(16)
キン、と張りつめた澄んだ空気が、夜明け前の湖を覆っていた。
たなびく霞に煙る水鏡は、霧氷の森を映し出し、
冬でも衰えない極上の美を永久に閉じ込めている。
山紫水明の峰々に隠れゆく、今朝は柔らかな月が冴えた光を煌々(こうこう)と放っている。
ピィ――ッ……。
一声鳴いた水鳥が、湖面を滑るように飛んでいき、静寂を目覚めさせた。
風に凪いだ水に波紋が生まれ、魚も飛び跳ねる。
菱湖は何事もなかったかのような静謐そのものだった。
「龍波姫もひどい! お前をこんな目に遭わせて!」
石座神社の鳥居の下に立つお龍が、隣りに並んだ俺に振り向きながら息巻いた。
「いや、俺はむしろ感謝してるぜ。人魚が見られたもんな」
「……人魚?」
「俺、人魚に助けられた気がする。……あれってお龍だろ?」
「夢でも見てたんじゃないのか?」
どこまでも白を切る彼女の視線は、空中を泳いでさ迷っている。
「夢か。確かに水の中は幻想的で、
時間も止まっているかゆっくりと流れているみたいだった。いつか見た夢と同じだ」
「……」
「そうだな、俺は夢を見ていた。とてつもなく美しい夢を。
まるで――宇宙に包み込まれているようだった」
「――宇宙……」
「それに龍波姫も知っていたんじゃないかな。
お前が魚族である以上、溺れても俺を救えることを。
もしかしてそれが狙いだったのかもしれないな。
だってあいつ、俺の中にいただけあって俺の気持ちを知っているんだぜ」
「気持ち……?」
「秘密だ」
「!」
ふくれっ面になるお龍。
その顔もまた愛らしい。
「だがなぁ、残念なことがあるんだよなぁ」
「なんだ?」
「意識を失っちまって、人魚の裸をちゃんと見られなかったことが実に悔やまれる!
惜しいことしたぁー。なんであそこで気ぃ失うかなー俺」
「知るか!」
口を尖らせながら背中を向ける仕草が可愛くて、俺はもっといじめたくなる。
本当に先刻までの出来事が、夢や幻だったのではないかと疑いをかけたくなるほど、
辺りは信じられないくらいに平穏だった。
いつもと変わらぬ風景が目前に広がっている。
しかし龍はいた。
神々しい姿をこの目で視て、荘厳な声もこの耳で聴いた。
まさか龍の映像ってことではあるまいな。
あの鏡岩が映写機の役目を果たし、湖上に投影していたとか、そんなオチ絶対やだぜ……。
とことん疑う俺。
そうではないことを祈りたいが、
どこをどう見回してみても菱湖が氾濫した形跡は一向に見受けられない。
幻視――?
それでも自分は確かに死にかけた。
それは紛れもない事実なのだ。
「ところで俺、どうやって生き返ったんだ? 息してなかったんだろ?
まさかあの怪しげな呪文で、ふるへふるへゆらゆらゆらと……?」
「ううん。人工呼吸よ」
「だ、誰の?」
「――翠」
一瞬でも淡い期待を抱いてしまった俺に間があった。
イタズラ心でわかってて一応訊いてみた俺だが、
存外、お龍は真顔でポロッとそう返してきた。
……ふっ、やっぱりシャイだぜ。
しかし乙女心を知る俺は、あくまで極寒の地で一瞬で凍るバナナのように、
青ざめた面持ちで凍っている。
「オエ――ッッ! ペッ! ペッ!」
彼女はウブっ娘なのだろう。
身体に戻ってきたときには龍呼の唇は離れ、堪能することなくあっけなく夢破れてしまった。
惜しい。実に惜しい。
いや、でもいつかは俺の方からあの憧れの唇を……。
今から待ち遠しいぜ。
願わくば金色の龍波姫像の前で、あのバカップル以上にイチャつきたい――
殺されるだろうが。
「んもう! 失礼ねー!」
手前の道路を横断して現れた、早朝からバッチリメイクで女装姿の翠が、
腰に手をあてて仁王立ちしていた。
「野郎……」
お龍にしたことを思い出して敵愾心を剥き出しにした俺が、
彼女を片手でかばう体勢で前に進み出る。
おのずとお龍も身を硬くして、警戒心を強化させた。
そんな俺たち二人に翠は、ブフッと吹き出すように笑い声を上げる。
「やーだ。もうさらったり変なこともしないわよー。公ちゃんをおびき出すための陽動作戦」
「それでも翠の馬鹿! すっかりトラウマだ!」
「あら~、ごめんね~! でもその後いい雰囲気になってたじゃないの~、お二人さん」
「――なっ……」
「ちゃかりどっかで見てやがったのか! このドスケベ!」
お龍は赤面する自分の顔を、両手で覆い隠している。
翠の一連の行動は、
こうなるよう先を見越しての行動だったのかと思い込んでしまうが、真相は定かではない。
なにを企んでいるのやら、「ふふふ」と小悪魔のような微笑をこぼすオカマ。
気色悪い。
「その実、シゲちゃんもワタさんも南部一族の末裔なのよね~。
クサちゃんは違うけど。世の中狭いものね~。驚き・桃の木・山椒の木~」
古めかしい語呂合わせをそらんじる翠に、
俺とお龍は両目をぱちくりさせて呆気に取られていた。
クサちゃんとは草薙さんのことだ。
言わずもがな。
「一族……って、祖大師の!?」
翠の肯定に、うんざりした表情で嘆息を漏らす俺。
どうりで草薙さんだけ異色だったわけだ。
じゃあなんでここにいるんだという理由は不明のままだったが、
俺やお龍みたいに何かしらの霊力があって(なかったが)、
もしくはただのオマケでいるだけなのか?
ひょっとすると。
しかし名字から察すれば、出雲一族かもしれないが断定はできず。
更にオカマは言う。
「一族はね龍凪と龍波姫の再封印をするはずだったの。
でもね、あたしもシゲちゃんたちも、
もう封印に執着しないで解放すべきだって考えが一致してたのよね~。
だって馬鹿馬鹿しいじゃない?
なんで湖よりも深い愛で結ばれた二人を引き離し続けなきゃならないのかって。
無駄でしょ? むしろ深まる一方だし。
それが狙いだって言うんなら、祖大師も我々一族もお人よしだわ~」
んなわけあってたまるか。
この似非一族め。
おかげで俺のあいつへの愛も深まったじゃねーか。
そのあいつ――お龍をチラと横目でのぞき見る。
「あ、それはそうと龍呼、シゲちゃんが呼んでいたわよ」
「なんだろ? ちょっと行って来る」
以前の龍呼と異なる言葉遣い。
それとは裏腹に、小鳥のように愛らしく小首を傾げた彼女は本殿へと向かった。
「さーてと、今夜もあたしはお仕事だから、帰って寝なくちゃ」
「オカマバーか? あんたにおあつらえ向きの本業、天職だな」
「あら。知らなかったの? 公ちゃんの働く東京のコンビニよ。
代理で夜勤としてこの一ヶ月働いてたのよん。ちなみに今夜、っていうか明日の朝まで」
「――は?」
聞き違いだろうか。
水の中に入ったせいなのか、耳の調子がおかしい。
「公ちゃんの知っている星野店長は、ワタさんの従弟で話は最初からつけてあったのよ~」
「はぁー!? 従弟ー!? てめーらグルかよ! 確信犯か!」
「ピンポーン、ご名答。どうせなら本当は新宿二丁目が良かったのにィー。
どうして公ちゃんそこで働いてなかったのよー!」
新宿二丁目といえば、世界最大級のゲイ・タウンだ。
「働くか!」
背中が痒くなってきた。
俺はムズムズする肩甲骨を後ろに回した親指で掻いた。
体脱の前兆ではなく、単なる寒気だ。
「でもまぁ、ワタさんが龍呼にべったりだったのも女王がらみだからだったんだな。
てめーが俺にべったりくっつくように」
「それだけじゃないと思うな~」
「……どういうこった?」
怪訝に眉根を寄せた俺が訊問する。
「ワタさんもお龍を異性として見ている……つまり公ちゃんの実質上のライバル」
「……」
「やーん。翠ちゃん嫉妬しちゃう~。公ちゃんにはあたしがいるじゃなーい」
「いなくてい……ギャ――ッ!」
「ケツ触るわよ!」
「掴んでから言うなっ! って、揉むな――ッッ!」
***
菱湖研究会という名称は、実は一時的な仮の名だった。
北をメインに日本全国、果ては世界中を許容範囲にした隠された古代史や古代文明など、
未知の分野を紐解く活動をするのが真の目的の会だと、シゲさんにあの後打ち明けられた。
それが今回は、彼らの故郷であり活動拠点ともなっている菱湖だったというだけの話だ。
趣味が高じて研究会を立ち上げたが、
資金源でもある国からの助成金は審査を通らないと下りない仕組み。
それで俺が、始めに一ヶ月分の給料として受け取っていた報酬は、
シゲさんと他のメンバーからカンパして集めたお金だということを知って俺は驚愕した。
どうもエネルギー世界の浄化という曖昧な理由では審査を通すのも難しいらしく、
だからと言って、そんな貴重なお金を受け取れる俺でもない。
ゆえに俺は、レンタカー代や生活費として使った分以外は、後ほど丁重に返すことに決めていた。
日頃の貧乏性が幸いして、金額もほとんど減っていない。
「菱湖の次は、亀鶴の予定だ」
うららかな春のひざしに目を輝かせるような相貌をしたシゲさんが、
四月からの活動内容を予告する。
その地名は俺も知っていた。
「亀鶴? あの、宇宙人がモデルじゃないかって噂の遮光器土偶で有名な」
シゲさんは鷹揚に頷く。
お龍は夢見る少女のような微笑を浮かべて陶酔しているが、
どうやら彼女は土偶マニアであることが別れ間際になって判明した。
数々の博物館での土偶展示会の情報を得ては、足繁く通うほどのマニアぶりだと自負する。
フィギュアオタクに土偶マニア――いいコンビじゃねーか。
彼女との間に共通点を見出した俺は、気分も最高潮に達した。
だが土偶という土製品は、たいてい人をあしらった作品で占められている。
人型にあまり興味がない俺にとっては、なんと言ってもメカやロボットだった。
「今度はより画期的な活動に臨むつもりだ。土偶コスプレ大会や縄文祭り。
現地に仲間がいる。地元の人とも協力してな」
「まだ仲間がいたのかよ……」
日本全国どころか世界各地、どころか地球外にまでいそうな気がしてきた。
星野店長もその可能性が高い。
帰ったら問いつめてやろう。
「ああ、ちなみに、今後もし体脱で出動するようなことがあれば、
浄化だけとは限らないぞ。なにか他にもやれることはあるはずだ。
例えば、国外へ行って秘密文書をのぞいて来るとか、未知の惑星の探査とか」
「便利屋じゃねーぞ。それにのぞきって犯罪じゃねーか。未知の惑星ってなんだよ。
宇宙人にサインでももらって来いって言うんじゃねーだろうな?」
「あ、それ面白いな。なに、龍呼もついているから大丈夫だ」
「なにが大丈夫だ。菱湖研究会はどこ行った?」
「それは今期の名前だ。菱湖を拠点とするのは変わらないが、
古代の文化交流という点で周辺ともからんでくるから、視野を広く持つ必要性があるんだ」
ふーん。
なんだか面白そうな話だな。
興味がまったくないと言ったら嘘になる。
なにを隠そう、この俺は考古学者になりたかった時期がある。
古代文明や古代史なんかにそこそこ興味があったからだ。
古代の息吹に触れることは大いなるロマン。
果てしないトキメキ。
そこで俺はもう一度、趣味の範囲でいいから勉強してみようかなと思い込む。
シゲさんよりも詳しくなったりして。
人間、目的を持つとやる気も違ってくるから不思議な生き物だ。
単純だが、きっかけなんてそれで充分だ。
最高だ、それでいい――
「来期の研究会の名はまた変わる。
おそらく『亀鶴・ドgoo・セレクション・ギャラクシー・ネットワーク』とか」
「変わりすぎ!」
――その時ふいに、大人しく隣りにいたお龍の様子がささやいた。
場の雰囲気を丸ごと足蹴にされてしまいそうな、
魚族の女王の末裔――お龍のご登場だ。
「お前がコンビニで働いていた真の目的はオモチャだろ? このフィギュアオタクめ」
お龍モードはどこか口汚い。
ドSであることは疑いようもない。
あの慎ましやかな龍呼と違い、これが本当のお龍こと龍呼の素性。
そう考えると少しだけ物悲しくなる。
慎ましい彼女はしょせん俺には過ぎた人だったのかと……。
「土偶オタクに言われたくねーセリフだな」
「一緒にするな! 根本的に意味が違うぞ。私は土偶マニアであってオタクではない」
どう違うってんだよ!
「じゃあ俺はそろそろ帰るけど、みんなはこれから亀鶴の研究を楽しんでくれ」
「――え、もう行くのか? 亀鶴にも参加するだろう?」
顔を上げたお龍の表情が寂しげに沈んでいる。
その憂いのある表情もまた、神秘さを孕んだ美しさだと俺は心の中で絶賛する。
「なんだ。俺とどうしても別れたくねーってのか。どうしよっかなー。
キスの一つでもしてくれたら考えよっかなー」
冗談を言ってみた。殺されるかもしれない。
中断されてしまったキスもまだだったしな……。
しばらく俺を睨みつけていたお龍は、なにも言い返さず俺の手の中に白い包みを握らせた。
「え……?」
まさか、照れ隠し?
中には翡翠の勾玉のケータイストラップが入っていた。
それは縁結びの――
「勘違いするな。お前がヘマをしないようにとのお守りだ」
だがこれはペアのはずだ。
もしかしたら彼女も片方を持っているのかもしれないが、俺は訊かないでおいた。
翡翠の神秘的な輝きは、神の力が宿っていると信じられている。
翡翠色の菱湖もまた神の力が宿っている。
いつかは龍波姫と龍凪のように、自分も誰かとそんな関係になれることを信じて……。
誰かって誰なんだろうな。
間違ってもお龍とだけは違うと信じたい。
まだこの命が惜しいからな。
加えて、俺は顔より性格重視――
「ありがとよ。元気でな」
敢えて、また来るとは口にしなかった。
もう当分ここへ来ることはないだろうから。
だが――できそうになかった。
心がそう告げいている。
早くも自分で自分を裏切りそうだ。
背を向けていたお龍は、唐突に振り返った。
「――花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」
一同、唖然となる。
おいおい。
別れの言葉が風流に和歌でしめられるとは思わなかったぞ。
平安貴族じゃあるめーし、どういう意味かもさっぱりわからねぇ。
お返しの和歌も歌わなければならないのだろうか。
昔覚えた和歌を律儀に思い出そうとして、両腕を組んだ俺は必死に悩む。
悩む、悩む……うむ、何も思い浮かばん。
「――小野小町だ」
「小野……?」
お龍が思わしげな口ぶりで語りかける。
小野小町といえば美人で名高い生没年未詳の六歌仙の一人で、
恋の歌が多いことでも有名だが、楊貴妃とクレオパトラに並ぶ世界三大美女の一人でもある。
世界を股にかけるやんごとなき女性。
いや、でも、小野姓は日本全国どこにでもいるし、
それを言ってしまえば全国に散らばる小野さん全員が小野小町の子孫に……。
聞き流そうかと思っていた俺だったが、気になって聞き流せなくなってしまった。
「なぁ、お龍……。まさかだとは思うんだが、お前って小野っていう名字だよな。
小野小町となにか関係が……。お龍の本名が、小野龍呼であるという前提あっての話だが」
「ひ・み・つ。今度来たときに教えてやるよ。それまで生きているんだぞハチ公」
犬死だけはしないと思うぜ。
誰かさんの忠犬だってごめんだ。
「最後までハチ公かよ」
「当たり前だ。お前は私の使役。ハチ公ってのは使役名だからな。
ちなみにお龍も女王の使役名だ」
「そういうことか。でももう女王はいなくなったんだから、
今後はあんたのことを龍呼と呼ぶべきか?」
彼女こそ女王様でいい気もするのだが……。
「――お龍でいい」
彼女はきっぱり言った。
まぁ、その方が俺もしっくりくるし、それはそれでいいか。
「そんじゃお龍、グッドラック!」
最後までキザな俺を演じさせてくれ。
鼻で冷たく笑った彼女は、しかし一輪の花のような愛らしい笑顔を浮かべて、
くるりときびすを返してワタさんの隣りに駆けていった。
くそ、気になってすぐにでも戻って来たくなるじゃねーか。
「元気でな、公介くん。楽しかったよ」
「また来いよ」
「んだ」
メンバーたち全員とそれぞれに握手を交わした俺は、別れを惜しむ。
ただ一人ワタさんにだけは、未だくすぶるライバル心を密かにたぎらせながら。
雪を抱く白い山の稜線から、光陰を延ばし出す朝陽がまぶしかった。
「わ、見て! 虹!」
お龍が叫ぶ。
湖の上に七色の虹の橋が架かっていた。
龍神たちからの贈り物だろうか。
「――さ~てと、俺も母ちゃんの所へ帰るとするか。マザコン、大いに結構!」
言いながら俺はレンタカーに乗ると、菱湖駅前へと向かって走らせた。
早朝とあってか除雪されていない道程を、
慎重かつ勢いよくサバイバルに突っ切って――
***
「は? 今、なんつった?
東京へ戻って来る必要はないって、そりゃまたどういうこったよ?」
新幹線を待っている駅の片隅で、
ケータイを耳に押し当てる俺が眉間にしわを寄せていた。
電話の相手は『北国不美人』と称して笑う母・洋子だ。
「だからぁ~、私もそっちへ行こうかと思っていたとこだったのよ。
安倍さんという方にお電話を戴いたんだけど、草薙さんだっけ?
その人の民宿で働こうかなって思ってるの。ちょうど従業員募集中なんでしょ?」
「……お嫁さんな」
バツイチ独身中の母が、再婚する可能性もなきにしもあらずってことか。
しかも両者の名前には『洋』が入っている。
見えない赤い糸とやらが見えかけた。
草薙さんとの相性が合うか否かまでは、俺の知る限りではないが。
「でね、私あんたに言ってなかったけど、昔あんたを身ごもったときに、
ちょうど石座神社にお参りしたことがあったのよ。
玉のような可愛い子を授けて下さいってね」
「ふーん。玉のようなねぇ……」
別に珍しいことではない。
世間一般にはごく当たり前の普通の願掛けだ。
しかし、このあとの母の言動に俺は一瞬、殺意を覚えた。
「その代わり大きくなったら、
龍波姫の好きなように使っていいからってお願いもしといたの」
「するなっ!」
母ちゃんの仕業だったのか……。
だから龍が自分に憑いたというのだろうか。
「ということで、引越しの荷造りも済ませて、アパートも引き払ったから」
「んなっ! いきなりかよ! タイミングってもんがあるだろ!」
「思い立ったら即実行! そうしないといつまで経っても叶えられないでしょ!
あんたなんか見た目にプラスしてすぐにじーさんになるわよ!
老後の田舎暮らしじゃあるまいし」
「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ! なに勝手なことすんだよ! 俺まだバイトが――」
「ああ、あんたクビだって」
「そんな! だって店長の許可が下りてた――」
「その辺の話はちゃんとつけてあるから心配無用よ。公介はもう北国の住人。
研究会のみんなと今後も頑張っちゃいなさい。
ちなみに、星野店長さんね、来月から菱湖町店に異動になるんだって」
「な・に――っ!?」
「もしバイトしたくなったら、いつでも来ていいって仰ってたわ。
コキ使ってやるからって」
自分の知らぬ間に、トントン拍子で話が進んでいることが理不尽に思える。
だがバイトをしながらであれば翠のように新幹線で通うまでもなく、
またみんなと一緒に仕事ができる。
――お龍のそばにだっていられる。
もっともっといろんな話をして、もっともっと彼女のことを知ることができるというものだ。
即効性がありすぎる気もするが、お龍にもらった勾玉の効果は絶大だった。
俺は、ケータイの先で揺れている翡翠色の勾玉をそっと撫でる。
「レインボー・エンジェル……か――」
ちょっぴり居丈高な虹色に輝く美しい天使に、今すぐにでも会いたいと俺は願った。
― 了 ―




