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暗闘  作者: 伊藤むねお
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偶然のことだ

「亮一さん」

 左手に並んでいる駐車の列の中から、ぱちぱちという拍手とともに女の声がした。伊能はゆっくりと振り向いた。

「来てたのか」

「知っていたくせに」

 少女は突然現れた大人の女性に夢が壊されたようである。二、三歩うしろに下がった。だが賢い性格とみえ、ふたりの会話が夫婦のそれではないのを感じ取ったようだ。

「お兄さん。わたし帰るわ。今度またバスケ教えてね。兄にも話していいわね」

「いいよ。そちらの名前だけを知っているのはフェアじゃないな。俺は北東の甲の三番、伊能だ。伊能忠敬の伊能だ。またいつかここで会おう。今日はとんだ邪魔が入ったから」

 少女は伊能の最後の言葉に満足したようである。小首を捻りながら、

「気にしないでお兄さん」

 と言い、走って去った。

 とんだ邪魔という言葉は川添道子には聞こえなかったはずである。伊能は状況にもよるが、距離はもとより角度がある程度以上異なればその人物だけに聞こえる、またはその人物だけには聞こえない話し方をするのである。


 道子と連れだって自分の部屋が見える位置まで来たとき、伊能は掌の中で自作のリモコンを操作して部屋の灯りをつけた。五階にある自室にはふたつの窓があるが、時間差をつけて点灯するようにセットしてあった。部屋にもどった人間が歩いてスイッチを入れたように見せるためである。道子は寒さに震えていたらしい、小さく鼻をならした。

 エレベータを使って自室の前に立った。キーを入れる前にさりげなく耳を近づけて中の音を聞く。ほんの数秒である。道子はいつものように黙ってその様子を見ていた。指先の感覚に神経を集中しながら、ゆっくりと鍵を差しこみ静かに回す。異常なし。

 扉を開けて中に入ると急速暖房のスイッチを入れた。

「ご自慢のリモコンで先に暖房もつけるようにできないの」

「室内の音が聞きにくい」

 なるほどね、と、道子はつぶやくように言った。

 伊能は扉を注意深くロックすると、再びリモコンを取り出し、インジケータをみつめながら体をゆっくりと回した。道子はわずかに眉をひそめ黙って見ている。

「本日もオーライ異常なし?」

「ああ、異常なしだ」

 伊能は笑いもせずにそれをポケットに収めるとコートを脱いだ。

「寒かったわ。なあに、あの子」

「団地の子だ」

「あなた、ロリコン?」

「あの子も同じことを訊いた」

「美人になるわ。あの子」

「改札口に居たろう。どうして声をかけなかった?」

「怖い顔をしてたし、歩く方向がちがうから、どこに行くのだろうと思って」

「あとをつけたか。バスケのところに決まってるだろう」

「とは思ったけど。歩き始めたらいつものとおりで早くって。息が切れたわ」

「悪かった。駅ではだいぶ待った?」

「ええ、五十分」

「電車が遅れたんだ」

「みたいね。事故?」

「人身事故だそうだ」

「どこで?」

「光の駅だ。男が線路に落ちた」

 伊能に体を寄せかかった道子だったが、その言葉を聞いた瞬間、見えぬ壁に当たったように体を止めた。

「そこにいたの。居合わせたの?」

「ああ」

「死んだの」

「そのようだ」

「また偶然なの。去年もあったわね、幹道の歩道橋で今頃」

 伊能は返事をしなかった。わずかに眉を動かして口をすぼめた。瞬間、道子を身震いが襲った。

「どうして黙っているの」

「また、といわれても、困るな」

「だって・・・」

「疲れた」

 伊能は上着を脱ぐとソフアに長く伸びた。道子はコートを着たままの姿で伊能を上からみつめている。伊能は道子の面長の顔を見上げながらゆっくりと言った。

「気にするな。本当に偶然なんだ」

 道子は口を開かなかった。

「コーヒーを飲みたいな。煎れてくれないか」

 道子はまだ動かなかった。

 伊能はゆっくりと体を起こした。

「どうしても気になるのなら送っていく」

「冷たいのね」

 道子は思い詰めたような声でそういうと、コートを着たままの体をぶつけるようにして伊能の体の上に倒れ込んだ。


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