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レインボー・エンジェルの犬  作者: 吹留 レラ
【第三章】 現地調査
7/16

(7)



――クルシイ……クルシイ……コノミズハドクダ……。

――タスケテ……タスケテ……イキガデキナイヨ……。


誰かが苦しんでいる。

一体誰が……?

しかし俺の意識はまだ夢の中のようで、朦朧としていた。

だからいつしか、まどろみの中での俺の意識もそこで途切れる。

 


   

***



 

十二月七日、快晴――

 

十二月はたいてい雨か雪が続いていたが、久方ぶりの快晴とあってこの日は珍しく(?)、

菱湖研究会も研究会らしい活動をおこなっていた。

名所を巡る観光みたいなものだが、要するに菱湖や周辺の現地調査である。

移動用に使われた車は二台。

シゲさんの乗用車には俺と草薙さんが、ワタさんのRV車には龍呼がそれぞれ便乗し、

シゲさんの車のあとにワタさんの車がついて来る形だ。

まずは、菱湖の主に挨拶も兼ねての龍波姫の墓へと向かう。

菱湖の西南の奥まった山村に、龍に化身した龍波姫の生誕地と墓がある。

道中、看板が至る所に立ってあるので迷うこともなく辿り着けるが、

シゲさんは何度か来たことがあるのだろう。

民家に辿り着くと、庭先のハウスで仕事をしていた家主に一度挨拶してから、墓地へ歩いていく。

 

隣接する林の中に、いくつかの小さな古い墓石がひっそりと並んでいた。

ここに暮らしていた人たちの墓なのだろうが、どれが龍波姫の墓であるのかがわからなかった。

こうして見ると、どこにでもある古い墓所だ。

さぞ立派な墓だろうと予想していた俺は拍子抜けするが、

せっかく来たのだからとデジカメで写真を撮っておくことにする。


「……本当に龍波姫はここに眠っているのか? にわかには信じられないが。

 それに、さっきの人が龍波姫の子孫?」

「あの人は龍波姫とは無関係だ。

 彼女が住んでいた家が今の民家の場所にあったというだけで、

 伝説どおりなら龍波姫は一人娘で母親と二人暮らしだったから、既に血は絶えているはずだ。

 時が経てば伝説というものは、誇張されていく運命なんだろうな」

「ふ~ん。それはそれで神秘性の増強に一役買ってるんだな」

 

メンバーは、静寂の中にひっそりと(たたず)む墓所の前で手を合わせた。

拝観させていただいたお礼と、無事に浄化作業ができるよう願って。

全員が目を閉じてその場に佇立(ちょりつ)しているとき、

片目をうっすらと開けた俺は、ワタさんと彼の背後に立つ龍呼を一瞥(いちべつ)した。


次に一行が向かった先は、菱湖の東側の丘陵地帯の中に位置する、試し切りの石。

平安時代、蝦夷征伐のため北へやって来た将軍は、

軍勢を伴って北全土を平定したあとに征夷大将軍に命ぜられている。

その彼が試し切りに割ったと伝えられている石だった。


「日本全国津々浦々、巨石のある所に何かしら伝説ありきだから不思議だ」

「きっと因縁めいたなにかはあるんでしょうね」


端に一切れ分の切り目の入ったかまぼこ型の石を感慨深げに眺めながら、

シゲさんとワタさんが真剣に話し合っている。

俺には自然に割れた切れ目にしか見えなかったが、

あまり興味がなさそうな草薙さんもまた同様に感じているに違いない。


「――なぁ、あれって本当に将軍様が割ったものだと思うか?」

 

そばに近づいて来た龍呼に俺は訊ねてみた。


「さぁ……。でも、伝説は伝説のままが面白いんですよ。

 それにしても今日は本当に好いお天気ですね」


う~んと両手を青い空に向けて伸びをしてみせる彼女は、

気分爽快と言わんばかりに気持ちが良さそうだった。

両手を広げながらクルクルとその場で旋回までしている。

今にも蝶を追いかけるみたいに笑いながらその辺を走り出しそうだったし、

そんな彼女を自分も「待てよーアハハ」とか言いながら追いかけ回しそうだ。

うっかり石の存在を忘れそうになった頃、黒のカバンから方位磁石を取り出したシゲさんは、

かまぼこ型の石の切り口にかざして方位を調べ始める。


「公介くん、見てみろ。この石は北東から南西へ向かってすっぱりと切れている。

 ここから北東には龍大権現が、南西には龍神社がある。

 どうだ、面白いだろう?」

 

いや。

なにがどう面白いのかさっぱりわからんしな。 

そして次に向かったのは、菱湖の北西に位置する龍大権現。

名前だけ聞いても龍という以外、

なにを指す場所なのかピンとこないが、今度は何倍も大きな巨岩らしい。

わけがわからないまま車に揺られて数分後、

田んぼの砂利道をガタゴトと更に揺られて辿り着いた先は、ある山の森の中だった。

意気揚々と薄暗い森の中へ入っていく彼らに、

散歩する老人のようにゆっくりと俺もついていくと、

間もなく色の()げ落ちた古式ゆかしい鳥居と、

その先に奇怪な巨岩が屹立しているのが見えた。

岩の一角にローソクやらお供え物が手向(たむ)けられてある。

おそらくここは神域、祈りを捧げる場所なのだろう。


そして磁石を手にするシゲさんが、ここでも方位について指摘する。


「この岩はその名が示すとおり龍を意味している。

 飛び出たあの部分は頭で、それは尻尾に見えないか? 

 つまり頭は北東を、尻尾は南西を向いている」

「シゲさん。さっきから聞いていると、そんなに方位が重要なのか?」


試し切りの石と同じ意味合いを持っているかどうかはともかく、

それが一体なにを意味しているのか未熟な俺にはわかりかねるが、ふと思いつくことがあった。

結界ラインだ。

結界の中の、とある二本が斜めに北東と南西へ等間隔で延びていた。

と、いうことは――


「レイラインか?」

「お! 鋭いな。我が研究会の会員らしくなってきたんじゃないか?」

 

別になりたかったわけでもないし、メンバーになったのも半強制的になんだが。


「試し切りの石と龍大権現の延長線上には、実は龍凪堆と龍波堆が存在している。

 つまりレイラインと言えよう。これらは夏至の日の出ラインにも重なっているんだ。

 昔の人たちは、特にこの夏至の朝日のパワーに神聖さを感じ取っていた。

 太陽信仰とも言えるな、太陽のエネルギーを得るために」 

 

巨石信仰に太陽信仰。

換言すれば自然崇拝。

いくらその信仰が薄れてしまった現代と言えども、根までは消えていない。

人々はいつの世も自然に対して畏敬の念を禁じえないのだ。

そしてワタさんは付け加えた。


「推測だが、龍凪堆は龍大権現と、

 龍波堆は試し切りの石と夏至の日の出ラインで繋がっている。パワーチャージだ。

 それだけでも意味がありそうだろ? 君はどう感じる、公介くん?」

「いや、特になにも……」

 

正直に言えば、「だからなんだ?」と言いたい。

シゲさんのなんでも出てくるカバンから、

あの線引きされた国土地理院の地形図を拡げてみせてくれなければ、

さっぱりわからなかったであろう無学な俺だったが、これでようやく理解できた。

やたらめったら延びているように見えていた結界ラインは、

なにかしら意味があって延びているのだ。


「でも誰がなんのために結界ラインを作ったんだ?」

「わからん。ただ、将軍がここへ来た平安時代よりも、

 ずっと昔から結界は延びていたと我々は憶測するがな」

 

その話を聞いて、少しだけ俺の興味も沸いた。

興味ついでに、龍大権現のことについても訊いてみる。


「ところで龍大権現って龍波姫となんか関係あんの? 聞いたことないんだけど」

「あるぞ。龍波姫を巡って、龍凪と戦った祖大師(そたいし)というのがそれに値する。

 つまるところ、龍大権現は祖大師の化身と伝わっているんだ」

「祖大師……? どっかで聞いたことがあるような……」

永久(とわ)湖の龍だ。元々永久湖は龍凪が主として棲んでいたが、

 七日七晩祖大師と戦い、龍凪は敗れて永久湖を追い出された。

 その後、龍凪は西方の凪潟に棲むことになるが――」

「ああ、それだ。幼稚園児の頃、何度か紙芝居で見たことがある」

「だが龍波姫は龍凪を好いていたのか、祖大師に魚を投げつけた。

 魚は松明になり、それで火傷を負った祖大師は撤退した……ともあるな」

 

龍波姫つえー。


「それで祖大師は執着していたのかもしれないな。

 二人の愛を隙あらば引き裂こうと、

 龍大権現という化身となって見計らっているのかもしれんぞ」

 

笑ってシゲさんは言う。


「男の執着、か。――龍呼はそんな男をどう思う?」

 

ワタさんが唐突に彼女に話を振った。

それまで一人でその辺りを散策していた龍呼は、「え?」と驚いてワタさんを見上げた。


「ええと……、よく……わかりません」

 

そうこなくては。

龍呼はそうでなければいけないのだ。

いかにもウブそうな所がチャームポイントなのだから。

俺は一人でうんうんと(うなず)く。

すると突然、話の中に割り込んできた男がいた。


「なーんも難しぐ考える必要ねーべ? 

 おめはどんだ男が好ぎなんだがって()いでるだげだべ」

「え……?」


草薙さん以外の全員が、虚を衝かれた顔をする。

誰もそんなことは訊いていない。

だが俺は、今日一番の興味津々の目を龍呼に向けている。

頬を真っ赤に染めた彼女はやはり恥ずかしそうにうつむき、

そして――ワタさんを振り仰いだ。


「……」


思わず俺の顔が気色ばむ。

すぐに龍呼は視線をそらして「秘密です!」と告げて背を向けてしまったが、

たった一瞬の行動で、彼女の本心を知ってしまった気がした。

薄々と感づいていたことだったが、

今のを目にしてやはりそうだったのかとどこか残念な気持ちにもなる。

いつしか握られていた俺の掌に爪が食い込んでいたが、不思議と痛いとは思わなかった。

痛いのは、どちらかと言えば胸の奥――




***




再び菱湖へ移動し、石座神社の北側の鏡岩へと向かうため、

俺たちを乗せた車は一般駐車場へと停車した。

あの山道をヒィコラまた登って、

無様(ぶざま)な格好を見せなくてはならないのかとげんなりする俺は、

やっと縁を切った筋肉痛と復縁するはめになるのかと思うと、前にも増してげんなりした。

しかしシゲさんは、今回は鏡岩へ行くのは辞退すると切り出した。

自分は何度も行っているから若者たちで行ってきたまえと。

正直シゲさんも登るのは辛いんだろうな……。

多少かっぷくのいい草薙さんは言わずもがな。


今回は遠慮するつもりでいる俺だったが、龍呼とワタさんが行くとなれば落ち着かなくなる。

案の定、当の二人も今日は遠慮すると言って断った。

ホッと胸をなでおろす俺。

そして最後に用意された場所は、南の盛山の(ふもと)のおたつ茶屋。

車にそれぞれ乗り込み発車する。

俺は後ろからついて来るRV車の二人をサイドミラーから見つめていた。

そこから見える二人は、なにかを楽しそうに話している。

一体なにを話しているのだろう。


「――ワタさんって、独身……?」


藪から棒に道路に飛び出してくる野生動物のような俺の意外な質問に、

ハンドルを握るロマンスグレー・シゲさんも不可解な表情を一瞬窺(うかが)わせたが、

すぐに「そうだが?」と肯定した。 

ワタさんは三十代と言っていたが、どう見ても三十代前半の三十一、二歳ぐらい。

自分から見ても大人の頼れる男だとは思う。

自分に勝ち目があるとすれば身長のみ……って、なに考えてんだ俺? 

なのに、自分でもよくわからないまま、自分でもよくわからない質問を続ける。


「あの二人ってどういう関係なんだ? 恋人……同士とか?」

「あの二人?」

「後ろからついて来る二人」

 

ははぁ、とようやく合点(がてん)がいったシゲさんは、

口の端を吊り上げてニヤニヤした。

不気味だ。


「さぁ、どうだろうな。本人たちに訊いてみればいい」

 

そっけない。

それに比べて、眠たそうに後部座席であくびを何度も漏らしていた草薙さんが、

息を吹き返したように間に割り込んできて言い出した。


「確かに怪しいなあの二人。公介くん、あとで訊いでみろ」

「――なんで俺なんだよ」


あの二人について訊き出したのは自分だったが、そこまでする度胸はない。

知らない方が幸せということもあるのだ。

俺は車窓からの湖畔(こはん)物憂(ものう)げに眺めやり、

頬杖をついて長嘆息(ちようたんそく)を漏らした。

まるで恋するなんとやらだ。鉛を飲み込んだように重くなった空っぽの胃が痛む。

しかしそれきり、俺がサイドミラーで仲睦まじい男女を視界に入れることは二度となかった。

 



龍波姫の墓、試し切りの石、祖大師の龍大権現、鏡岩、

そして龍神社を経過し、盛山の麓のおたつ茶屋に俺たちはいた。

ちょうど昼時だった。

天気が好いせいもあり、路面にあった雪も融け観光客もチラホラいるとあってか、

冬場は大方閉まっている店も本日は開いているようだ。

名物のイワナの塩焼き数本に、ごはんと山菜汁をすすりながらメンバーたちは、

今日巡廻した場所の審議をしている。

但し龍呼だけは、ここが元祖だと看板で(うた)うみそ餅を、

魚がおちょぼ口で食べるように、ちまちまとついばんでいた。

しかも魚嫌いらしく見るのも嫌だと言って、

みなが食べている瞬間を見ようともせず終始うつむき加減で食べている。

テーブルの隅っこで一本だけを両手に持ちながら。

あとは店の自動販売機で買ったお茶が一つ。

見る限り小食っぽいが、よくそれで腹が持つなと俺は感嘆した。

だから細いのか。

でも出ているところはちゃんと出ているという……。

そんなセクハラ行為が秘めやかに執りおこなわれていることなど、

露知らずのグルグルメガネの彼女の隣りに座るのは、

もはや指定席とさえなっているワタさんだったが、

そのせいでこのところ彼に差し向ける俺の目つきは、つい据わった目になりがちだ。


まさか、もうとっくに手を出してるなんてことないだろうな……。


もしそうだったら、俺はワタさんを軽蔑するぜ。

別に軽蔑する理由も権利も俺には微塵もないのだが、こっそり一人宣戦布告である。

そのままワタさんから視線をそらさずに、次々とイワナを喰らった。

だが、終始爽やかな笑みを浮かべるワタさんだが、

さすがに異様な気を発しながら睨み付ける俺の視線に気付く。


「公介くん。そんなにイワナが欲しいのかい? 俺の分も食べていいよ」

 

気前よくワタさんは、俺の串だけになった皿の上に自分のイワナを一匹捧げ置いた。

荒ぶる直前の神を鎮めるかの如く――

もちろん、ワタさんにそんなつもりもないのは承知の上だが。

俺の顔がニタリと緩んだ。  

お供え物にがっつく鉢山公介神(はちやまこうすけのかみ)も、食欲には勝てやしない。

胃が嫉妬でときどき痛んでも旨いものは旨く、食欲には抗えないのだ。





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