116 ケトスの憂鬱
クラディスとイブの話し声が段々と小さくなっていき、足音は完全に聞こえなくなった。そうかと思うと部屋の前の廊下を歩く足音が聞こえ、遠くのドアが開かれた音が聞こえた。
多くの血盟のホームには同部屋と個室があり、それらの割り当ては血盟への貢献度やランクなどの要素を踏まえ、血盟主の判断に任せられている。
この白髪でメガネの青年に与えられているのは個室。決して広い部屋ではないが、机や本棚、ベッドと最低限の家具は揃っている。
その部屋は、とてもきれいとは言えないような散らかり具合だった。
ゴミが散乱している……という訳ではなく、資料や分厚い本、自筆の紙が部屋中に散らばっていた。『節操がない学者の部屋』というのがよくあてはまる。
そんな部屋で、少年はベッドの上に死人のように力なく寝そべっていた。
「……はら、へったな」
「コンコン、入るぞ――汚っ、お前、部屋」
「……ノックくらいしてよ、リリーさん」
「は? 言ったからいいだろ――っと」
資料の山を強引に飛び越えて椅子へと着地したリリーは回る椅子でクルクルと回ると、机の上の勉強跡を拾い上げ「むむむ……」と難しい顔をした。
「……何か用でもあるの?」
「? 別にー」
「だったら今は一人にしてくれないかな」
「なんだ? 人族でいう反抗期ってやつ?」
と、褐色肌の長耳を微かに揺らして見せる。その様子に目もくれず、目の上を腕で覆いながら。
「そういうのじゃないよ」
「ほほ~……? 反抗期ではない、ということはつまり……。そうかそうか! あの少女にクラディス少年が取られそうで嫌とかだな?」
「なんだよそれ」
「まぁいい。それよりも今日はあの二人とはクエストはしないのか」
「しないよ」
「じゃあソロで潜るのか?」
「そういう気分じゃない」
全て抑揚のない適当な返事を返され、リリーの眉間のしわは寄っていくばかりだ。
寝そべりながら、思春期の息子のような態度を取るケトス。その様子はクラディス達とクエストをしている時の様子とはかけ離れている。
「……最近楽しそうだと思っていたが、気のせいか」
「楽しそう……? 僕が?」
「あぁ、前はもっとギラギラとしてたなぁ。周りの冒険者の事なんか眼中になかった、私のこともな」
「……そうだっけ」
「人より魔物といる時間の方が何倍も多かったからな。体はボロボロ、服は血塗れ、何度気絶したお前を迎えに門兵の所に行ったか分からん……。そんな奴が、今はパーティを組んでいるんだ。声を聞く機会が多くなって私は嬉しい限りさ」
言葉に反応し、ケトスがリリーの方を見てきたのに対してニタニタとした笑いを返すと、少し照れたような顔になって背中を向けた。
◇◇◇
リリーとケトスとの付き合いは長い。
ケトスはリリーの言う通りでクラディスと出会ってからは楽しそうな声を出すようになったが、それまでは魔物と戦い、ただただ勝利を収める……それを生きがいに生きているような孤独で無機質な少年だった。
リリーが強引に血盟に入れたものの血盟員からは距離を取り、特別素行が悪いわけでも態度が悪い訳でもないというのに他の冒険者からは気味悪がられていた。
そんな血盟員に対してはこうして話をする機会を強引に作り、『血盟主と血盟員』という間柄ではなく、『母親と息子』のような関係づくりをリリーはするようにしていた。
そうでもしなければ、本当の意味で孤独になってしまうと思えたからだ。
「…………リリーさん」
と呟くそれは、悩める青年のもの。
「……なんだ?」
と優しく聞き返すと、言葉に一瞬つまりながらも言葉をつづけた。
「僕のこと、気味悪がらないんだ。クラディスもイブさんも」
今まで出会った冒険者とはまるで違う。
「だから居心地が良くて、話ができて、ついつい僕が何者なのかって忘れそうになる……し、しないといけないことを忘れて遊んじゃうんだ。これは……いけないこと……だとは思ってる。けど、あそこにいると人らしく在れるというか。昔を思い出すんだ。まだ村人だった時のこと、とか」
ずっと悩んでいたことを打ち明けられ、リリーは「なるほどねぇ」と小さく相槌を打ち、椅子に座っていた小さな体を正した。
「それに少し関係ある話かもしらんが、あの少年と少女にお前にやったことをやってみたぞ」
「! 『解析』をやったの……?」
「興味あるのは分かるが、まぁそうがっつくな」
興味がある話題になったのか、起き上がってリリーの方を向いたケトス。それをなだめるように手を横に振った。
「やったが、抵抗された。知っててやったのか、知らずにやったのかは分からないがな。……知られたらマズいのでもあるんじゃないのか? お前と一緒で」
期待していた答えではなかったのか、上げていた腰を降ろしてベッドと面している壁にもたれかかった。
片足を立て、手を絡ませる。どこか怯えているような、寂しそうな表情をした。
ケトスはクラディスの称号のことが気になっていた。
おそらく自分と同じの『勇者』を持っているのだと思っていたのだが……、どうも様子がおかしいことに気付いた。
『勇者』という称号を持っている者は努力をしなくとも百戦錬磨の力を手に入れることができ、自分の前にいるのが魔物や魔族だと認知すると本能的に「殺さなければ」という思いで頭が一杯になる。
そうであるというのに、クラディスにはそういう思いが読み取れなかった。
あの時、別れる前に「勇者というのは隠しておいた方がいいよ」という気持ちで口元に手を当てたのを思い出す。
「ンにしても、私はお前の称号に関しては別に隠さなくていいと思うんだがな」
「……やだよ。やりたいことだけしかやりたくないし」
『勇者』であることが他人に知れたら、プライバシ―なんてないに等しい。
何かがあれば矢面に立たなければならない。
魔王を討伐するためにパーティを強引に組まされ、多くの群衆の期待を背中に背負って戦わなければならない。
魔王軍に対してではなくとも、軍の中の役職を与えられて一生兵役を課せられるかもしれない。
この世界を救える人材として利用される。そんな一生が『勇者』だと知られただけで押し付けられる。
その悩みを相談できる存在ができたと思っていたのだが、ケトスの中でクラディスの称号が不確実なモノになってしまった。
膨大な紙の山から、椅子に座っているリリーに目を向けた。
「……リリーさんは僕の称号のこと知ってるよね」
「あぁ、お前の目の前で言い当ててみせたからな」
「だったら、僕はこれからどうしたらいいのか教え――」
「知るか。称号Ⅰが無いの私に聞くな」
「……厳しい」
「ハンッ、慰めてやるモノか、そんな贅沢な悩み。」
口をへの字に曲げたリリーは履いていた靴をケトスに向かって放り、それをケトスはキャッチした。
「お前がしたいことをやったらいい。お前には自分がしたいことできるだけの力があるだろ。他人の了承なんか得ようとするな、強者はそれをするだけの権利がある」
「靴は投げるモノじゃなく、履くものだと思うけどね」
「それも私の自由だ。強者がすることに弱者は口を出せない。靴を作ったヤツが何か言ってきても私には勝てないからな」
「力を振りかざしたり、目立つのはあまり……したくないな」
「力を持つモノが力を振るわないのは傲慢で、怠慢だ。それに……」
机の上のケトスの字が殴り書きされている紙を一枚取り上げ、ケトスの方に投げて渡した。
そこの紙に書かれているのは、とあるスキルの複雑な魔導とその上に大きく在る言葉。
――『《写ス者》完成せり』
「できたんだろ、研究してたやつ」
「……一応」
「だったらソレが使えるような環境にいったらいい。そうじゃなくて今の居心地がいい生活を送りたいのならあの子らと遊んでいればいい。お前次第だ、お前が決めろ」
厳しいように聞こえる言葉を受け止め、ケトスは考えに耽った。
リリーは元々、商人の家に生まれた分血の暗黒森人だった。
遺伝で『鑑定』系統のスキルを使え、そこに関しての魔導の理解や魔素の操作に関しては冒険者や商人より秀でている。
その才能があってもなお商人にならず、冒険者へと進み、今の地位にいる。その者が言う「強者がすることに弱者は口を出せない」は特段、重みがある。
ケトスもそのことは理解している、だからこそ真剣に頭を悩ませた。
「…………分かった。決めたよ」
「そう。じゃあいい」
「聞かないの?」
「知らん。どうせ、お前のやることはなんとなく分かってる」
「……敵わないな、リリーさんには」
「ママ、とでも呼んでみるか?」
「えぇ~?」
普段の調子に戻ったのを感じてリリーは笑った。
ケトスと言えども、まだまだ子どもだ。何倍も何十倍も生きているリリーにとっては可愛らしい血盟員で可愛らしい少年に変わりない。
そんなケトスの悩みだ。リリーの中では苦労にも思わない。
リリーはそういったことを徹底している小血盟の血盟主であり、一般的に冒険者に向かないとされる小人の血が混じっていでも尚、癖が強い者の多い血盟主からも一目を置かれているのは、商人の血筋から一代で血盟を立ち上げた力量とその人柄の良さが評価されているからだ。
そうしていると、廊下からトタトタと足音が聞こえ、
「ケトス、お前にお客さんだぞ――って、団長もいたんですか」
と、閉じていた部屋を開けて顔を覗かせたのは、帽子を被って左目に包帯をしているティータの血盟員だった。
「お、ミゲル。どうした」
「あぁ、いえ。訪ねてきた子どもが鈴を鳴らしたもんだから」
「子ども……二人いた?」
「そう~……だな。いつもの子がいたな」
「クラディスとイブさんだ。どうしたんだろ、今日は休みなのに」
明らかに目がさっきより明るくなっているケトスを見て、リリーはバレぬように微笑んだ。
ほんとうに、人というのはこんなに短期間で変わるのだな。
「休みとかそんなの関係ないだろう? 友達だったら休みの日こそ遊ぶもんだ」
「そういうものなのかな」
「そういうものだ。分かったら早く行ってこい、友達なんだろ?」
「うん……大事な、ね」
雑嚢を持って資料を飛び越えながら玄関へと小走りして向かっていった。それを目で追いながらマルクスとリリーは小さく笑った。




