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煙の中の美女  作者: ふとん
9/10

楽しい大規模演習 2

 踏み荒らされ噴煙を上げる中、剣戟と怒号に囲まれてニナーリアは迫りくる切っ先を必死に掻きわけていた。


(強い…!)


 兵士の中でも特に選別された騎士という人種は、総じて能力が高い。広く団員を募っているのは、完全な実力主義ゆえだ。

 特にこの国の騎士団の実力主義たるや、たとえ王族といえど少しの手心も加えられないどころか手酷いほどの冷笑をもって迎えられるほどだ。

 それは、騎士団が国を守るのであって王族を守るのではないと掲げているためである。

 安易に王を守ると宣言しただけでは成立しなかったこの騎士団の厳しい変遷にその意味は含まれているが、今日にも受け継がれる騎士団の精神は入団したばかりのニナーリアにも叩きこまれている。


 今、この演習場の真ん中にあってさえ。


 ニナーリアが参加している大規模演習は、騎士団で行われる中でも特に大きなもので、ニナーリアが配属された第一騎士団も全員参加で臨んでいるのだが、これが過酷の一言に尽きる。

 演習は移動訓練も兼ねて行われ、演習場に着けば敵味方に分かれてひたすら紅白戦が行われる。

 それは殺してはならない、致命傷を負わせてはならないという基本的なルールの他は武器も魔術の使用も許可された、実戦さながらのものである。

 

「下がれ、ニナ!」


 近くで切り結んでいた上官のケヴィンが鋭い指示を飛ばしている。

 先の大きな戦場でも功績を上げたはずの彼でさえ、すでに血や泥に汚れて幾つもの小さな傷を負っているというのに、向かい合った敵は未だ涼しい顔をしている。

 

「雑魚にかまうな! 進め!」


 第一騎士団団長のミルケーの檄が遠い。

 この敵のどこが雑魚なのか。

 階級章はこの混戦の中では見て取れないが、彼らが身につけている兵服は一般兵のものだ。

 しかし、ニナーリアがやっとのことで応戦できるほどの者たちがいつのまにか第一騎士団を囲んでいる。

 第一騎士団の歴戦の騎士たちもミルケーに続く事が出来ない。  

 ミルケーも現れた腕の立つ者たちに手を焼いているようだった。


 実際の戦場であっても第一騎士団の者たちがこれほど二の足を踏む相手もいない。

 魔法の爆発音と怒号と悲鳴がないまぜになってニナーリアに襲い来る。

 ガンガンと襲いかかってくる剣は命を狙うものではないと分かっていてもニナーリアの背筋を凍らせる。

 かつてない不安の中、ニナーリアはその光景に目を剥いた。


 誰もが埃だらけの演習場を、女が歩いてくるのである。


 まるで宮殿の赤絨毯の上でも歩くような優雅さで、軍靴で演習という名の戦場を進み、肩にかけたコートが砂埃を避けるように舞う。

 豪奢なほど美しい黒髪はこの場にあっては異質そのもので、軍帽は王冠にも見えた。

 実際、彼女は女王であった。

 真っ直ぐこちらに進んでくる彼女の行く先を、彼女の部下たちが一糸乱れぬ頑強さで敵を阻み、女王の歩みを妨げるものはいない。

 彼女は何の障害もなく敵に阻まれ続けている第一騎士団の前に立つ。


「ごきげんよう、ミルケー」


 艶然と微笑む彼女がひどく場違いだというのに、女王には誰も近寄ることさえできなかった。


「よう、キリエ! 相変わらず強いな、第六騎士団は!」


 ミルケーが泥だらけの顔を破顔させるとキリエと呼ばれた女王は呆れたように肩を竦める。


「演習なんて所詮お遊びでしょ。怪我をするなと命令してあるの」


 血と泥で汚れている戦場にあって、彼女の部下たちはコートの端すら汚れることを嫌っているようだった。

 つまり、彼らは守るばかりで今まで一つも本気で攻撃に転じていないということだ。


「キリエ・ガルフォンド大佐、お手合わせをお願いします」


 息を切らせて女王の前に立ったのは、ケヴィンだった。どうやらミルケーの手を借りて彼女の部下たちの囲みを潜りぬけたらしい。

 愛用の長さの違う双剣を手にケヴィンはキリエの応えを待たずに彼女に向かって走り出すが、彼の前に影が立ちはだかる。

 今の今までキリエの後ろで控えていた男だ。

 仮面の方がまだ愛想があるだろうというような無表情でケヴィンの前に立っただけだというのに、ケヴィンは怯むように立ち止まる。


「少佐、ケヴィンとミルケーを遊んであげなさい」


「わかりました」


 少佐と呼ばれた男が腰に佩いた細身の剣を抜く。軍で支給される何の変哲もない剣だというのに、彼が剣を抜くだけで男の纏う空気が一変した。

 まるで狼が牙を剥いたような、殺気に包まれたのだ。

 誰もが息を呑む中で、キリエだけが呆れたように溜息をついた。


「殺しちゃダメよ。あとが面倒なんだから」


 すると対峙していたケヴィンから視線を外し、男はキリエを振り返って少しだけ目を伏せる。


「心得ております」


 彼の幾分か空気が和らいだように見えるのは気のせいだろうか。

 それでもニナーリアは彼らに近寄ることすら出来ずに、牽制される剣の切っ先をさばく。


「――あら、あの時の子猫ちゃんじゃない」


 ニナーリアが向けられた声の意味を理解したのは、自分に向かっていた剣先が一斉に居なくなったからだ。

 気付けば囲むようにして敵兵に囲まれていて、ニナーリアが身構えても彼らはまるで意に介さない。剣をこちらに向けてはいるものの周りの喧騒からニナーリアを囲む壁にでもなったかのようだ。


「久しぶりねぇ。元気そうで良かったわ」


 兵士たちが恭しく道を開けたのは、まるで夜会で挨拶するような上品さで紅唇に笑みを乗せた女王だった。


「大佐…」


 黒髪の魔女を見上げてニナーリアは緊張で乾いた口の中で唸り声を上げた。


 騎士団の魔女と謂われるキリエ・ガルフォンドの平素は、どちらかといえば軍人というよりも文官に近い。というのも彼女の率いる第六騎士団は騎士団の財政を担うからだ。兵站の確保、騎士の給料、配給、そういった事務的なことを引き受ける部署を抱えていて、辺境の警備や国境警備に携わる第三騎士団や王族や貴族、都市警備に携わる第一騎士団の口さがない者からは会計騎士と呼ばれている。


 それがどうだ。

 この過酷な演習の中でニナーリアが知る限り第六騎士団の赤い腕章を奪った者は誰も居ない。

 統率の行き届いた兵士たちを見回してみれば、騎士団の受付でにこやかに寮の案内をしてくれた女性や雑談を交えながら新人たちを「頑張れよ」と励ましてくれた男性職員の顔もある。見知った顔の彼らは、ニナーリアの知る穏やかな顔のまま戦場にいるのだ。

 

 この、第六騎士団の魔女を中心に。


 腹の底から震えがくるような得体の知れない恐怖にニナーリアが声すら出せないでいるというのに、キリエは軽やかに笑う。


「この演習で生き残っているのはエライわよ、子猫ちゃん。ミルケーとケヴィンに可愛がってもらっているのね」


 まるで本当に何もできない子猫を愛でるように言われて、竦んでいたプライドがニナーリアの中で奮起する。

 ニナーリアは元々軍人の家に生まれ、剣を叩きこまれたが良家の子女として結婚を用意されていた。それが嫌で家を飛び出し、魔術の才を見いだされて腕を磨き、傭兵として暮らしていたが安定した職に就くため騎士団に入っただけだ。

 騎士団でなくとも強敵も良い師もたくさん居る。


「……あなたに言われなくても、私は生き残れます」


 戦場だって幾つか経験してきた。

 お飾りのように騎士団の椅子にふんぞりかえっているキリエのような女にはその過酷さは分からないだろう。

 改めて剣を構えるが、周囲の敵兵もキリエも子猫が牙を剥くのを面白がるような顔をするだけだった。

 キリエは何がそんなに面白いのか、紅唇の端をにやりと引き上げて部下たちに告げる。


「あなたたち、ちょっと遊んでらっしゃい。――ミルケーとケヴィン以外を残して殲滅しろ」


 魔女の命令にニナーリアは戦慄を覚えたが、キリエの部下たちは各々に剣を引いて散っていった。


「あなたは私が遊んであげる」


 キリエはそう言ってニナーリアに視線を戻すが、彼女は腰に佩いた剣すら抜こうとしない。構えもしないで手を腰に当てたままだ。


 馬鹿にされているのは明白だった。


 ニナーリアは奥歯を噛んで、魔術の術式を口の中で唱える。演習ということもあって魔術の使用は自粛してきたが、この女の澄まし顔を崩してやらなければ気が収まらない。

 他の惨事や怪我の心配など頭から吹き飛んでいた。

 

 戦場で敵兵を屠る時と同じように魔術を剣に乗せて、放つ!



ザン!



 大きく振りかぶった斬撃は読みやすい軌道だったが常人では避けられないほどの速度がついている。

 我に返ったニナーリアが思わず剣を引こうとしたが、魔術に乗った剣は滑るようにしてキリエの首へと向かっていた。



ブン!



 大振りした剣は消えた人影を斬るようにして空振った。

 そのまま回転してしまいようになるのをこらえて視線を巡らせたニナーリアだったが、その肩に乗ったのは人の手だった。


「まだこんな玩具で遊んでるの?」


 どっしりとした皮の手袋だと、重装備の内からも分かるような手がニナーリアを冷や汗で冷やしていく。

 手で撫でられているだけだというのにまるで刃物を突き付けられているようだった。

 辛うじて首を巡らせると、黒髪の魔女が微笑んだ。


「あなたが飽きるまで遊んであげるわよ。――私がその腕章を取らない限り、あなたは死なないから」





――ニナーリアは、日が暮れるまで魔女に弄ばれた。

 魔力が枯渇してなお、魔女に襲いかかったがニナーリアが立てなくなって腕章をもぎ取られるまでコートの端すら捕えることはできなかった。


 そしてその日、第一騎士団はキリエが命令した通り、ミルケーとケヴィン以外は全員が腕章を討ち取られて全滅した。




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