猫の瞳
その三毛猫が森を歩くと、他の動物達は道をあけたり、怖がったり、ひそひそと何かよくない言葉で三毛猫の噂話をしました。
その三毛猫は、みんなと仲良くしたり、みんなと話しをしたり、遊んだり、仲良くしたりしたかったのです。
けれど、うまくいきませんでした。
三毛猫はみんながどんな言葉で、自分のことを言っているのかを知ってもいました。どうして怖がっているのかも知っていました。
だからどうすることもできないことを三毛猫は知っていたのでした。
三毛猫は悲しくて寂しくて、いつも森では一匹でした。
三毛猫は森の外れのみんながあまりこない夜の湖に、みんなが来ない時間に行って水を飲むことにしていました。
そうすればよくない言葉を聞くこともないし、みんなを怖がらせることもないからです。
「……?」
三毛猫が水を飲んでいると、少し離れた所で水を飲んでいる子がいます。
こんな夜に水を飲みに来るなんて変わった子ね、と思いながら三毛猫は見つからないように息をひそめました。
「そこにいるのは猫さんですか? 今日は夜風がさわやかですね」
「……!」
三毛猫は驚きました。だって茂みに隠れていたし、今夜はお月様が雲の中に散歩にいっているのです。こちらからあちらの姿が見えないほどに暗いのです。
それでも三毛猫は黙っていました。隠れたままにしておこうと思ったのです。
「あれ? 猫さんじゃなかったのかな?」
「……」
その声のおとなしい足音をさせながら、ゆっくりと近づいてきます。
三毛猫はどきどきしました。
逃げなきゃ逃げなきゃ……。と何度も自分に言い聞かせました。けれど、それと同じくらいその声に答えたかったのでした。
「あの、僕も猫なんです。一緒に、お話しながら夜風にあたりませんか?」
猫、お話。
三毛猫はその猫に言われて、お話したくてたまらなくなりました。誰かとゆっくり話をしたりすることなんて、三毛猫にはなかったことですから。
三毛猫は思い切って茂みから出ていいました。
「あ、あの、私、森に住んでる三毛猫です」
三毛猫は茂みから出ながら、片目を閉じながら自己紹介をしました。
「あ、やっぱりいたんですね。驚かせちゃいましたか、僕は見ての通りの黒猫なんで」
夜の黒猫はとても見つけずらいのです。
「い、いえ……」
三毛猫は久しぶりに話をして緊張してしまい、うつむき黒猫の顔を見ることができませんでした。
黒猫と三毛猫は水を飲みながら湖のほとりで夜風にあたりながら、色々な話をして過ごしました。
「三毛猫さん、よくここに来るの?」
「は、はい」
黒猫は最近ここにやってきた猫でした。三毛猫が今まで会ったことがなくても仕方がありません。森の猫達は、あまりこの湖まで足を伸ばしたりしないからです。
三毛猫はこの湖までやってきてよかったな、と思いました。
黒猫と普通にお話が出来たことが、とてもうれしかったのです。
三毛猫はしっかりと片目を閉じながら、うつむきながら黒猫に言いました。
「黒猫さん、今日はとても楽しかったわ。またお話してくれる?」
「うん、もちろん」
黒猫の言葉に三毛猫はとてもうれしくなりました。
三毛猫はそれから毎日、毎日、夜になると黒猫のいる湖に出かけました。
夜に湖に出かけても、三毛猫は黒猫を見つけることができませんでした。いつも、黒猫が三毛猫を見つけてくれるのです。
三毛猫は、黒猫は目がいいんだな、といつも感心していました。
ある晩の事、黒猫は三毛猫に尋ねました。
「ねえ、三毛猫さん。どうしていつもうつむいてしゃべっているの?」
「えっ?」
三毛猫はドキッとしました。黒猫にあってから三毛猫はずっとうつむいて話をしていたのです。
「えっと、あの……」
「どこか具合が悪いの?」
「ううん、そんなことないんだけど……」
三毛猫は慌てて片目を抑えながら顔を上げました。
「ほ、ほら、なんでもないよ」
「本当だ。声がね、まっすぐ聞こえる。三毛猫さん、今は僕の方を向いてしゃべってくれているんだね」
「……?」
黒猫の言葉に、三毛猫は不思議に思いました。その言い方はまるで三毛猫がうつむいていたということを声で知ったみたい。
「黒猫さん……?」
「僕ね、実は目が見えないんだ。だから、君に何かあったらどうしようって、心配になっちゃって」
「……!」
三毛猫は驚いて思わず両目を開いて、黒猫の顔をまじまじ見つめました。
黒猫の言う通り、黒猫の目はしっかりと閉じられているではありませんか。
「あ、あの、あの私……」
「三毛猫さんはとても綺麗な声をしているね。前を向いて話してる方がいいと思うよ」
三毛猫は黒猫に言われてまた驚きました。
「声、私の声、綺麗?」
「うん、とても綺麗な声をしている。風よりも水よりも綺麗な声だと思うよ」
「ふふっ、なにそれ」
黒猫はたとえに三毛猫は思わず笑顔になりました。
「何か唄ってみて。きっと綺麗な歌になるよ」
「私、唄った事ないの……」
三毛猫は照れながら、恥ずかしそうに言いました。それでも、三毛猫の唄を期待している黒猫のために、三毛猫は歌を唄いました。
その歌は風のように森と黒猫の耳を揺らし、澄んだ水が喉を潤すように心を潤しました。
「やっぱり思ったとおり。とても、綺麗な歌だね」
「本当?」
三毛猫は黒猫に褒められるととてもうれしくなりました。
うれしくてうれしくて、その日の夜は眠れないほど、三毛猫はうれしくてたまりませんでした。
三毛猫はそれから毎晩、黒猫のために歌いました。
三毛猫の歌は、湖に、森に、風に乗り広がり、やがて森の動物達の耳にも届くようになりました。
「ねえ、あの歌を唄っているの、三毛猫さんでしょう?」
三毛猫が森を歩いていると森の白猫が声をかけました。
「……うん」
「そう、はじめは誰かと思ったけど、やっと見つけたわ」
「白猫さん……なんですか?」
「三毛猫さん、なんであんな所で歌っているの? とっても素敵な声なのに。みんなあなたの歌を聴きたがっているのよ」
「みんなが……?」
三毛猫は白猫に言われて驚きました。
黒猫のために唄っていた歌が、森を渡り他の動物達にも聞こえていたのです。
「さあ、こっちに来てみんなの前で唄って」
「で、でも……」
白猫に手を引かれながら、三毛猫は困ったようにうつむきました。
みんなの前に出なければならないなんて。
三毛猫は片目をおさえて、体を震わせました。
三毛猫は、目の色が右と左で違っていたのです。左目は金色、右目は銀色でした。
みんなの目の色は右も左も同じなのに、三毛猫は違いました。目の色が違うことで三毛猫は他の猫から気持ち悪がられ、仲間はずれにされていたのです。
「さあ」
「……」
三毛猫が連れていかれた所には森の猫達が集まっていました。
「あ……」
「あ、三毛猫さんだ、待ってたよ」
「歌を聞かせて」
三毛猫はみんなから歓迎され、唄ってほしいと頼まれました。
「う、うん」
三毛猫は戸惑いながら、みんなの前で歌を唄いました。
その歌は、そこに集まった森の猫の耳と心を揺らしました。
猫が疾走するよりもはるかに早く、森の中を駆け、他の動物達の耳と心も揺らしました。
三毛猫は自分のことをいじめたり、よくないことを言っていたみんなの前で、一生懸命唄ったのでした。
歌が終わると、三毛猫はみんなの人気者になっていました。
「三毛猫さん、すごいわ。とても綺麗な声をしているのね」
「私もあなたのように唄いたいわ」
そう言ってみんなが三毛猫の事を褒めたり、羨ましがったりしました。
三毛猫はとてもうれしくなりました。
もう三毛猫の目を怖がったり、よくないことを言ったりする動物はいなくなりました。
その夜、三毛猫は黒猫に、みんなの前で唄ったことを言いました。
「そうかい、みんなが喜んでくれてよかったね」
黒猫はとても喜んでくれました。
三毛猫はまたうれしくなって、黒猫のために、その夜もまた歌を唄うのでした。
人気者になってから、三毛猫は森でみんなのために唄うことが多くなりました。
森の猫達だけでなく、他の動物達も三毛猫の歌を聴きにきました。
三毛猫は森の人気者になり、夜の湖にいくことが少なくなっていきました。
もちろん、三毛猫が黒猫の事を忘れたわけではありません。
たくさん歌を唄って疲れてしまい行けなくなっただけなのです。
三日に一回、五日に一回、七日に一回となっても、三毛猫は夜の湖に通い、その水を飲んで、黒猫と話をして過ごしました。
湖で三毛猫と黒猫が話しをしている姿をみた白猫は、ある日三毛猫に言いました。
「三毛猫さん、どうして、あんな気持ちの悪い黒猫と話をしているの?」
「えっ……?」
白猫に言われて三毛猫は驚きました。
「えっと、えっと……」
「三毛猫さんの友達にあの黒猫はふさわしくないと思うの」
白猫はみんなの人気者である三毛猫が、夜に森のはずれまで出かけていって、黒猫のためだけに歌っているのが気にいりませんでした。
「黒猫のところにはあまり行かない方がいいと思うわ」
「……」
「ね? 三毛猫さん」
「う、うん」
白猫に言われると三毛猫は心の中がもやもやして何か言わなくちゃいけない事があるような気がしましたが何も言えませんでした。
それからも三毛猫はみんなの前で歌を唄い、森のみんなの人気者でした。
夜の湖に行きたい気持ちもありましたが、白猫の顔が浮かんできて足を向けれませんでした。
三毛猫が黒猫に会いに行かなくなって一ヶ月が過ぎた頃の事。
三毛猫が森を歩いていると、森の小鳥のおしゃべりが聞こえてきました。
「そう言えば、湖のほとりにいた黒猫、最近見なくなったね?」
「うん、見なくなった」
「どこかで倒れてるかもね。だってあの黒猫、目が見えないんだから」
「……」
黒猫さんが? 湖のほとりの? 目の見えない黒猫さん!?
もう太陽が寝床に帰ろうと、夜の幕を森に降ろし始めていましたが、三毛猫はいてもたってもいられません。
三毛猫は走りました。
黒猫さん、黒猫さん!
三毛猫があの湖までやってくると、森はすっかり真っ暗になっていました。
三毛猫は一生懸命、黒猫を探しました。
しかし、三毛猫は黒猫を見つけることができません。
「黒猫さん! 黒猫さん!」
三毛猫は何度も黒猫を呼びましたが、答えてくれる黒猫はいなかったのです。
本当にいなくなってしまったのでしょうか? いいえ、寝ているだけかもしれません、もしかしたら具合が悪くなってどこかで横になっているのかもしれません。
「……!」
けれど、三毛猫は気づきました。ここにくればいつも黒猫の方から三毛猫の事を見つけてくれていたということを。
三毛猫の目では、耳では、鼻では、黒猫を探すことができなかったのです。
その夜は、黒猫は三毛猫の事を見つけてくれませんでした。
暗い夜の森の中で、三毛猫はたった一匹で走り、疲れ、それでも歩き、泣きました。
白猫に黒猫に会うなといわれた時、黒猫が気持ち悪いと言われた時、三毛猫は本当は言わなければならない事があったのです。本当はやらなければならない事があったのです。
でも、三毛猫は怖かったのです。
自分がまたいじめられてしまうのではないかと思い、昔自分に言われたひどい事を、黒猫が言われているのに「ちがう」と言えませんでした。
「ごめんね、ごめんね、黒猫さん」
三毛猫は湖のほとりで、一匹で唄いました。
三毛猫の悲しくて綺麗な歌声は、湖に広がり風に乗って、森にも響いていきました。
三毛猫は、どうか黒猫に届いてほしいと想いをこめて唄いました。
三毛猫の悲しくて綺麗な歌声を聞いても、森の動物達はその声が三毛猫の声なのだと誰もわかりませんでした。
けれど、その歌声に森の動物達はなぜか悲しくなって、みんな涙をこぼしました。
三毛猫はそうして一晩中、やがて黒猫がまた自分を見つけてくれるまで、やがて疲れはてて眠るまで、唄い続けたのでした。
2
やがて月が仕事をおえて、夜の幕を引き上げても、三毛猫は森のはずれの湖から離れませんでした。三毛猫はそこで黒猫を探して、そして待ちました。
けれど、黒猫もう現れませんでした。
三毛猫は毎日唄い、毎日黒猫を待ちました。
毎日毎日、三毛猫が悲しい歌を唄うので、見かねた湖に住む赤い鳥が言いました。
「三毛猫さん、ここにいた黒猫を探しているのか?」
「鳥さん、黒猫さんを知ってるの!?」
三毛猫は驚いて顔を上げました。そして自分は黒猫の知り合いなのだと訴えました。「友達」という言葉は言えませんでしたが、黒猫に会いたいのだと何度も言いました。
「あの黒猫は友達に会いにいく旅をしていたらしいよ。だからお前さんがこなかった少しの間に、北風が来る前に行かなくちゃいけないから、って言って、ここを出ていったんだ。君にお別れを言いたがっていたよ」
「……そんな」
黒猫が旅をしていた事など、三毛猫は知りませんでした。
三毛猫はまた悲しくなりました。三毛猫は黒猫に話を聞いてもらうばかりで、黒猫の事はよく知らなかったのです。
「う、うう……」
三毛猫はぽろぽろと涙をこぼしました。
「黒猫さんは、黒猫さんはどこに?」
「この森を抜けて、あの山を越えるって言っていたよ。あの山の先に行くんだって、目が見えないのに、すごい猫だね」
「あの山の先……」
三毛猫は赤い鳥の言う、黒猫が目指した山をジッと見つめました。
それから、森で金の瞳と銀の瞳を持つ三毛猫の歌声が聞かれることはありませんでした。
たまに、森のはずれにある湖を森の猫がやってきてはそこに住む赤い鳥に、あの猫の事をたずねたりしました。ここに歌のうまい猫がいなかったか、と。
すると赤い鳥は決まってこういいました。
「今度は友達になるんだって、旅に出んだ。なんでも、あの山を越えるって言ってさ」
けれど、森の猫達は赤い鳥の言葉を信じませんでした。
だって、普通の猫が森から見えるあの山を越えられるはずがないのですから。
けれど決まって鳥は言いました。「もし、あの山を越えることができたら、またあの歌を聴けるかもしれないね」と。
3
「その歌、いい歌だね」
そう言われて、目の見えない黒猫は唄うのをやめて頷きました。
「僕の友達が歌ってくれていたんだ。とても綺麗な声の子でね」
「そうなんだ。僕も、その子の歌を聴いてみたいな」
「うん。でも、遠い所に住んでいるんだ。あの山の向こう、すごく広い森の人気者なんだ」
黒猫はその歌と湖の夜風を思い出していいました。
「そっか。……うん?」
「あれ?」
どこからか、風に乗って歌が聞こえてきます。どこからか聞こえてくるその声に、黒猫とその友達はうっとりと聞きました。そして、まだ姿の見えない道の向こうに耳を向けながら言いました。
「ねえ、黒猫さん」
「うん?」
「僕も君の友達と友達になれるかな?」
「ああ、もちろん」
目の見えない黒猫はそう言って微笑みました。
おわり