(11)
十二月二十一日冬至、曇りのち雪――
午後三時に菱湖研究会メンバーは、石座神社本殿に集合した。
いよいよこの時が来た。
メンバー一同気合を入れて浄化作業の最終段階、その名も冬至決戦に臨む。
「冬至の本日は、一年でもっとも太陽エネルギーが行き届かず、
敷かれた結界も脆弱になっていてまさに外れているようなものだ。
翌日の満月と重なって、悪玉エネルギーも一挙に増すであろう。
龍呼、公介くんをしっかり頼んだぞ。公介くんも無茶せんようにな。
我々補佐役も負担にならぬよう最大限サポートするから、
安心して思う存分修祓に勤しんでくれたまえ」
「はい。心得ております。皆さん、よろしくお願い致します。
そこで皆さんにお渡ししたい物があるんです」
いつものように恭しい巫女姿の龍呼は、小さな白い紙袋の包みをメンバーの前に差し出した。
白い袋には『支え合って生きる 石座神社』と印字されてある。
「先日買っておいたお守りです。日頃の感謝の意と今夜のご無事をお祈りして……」
中を開くと、あの龍波姫御守が入っていた。
この間、ワタさんと一緒に彼女が選んでいた物だろう。
言葉少なで無表情だった俺は、不躾なまでに蔑んだ双眸でそれらを一瞥し、
断るわけにもいかずそれ以上見ていたくもなくて、無言でズボンのポケットへと押し込めた。
悄然とした龍呼の表情が曇る。
「あの……、気に入りません?」
シゲさんや草薙さんが喜び勇んで礼を述べたのに対し、
俺の臆面もない態度はあまりにも対照的だ。
いかにも気に食わない、あるいは無関心といった態で座っているだけだ。
「別に――」
張りつめていた空気が瞬く間に凍った。
「ところで今日も翠くんは来ていないのかね?」
間を取り持つようにシゲさんが閑話休題する。
ワタさんがそれに応じた。
「あとで来るそうです」
「来たところであいつはなにをするんだ。いてもいなくても同じだろう」
なぜか口調も荒く不機嫌な俺に、一同は目を丸くする。
こんな俺を見るのは初めてなのだろう。
当惑する彼らにその理由は知る由もない。
「ま、まぁ、そうだが……」
「だったらさっさと作業を始めようぜ。今日は大事な日なんだろ。
そのため、こんな早くから集まってるんだろうが」
「そ、そうだな。それでは始めることとしよう」
事始めに全員で二礼二拍手一礼してから、
いつものようにシゲさんが祝詞を唱え始めた。
「掛けまくも畏み 石座神社の大前を拝み奉りて――……」
神楽鈴を握って安部の隣りに座す龍呼は、そっと俺を尻目に見やるが、
俺はそ知らぬ顔で静かに目を閉ざす。
「――龍呼……」
シゲさんがゴホンと咳払いをして、気持ちを他所へ向けている彼女へ注意を促した。
龍呼は即座に背筋を伸ばす。
ワタさんもまた、隣りに端座する俺を微かに斜視していた。
「――世のため人のために尽さしめ給へと 恐み恐みも白す」
つつがなく儀式は遂行し、龍呼の神楽鈴がシャランシャランと反響する。
「ヒフミヨイムナヤコト――」
「ふるへゆらゆらゆらと――」
龍呼を囲むように奉唱する彼らを傍観しながら俺は、
自分の身体にも電流が駆け巡り身体が揺れ出すのを感じていた。
龍呼の体脱した肉体をワタさんが受け止めていると、
「俺にはその必要はないみたいだぜ」そう言って、さっさと身体を抜け出した。
誰が抱きとめられたいものかってんだ。
慌てて草薙さんがその身体を受け止める形となったが、
呆然とする彼らにも仕事が待っている。
シゲさんは二人が体脱中のおよそ三十分間、
二人の身体に他の霊魂や邪悪なエネルギーが寄りつかぬよう、
ずっと祝詞奏上や祓具でお祓いを繰り返すのだ。
それが必要かどうかは俺の知ったことじゃないが、念には念をであろうか。
想像が付くと思うが、今日の俺は自暴自棄だった。
お龍と再会しても目を合わせようともせずに、勝手に一人で浄化作業を執りおこなう。
ハタキの振り方も乱暴で、己の感情――怒りに任せて振るうばかりだった。
なにかを吹っ切るというよりは、ただイライラと八つ当たりしているだけのように。
「ハチ公! そんな気持ちで誰がやれと言った!? それは浄化とは言えん!
エネルギー世界は敏感なんだ。逆に悪いエネルギーを振り撒くな! よけい穢れる!」
「ああ、どうせ俺は穢れているさ!」
いっそう怒りに任せてハタキを勢いよく振った。
悪玉エネルギーは光にならず消えもせず、ただ遠くに飛ばされただけ。
それどころか、他のにくっついて増殖さえしている。
情況は悪化するだけだった。
これ以上悪玉エネルギーを増やしてどうするというのか。
ただでさえ満月と冬至が近づくにつれ、増加の一途を辿っていたというのに。
これでは浄化の意味を成さないだろう。
結界の中にみっしりとひしめく悪玉エネルギーを神楽鈴で次々と光に変えていくお龍は、
意を決した表情で菱湖の上空に自分と距離を置いて浮かぶ俺へと、
一瞬で飛翔し詰め寄った。
「ハチ公しっかりしろ!」
己を忘れてハタキを傍若無人に振る俺の手首を引っ掴み、
光の点らない俺の瞳孔を食い入るように仰ぎ見た。
「どうしたというんだ? 今日のお前はまるで……一体なにがあ――」
「あの結界の光の正体ってなんだ?
触れても害がないようだが、まさかレーザー光線って言うなよな」
最後まで言い終わらないうちに、彼女の言葉はそこで途切れる。
俺が唐突な質問をぶつけてきたからだ。
「な、なんだいきなり?――確か、無害なアーク灯の類いではないかと言ってたな」
「アーク灯?」
「空気中でのアーク放電の発光を利用した照明のようなものらしい。
炭素棒が放電で過熱され、白熱した強い光が発しているだとか専門的なことだ。
それで鏡岩も炭素棒の役目を果たしているんじゃないかと……」
「――ワタさんか?」
「ん、まぁ……そうだが。それがどうした?」
蔑んだ双眼の、俺の乾いた唇が硬く引き結ばれる。
「あんた、普段はどこにいるんだ?」
「……」
「なんでワタさんとも親密なんだ?」
「親密って……、ただ聞いた話で――」
お龍はそれ以上応えなかった。彼女の潤んだ唇もまた硬く引き結ばれる。
しかし、俺は気付いていた。
「――あんた、龍呼なんだろ?」
「!」
柳眉をひそめて頭を横に振り、
ふいを衝いて逃げ出そうとしたお龍の手首を咄嗟に掴んだ俺は、
引き寄せながら彼女の細い両の手首を強く握りしめ、そのまま見つめ合った。
「はっ、放せ!」
神楽鈴をシャラシャランと響かせてもがくお龍。
なにかを見抜かれそうなその瞳から逃げ出したくて必死に抗うが、
俺の手首を掴む力の方が確実に強い。
やがて彼女の腰や背中に回された俺の腕が、
お龍をきつく腕の中に抱き込んで閉じ込めてしまった。
「なっ……!」
どこか理性の吹き飛んだ俺の顔が彼女のすぐ頭上にある。
これでは逃げ出せないだろう。
「どっちが本当のあんたなんだ?」
「違う! 放せ!」
咆哮するが、それでもお龍の心のうちはまだ冷静さを保っていた。
自然と目に鋭さも増す。
そして龍呼は、俺の肩越しを視据えた。
そこに何があるのか俺は知らない。
お龍もまた俺と同様に、光の点らない目をしている――否、その言い方は正しくはない。
怒りの灯火を奥に潜めている。
俺の背後を見据えると、お龍はどうしても剣呑な光を宿しがちになってしまう。
冷酷無比な面差しに。
それは俺を初めて視たあの夜から変わらない。
「……一体何をもくろんでいる?」
俺は訝しむ。
「は? 何を言っている?」
「お前ではない! 龍に言っている!」
「……」
ようやく納得がいく。
彼女はその鋭いまなざしで俺を睨んでいたのではなく、後ろの龍を視ていたのだ。
――って、龍だと?
俺がそれを信じるとでも思うのか。
一体何の用件があってこの低俗の俺に気高い龍神など。
「お前が本当は龍呼なんだろ? こっちが真の素性か?」
「なっ……!」
言い終わらないうちに、構わずお龍の身体をしっかりとかき抱く。
お龍は怜悧な瞳をいっそう大きく見開いた。
俺の腕の中から逃れようと今一度身じろぎするが、相変わらずビクともしない。
単なる木偶の坊かと思いきや、
いざというときに非力な自分の方こそが嘆かわしかった。
そして俺は訊ね続ける。
「ええい、放せ! 放せってば、この馬鹿力……ッ!」
断固否定するお龍が暴れれば暴れるほど、俺が前屈みになって深く抱きしめるだけだった。
途端――、ビュンッと俺の肉体とを繋ぐシルバーコードが引っ張られ、
俺は一瞬で本殿へと引き戻された。
「……ちっ」
身体に同調して舌打ちした俺は、いちだんと不機嫌な顔で身を起こす。
「なんだよ、邪魔すんなよ。いいところだったってのに」
「――いいところ? あんなに龍呼の気を乱しておいてか?」
ワタさんの声音は低く、表情にも怒りが露わだった。
龍呼の様子がおかしいことにいち早く気付いていたワタさんが察知したのだろう。
俺が男としてよからぬ行為に出ることも。
だから俺の身体を刺激してむりやり呼び起こした。
どういう刺激かは、俺の頬に痛みが感じられたので訊くまでもなかったが。
「……にしても、叩くこたぁねーだろ! しかも思い切りぶちやがったな! いてーぞ!」
「当然の報いだ。むしろ感謝するんだな」
「はぁ? 感謝だぁ?」
「まぁまぁまぁ。二人とも落ち着け。――龍呼も戻ったようだ」
不穏な空気が流れる中、彼女も少し遅れて身体に戻って来て覚醒した。
龍呼はいかなる場合であっても、人前でそのメガネを外すことはない。
しかし見えている部分の頬より下は、ほんのり上気していた。
無言でうつむいたまま乱れた装束を整える。
だが、未だ興奮冷めやらぬ俺は、このまま見過ごせるわけがなかった。
龍呼の方へと腕を延ばし、彼女の分厚い渦巻きレンズの銀縁へと指を触れる。
龍呼がお龍であることを確かめるために――
「触るなっっ!」
憤然とその場に立ち上がったワタさんの怒号が飛んだ。
肩を怒らせる珍しい彼の様相に、見守っていたシゲさんと草薙さん、
それに龍呼までもが目を剥いて卒倒しかける。
「なんだよ……。なんであんたが怒るんだよ!」
睨み付けていた俺も負けじと立ち上がった。
このまま殴り合いでも始まりそうな勢いだったが、
嘆息を吐き捨てたワタさんが述懐した。
「それは普通のメガネじゃない。龍呼には必要な物だ。
それがないと、身体を動かす際に力が入らなくなってかなりの負担が強いられる」
力が入らなくなる?
かなりの負担――?
「普通のメガネじゃないのは見ればわかるだろ!
こんな渦を巻いたレンズなんて現実的にありえねーだろ!
だからなんであんたが怒る必要があるのかって訊いてんだよ!」
龍呼とワタさんが、ただならぬ関係であることに腹を立てて声を荒げる。
二人が互いに特別な存在であることを知っていた。
明らかな嫉妬だ。
コントロールできない自分が情けないことも知っている。
けれど、一度噴出してしまった感情を抑えることはできなかった。
――なんなんだ俺は一体……どうしちまったんだ?
これ以上ここにはいられなくなり、身を翻すと戸口に向かって進み出した。
「公介くん!?」
シゲさんが俺の名を呼んだ。
俺が知るのはそこまで。
俺が立ち去った直後に、颯爽と追いかけたのが龍呼だったということを俺は知らない――




