04 契約
「取引?」
思いもよらぬ言葉が飛び出て、アイザックは目を丸くした。
床から身を起し、上座に腰かける王を見据える。
人当たりのいい雰囲気に、壮年期に入ったため、ところどころ白く変色した髪と髭。オルディオのシンボルカラーともいえる深紅のマントをその身を纏った王は、民から名君とまで呼ばれるほどの男である。
そんな完璧な王が、一介の罪人に何を求めるというのか。
「ああ、そうだ」
おちょくっているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
アイザックは無言で続きを促した。何の取引か見当もつかない。
大方、ガオナーの情報と引き換えに命はとらない、といったようなものだろうか。
そうだとしたらこの取引は時間の無駄だ。たとえどんな対価が支払われようと、死んでも口は割らない。アイザックは口をつぐんだ。
しかし、王の口から出たのは、まったく予想していなかった要求だった。
「私の娘の、護衛になってほしい」
「…ハア?」
思わずアイザックは間抜けた声を出す。何を考えているんだ、この王は。
「断る。誰が好き好んで王族の護衛になんかなるかよ」
「断ったら死刑だぞ?」
「……」
人当たりのいい笑顔で残忍なことを言われ、アイザックは押し黙った。
王は笑う。
「そうつれないことを言うな。三か月間だけでいい、娘のそばにいてくれないか。
承諾してくれたら誓って命は取らないし、期間が過ぎれば相応の報酬も与えよう。どうだろう」
どうだろう、と訊いてきてはいるが、この問いは選択肢を与えているようで与えられていない。
無残に殺されるか、はたまた人の娘の護衛をするか。
前者を選ぶ狂人は数少ないだろう。そしてアイザックは、精神面では自他ともに認める普通の人間だった。
「…なんで俺なんだ?」
苦渋の末に彼はそう訊く。
それもそのはず。オルディオ王国軍は、国中から最も優秀な人材が集められた、いわば最強の武術軍団。護衛なら彼らに任せれば事足りるはずだ。なのになぜ、あえて罪人である盗賊にその役目を任せようとしているのか。
王は答えるのに困ったかのように眉を下げた。
「まあ…、お前の強さは、わが子から耳にタコができるほど聞かされているからな」
明瞭としない答えが返ってきた。
まあ、いいだろうとアイザックは息を吐く。
この王のことだ。あんな大きな罠を設けてアイザックを陥れたのは、すべてこの取引をするためだったに違いない。理由はわかりかねたが、護衛になることはどうあがいても決定事項だろう。
せめて護衛の内容だけはちゃんと聞かなくては、とアイザックは口を開けた。
「あんたの娘ってことは、リリアン=オルディオか?」
今代の王には四人の子がいる。第一王子ルクシャス、第二王子カネルに第三王子のルルアン。
娘、もとい王女は一人しかいない。もうすぐ六歳になる正妃の子、リリアン=オルディオだけ。
国民の間でも周知の事実だ。ガキの世話なんてしたことないんだけどな、と漠然と苦手意識を覚えた彼に、しかし王は首を横に振った。
「いや…。リリアンではない」
「王女サマじゃない?」
なら、ほかに誰がいるのだろうか。思わず彼は眉をひそめた。
「この城から少し離れたところに、パルマ宮という使われていない廃墟がある」
突如、脈略のないことを言い出す王。困惑の表情をしたアイザックに向けて、王は言葉をつづけた。
「そのパルマ宮に、フィーネという娘がいる。訳あって国の兵士たちに護衛は任せられない。
だから、お前に頼みたいのだ」
が、一見繋がらない話は思わぬところで結びついていた。
使われていない宮にいる、何故か正規の護衛がつけられない娘。
その少女が何者なのか、アイザックは瞬時に答えにたどり着けた。
「あんたの隠し子か?」
「隠し子か。あまりいい印象の持てない言葉だが、そうなのだろう」
やはりそうか、と彼は息を呑む。この、品行方正と褒め称えられている王に、まさか隠し子がいたなど。
顔には出さなかったが、アイザックは心の内で驚いていた。
「…わかった。その取引、受けてやる」
「契約成立だな」
王は笑い、手に持ったグラスにワインを注いだ。とくとくと、赤い液体がグラスの内に満たされる。
その様子をアイザックは黙ってみていた。
疑問だらけの取引内容。だが、ガオナーにかかわるものでなければ、正直彼はどんな契約を結ばれても構わなかった。これで自分の命は脅かされないし、終わった暁には報酬がもらえる。
少々話がうまく出来過ぎているとは思ったが、アイザックはとりあえず安堵した。
これで、団に迷惑をかけずに済むと。
しかし、その安らぎは長くは続かなかった。
「取引が成立したことを祝って、共に呑もうではないか」
そう言いながら差し出されたのは、先ほどのワイン。その濃厚な香りにぎょっとして、彼は1,2歩後ろへ下がった。
「さ、酒は飲まねえ主義なんだ」
「ほう?夜風の怪盗と恐れられていても、やはり中身はお子様なのだな」
「なっ…」
からかうようなその言葉に、アイザックはかあっと頬を赤くした。
下戸だということは自分でも情けなく思っている。同年代のダニエルでさえ飲めるというのに。
過去に一度だけ、ガオナーの忘年会で飲んだことがある。だが、アイザックはその独特な香りが苦手だったし、なにより飲んだ後の記憶がきれいさっぱりなくなっていた。しかもなぜかその後、忘年会に参加した団員たちにしばらく微妙に距離を取られたのだ。自分が酔って何かとんでもないことをしたに違いない。アイザックはそう確信していたが、誰に聞いても皆一様に顔を赤くするか青くするかで、彼が何をしたかを教えてくれた人はついぞいなかった。
それ以来、酒一般に苦手意識を持った彼は、アルコールを勧められることになによりも怯えていた。
王は的確に、彼の触れられたくない部分を言い当てたのである。
「…この、狸じじい…」
やっとのことでアイザックが紡ぎだした反撃の言葉は、誰がどう聞いても負け犬の遠吠えであった。