1-8. 彼女が俺たちの後ろでスクワットをしていても決して振り返って笑ってはいけない
1時間の休憩を終え、乙の世界に戻ってきた。
夕飯、トイレ、軽い運動を済ませたリアルの俺の体は健康状態バッチリだ。
一応言っておくと、フルダイブには連続利用制限というものがある。
これは単純に、寝っぱなしだと筋肉が衰えて早死するからだ。
脳に負担がーとか言うのは特にない。
今の時代、ゲームを存分に楽しみたいならしっかりと適度な運動をして肉体を健康的に維持していおくことは必須条件なのである。
さて、それじゃ最初のID、イーリアス遺跡に向かいますか。
イーリアス遺跡はオルタニア西の、2マップ目に存在している。
このマップはだいたい6-10レベルくらいのプレイヤーを想定した狩場になっているから、きっと今頃混雑しているだろうな。
特に旨くもない雑魚mobを必死に狩るプレイヤーを横目に、俺達はイーリアス遺跡前のターミナルに到着した。
乙では移動に時間がかかりすぎないように、こうしてフィールド上でも要所要所にターミナルが設置されている。
VRゲームではよく移動時間の長さが問題になるから、こうした心遣いは本当にありがたい。
『よし、じゃあいくとするか。ラフ、頼む』
『了解、ダンジョン作るねー』
IDに挑戦するには二つの方法がある。
一つはPTを作成してそのPTでそのまま挑む方法。
もう一つはPTは結成せずに、希望者によるランダムマッチングで挑む方法だ。
俺たちは当然前者だが、多くのプレイヤーは後者を選ぶことになるだろう。
確かにネトゲっていうのは人と一緒にやるもんだが、実際にはソロで活動する人ってのはかなり多い。
彼らは見知らぬ誰かと一緒にプレイするのを楽しみ、偶然何度も一緒にプレイしたり、一緒になったときに話して仲良くなったりなどして、徐々にグループを作っていくものだ。
どっちがいいとか悪いとかは特に思ってないし、プレイスタイルの多様性を認めるのもネトゲにとって重要な要素だから、こうしてきちんと公式がソロをサポートしているってのはいいことだ。
ああ、余談だが乙ではIDの目の前に必ずでっかいモノリスが設置されていて、そこにアクセスすることでIDに関わる操作ができる。
公式設定的には遺跡に共通して残された、入り口を管理する謎のレリックってことになってる。
乙はシナリオ設定もなかなか凝っていて、フィールドのいたるところにこの世界の謎につながるヒントが隠されているから、それを解き明かす考古学者プレイってのも楽しみ方の一つだろうな。
ま、俺はやらんけど。面倒だし。
――「トンヌラと愉快な仲間たち」PTのイーリアス遺跡への転送を開始します。そのまましばらくお待ち下さい。
システムログにIDへの移動を告げるメッセージが流れ、俺たちはその場から転移していく。
……ってなんだこのふざけたPT名は!!
『ラフ……全く見てなかったんだがPT名ふざけてるのか?』
『え? 今更気づいたの? そりゃあふざけられるところでふざけるのはネトゲーマーの嗜みでしょ』
『せめてこっちの名前通りA4にしてくれよ……』
『あっ、A4っちツッコミどころはそこなんだ』
『そんなくだらない話より早く進みませんか?』
くそ、moniが正論すぎて何も言い返せん……。
こいつほんと俺に対してだけは辛辣だからな。
媚びてくるやつよりはよっぽどマシではあるが、限度ってもんがあるだろ。
◆ ◆ ◆
さて、イーリアス遺跡は入門用のインスタンスダンジョンだ。
したがって難易度も非常に低く、PTプレイに慣れていれば苦戦する要素はほとんどない。
中ボスやボスが少し強力な攻撃をしてくるくらいだろうか。
『mob発見したよ〜、小部屋の中央辺りに二体、これは分離するの難しそうかな〜』
ダンジョン内の通路を進んでいくと、小部屋が見えてきたところでカズーがそんな報告を上げてきた。
cβTのときと構造が変わっていなければ、このダンジョンは一定間隔で小部屋があり、その小部屋でmobと遭遇する形になっているはずだ。
報告はまさに事前情報通りなので、予め話しておいたとおりの作戦で進めていくことにする。
『じゃあ【プロヴォーク】頼む。俺は残ったmobを抱えながら削っておく』
『りょーかい、【プロヴォーク】!』
カズーがスキルを発動した瞬間、一瞬赤っぽいオーラが飛んでいき、小部屋にたむろしているmobの一体の注意を引きつける。
それを確認した俺は残りのmobに対して【プロヴォーク】を発動する。
カズーはスキルを使っていることが分かりやすいようにわざと発声しているが、別にこのゲームでは声を出す必要はない。
スキル発動するには思念操作の一つ、〈デクレア〉をすれば充分だ。
二匹のmobのタゲが固定されたことで、いよいよIDでの初戦闘が始まった。
基本戦略はジェントルボアの時と同じで、タンクが抱えている間に火力職のmoniが最大dpsを叩き出す、それだけだ。
武器を新調したこととユニークアビリティを取得したこともあり、moniのファイアボールは今や一発500強のダメージが出るようになっている。
このIDのmobはHPが大体1200-1500程度なので、三発撃てば済む計算だ。
俺の方でも、抱えつつ通常攻撃やバッシュを織り交ぜて地道に削っているので、カズーが抱えている方を処理し終える頃にはファイアボール残り一発で落ちるくらいにはなっている。
俺の方は盾を持っていない分カズーに比べて被ダメが多少痛いが、ラフがかけてくれる【ディフェンスアップ】の魔法のおかげで4,5発は耐えられる。
それに……。
『この【見切り】っていうユニークアビリティ、カズーもとったほうがいいぞ。
くっそ便利だ』
『マジー? でも【敏捷増加Ⅰ】で2ポイント、【見切り】で5ポイントかかるんだよねえ。
おれっちはもう【体力増加Ⅰ】と【挑発】で合計7ポイント使っちゃってるから、取れるのは先になりそうだなあ。【CP増加】も1はふっとかないといけないしな〜』
『先にこっちの効果試してから【挑発】取るか決めたほうがよかったな。
【挑発】はしばらくはこれ以上振らなくていいだろうし、次は【見切り】とるためにBP貯めだな』
俺が取得したユニークアビリティ、【見切り】は必要BPが5となかなか高かったものの、それに見合うだけの効果を発揮してくれた。
効果はその名の通り、敵の攻撃を見切り、攻撃モーションの当たり判定の位置を表示する、というものだ。
どういうことかと言えば、敵が攻撃してくる1秒くらい前に、地面や空中に赤い枠線が表示されるようになる。この範囲が、予想される敵の次の攻撃の当たり判定の位置だ。
反応しきれないタイミングはあるにしても、これのおかげでかなり攻撃の回避がしやすくなっている。
敵が強くなってくれば攻撃範囲もわかりにくくなっていくだろうから、このアビリティは前衛なら早めに取っておいたほうがいいだろうな。
『こちらの処理は終わりました。あとはA4さんだけですよ早く氏んでくれませんか?』
『っておい! 座ってないでお前も攻撃するんだよ!』
『何言ってるんですか、マジシャンは座るのも仕事のうちです』
そんな事を言いつつも、きちんと【ファイアボール】の詠唱に入ってくれるmoniさん。
ツンデレすぎやしませんかね……。
アバターの見た目がどんなに美化されててもネトゲじゃそういうのはいらないんだよなあ。
ちなみに仕事がほぼ終わっているラフの方は、moniの代わりと言わんばかりに座ってくつろいでいる。
ま、実際スキルを使うことでしか戦闘に貢献できない職なら暇な時は積極的に座るべきなんだよな。
スキルを使うのに必要なSPは10秒に一度回復するのだが、実は座ったり寝転がるなどして休息状態判定になると回復頻度が5秒毎にまで短縮する仕様になっている。
そのため、SP回復手段が自然回復しか無い序盤は何もすることがないときにボーッと立っているくらいなら、潔く座ったほうがいいのだ。
戦闘がまだ継続しているけど、終わるまで後5秒くらい暇だなあなんて時はまさにぴったりである。
ついでに言えば、これに関してはスクワットと呼ばれるテクニックも存在している。
SP自然回復の判定は毎秒行われていて、蓄積された時間が規定の時間に達すると回復、という感じになっているらしいのだが、5秒たった瞬間に座るなどして休息状態扱いにしてしまえば、その時点で規定の時間は5秒となるので、座った瞬間に回復することになる(委員長調べ)。
そしてまたすぐ立ち上がり、5秒立ったら座るというのを繰り返せば、ある程度行動を阻害されずに、かつ高速で自然回復できるようになる、というわけだ。
その姿がスクワットしているように見えるからこう呼ばれているわけだが……実際やってみるとこれがなかなか便利。
特にSP消費が激しいmoniには積極的にやれと口を酸っぱくしていってある。
だからこうして戦闘が終わり、移動するぞーという流れになっているにもかかわらず定期的にmoniが後ろでさっと座り、また一瞬で立ち上がる、という奇行をしていても、決して馬鹿にしてはいけないのだ。
どんなにそれがシュールに見えても、本人はいたって真面目なのだ。
それに馬鹿にするとmoniはうるさい。
それから5戦ほどしただろうか。
2体から3体のmobを小部屋ごとに処理していき、道中で換金アイテムのでる宝箱を回収しながら進んでいくと、やや広い部屋に出てきた。
ようやく中ボスのお出ましである。
対戦相手は……雷を纏うカタツムリ型のmob、サンダースネイルだ。
[!] TIPS
■ ID
インスタンスダンジョンの略称。
インスタン"ト"ではない。
PTごとに一時的に生成されるダンジョンで、通常のオープンフィールドやダンジョンと異なり、そのPTしかそのダンジョンに入れず、PTがダンジョンから抜けると自動的に消滅するようになっている。
MMORPGにおいては特定マップに対するプレイヤーの集中を緩和し、機会の平等性を担保しやすくするために導入されていることが多い。
一方で、IDはmobの出現パターンやギミック、ボスモンスターの登場タイミングなど全てが原則として一定なので、単調すぎる、ID周回ゲーならMOとやってることが変わらないなどといった指摘もある。
O2においてはクラスオーブの取得条件としてIDクリアが設定されている場合が多い。
また、シナリオ的には遺跡という位置づけになっており、全てのIDに共通して遺跡という名前がつけられている。
インスタンスダンジョンのインスタンスはプログラミング用語で、「実体」を意味する言葉である。
オブジェクト指向において、元となるクラスから作成された実体のことをインスタンスと呼んでいる。
わかりやすく言えば、設計図から組み立てられた本体がインスタンスである。
MMORPGにおいても、元となるダンジョンの設計から実際に使われるダンジョン本体がPTごとに生成されているのでこのような言葉が使われていると思われる。
■ dps
damage per secondの略。
秒間当たりダメージのこと。
一般的にdpsが高いほど効率よくmobが倒せるため、これを高めることが、アタッカーにとっての至上命題とされている。
dpsは瞬間火力のことではなく、ある一定時間におけるダメージ総量から求められる秒間ダメージのことなので、一発一発のダメージについて話をしていてもあまり意味はない。
同じ秒数で同じダメージを出していれば、何種類スキルを使っていようが何発スキルを使っていようがdpsは一定値になる。
対義語となる瞬間火力は、継続能力にかかわらず、最大の秒間火力のことを意味する。
文字通り、一秒以内にどれくらいダメージを出せるかという話である。
準備時間は問わないので、これを高めてもdpsが高くなるとは保証されない。