第1話 大好きなお兄ちゃん!
「・・・・・・、何処だよここ・・・。」
気がつくと、全く見覚えの無い場所に立っていた。
風に揺れるたび、美しい光の粒子を撒き散らす大草原の上だ。
目の前にはエメラルドグリーンの川が流れ、川の周辺には虹色の羽をした蝶がいる。
その蝶が羽ばたくと、ダイヤモンドのような輝きをした鱗粉が空気中に飛散する。
鱗粉が太陽の光を反射して、あちこちに虹ができている。
空にはいくつもの浮島が存在し、その周囲を無数のオーロラが漂う。
何もかもが現実離れした光景。
間違いない。
ここは異世界だ。
昔よく夢見た、憧れの地。
「でもなぁ・・・・・・。」
素直に喜べない自分がいた。
まさかあんな方法で異世界に来てしまうとは・・・。
菊花薫る季節、今年度の最低気温を更新した日曜の朝。
俺はというと、11時過ぎまで自室の布団の中に籠っていた。
一流と言われる大学を出て、外資系証券でトレーダーをやっている俺は、日々神経を擦り減らしながら仕事に励んでいる。
日曜日だろうが、世界中で相場の変動は起き続けている。
今日もマーケットの情報が気になるところだが、たまの休みくらい昼過ぎまでゆっくり寝かせてほしい。
順風満帆な人生に見えるだろうが、昔から将来を嘱望され、エリートとしての人生を歩み続けてきたからこそ、他の人には無いストレスを抱えている。
周囲の期待を裏切れない、身を削って世界経済に貢献しなければならない。
他にも色々あるが、主にこういった重圧が俺の精神を着々と蝕んでいく。
だが、意外にも一番のストレスは家庭内で発生する。
「おにぃーちゃああああん!!」
・・・きたよ。ストレス製造機が。
人がせっかくHPの回復を図っているというのにこいつは・・・。
「お兄ちゃん!いつまで寝てるの!早く私と遊びなさい!」
こいつの名前は白石琴音。
俺、白石翔平の愛すべき妹だ。
今年で11歳になるんだったかな。28歳の俺とはだいぶ離れている。
サラサラの黒髪と、パッチリとした目が最高にキュートだ。
一見すると、誰もが羨む完璧な妹なのだが、少々性格に問題がある。
放っておくと後々面倒だ。
仕方ない。ちょっと相手してやるか。
「お兄ちゃんってば!早く私とうんこの早食い対決して遊ぼうよ!」
俺はボサボサの黒髪を掻き分けながら、死んだ魚のようだとよく言われる自慢の眼力を持って、妹と向かい合う。
「妹よ。何度も言っているだろう。うんこは食べ物じゃない。」
「そんなことないもん!美味しいもん!」
まったくこいつは・・・。
びっくりするだろう?11にもなってうんこ食べるんだぜこいつ?
俺なんて6歳のときに卒業したのにな。
「妹よ。この際だから言うが、お前は少し頭がおかしい。いや、かなりおかしい。11にもなってうんこを食べるような女と俺は会話をしたくない。早く部屋から出てってくれ。」
正論を言ってやったつもりだが、それが妹の逆鱗に触れてしまったようだ。
「なによ・・・。お兄ちゃんにうんこの何が分かるっていうのよ…!うんこの気持ちなんて考えたこともないような人が、好き勝手言わないでよ!」
妹は涙を流しながら俺に語り続ける。
「うんこの何がだめなの?他の食材と何が違うの?他の皆だって色々ヤバいの食べてるじゃん!動物の内臓とか普通に食べてるし、鶏の卵だってケツの穴から出てきたものだし!わからないよ!うんこがだめな理由がわからないよ!うぅ、ぁぁ・・・!うあああ!」
「!!!!?」
妹の身体から電流が流れ、みるみる大きく、マッチョな体形へと変わっていく。
「落ち着け琴音!!!深呼吸だ!!そうだ!一緒にラジオ体操を踊ろう!!」
「うゔぉおおおあああああ!!!!!!!!!!ぐヴォぇあああああああ!!!」
ビキビキ・・・!メキ・・・!!
女の子の身体からは鳴ってはいけないような音が部屋中に響く。
妹の身体は赤黒く変色していき、浮き出た血管がドクンドクンと脈打っている。
そして・・・・・・
「ふぅ・・・。待たせたな、お兄ちゃん。」
愛する妹はボブサップのような顔と身体つきになってしまった。
コホォォォ・・・、と
口からは紫色の吐息が漏れる。
「こ、琴音ちゃん・・・。ず、ずいぶん立派になったね・・・。さぁ、お兄ちゃんと一緒にラジオ体操を踊ろう。」
「ごめんお兄ちゃん・・・。私もう、死の舞しか踊れないよ・・・。」
そう言うと、妹の姿が目の前から消え、一瞬のうちに俺の背後へと回る。
そして、妹は俺に向かって手刀を繰り出した。
俺の首元を狙う恐ろしく正確で速い手刀は、空手3段の俺でなければ見逃してしまうほどのレベルの技だ。
見えてはいた。が、いきなりのことで身体が反応しない。
そのままその手刀は俺の首から上を・・・
跳ね飛ばした。
完全に死んだと思ったが、どういうわけか、今こうして二本の足で大地を踏みしめ息をしている。
全く知らない地、見たことも聞いたこともないような動植物。
これが異世界転生ってやつか。憧れていた現象ではあるけれど、いざ現実に起こると実感ないな。
しばらく呆然と立ち尽くしていると、エメラルドグリーンの川の向こうで白い服を着た少女が俺を呼ぶ声がした。
「翔平さん。こっちへおいで、翔平さん。」
鈴の音のような、美しい声色で俺の名を囁く。
金髪で青い目をした、とても可愛い少女だ。
白いフリフリのワンピースが良く似合っている。
この世界に住む種族の特徴なのだろうか、背中からは白いふわふわとした羽が生え、頭上には光輝くリングが浮いている。
それを見て俺は悟った。
あ、これ異世界じゃなくて天国だわ。