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レインボー・エンジェルの犬  作者: 吹留 レラ
【第二章】 奇妙な研究会
4/16

(4)



壁に掛けられた時計の針は、午前九時から十分ほどを回っていた。

菱湖郷土史料館館内の一室――

開館までには、まだ一時間ほどあるので館内は静かだった。

窓の外から鳥のさえずりが聞こえてくる。

自然豊かな菱湖周辺の森には野鳥も多い。

運が良ければ、

清流に棲む『水辺の宝石』と呼び声高いカワセミ(翡翠)にも遭遇できるであろう。


「――体外離脱……って言うと、あの……?」

「そうだ。幽体離脱とも言うが、我々は体外離脱、略して体脱(たいだつ)と統一して呼んでいる」

 

俺が目撃した幽霊女は、まさに龍呼が体脱した姿らしい。

呆気にとられる。

……ってことは、あの別嬪(べつぴん)が龍呼の素顔ってことになるのか?

メガネを外せばとんでもない美貌に、もったいない、なんで隠すんだと、俺は腑に落ちない。

いや、だからか? 

注目されるのを避けるため? 

実はとっても恥ずかしがり屋さん?

内心で自問自答していると、俺の心を読んだ館長が裏切るようにその思惑を完全否定した。


「但し、龍呼の場合は特殊だ。別の霊体であるエネルギー体とトランスミックスしている」

「トランスミックス……? あの、安倍さん。

 もうちょっとわかりやすく説明してもらえませんか?」

 

音楽じゃねーんだから、いきなり横文字に変換されるとわけわからんぞ。


「つまり憑依だ」

「ひょっ、ひょ――っ!?」

 

俺から発された奇声は、日本語に変換ならず。

やっぱり俺は夢を見続けているんだな……。

これは夢だ。

どうか夢であれ。

しかし筋肉は痛かった。

数時間前よりも激痛だ。

口は雄叫びを上げるほど忙しいが、動作は亀のようにとろくさかった。

一気に年老いた気分になる。


あれから車で七時間、一度も目覚めることなく熟睡した自分にも驚きだったが、

おかげで筋肉痛をひどくしたばかりか、

肩甲骨(けんこうこつ)の辺りにも電流がビリビリ走っているみたいだった。

――ということは、龍呼に憑依したエネルギー体の方が別嬪(べっぴん)だということなのだろうか。

確かに別人であれば、性格が違っているのも当然だ。

なんといっても、あの女は性格がすこぶる悪かった。

人を蔑んだ目で見下した挙句、あまつさえ「――どけ」だぜ。

命令形かよ。

女王様かってんだよ。

となれば、自分は下僕に値するのだろうかと両腕を組んで唸ってみるが、

そんなことよりもあの女の本体が気になった。

会いたくはないタイプだが、一度ぐらいなら会ってやっても損はないだろうと、

俺は寛大な心で(てい)する。

決して美人だから、というわけではないぞ。


「……で、龍呼にひょ、憑依したのってどんな奴なんだよ? 

 まさか、龍波姫って言わねーよな?」

 

言葉にはするものの、どもってしまった。

憑依だなんて尋常ではない言葉を口にするだけで背筋が寒くなる。


「それがわからんのだ。龍呼とお前さん以外、我々には視えないからなんとも言えんしな」

「へ? 視えない? な、なんで俺には視えてるんだ?」

「お前さんに、龍呼のような素質や能力があるからだとしか言いようがない」

「素質や能力って、まさか――霊感?」

 

同席する一同が、真摯な眼差しを向け頷いている。

咄嗟に俺は、手振りも交えて思う存分否定した。


「ないない……」

 

霊感などという、けったいな代物を持ち合わせているわけがねぇ。


「それと体脱もな」

「ないないないない……」

 

そんな恐ろしい技のやり方なんざ知らねーし、知りたくもねーっつーの!

両手を激しく――すると激痛が走るので、超スローモーションで優しく左右に振る。

とはいえ、霊感がなければあの女の姿を視ることもなかったはずなのだ。

いつの間に己にそんな力が開花したというのか。

春を告げる桜前線だって開花予想日がある。

これが現実であれば、あまりにも滑稽(こつけい)かつ唐突すぎる話ではないか。


「ということで、よろしく頼む」

 

よろしく頼むんじゃねぇ!

辟易した俺は、深いため息とともに他のメンバーを一瞥し、

今度は痒みを感じた背中をポリポリとかいた。


「そういえばメンバーの紹介がまだだったな」

 

リーダーであろう館長が話題を切り替える。

パイプ椅子に深く腰掛けていた一同の顔も途端にキリリと引き締まり、居住まいを正した。


「えー、ここに集まっているメンバーは、『菱湖研究会』と銘打って活動している面々だ。

 まずはこちらから――菱湖高原温泉で民宿を経営している草薙洋雄(くさなぎひろお)さん。

 えー、年は……草薙さんは確か五十代だっけか?」

「んだ。まだピッチピチだべ。よろしくたのんます~。

 東京からよぐ来たな~。菱湖は綺麗だべ~?」

 

草薙さんは、方言丸出しの愛嬌のある男性だ。

今もニコニコしながら俺に話しかけている。


「その隣りが、渡会裕一(わたらいゆういち)くん。みんなから『ワタさん』と呼ばれている」

「ちなみに三十代でーす。草薙さんよりピッチピチでーす」

 

ドッと笑いに包まれ、凝り固まっていた緊張が一瞬で解かれた気がした。

こちらも気さくな好青年という感じの男ではある。


「そしてもっとピッチピチなお嬢さんが、そこに座る小野(おの)龍呼(りゆうこ)

「改めてよろしくお願い致します。どうぞお気軽に龍呼(りゆうこ)と呼んで下さい。……十九歳です」

 

やっぱり年下だったかと、俺は自らの狂いのない審美眼を礼賛(らいさん)した。


「じゃ、俺のこともただの『公介』でいいよ、龍呼。ついでに年は二十一」

「あ、はい。公介、さん……」

 

なんだかいきなり新婚さんのようで照れくさい。

心の中でにやける鉢山公介、二十一歳の秋。


「最後に俺だが安倍茂(あべしげる)。みんなからは『シゲさん』と呼ばれている。――以上というメンツだ」

「あれ~? まだシゲさんの年齢言ってないよ~」

「俺はいいよ、渡さん」

「――六十代だべ」

 

あっさり暴露する草薙氏に、再び部屋の中に笑いが響いて場が和む。

楽しいメンバーだ。

俺も居心地の良さを早くも感じている。

見事に年齢がみな均等でバラバラだ。

自分も入れれば五人か……と思っていると、


「実はあと一人いるんだが、日中寝ているとかで滅多に顔を出さんが、いずれ現れるだろう。

 それは追々紹介するとして――」

 

館長ことシゲさん――が言うには、もう一人いるようだ。

その人は四十代なのだろうかと、まだ出ていない四十代を流れ的に当てはめてみる。

日中寝ているということは、その人も自分と同じ夜勤族かフリーターなのか? 

俺も日中は大体寝てるしな――と、感慨深げに親しみを込めて。

しかし後に、この軽い親しみが重い憎しみに変わることを、

このときの誰もが予想だにしなかった……。




***




「この会の趣旨及び方針は、菱湖を研究しながら保護活動をするのが表向きだが――、

 実際は修祓(しゅばつ)をおこなっているボランティアでもある。つまり、浄化作業だ」

「浄化?――って、菱湖の浄化? 掃除でもするのか?」

 

一見綺麗な湖も、観光地で人がいる以上、

なにもしないでいれば当然荒れたり汚れたりするのだろう。

清掃をするとか整備をするとか、そういうことを俺は想像した。

それらを怠って捨て置けば、観光協会、あるいは市や県の死活問題にも発展しかねない。  

下手をすれば国の尊厳にまでも関わってくる……かもしれない。

国上げての保護活動の一環としてならば考えられなくもないが、

そこまで深刻なようにはまったく見えなかった。

どう見ても、普通にのどかで美しい一観光地だ。

俺は、それまで怪しい宗教団体ではないかと半信半疑でいた疑いも、

少しだけ晴れた気持ちでいた。

はずだったが――


「無論、ただの掃除ではないぞ。浄化作業は夜におこなっている」

「夜? 一体全体どういう掃除だよ? 湖に落ちるのがオチだろうが」

 

前言撤回。

やっぱり怪しい……怪しすぎる……。


「浮遊するエネルギーの浄化だ。我々は補佐役でメインは龍呼なんだが、

 彼女が体脱して憑依されたエネルギー体で浄化するのだ」

 

……駄目だ、さっぱりわからん。


「君が視た光というのは、おそらく龍呼が浄化していた最中の光だろうね。

 まぁ、俺たちには視えないわけだけど」

 

シゲさんに続いてワタさんがフォローする。

彼らは毎晩のように浄化作業をおこなっているとかで、

以前は一月に一回程度だったようだが今年の夏至以降は急激に増加して、

今ではほぼ毎日活動しているらしい。

増した原因は不明とのことだが、汚染物質の正体は判明しているようだ。


「昭和十五年の珠の川毒水の話は以前聞いただろう? 

 あのときの毒水の残滓(ざんし)、いわゆる毒のエネルギーが正体だ。

 湖の底に沈殿していたそれらが浮上し始めた。

 いや、分裂しながら増量していると言った方がいいな。

 湧水や温泉の如く噴出だ。まさに菱湖が覚醒状態にある」

 

なにか変な言葉が耳の中へ流れ込んだ気がして、俺は眉をひそめる。


「覚醒って、怪物でも目覚めるのか? 生き物じゃねーんだから」

「生き物だ。菱湖は龍波姫自身と言ってもいい」

 

冗談を言っている顔ではなかった。

ワタさんも龍呼も草薙さんも同じ形相だった。


「――じゃあ龍波姫が覚醒してるってのか?」

「わからん。それを調べるのも我々の使命だ」

「……使命ね。誰が頼んだんだか。

 ところで体脱をしない安倍……シゲさんたちは一体なにを? 補佐役って?」

「肉体を離れている間の龍呼の身体を守っている。――それと結界をな」

「結界?」

「そうだ。龍呼に憑依するエネルギー体が視えているのなら、

 公介くんにも視えていると思ったんだが……。

 例えば、石座神社のご神体とも言える北に位置する鏡岩から、

 向こう岸の盛山(もりやま)まで結界が張られてある。

 ちょうど、二つの湖底の火山堆を囲むようにして」

「……」

 

さすがの俺も閉口する。

言い返す言葉が見つからない。

しかし心の中では――


そりゃ大したもんだ。

いよいよ漫画や映画の世界になってきたな。

この分だと陰陽師なんかも出てきそうだ。

俺的にはロボットやメカの方に期待を寄せたいところだが――


などと妄言していた。

そして立ち上がったシゲさんが、

折りたたんでいた巨大な菱湖の地図をカバンから取り出し、テーブルの上へ広げ始める。

大方、図書館でコピーしてきたのであろう、詳細な国土地理院の一万分の一地形図。

シゲさんは赤色のマーカーで、重要なポイントらしき場所を次々とマルで囲み、

結界だというラインを、縦、横、斜めにレイラインさながら豪快に線引きしていく。

 

――ん? 斜め? 

北東から南西にかけて、菱湖を飛び出しているこの二本のラインは一体……? 


俺は二本の斜線を解せぬ表情で訝しげに眺めているが、シゲさんは解説をし始めていた。


「このマルで囲んだ二つの火山堆――龍凪堆と龍波堆の間の岸辺に龍神社が鎮座しているが、

 ここも結界の役目を担っている」

 

まったく知らなかった。

そんな力があの鏡岩や龍神社に秘められていたとは。

だがなぜ、湖の中にある火山堆に、

重要だと言わんばかりの何重ものマルを書いたのかが俺にはよくわからない。


「なぁシゲさん、その火山堆にはなにか特別な意味でもあるのか?」

「ああ、これか。はっきりとは言えんが、

 ここから『悪玉(あくだま)エネルギー』が噴出していると我々は(にら)んでいるのだよ」

「――って、悪玉菌かよ」

「似たようなものです。紫と黒が混じったアメーバ状の菌が、

 湖中や湖上にウヨウヨと漂っているような状態ですので……」

「――ゲッ」

 

説明に加わる龍呼が事もなげに口にした。

自分の持ち込んだゲームを想像してしまった俺は、薄気味悪そうに顔をしかめる。


「だからその結界――龍呼が言うには懐中電灯や赤外線の光の壁みたいなものらしいが、

 そこより外側には悪玉エネルギーは出ていっていないようだ。湖中しかり。

 だから幸いなことに、特定の範囲内で浄化作業ができている。

 しかし、いつまでも龍呼一人では骨の折れる大掛かりな作業だ」

「体脱あとのエネルギー体なら骨は折れねぇだろ」

 

いちいち毒づいてみるが、それまで淡々と涼しげな顔で話していたシゲさんが、

突如俺の上をいくとんでもない暴言を吐いてみせた。


「――実は前々から、龍呼のように意識を保ったまま体脱ができる仲間を探していたんだが、

 公介くんならできると直感した。これは運命的な出会いだ。しかも鉢山という名字。

 神の思し召しとしか言いようがない」

 

聞かなかったことにする。

俺にとっての神の思し召しは、「早くここを脱出するべし」なのだから。


意識保ったまま体脱だぁ? 

いつできるって俺が言った? 


てか、そんなもんさせる気で、鼻息荒げてんのかこのおっさん?

冷ややかな目つきでドン引きしていた俺は、更にドン引きする。

もしこれが本当に運命の出会いだとすれば、

各局の星占いがすべて自分の星座をワースト一位にチョイスするだろう。



 

考えてみれば、新幹線のキャンセルの電話を入れたのは自分だったし、

店長にしばらく休む(むね)を連絡したのも、

母親に「あなたの不肖の息子はしばらく戻れません」と電話したのも結局は自分だった。

当然と言えば当然なのだが、戻「り」ませんではなく、戻「れ」ませんと言ったのがミソだ。

帰れなくなった、せめてもの悪あがき。

ささやかなる報復。

名物のみそ餅を土産に持って帰るから、

警察沙汰までは起こさず大人しくしていてくれよ母ちゃん。


「こちらでどうにかする」と告げられたのは嘘か幻か。

だまされたと言っても過言ではない。

悪玉エネルギーや浄化活動の件は一切口外するなと、

あのあとシゲさんに釘を刺されてもいた。

だから店長や母には、「自分を見つめたくて……」と、ありもしない理由で取りつくろっていた。


一方で、キャンセル代や当面の資金は今朝、郷土史料館に着いた早々手渡された。

(こと)の外重く、ずいぶんと厚みのある封筒だった。

中をのぞき込めば、バイト代三ヶ月分よりも多い福沢諭吉が入っていた。

シゲさんに一ヶ月分の給料だと説明されたが、契約期間は一ヶ月ということだった。

しかも前払いだ。

今日が十一月二十二日なので、十二月二十二日までということらしい。

いいのかよ……という後ろめたい思いは確かにあったが、すぐに吹き飛んだ。

何故なら、電話越しの店長と母への気苦労は本来不必要だったはずだからだ。

自分はなにも悪くはないのだ。

被害を被ったのは自分自身。

それを思えばこれぐらいの資金では、むしろ足りないぐらいではないか。


だが、クビを覚悟していたのに意外にも店長からは、

一ヶ月休みをすんなり賜って肩透かしを食らったのも事実だ。

ありえないほどの優遇だが、

これも一重に日頃仲良くフィギュアの話で盛り上がった功績だろうか。

店長とは年も近い上に、フィギュアオタクな同志なのだ。

息子激愛の母にはお怒りを鎮めてもらうため、名物のみそ餅でも買っていこうとおもねている。

ちなみにあまりにもやかましいので、ケータイの電源はオフ中だ。

帰ったら帰ったで怖い気もするが、今こそ子離れのチャンスでもある。

母にとってはいい機会だ。

そして、レンタカーも一ヶ月延長して借りることに決めた。

自分用に自由な足を持っていた方が何かと都合がいいのだ。

いつでも逃げられるように……というわけではない。

確かに帰りたい、逃げ出したいと思ったことに異論はないが、

資金をもらってしまった以上そんなことはできなかった。

レンタカー代も既にそこから捻出済みだ。

でもここにいることにした本当の理由は、龍呼からお願いされたことによる。

 

――あんな切実並びに可愛らしいお声で「お願い、帰らないで……」と嘆願されれば、

誰だって帰りたくもなくなるわな。

 

もしそれで本当に帰るような男がいるもんなら、そいつは野郎失格だ。

男の風上にも置けねぇ。

つと俺は、龍呼の視線を感じて彼女の方を振り向いた。

俺の席からは一番遠くに座っている。

両者の双眸がしっかりと重なり合った。


「!」


龍呼は目が合ったのを恥ずかしがるように、即行うつむく。

その後もしばらくは、顔を上げようとはしなかった。

なんだ……? 

俺に気があるのか?


俺は俺で龍呼から視線を外さずにいる。

別のことを考えるのに夢中になっていたからだ。

昨晩の彼女は巫女装束を着ていた。

巫女姿のメガネ女子もなかなか乙なものだ。

世の中にはそれに萌える(やから)もいると聞くが、残念ながら自分はそれには当てはまらない。

俺の部屋にはフィギュアがずらりと並んでいたが、キャラクターはほとんどなかった。

圧倒的にロボットなどのメカものが多く、

あの洗練されたフォルムは何にも言い尽くしがたいと豪語する。

しかしながら、龍波姫のロボットバージョンがあれば買ったかもしれない、と考えていた。


「龍波ロボット、商品化求む! それこそ罰当たりかな~な~んて」

「公介くん……、龍呼を見つめながら一体なにを言っているんだ?」

 

ワタさんが俺の顔を唖然と見ていた。

おそらくは白い(まなこ)で。

……やば。


つい自分の世界へ入り込んでしまっていた……。


「――独り言です。気にしないで下さい。ハハハ」

 

この場をごまかすべく、むりやり笑ってやり過ごした。

そして俺は、渦を巻く龍呼のメカニックなメガネが気になって仕方がない。


「なぁ、そのメガネ――」


問い質したかったが、言いかけたところでシゲさんが間に割り込んできて口にした。


「というわけで、早速今夜から公介くんは参加してくれたまえ。

 なに、俺たちに任せてくれれば大丈夫だ」

 

本当に大丈夫なのかぁ? 

不審な横目をくれてやるが、すぐに龍呼の方を見やった。

艶のある黒髪のてっぺんに、天使の輪が純粋に光り輝いている。

彼女の素顔を見てみたかったが、時間はまだある。

いきなりでは失礼だろうし、またの機会まで楽しみはとっておくことにしよう。

どんな顔か妄想を膨らますのも、それはそれで楽しいものだ。


「んだんだ。安心して翔び立つがいいべ」

 

草薙さんが継いだ。

草薙氏が言うと、何故だか気が抜ける。

安心というレベルではない。

むしろ逆で、不安がパワーアップされる。


「俺、今すっげー筋肉痛だし、無理っすよ……」

「体脱したあとのエネルギー体なら筋肉も痛まないだろ」

 

さきほど自分が口にした皮肉を、ほぼそのままの形でシゲさんに皮肉られた。

ちくしょう、一本取られた。


「龍呼もいることだし、大丈夫だって。なぁ、龍呼。……龍呼?」

 

ワタさんの呼びかけに反応しない彼女は、ハッと我に返って顔を上げた。


「――え? あ、はい! お任せ下さい! 公介さんをしっかり誘導致します!」

 

ようやく顔を上げた彼女は、ハキハキとした菱湖のように澄んだ声で力強く発する。

間違ってもあの世にだけは連れて行ってくれるな……。

龍呼は今度こそ、俺と顔を平然と見合わせていた。

彼女の一瞬の不可解な行動がなんだったのかは不明だが、

きっと大したことではなかったのだろう。

むしろ今夜のことを深く考えるべきだと振り払うが、


「本当に俺も同じことすんのかぁ?」


尚ぼやいてみせた。

体脱すること自体には楽しみな反面、ちゃんと生きて帰れるのだろうかという不安も当然ある。

それにあの怖い得体の知れない女とも再び会わなければ――……。


「――って、ちょーっと待て! 俺、あの女とこれから毎晩一緒に浄化することになるのか!?」

 

今になって思い起こされる冷酷な美女の存在。


「んだ」


女の姿を視たことがない草薙の、調子の狂う軽い肯定に(うつ)ろになった――どころか、

卒倒しそうに血の気が引いた。

本当に無事に帰って来れるのか俺……!?

先が思いやられる。

遺書を書き残すべきかどうか思案しつつ、愕然(がくぜん)とうなだれる俺であった。






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