくなる、そんな圧倒的な力の差を目の前に戦意が段々と薄れていくのを彼らは感じていた。
「……ギルドスタッフ的にいいんですか? ソレ」
「今は業務時間外ですからね? 向こうが先に手を出してきましたってのもありますし。なにより、ここは人目を気にしなくてもいいですから。まぁ……彼らの言葉を借りると「バレなかったらいい」んですよ」
【フーシェン】の魔導士とそれの盾となる重装備達はクラディスとアンを転移させたら、速やかにダンジョン上広場のシルクと同血盟の四人と合流することを命令されていた。
同ランクの冒険者の中でも戦闘に特化した四人と、ロバート公爵のとこの戦闘奴隷がいるのなら失敗はないと考え、ゆっくりと向かっていたのだが……。
「いやぁ、人を屠るのは久しぶりですねぇ」
「魔物よりは硬そうだね」
向こう側の増援──それも、自分たちよりも圧倒的に強い者たちと鉢合わせた時、その場合にどうしたらいいという命令は聞いていなかった。




