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レインボー・エンジェルの犬  作者: 吹留 レラ
【第五章】 鏡の人魚
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ひとけのないおたつ茶屋の駐車場――

肉体に戻った俺がそこへ辿り着くと、魚墳に近い水飲み場に龍呼がいた。

橙色(だいだいいろ)に点る外灯と、月光に照らされた雪明かりを頼りに、

凍てつく水にハンカチを濡らして彼女は身体を拭いていた。

翠の姿はもうどこにもなかった。

ったく、妙なところで気を利かせてくれるぜ。

龍呼はすぐ後ろまで俺が接近しても振り向かなかったが、

おそらく気付いてさえいないのだろう。

ただ必死にハンカチを持つ手を入れて身体を拭き続けている。

触れられたのがよほど嫌だったのか……。

こんな寒空の下で、水も痛みが走るほど冷たいというのに……

夏場であれば湖にダイブしたい気分に違いない。

そして彼女も顔で選ぶタイプじゃなかったんだなと、少し嬉しくなる。

まぁ外見が良くても中身がアレじゃあ、俺だって勘弁だ。

心の中で呟きながらジャケットのポケットに両手を突っ込んで、

後ろに突っ立ってしばらく景色の一部を見るように傍観していた俺だったが、

雪が本格的に降り出してきた。

龍呼の黒髪も雪で白銀に輝いているが、

緩めている巫女装束の襟から垣間見える雪よりも白いうなじに目がくらむ。

これ以上はまぶしすぎて、個人的にもイロイロとと危険が伴う。


「おい、風邪引くぞ」

 

ピクッと反応するも沈黙を守り続ける龍呼。

そんな彼女が儚げで、

小さなその身体を後ろから包み込みたい衝動に駆られるが、敢えて抑制する。


「あいつは龍呼をおとりに俺を出し抜いて、

 俺から龍波姫を引きずり出すのが目的だったんだ。

 男の方が好きだって言ってたしな。だからと言ってあいつのしたことを帳消しにしろ、

 大目に見ろとまで言うつもりは毛頭ねーが……」

 

突然彼女は、装束を腰の位置までストンと落とした。


「!」

 

あまりにも白くて綺麗な肌が、(くら)い闇の中に浮き上がった。

言葉を失うほどの神秘的な美しさだった。


「……」

 

この白い肌に、あいつは何度も接吻した――

そう思ったら次第に不機嫌になっていく俺は、徐々に妬みの渦へと呑み込まれていく。

彼女は背中を向けたまま前を隠し、片方の手だけで腰の辺りを拭いている。

そんなところまでキスされたのかよ……。

突然詰め寄った俺は、龍呼を背後から抱きすくめた。


「!?」


驚愕した龍呼が身じろぐが、俺は水場のコンクリート壁に龍呼の片手をつかせると、

彼女の肩やうなじに唇を押し当てた。


「――やめっ……ハチ公!」


俺は瞬時に固まった。

そんな呼び方をするのはお龍しかいないからだ。

しかし龍呼はお龍だと俺はもう知っている。

まぁ、呼び方なんてどっちだって構わない。

強いて言うならば――


「公介って呼び捨てにしろよ」

「うるさいハチ公! お前まで発情期か!」

「ああ、それなら年中無休だ。

 本当のお前って一体どっちなんだ? 龍呼か? お龍か?」

「だから私は龍呼ではないと何度も言っ――」

 

また理性を失いかける俺に、龍呼は動揺を隠し切れない。

半裸の彼女は身を硬くして目を閉ざすことに精一杯だった。

しかし俺はそこで我に返る。


「悪かった、冗談だ。こんな所でそんな格好をさらすなよな」

 

彼女を抱きしめる身体を離して、彼女の腰まで落とされていた衣装を肩まで上げてやった。


「ハチ公って呼んだり、公介さんだったり、あんたはいつまで演じているつもりだ?」

「だから違うって! 演じてなんかいない! 

 この身体は元々私のもので、魚族の女王が憑依していたに過ぎないんだから!」

 

俺の眉根が寄った。

えーと……何だって?

もう一度言ってくれ。


「女王の精神が私の肉体を使っていた。そして私は人間と魚族の血を受け継いでいる」

「……」


二の句が継げない俺。 


「ということは、しおらしいあの龍呼が魚族の女王?」

 

お龍は首肯する。


「あのメガネは私本来の意識や霊力を抑えるようにできていた。

 というのも私の影響力が強いと、龍波姫のエネルギー体は霞んでしまったからな。

 この身体は、女王にも相当エネルギーを必要としたようだ。

 とはいえ、魚族の血が混じっていだからこそ私の肉体に憑依できたんだ。

 そのリスクは仕方がない。すべては女王を救うため――」

「魚族ねぇ。あんたみたいな混血の仲間は沢山いるのか?」

 

そんなもんがウジャウジャいても困るが。


「そんなにいない。ほとんどが人間社会に溶け込んでいるけど。

 どういうわけか私だけ突発性遺伝の特殊体質みたいだ。

 他はみな、人間の性格が常に強く出ていて弊害なく暮らせている。

 だが魚族は気高さを失ってはいない」

 

それは賛同するな。

お龍の矜持(きょうじ)は、立派すぎて近寄りがたいからな。

虚空を睨んで引きつる俺に、お龍は吹き出して笑った。

初めて笑った顔を見た気がする。

笑顔も美しい彼女が一瞬愛おしく感じた。


「女王は――祖大師と手を組み龍凪を封印することに協力したんだ。

 そして女王は、龍波姫を鏡岩に封じ込めた。女王が龍凪を愛していたからだ」

「え……」

「龍波姫と女王は恋のライバルでもあった。

 でももう女王もいい加減踏ん切りがついていたんだろう。

 こうして私の身体を借りて、封印を解く助力をしていたのだからな。

 それに女王がこの身体にいるためにはあのメガネが必要だった」


メガネには、特殊フィルターが搭載されていたのだろう。

だから渦を巻いたように分厚かったのだ。

おそらく脳の一部、お龍の意識を錯乱させて眠らせるんだろうな……推測だが。

どういう仕組みなのか、誰が作ったのかも気になる。

が、爽やかに清涼感溢れる憎たらしいワタさんの笑みが思い浮かんだため、

目が据わる俺は即座に頭上をハタキで(くう)を振り払う動作をしてみせた。

やがて――、お龍も落ち着いたのであろう。

かげりのない面持ちで微笑を浮かべた。

その表情に見とれ、思わず俺は華奢な手首を掴んでいた。


「なんだ……?」

「もう少しお前の綺麗な顔を眺めていたい」

 

自分でもキザだと思いながらも、彼女の(おとがい)を人差し指と親指で上げさせた。

龍呼は(ほう)けたように俺を見つめている。

瞬きさえ忘却の彼方へ押しやってしまうほど、

彼女にとっては衝撃的な言葉だったのだろう。


「ハチ公……」

「だから公介と呼べと……」

「公……介――」

「最高だ。それでいい」

 

俺は口癖を言って、自らの唇をそっと近づけさせる。

――だが運命は、簡単に二人を結び付けようとしない。

突然、盛山と鏡岩とを繋ぐ結界がフッと消えた。

体脱していない俺とお龍には視えていないはずだったが、なぜかそれがわかった。

感覚的に今まであった物が、急に無くなる違い。その差は歴然だった。

直後、背後の盛山から強烈な突風が吹き飛んだ。


「龍波姫!? 中央へ向かって飛んでいく!」


天を振り仰ぎながら、お龍が強い口調で叫んだ。

カッパ淵の湖岸へと駆けつけた俺たちは、石座神社の上方、鉢山の鏡岩へと視線を向ける。

楕円の白光がみるみる拡大し、結界の光線がその中央へヒュンッと吸い込まれていった。


「そうだったな。まだ浄化作業が終わっていない。――この続きは、いずれまた……」

「!」

 

肩を抱き寄せた彼女の陶器のような白皙(はくせき)の額に、俺は接吻を一つ落とす。

顔に朱を走らせたお龍は、焦るようにバッと自分の額に手をあてていた。


「さぁ最後の大仕事だ。封印石を破壊しに行くぞ!」

 

俺たちは龍凪を縛り付けているであろうエネルギーの四つの封印石――龍大権現、

鏡岩、龍神社、魚墳を壊しに向かった。

やれやれ、肉体を離れたり戻ったりで忙しいぜ。

だがあんまりこれを繰り返しているとやがて粘着率が悪くなるように、

俺も身体にくっつけなくなるんじゃないかと不安になるのも当然だ。





――ということで、再び体脱をしちゃってみる俺たちではあるが、物質ではないといえど、

封印石はことのほか固すぎて普通にハタキでなぎ払うだけではびくともしなかった。

が、こんなときにこそロボットを登場させて破壊という手がある。

俺は喜んで公介ロボットに化身(変身)し、

ガショーンガショーンいわせ封印石の目の前に立ちはだかり、

「うおりゃぁああ! くたばれオカマ――ッッ!」と場にそぐわぬセリフを叫びながら、

エネルギーの石を右の(こぶし)で叩き割っていった。

その間お龍はどこか冷めたような目つきで遠巻きに俺を見守っていたが、

きっと恥ずかしがっていたのだろう。

ふっ、シャイなんだな。

不思議とロボットの威力は的中、残すは魚墳だけとなったが、

そこだけは自分が払いたいとお龍が名乗り出た。

しかし、お龍ロボットが見れるとワクワクしていると、

「そんなものにはならん!」と一掃、拍子抜けする俺。

お龍は何も語ろうとしない魚墳の前で感慨深げになにかを呟いていた。

女王や先祖に話しかけているのだろうか。

その背中はとても物悲しく、頼りなかった。

壊す――つまり修祓するのはエネルギーなのだから、

物質では形をとどめて以前と変わらず残るのだが、

エネルギー体――つまり精神の凝縮は消えることとなる。

簡単に手を出せるものではないのだろう。

 


話し終えたのか、お龍がすぅっと息を吸って目を閉ざすと、

魚墳が鈍く青白い色に光り輝き始めた。

まるで、納得をした魚墳の方も合図を送るかのように――

そして、お龍の神楽鈴を持つ右手が振り上げられた。

二、三拍置いてそれが一気に振り落とされる。

シャラ――ン……。

澄み切った音色が闇の中へ消えていく。

光に反射されたわずかな水滴が飛び散るのを俺は見逃さなかった。


「――お龍……」


彼女の涙と共に仲間の御霊が浄化されたのだ。

――と同時に封印解除。

ブブ――ン……という蜂の羽音のような振動音を立てて、

上に重なっていた結界が薄く消えていく。

八芒星に視えていた菱湖が、所以となった元の四角形である菱形へと戻されていく。

そして、この瞬間を待ちわびていた龍波姫が中央の湖中へと飛び込んでいった。

突如、菱湖が渦を巻く。 


「……!?」


さながら極大な勾玉だった。

燦然たる放射状の光を放ちながら、雌雄(しゆう)一体となって絡まる二対の龍。

千年ぶりの逢瀬(おうせ)を全身で喜び、

しっかと抱擁(ほうよう)しながら湖の中へ中へと沈みゆく。

龍の光は、悪玉エネルギーの残滓をも一挙に光へ変えていった。


「龍波姫と再会できて、龍凪の悲しみや苦しみも一気に吹き飛んだ感じだな」

 

しかし、悠長に眺めている場合ではなかった。

加速度を増して、どんどん渦を巻き始める菱湖は――


「大変だ! 氾濫(はんらん)する!」

 

水の勢いは瞬く間に豹変して、とどまるところを知らない。

そして水は飛沫(しぶき)を上げて、

二人の肉体のある場所――石座神社にも高波のようにせり上がっていた。

シゲさんらに慌てて叩き起こされた反動で肉体に戻った俺とお龍は、

逃げることもままならずそのまま襲ってきた水に押し流されようとしている。


「お龍っ!」


咄嗟に、隣りに横たわる彼女をかばうように、

俺は腕の中に抱き込んだが自然の猛威には抗えず、

怒涛(どとう)の渦の中へそのまま呑み込まれていった――



 



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