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ホラー短編

七夕奇譚

作者: まあぷる

☆当作品はサイトからの転載です。

 今でも時々思うことがある。あれは本当に起きた出来事なのだろうかと。


 

 七月七日。胸騒ぎがした。

 予感と言うほど大げさなものじゃない。胸の奥で小さな虫がごそごそ這いまわるような、そんな感覚がここ数日続いていた。

「すみません。これ下さい」

 突然の声にはっとして我に返る。小太りで眼鏡を掛けた典型的なオタクが漫画本を何冊もカウンターに置いている。

「ああ、ごめんなさい」

 私は照れ笑いをしながらバーコードを読み、分厚い漫画本を袋に入れる。

 表紙に描かれたヘビ顔の女が真っ赤な口を開けて私を睨みつけた。

 疲れているんだろう。だから、あんなに些細なことが気になって仕方がないのかもしれない。

 私は後ろの壁の時計に目をやった。午後三時五十分。そろそろ来る頃だ。


 

 ここ、すなわち書店『魔法陣』でバイトをはじめてから三ヶ月。リストラで前の会社をクビになり途方にくれていた二十八歳、独身の私、香山礼子には永久就職できる相手もおらず、何ヶ月も面接を受けては不採用の憂き目にあっていた。

 そんな時、新聞に入ってきたのが「書店バイト募集*ホラー・ミステリ専門書店『魔法陣』」と書かれたチラシだった。ダメもとで面接に行った私を待っていたのは、シルバーグレーに染めた髪が端正な容貌を際立たせている五十代とおぼしき物静かな男性で、城野真二と名乗った。春だと言うのに分厚い黒のトックリセーターを着たここの店主は、店の奥の小さな休憩室でテーブルを挟んで私と向かい合って座り、挨拶もそこそこにこう聞いてきたのだ。

「あなたは正義感が強いほうですか?」と。

 私は強い方だと思う。小さい頃から、いじめられている子がいると必ず庇っていたし、タバコのぽい捨てを見ただけで腹がたつ。

 店主は私の話を聞き終えると、口元に軽く笑みを浮かべた。

「分かりました。あなたを採用しましょう」

 私はほっとした。とりあえず、長いプー太郎生活から開放されるのだ。

「ありがとうございます!」

 私は店主の採用についての条件や仕事の内容などの説明を聞きながら、ふと壁に目をやった。そこには小さな写真が飾ってあった。店主と長い髪の中学生くらいの少女。コスモスの咲き乱れる中、幸せそうにふたり並んで写っている。

「可愛いですね。お嬢さんですか?」

 店主はふっと寂しそうな顔をした。

「娘です。昨年、天国へ行ってしまいましたが……」

 しまった。私はどう答えようかと頭を回転させた。

「それは……あの、ごめんなさい」

 店主は何事もなかったように書類を揃えはじめた。

「明日から来て下さい。勤務時間は午前九時から午後六時までです。開店時間は午前十時、閉店は午後五時です。明日は店に来て指導をしますが、明後日からはすべてお任せしますので、頑張って下さい」

「ありがとうございます。閉店は午後五時ですか。ずいぶん早く閉店するんですね」

「ええ、マニア向けなんで土日以外は客も少ないんですよ」

 そうして、揃えた書類を封筒に入れて渡してくれた。お礼をいって部屋を出ようとして振り向いた時、店主は壁の写真をじっと見つめていた。その目は暗く、深い悲しみを湛えていた。

 

 店に来るとまず私は送られて来たダンボール箱の中の本を書棚に並べる。店主はいない。いつもその日に送られてくる本のことが簡潔に書かれたメモがレジカウンターの上に置かれていた。店主は午後六時以降に来て点検をしているらしい。他に仕事を持っているのかもしれない。

 ここはいわゆる専門書店だ。棚に並んだ本はホラーとミステリ。漫画も扱っているがそれもまた同じ系統の本ばかりだ。私は特に本好きとはいえないので、いくつか知った名前(ポーとか、キングとか、岩井志麻子とか)はあったが後はそれが有名な作家なのかどうかも分からない本ばかりだった。お客も日に数えるほどしか訪れないが、土日ともなると客が増えて、何冊もの本を購入し抱え込んで帰っていく。いわゆるマニア受けする書店で、他にはなくてもここにはあると評判なのだと、そうやって本を買っていく客の一人に聞いたことがあった。給料はそれほど多いというわけではないが、私は店を任された充実感を感じ始めていた。


 

 午後四時。私のいるレジカウンターの右横にある入り口の木製ドアが押されてゆっくりと開いた。この店は変わっている。

 普通、書店と言うのは通りに面した部分はガラス張りで明るい雰囲気を持たせるものだ。

 だが、路地裏にあるこの店は、一見すると喫茶店のような造りだった。店の壁は煉瓦で覆われ、その上をびっしりと蔦が覆っている。入り口のドアは古い木製の重厚なドアで、来る者を拒むような雰囲気を湛えている。たまたま通りかかった人が気軽に入ってこられる店ではないのだ。

 客は少し気後れをしたように、俯き加減で店内に入ってきた。白い半袖ブラウスに赤いリボン、紺のチェックのスカートに学生鞄を下げたショートヘアの何処にでもいる女子中学生だ。鞄に付けられた赤いチェックのテディベアが良く目立つ。彼女はしばらく躊躇うように佇んでいたが、やがて文庫本のコーナーのほうへ歩み寄った。

 

 私の前にはレジと直角をなす形で六つの書棚が並んでいる。あとは左右と正面の壁の一部が書棚になっている。正面の書棚の左にはトイレ、右には休憩室の細い覗き窓がついた扉がある。覗き窓はなんでこんなところについてるのかとちょっと気になったのだ。内側から金属のカバーを持ち上げて書棚の方が覗けるようになっている。休憩中に客の出入りを確認する為のものなのだろう。休憩室の奥には裏口のドアがあり、普段は鍵が掛けられている。

 

 彼女の立ったところは右から二番目と三番目の書棚の間で、ちょうど二番目の書棚の前に立つ彼女を右斜め後ろから見る形になっていた。

 少女はおずおずと手を書棚に伸ばした。一冊抜き出して上下を逆にして本を戻す。そしてまた一冊、だが順にというわけではない。タイトルを眺め、目に付いた本を抜き出しては先に戻した本の横に戻す。

 彼女で七人目だ。ちょうど六日前の七月一日から、午後四時になると必ず中学生がひとり店に入ってきていた。男子が四人、女子が二人。毎日違う子が何となく怯えた様子で入ってきた。彼らは男女ともそれぞれ同じ制服を着ていたので、同じ中学の生徒だということには気付いていた。

 書棚の前に行くと彼女と同じように本を引っ張り出しては七冊、逆さにして元に戻す。著者は日ごとに違っていたし、本の種類は新書だったり、文庫本だったりいろいろだ。が、必ず同じ著者の本だけが逆にされていた。そのたびに私は本を元に戻す。七冊の本が逆にされている光景はちょっと異様な感じがした。一日目はただのいたずらだと思った。だが三日目にはさすがに変だと思い、ひっくり返された本の著者とタイトルをメモに取った。

 これは中学で流行っていることなのだろうか? 本を七冊逆にすると恋が叶うとか。子供の流行なんて根拠のないこんなものが案外多いものだ。

 私は黙っていようと思っていた。別に被害がある訳じゃないから店長に報告する必要もない。

 だが、六冊目の本を抜き出した彼女はどうしたはずみか本を取り落としてしまった。本は無様に開いて落ち、慌てて拾おうとした少女は本を乱暴に掴んだので何枚かのページが折れてしまった。そのまま本を閉じて書棚に戻したのを見て、私は黙っていられなくなった。彼女が七冊目の本に手を伸ばしかけた瞬間、私は彼女の肩に手を掛けた。

「お客さん、いったい何をなさってるんですか?」

 びくり、と肩が震えた。振り向いた彼女の顔がひどく怯えていることに私は戸惑った。

「あ、あの……ごめんなさい」

 そういうとまた書棚に目を戻し、次に私を涙を潤ませた目で見つめて呟いた。

「あと一冊なんです。お願いです、お願いですから」

 彼女のその態度がなぜか神経に障った。私はついさっきページが折れたまま戻された本に考えを巡らせた。聞いてなんかやるもんか。

「ダメです。いたずらは止めてください」

 そう言ってこれみよがしに逆さになった本を元に戻し始めた。 

「いゃああっ……!!」

 悲鳴のようなその声に驚いて振り向いた時、少女は憎しみの篭った目で私を睨んだ。

「……ひとごろし!」

「えっ? それってどういう……」

 聞き返した時にはすでに彼女の姿はドアの外へと消えようとしていた。


 

 午後五時、ドアの外側に『本日は閉店いたしました』と書かれた札を下げるために外へ出た。蒸し暑い空気がねっとりと身体に纏わりついてくる。その時、ふいに悲鳴が聞こえ、路地の先を人が大勢走っていくのが見えた。私は店に戻り、ドアに鍵を掛けて見に行った。近くのオフィスビルの前に人だかりが出来ていた。漏れ聞こえる声が興奮に満ちている。誰かが飛び降りたようだ。

「中学生みたいだね」

「すごいよ。見て。ね、ケータイで写真撮ろうよ」

「止せよ。バカかお前」

 人垣の間からそっと覗いてみた。白いブラウス、チェックのスカート、そして傍らに落ちている鞄の赤いテディベア。

 あの子だ。

 足が震えた。彼女の言葉が頭の中を駆け巡る。『ひとごろし!』

 動かない彼女のすぐ傍で何かが立ち上がり、それが少しずつ近づいてくるような気がして私は急いで店に戻った。


 

 店を閉め、私は休憩室で城野氏の到着を待った。どうしても話しておきたかったのだ。先ほどの光景が頭から離れない。

 休憩室の隅にある流し台でコーヒーを淹れて飲んでいるうちに、どうにか考えられるまで心が落ち着いてきた。

 本。上下逆にされた本。あれはいったい何なのだろう? 私が中断させたことが彼女の自殺の原因だろうか? いや、まだ自殺かどうかは分からないけれど。

 私はメモ帳を取り出した。本の題名を左から右に順に書き出してある。だが単にメモに取っただけで、まだよく見返してはいなかった。

 三日目の著者「アガサ・クリスティ」、文庫本だ。

「ナイルに死す」「死との約束」「雲をつかむ死」「死への旅」「死者のあやまち」「忘られぬ死」「死が最後にやってくる」

 死、死、死。

 これはどういうことだ。

 四日目、西村京太郎。

「能登半島殺人事件」「金沢歴史の殺人」……。

 こちらはすべて「殺人」だ。

 五日目は赤川次郎、六日目は斎藤栄、いずれも多作な作家ばかりだ。そして題名に共通するのは死か殺人。

 彼女のあの必死に懇願する顔を思い浮かべる。運命。逃れられない運命。

 題名に死や殺人の入った本を逆に入れ替えることで彼らは自らの死を逃れていたのではないか? 死神が枕もとに座っていたら身体を逆向きにして死を逃れるように。 でも何故? いままで来た子供たちはその日に死を迎える運命だったのだろうか。自殺。あの少女は最初から自殺するつもりだったのかもしれない。あれは自殺する、しないを決断する為の賭けであって、私が中断したことで彼女は死を選んだのではないだろうか。そう思いたくはなかった。でもそうとしか思えなかった。そうだとしたら、私は知らなかったとはいえ大変なことをしてしまったのだ。心が疼いた。だが、今更どうすることも出来ない。しかしそう考えると他の六人も自殺志願だったことになる。それはいくら何でもありえないのではないか。

 いや、自殺ではないかもしれない。彼女は誰かに殺されたのかもしれない。誰に? 何故? ぜんぜん見当もつかない。

 中学生達の不可解な行動。これは『魔法陣』だけに起こっていることなのか。それとも他の場所でも起こっているのか。考えれば考えるほど分からなくなった。


 三時間待ったが、とうとう城野氏は現れなかった。明日こそ、このことを彼に話そう。とりあえず、この行為が明日も続くかどうかを確認し、その場合は中学生から事情を聞かねばならないだろう。

 

 

 翌日、いつもどおりに『魔法陣』に行くと、既に城野氏が来ていた。そういうことは初めてだったので、私は少し奇妙に感じた。

「おはようございます」

 店主は書棚の間に小さな椅子を置いて座り、ぼんやりと本を眺めていた。相変わらず黒いセーターとジーンズで季節などまるで関係ないという服装だった。彼は私に気付くと柔和な笑みを浮かべながら呟いた。

「おはよう、香山さん。今日は一日いるつもりだから、そのつもりで。ちょっとすることがありましてね。ああ、でも休憩室にいるから仕事の邪魔はしませんよ」

 私は少し躊躇した。こんなことを話して店に迷惑が掛からないだろうか? だが、ことは重大だ。話さないわけにはいかない。

「あの……実は昨日大変な事があって……お話を聞いていただけますか?」

「ええ、よろしいですよ」

 城野氏は私の話をじっと聞いていた。私が話し終わると少しの間、黙っていたがやがてこう答えた。

「お話はよく分かりました。確かに不気味ですね。とりあえず、今日の四時に別の中学生が来るかどうか待ってみて、考えるのはそれからにしましょう。では、私は休憩室にいますので、店の方をよろしく」

「分かりました。何か用があったらおっしゃってくださいね」

 私はいつもの仕事に取り掛かった。火曜日。お客は少ない。時間の経っていくのがひどくゆっくりに感じられた。

 そして、午後四時。いつの間にか店主が休憩室から出てきていた。私と城野氏以外には誰もいない店内にドアの軋む音が響き渡った。

 入ってきたのは六人の中学生だった。男子が四人、女子が二人。見覚えがある。本を逆さにしていた子達だ。どの子も不安げな表情で店内を見回している。

「ああ、いらっしゃい。呼び出したりして悪かったね」

 え? 呼び出した? どういうことだろう。城野氏はこの子達を知っているんだろうか?

 中学生の一人、利発そうなセミロングの少女が一歩前に踏み出した。

「店長さん。教えて下さい。どうして里奈ちゃんは死んだんですか? あたしたちは大丈夫なんですか?」

「ああ、それだけどね。彼女の死でちょっと拙いことになってるんだ」

 中学生達がいっせいに騒ぎ出した。

「分かった、分かった。とにかくこちらで話をしよう」

 城野氏と中学生達は休憩室に入っていった。私はついて行きたかったが、店を放り出すわけにはいかない。仕方なく七人が出てくるのを待っていた。

 

 

 午後四時五十分。

 部屋から、城野氏だけが出てきた。

「あの、あの子達は?」

「裏口から帰ってもらいました。それからちょっと来てくれますか? 聞いておいてもらいたいことがあるんです」

 城野氏は入り口のドアに鍵を掛けてから休憩室に入っていった。私もあとに続いて入ったが部屋の中には誰もいなかった。テーブルの上には単行本が六冊積まれていた。一番上の本は淡い若草色の表紙に黒い字で「大野正美」とだけ書かれている。著者の名前だろうか。 

 その時、城野氏が私の傍でひざまずき、床にある小さな取っ手のような金具に手を伸ばした。それを掴んで引っ張りあげると、床板の一部が外れて持ち上がり、一メートル四方の穴が出現した。地下室の入り口のようで、覗くと狭い階段が見えた。城野氏は単行本を持つと先立って降りていく。私もあとに続いた。

 地下室の灯りをつけると、そこにはダンボールや新聞の束や灯油のポリタンクが置かれていて、正面の壁際にはセメントでできた台があり、四角く深い大きな穴が開けられていた。穴の底は黒く変色している。

「これは私が作った簡単な焼却炉なんです。この本をこの中で燃やすんですよ」

「これを、ですか?」

「ええ」

 城野氏は本を穴に放り込み、灯油を振りかけた。新聞を丸め、ライターで火をつけて放り込む。炎が上がった。そして―――


 

 凄まじい悲鳴。

 本がのたうっていた。炎から逃れようと生き物のように転げまわるもの。穴の壁に張り付いて震えるもの。じりじりと焼けていく本から立ち昇ってきた匂いは肉の焼け焦げる匂いだった。捲れ上がるページが歪んだ顔になり、私を見つめ、叫んでいた。た、す、け、てと。

「これは? いったい何の本なんですかっ!」

 私は思わず叫んでいた。城野氏は燃えさかる炎をじっと見つめながら呟いた。

「私はこの本達に罰を与えたんです」

「罰って……」

「これには訳があるんです。話を聞いてくれませんか?」

 城野氏は踵を返し、重い足取りで階段を上りはじめた。

 先ほど見たものは幻覚だったのか。私は焼却炉を恐る恐る覗いてみたが、黒く焼き尽くされていく本達は沈黙し、何も伝えてはこなかった。

 

 

 城野氏は流し場で湯を沸かし、コーヒーを淹れてきた。カップをふたつテーブルに置いて彼はゆっくりと話しはじめた。

「香山さん、前にも言ったことですが私には娘が一人いました。私は数年前に妻と離婚し、家を出ました。妻は一部上場企業の管理職でした。私は妻に養ってもらっているような生活が嫌で別れたんですが、愛情がなくなったわけではなかったんです。寧ろ家を出てから妻や娘に対する思いはいっそう深まったような気がしていました。娘は一昨年、中学に入学しました。私は一ヶ月に一度、娘と会っていたんですが、その時よく学校の話を聞かせてくれました。ところが去年の初め頃からそういう話をいっさいしなくなったんです。娘はいじめを受けていました。七人の同級生の、いわば、ストレス解消のおもちゃにされていたようです」

 城野氏は両手でカップを抱え、深く溜息をついた。

「妻もまったく気付いていなかった。去年の七月七日、夢那は真夜中にマンションの部屋にぼろぼろになって帰ってきたそうです。衣服は破れ、顔には痣が出来ていました。妻は理由を問いただしましたが、夢那は何も言わずに自室に篭ってしまい、妻が目を離した隙に部屋を出てマンションの屋上から飛び降りて死んでしまいました」

 カップを持つ手が細かく震えている。

「妻はショックで神経を病んでしまい、今、入院しています。私が昼間店に出られないのは、少しでも妻の傍にいてやりたいからなんです。私は葬儀の後、娘の部屋から二枚の遺書を見つけました。これがその遺書です」

 そう言いながら城野氏が見せてくれた遺書の一枚目にはいじめの様子が小さな字で事細かく記されていた。初めは口を聞かない、物を隠す、いたずら書きをするという子供じみたいじめが次第にエスカレートし、週に一度、人目のつかないところで傷がつかない程度に殴ったり蹴られたりしていたこと。そして、彼女が死んだ晩。<可愛い織姫様、すてきな彦星たちに会わせてやるよ> そう言われて見知らぬ高校生の部屋に連れて行かれ、数人の高校生達にレイプされたこと。そして七人の同級生はそいつらから金を受け取り、ニヤニヤ笑いながら眺めていたこと。字は乱れ、零れ落ちた涙の跡が紙に細かい皺を作っていた。彼女がどんな思いでこれを書いたのか。胸が締め付けられた。……そうか、先ほどやって来た六人の中学生、彼らはもしかして……。

 

 私は二枚目の遺書を見た。そこにはこう記されていた。



―――――――――――――――――――――――― 

 七月一日  大野正美

 七月二日  田村武

 七月三日  武内七重

 七月四日  内藤祥次

 七月五日  五十嵐大輔

 七月六日  富樫俊二

 七月七日  神崎里奈

――――――――――――――――――――――――

<上記の七人に呪いをかける。こいつらは来年のこの日、午後五時に死を迎える。この呪いを逃れることは絶対に出来ない>

――――――――――――――――――――――――



「あの、この遺書は警察に見せたんですか?」

 城野氏は無表情だった。

「警察? 警察が何をしてくれるんですか? 彼らが補導されたってせいぜい少年院止まりでしょう。だから、私はその遺書を隠し、自分の手で彼らに復讐することにしたんですよ」

「復讐、ですか?」

「そうです。私は昨年の秋、まず彼らに手紙を送りました。私は書店経営の傍ら、「呪い」の研究をしていて、たまたま去年自殺した少女の遺書を手に入れたとね。彼らを呼び出して遺書を見せました。ああ、もちろん二枚目だけです。一枚目を見せたら彼らが疑いを持つでしょうから。でも、彼らはしたたかですよ。自分たちは夢那をいじめたことは一度もないし、恨まれる覚えは無いとうそぶきました」

 彼女の自殺は彼らに何の影響も与えなかったのだろうか。そう考えると喉の奥のほうから苦いものがこみ上げて来た。

「私は呪いを研究しているが、自殺をしようとしている人間の呪いほど強力なものはないのだと脅してやりました。思ったとおり、彼らは怯えました。あの年頃は呪いとかを無条件で信じてしまうものなんでしょう。助かる方法はないかと泣きつかれました。だから、私はこう言ったんです。来年のこの日にこの書店に来て、同じ著者の本を七冊抜き出し、上下逆にして戻しなさい。ただし、本の題に「死」、「殺人」などが入っているものに限り、全員違う本を選ぶこと。もしも誰かひとりでも途中で中断してしまったら全員がアウト、とね。まあ、一種の呪い返しみたいなものです」

 彼は壁の写真を見上げた。

「娘が彼らにかけた呪い。それが実現するとはとても思えなかった。だから私は手助けをしようと思ったんです。娘の恨みを晴らしてやりたかったんです。しかし、本当に彼らが来るかどうか多少心配もしましたが、彼らは忘れずにきちんと訪問してきましたね。実は私はこの部屋からこっそり覗いて見ていたんですよ」

 ちょっとぞっとした。この人はこの部屋に一週間前から毎日潜んでいたのだろうか。

「私が何故あなたを雇ったのか教えてあげましょうか。あなたに裁きを下していただきたかったんです。私は彼らが全員本を引っくり返すことが出来たら許してやろうと思いました。この一年間、彼らなりに苦しんだようだし。それであなたを雇ったんです。あなたが彼らの行為を中断するかどうか、一種の賭けに出たんです。そしてあなたは審判をくだした、有罪、と」

 私は耳を疑った。

「審判? ちょっと待ってください。あなたは黙って私にそんな重大なことをさせたんですか? ひどいじゃないですか!」

「済まないとは思っています。でも私は復讐したかった。もちろん多少の躊躇いはありました。ですから第三者に審判を委ね、その結果に従おうと思ったんです」 

「ずいぶん勝手ですね」

 城野氏は目を伏せ、深く溜息をついた。

「勝手だったかもしれない。でも、私はあなたに感謝してるんです。無事に彼らを処刑することが出来ましたから」

「処刑? あの子達は帰ったんじゃないんですか?」

 城野氏は薄く笑みを浮かべた。

「香山さん、私はあなたが必ず彼らを失敗に導くだろうと確信していました。ですから先ほど燃やした本も以前に私自身が製本し、七冊用意していたのです。まあ、一冊は不要になりましたがね。私は昔から催眠術に興味があって独学で学んでいました。今日、この部屋に彼らと入ってきてからすぐに私は彼らに自分達の名前が書かれた本を見せ、催眠術で暗示をかけました。今日の午後五時になったら、この店でこの本を燃やす。お前たちは五時過ぎに時計を見たとたんに体中が燃え出すように熱くなり、魂が死んでしまうと。今頃、暗示は効きはじめている筈です」

 私は少し恐くなった。この人は狂っているのではないか。

「まあ、信じられないのは当然です。構いませんよ。あなたをこんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと思っています。でもこれは私が仕組んだことですから、あなたが気に病むことはありませんよ。さて、話は終わりです。あなたは明日から来なくて結構ですよ。来られてももう店は開けませんから」

 城野氏は柔和な顔に戻り、私に金の入った茶封筒を手渡した。

「どうして私だったんですか? 他の人ではなく」

「最初に来たのがあなただったから。それだけですよ」

 私は最後にこう聞かずにはいられなかった。

「あの、もし七人全員が成功していたら、あなたは本当に彼らを見逃すつもりだったんですか?」

 城野氏は私の顔をまっすぐに見返して謎めいた微笑を浮かべたが、答えは返ってはこなかった。


 

 翌日、中学生六人が行方不明になったというニュースが流れ、大騒ぎになった。数日後、彼らは近くの山の中を魂を抜かれた廃人のような状態で彷徨っているところを保護された。目はうつろで口を聞くことも出来ず、垂れ流した糞尿で身体は異臭を放っていたという。原因不明の奇妙な事件にマスコミは様々な仮説を立てたが、大衆を納得させることは出来なかった。病院に収容された彼らは何日たっても快方に向かうことはなかった。それはおそらく、死ぬよりもひどいことだろう。城野氏は彼らに「死」以上の罰を与えたのだ。

 彼の言ったことは本当だった。おそらく神崎里奈をビルから突き落としたのは彼だろう。でも、なぜか私は警察に通報する気にはなれなかった。

 ひとつ疑問に思ったことがある。催眠術なんてそう簡単にかけられるものじゃないし、絶対かからない人もいる。城野氏のような素人が六人の中学生に同時に暗示をかけるなんて不可能ではないだろうか。

 ひょっとしたらあれは本当に「呪い」だったのかもしれない。焼却炉の本が苦しんでいるように見えたのは既にあの時、彼らの魂が本の中に封じ込められていたからではないのだろうか。だとしたら、催眠術の話は私を納得させるために城野氏がついた嘘だったのかもしれない。

 

 

 数週間後、私は『魔法陣』を訪ねてみた。

 店は鍵が掛けられ、看板も外されていた。その後、私は二度と城野氏を見かけることはなかった。

 

<END>

この作品には続編が三編あります。自分としてはあまり出来がいいと言い難い為、サイトにだけ載せておきますので、興味のある方は読んでみてください^^;

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― 新着の感想 ―
[一言] 怖かったです。 中学生達の謎の行動。そして、店主の正体かわ分かったとき、戦慄を覚えました。 現実に「魔法陣」があれば行ってみたいなぁ。と思っていましたが、こんな話を聞かされると怖くてとても行…
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