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暗闘  作者: 伊藤むねお
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堺公人

 意識が戻った途端、堺公人は猛烈な頭痛と吐き気を覚えた。

 どこだ、ここは?

 天井の眺めに記憶が無かった。堺は吐き気と闘いながら少しずつ記憶のネジを巻き戻し、昨日の夜、正確にいえば恐らくは今朝の記憶まで辿り着いた。

 夜の十二時を少し回り日曜日に入った頃だった。電話が鳴り、取り上げると同僚の柴田の声だった。

(緊急召集だ。すぐ来てくれ)

(トラブルか?) 

(そうらしい。石井さんからの連絡だ)

(そうか。柴田は旅行中じゃなかったのか)

(そうだったのだが、ちょうど家に帰ってきたところだ。俺もすぐに出る)

 遅い時刻ではあったが、オープニングが迫っているこの時期だからこのような呼び出しは覚悟をしていた。

 堺はすぐに着替え、すでに就寝している弟妹にメモを残すと十五分後にはいつものショルダーバッグを肩にして外に出た。霜月の頬を刺す寒気が気持ちを引き締めた。

 ――なんだろう。あ、そういえば、あれを、榎本さんのをまだ柴田に渡してなかったな。丁度いい。今晩渡そう。

 植えこみの横を抜けて幹線道路沿いの広い歩道にでた。終電に乗り遅れたり、酒で気が大きくなって都心からタクシーで帰宅する住民も少なくない。それを拾うつもりで手をあげながら十字路に向かって広い歩道を歩いた。そこに行けばタクシーを捕まえられる確率は倍加するはずだ。

 その時、長身の男が向こうから歩いて来るのが見えた。姿勢がよく滑るように歩く人だと思ったとき、堺はいつか妹の静子がいっていたバスケットボールの達人のことを思い出した。

(ダンクを? 八十七センチで? 本当か)

(そうよ。すうごいジャンプなの。ここよ、肘がリングまで上がったのよ。わたしびっくりしちゃった。伊能さん、お兄ちゃんを知ってたわ)

(え、俺のことを? なんでだ?)

(わたしと似ているからそうじゃないかと思ったって)

(ほんとうか?・・・たしかにお前が小学校のころは、浦和の叔父さんなどはよくそういってたもんだよ。でもなあ)

 最近は皆無である。

 むろん、どこかに面影は残っているのだろうが、それだけで俺を静子の兄だと見抜いたとは信じがたい眼力だ。北駅の利用者だけでも一万人はいるのだ。しかも俺の方は少しも覚えがない。俺よりも十センチも背が高い男なら、こっちが覚えていなくてはならないのだが迂闊なことだった。しかし俺か静子か、どちらかに特別な感情を持っていたらどうだ。俺にか? いやそれはあるまい・・・ならば静子か?

(静子。あのな。その人はいい人のようだがなんというか)

(痴漢? 変態? ロリコン? お兄ちゃん、それはちがうわ)

(どうしてそう言い切れるんだ。わからないだろう)

(女のカンよ。馬鹿にしたものじゃないの)

 女のカンを馬鹿にしたものじゃないのよか。お袋が親父によくそういってた・・・

 もしも、この慌ただしい時でなければ話しかけてみたかもしれない。もちろん長身の男は少なくない。しかし姿勢のよさや膝裏が伸びた足の運びは一流スポーツマンのそれだった。それに向こうはこちらを知っているというのだから・・・と堺は曖昧にではあるが軽く会釈してみた。しかし男はこちらを見たようでもあったが、堺に対してただの通行人を見た以上の関心は示さなかった。

 ちがったか。

 その時、タクシーが後ろから寄ってきた。手を上げている堺をみつけたらしい。堺は伊能のことを頭から消し去って乗りこむと行く先を告げた。

 走って十分ほどたった頃だった。運転手が前を向いたままで言った。

(お客さん、これから青山にというのはお仕事ですか。こっちは大助かりですが)

(ええ、地下鉄工事で)

(ははは、嘘でしょう)

(金庫破りならいいですか)

(いいですねえ。仲間に入れて下さいよ。クルミをあげますから)

(クルミですか?)

(ほら、途中で落ちていたのを拾ったんです。硬くて割れませんでしたがね。がきの頃はよく拾って食ったもんですよ)

(へえ。ほんとだ。硬いなあ。でもクルミじゃだめですよ。入会金は一回、一億円ですから)

(は、はははは。一回というのがいいねえ。面白いお客さんだな。そうだ。クルミじゃなくてこいつは何だと思います? さっき乗せたお客さんだと思うんですがね、忘れていっちゃって)

(なんですか?)

 あとで考えてみれば、これが絶妙のマだった。

 運転手が左の手で自分の脇から取り上げた小さな筒状のものを、堺は何の疑いも抱かずに暗い車中で目を近づけて眺めてしまった。

「ライター用のガスボンベみたいですよね・・・ん?」

 そこまで言った時、堺は頭の隅に赤信号が灯るのを感じた。シュっと音がして意識が消えた。


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