02 罠
夜風の怪盗、アイザック―
オルディオ国内で、彼の名を知らぬものなどいない。
漆黒の短髪に燃えるような赤い瞳。灰色のマフラーを身にまとった、ガオナー怪盗団の団員が一人。
彼に狙われた獲物は、たとえどんなに大金ははたいて隠そうとしても盗まれる。
その手口は巧妙かつ俊敏。ガオナーといえばアイザック。人々の間ではいつしかそう認識され、誰もその姿を見たことがないにもかかわらず、彼の名とその所為は瞬く間に国中で噂となった。
――夜風の怪盗は失敗しない――
今までの彼の成果を聞いて、誰もがそう思っている。そこには彼自身も含まれていた。
だからこそ、なのかもしれない。
誰かが言っていた。慢心は人間の最大の敵であると。そしてアイザックは、自身が間もなくその「最大の敵」に鉢合わせることになるなど、この時はつゆほどにも思っていなかった。
深夜の王城。高くそびえたつ城の一角に、灰色のマフラーをなびかせた噂の大怪盗が立っていた。
「侵入したぞ、ダニ」
そう呟くと、マフラーの内側から「早いね」と返答が返ってきた。
「だけど、ダニダニいわないでよね~。僕はダニエルだよ、ザック」
「どうでもいいだろ。それより、獲物はどこだ」
「もう、相棒に冷たいなあ、ザックは。そこから右のテラスに飛び降りて。で、左から三番目の部屋にあるよ。あ、テラス側に二人、うろちょろしている兵士がいるから気を付けて」
「了解」
相棒の指示をもとに、アイザックはテラス目掛けて飛び立つ。トン、と、およそ人間とは思えないほどの身軽さで地面に足をつけ、素早く兵士たちの背後を取った。
「悪いな」
二人の兵士の首を目掛けて手刀をお見舞いすると、彼らの体はいとも簡単に前のめりに倒れた。まばたき一回分といっても大げさではない、一瞬の出来事だった。
「相変わらずすごいね~」
茶化すような相棒の言葉を無視し、目的の部屋へと足を運ぶ。
夜風の怪盗の強さの秘密は、まさにここにある。
一つは、アイザック自身の身体能力の高さ。
そしてもう一つは、相棒のダニエルに関係している。
半魔であるダニエルは、生まれつき、遠くまで見渡せる”千里眼”と、簡単な魔法道具を作れる技術を有する。それだけでもかなりの強みとなる。なにせ、この世界で魔法を扱えるのは魔族のみなのだから。基本的に魔族と人間は互いに干渉しないように暮らしているので、魔法を使える人間などそうそういない。
アイザックが任務時に肌身離さずつけている灰色のマフラー、その内側にも、ダニエルの作った小型通話機が仕込まれている。千里眼で獲物の位置を把握し、通話機で周辺情報を相棒に伝え、その相棒が迅速に宝をかっさらう。
この最強コンビが盗みに失敗するわけがなかった。いわば、鉄壁のバディだ。
「部屋についた。入るぞ」
その一声とともに、アイザックは相棒から教えられた部屋の窓に手をかけた。鍵がかかっている。だが、彼にとって鍵の破壊など赤子の手をひねるようなもの。腰に巻き付けた道具入れからピックを取り出し、鍵穴に差し込む。するとすぐに、かちゃりと音がして鍵が外れる。
窓から身を乗り出したアイザックは、部屋の中に敷き詰められるようにして並んだ宝の山を目前にして、舌なめずりをした。
「これは…予想以上だな」
「だねえ」
目の前に広がる、金銀そして宝石の山。今まで私腹を肥やす商人や貴族相手にしか宝を盗んでこなかった二人は、この国宝級の品々に目がくらむほどの美しさを感じた。
「とりあえず、一番高そうなのを一つ頂戴していくか」
窓から手を放し、アイザックは部屋の中へと音もなく踏み込んだ。最初に彼の目に入ったのは、暗闇の中でもきらきらと輝くエメラルドのピアス。これにしよう。そう思い、ピアスが展示されているガラス張りの容器に手を触れた。
そのときだ。突然、相棒が声を上げた。
「待って!アイザック、何かおかしい!」
「は?」
先ほどとは違い、張り上げられた声。その声はなぜか切羽詰まっていて。
アイザックは何時にない相棒の焦り方に、慌ててガラスから手を離した。
「いきなりどうした」
「テラスの反対側から、いきなりたくさんの王国兵が…!とにかく、どっか隠れて!」
「!?なんで突然…」
バンッ
いうが否や、部屋の扉が乱暴に開けられた。
その先に、数十人の王国兵が険しい顔つきで立っている。いきなりのことに固まった彼を見つめ、兵のうちの一人が彼に言い放った。
「ガオナー怪盗団のアイザックだな。窃盗罪でお前を拘束させてもらう」
慢心は人間の最大の敵――
アイザックは油断していた。今回もいつものように、難なく盗れると高をくくっていた。
顔が引きつっていくのが自分でもわかる。犯行が人の目に触れられるのは、今回が初めてだ。
「はは、誰かと思ったら兵士さんじゃねえか。こんな真夜中でも働いているなんてご苦労なことだな」
じりじりと詰め寄ってくる兵たちを前に、冷や汗が額から流れ出た。
どうするー、アイザックは頭を働かせた。さすがにこの人数を音を立てずに眠らせることはできない。
視線が自然と窓へと向かう。
(ここは…逃げる!)
くるりと踵を返す。入ってきた窓に手をかけたが、途端に相棒が「ダメ!」と叫んだ。なぜかはわからなかったが、その忠告はどちらにしろ遅すぎた。
バチッ
瞬間、強い電流が体の中へ駆け巡った。――魔法だ――…そう認識するとともに、体に激痛が走る。
そのあまりの痛みに、アイザックは思わずひざを折った。
「くっ…!」
「ザック!」
「残念だったな。内側には逃走防止用に電流を張り巡らせている。おとなしく拘束されろ、三流怪盗」
その呼び名に屈辱を感じても、痛みのせいで言い返すこともできない。
最強の怪盗とまで称えられた彼の腕には、すんなりと手錠がつけられたのだった。