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エマ・カルディア  作者: マシュマロポテト
第三章 赤背牛の背に乗って編
26/27

ある長の日常_弛まぬ蹄の群れの長

今回の話は《残酷な描写あり》です。

苦手な方はご注意を!!

 名も無い唯一王国の支配する広大な平原の北方。何処まで言っても変わることのない砂の大地に照りかえる黄金の太陽と舞い上がる乾いた風の支配する世界がある。

 たった一代で周辺諸国を掌握した、かの悪名高き侵略王の支配が唯一及ばなかった世界。

 そこで暮らす人々は、その環境の過酷さ故に太古のままに生きている。斧を担いで獲物を追い、命の糧と守護神に感謝を捧げる。そんな素朴な生活。


 いくつもの氏族が、己の信じる守護神とともに大地に生きる。

 そんな氏族の一つに「弛まぬ蹄を持つもの(ティ・サーリル)」がある。湖周辺で最も信頼されている氏族、ティ・サーリル。

 その族長、アゲダラ・ヤッドの日常。



 


 氏族の守護神の足音のように、砂まじりの風が勢いよく天に昇っていく。

 視界を悪くする砂のベールの微かな切れ目の向こうに、小さく動く物が見え隠れする。


「匂いの向きにはまだ気づいておらぬか……」


 日光に照り返しで目が砂焼けになるのを防ぐための〈目当て〉越しに、そのことだけ確認したヤッドは再びオプリ(砂山羊)の毛皮を深く被り直して獲物に近づいていく。

 これだけ風があれば、匂いを気取られる心配も無い。それでもまだ柔らかい砂山羊の皮を被ってきたのは、念のためというよりは視覚を騙す効果の方が大きい。


 砂丘の向こうにいるのはオプリ(砂山羊)の群れ。

 オプリの群れは大抵1、2頭のオスとそれに従うメスや子供達で構成されている。

 今ヤッドが追っている群れもその例に漏れず、オスは2頭。1頭が群れの先頭に立って歩き、もう1頭は後方に立って周囲を絶えず見張っていた。



「いい群れだ」

 

 朝から追って来た群れを観察しながら、ヤッドはそんなことを思った。

 群れのオス同士がメスを巡って対立すれば、その群れは容易に狩られる。いい群れのオスほど、ただ己のなすべきことを真摯にこなすものだ。

 そう言う意味で、この群れのようにオス同士の連携のしっかり効いている群れは手強い。いかに砂漠の食物連鎖の底辺を支えるオプリ(砂山羊)相手でも、手痛い反撃を食らいかねない。

 そうならないために半日、気取られないギリギリの距離を開けて、狩人は観察を続けていた───。


 

 風が音を立てて砂煙を巻き上げていく。

 オプリの群れのリーダーは辺を警戒しながら、不機嫌そうに鼻を鳴らして群れのもう1頭のオスに合図を送る。

 何かに付けられている。

 オプリの鼻は、風に混じる微かな匂いを嗅ぎ分けることができる。とはいえ辺かなわず気ままに吹き回る風のせいで、追っ手が何処から迫っているのかリーダーのオスは判断に迷っていた。



 「ほう……聡いのう。砂丘の後ろに隠れたか……」


 砂漠には所々、砂が吹き溜まってできる砂丘がそびえ立ってる。小さな物は腰掛けくらいの大きさなれど、大きな物では実に上るのも一苦労、という山の様な物まで存在する。

 大きな砂丘の日陰側は、灼熱の日向側に比べて少し涼しく、何より風の流れにも一定の『向き』が生じる。

 


 その動きにあわせるように、ヤッドも姿勢をギリギリまで低くしたまま慎重に移動を開始する。

 吹き付けてくる風に混じって、くすんだもやの様な砂が毛皮や服の隙間から容赦なく滑り込んでくる。汗でうっすらと湿った肌に砂がつく感触はあまり心地の良い物ではないし、何より湿気を含んだ砂という奴はなかなかに危険な代物と化す。

 オプリ達が完全に死角に消えたのを視界の隅で確認し、手早く服に風を送り砂をとばす。長年の生活で染み付いた動作は、物音一つたてることはない。

 最後に〈目当て〉を曇らせていた砂埃を指で拭ってから、ヤッドは風の言葉に耳を傾けていく。




 ゴーーッと天に昇っていく砂粒達の雄叫びの中に混じって、微かに獣の息づかいが耳に届いてくる。

 ヤッドは一族の狩人の中でも、とくに砂漠を感じるのが上手な狩人だ。

 風の息を感じ、砂粒の雄叫びを聞き、五感の全てで砂漠を感じて、姿の見えないオプリ達の動きを頭の中に描き出していく。 

 

 ──オプリ達は苛立っている。

 オス達はなかなか姿を現さない追っ手に苛立っているし、メスと子供達も、近くにエンブール(苔玉)の匂いを感じているのになぜオス達がそこにむかわないのか納得できないのだ。

 ──オプリの鼻息に混じって、一つだけ妙にくぐもった様な鳴き声がしている。

 怪我をした個体でもいるのだろうか。 

 気になったヤッドは、低い姿勢のまま慎重に砂丘の近くにまだかろうじで消えずに残っている足跡に近寄っていく。

 先が二つに分かれた、オプリの特徴的な足跡が入り交じる中に、一つだけ、奇妙な跡が残ってる。

 指先程の点が二つ。他の足跡は全部、蹄の形がはっきりしているのでそれはよく目立った。

 

 今にも風で崩れそうなその跡を指で軽くなぞり、他に何かに無いかと辺を軽く見渡し、ヤッドは作戦を練る。

 オプリの群れは相変わらず砂丘の後ろで次に動き出すきっかけを待っている。

 こちらから何か仕掛けるか、あるいはよほど空腹に耐えかねるまではそこから動き出しそうにない。


「──ふむ……」


 ヤッドは毛皮の下で髭を一撫ですると、ゆっくり、砂丘から距離を置くように移動する。

 砂丘からしっかり離れたところで、今度はオプリ達のいる砂丘の裏側に回り込む。吹き回る風とそこに混じる砂のカーテンが、保護色の毛皮と相まって、ヤッドの動きをオプリ達から隠す。

 砂丘の日影側は風の向きが一定で、ある程度まで近づかなければ気取られる心配は薄い。

 そのギリギリの距離を、長年の感で割り出したヤッドは背負った薄斧に手を掛ける。

 大人の腕程の長さのそれは、その大きさに似合わずとても軽い。

 手になじむその感触を確かめ、ヤッドがギリギリのラインを踏み越えた瞬間。



 ──オプリの群れが一斉に顔を上げ、オスがいななく。



 老人が毛皮のマントを跳ね上げ、一歩大きく前に踏み出す。



 ──先頭のオスがきびすを返し、一息に砂丘の上に駆け上がり。



 肩口から伸びる薄斧の柄を両の手で掴みながら、目標の一頭に狙いを定め。



 ──突然現れた狩人から逃げたい一心で、群れは先頭に続いて火のついたように走る。



 身体の正面に持ってきた薄斧を、全身をひねるようにして回転させ、勢い良く。




 投げる!!




 回転のかかった薄斧が、出遅れた一頭に突き刺さる。この間わずか四秒の早業。



 ヤッドは素早く倒れ込んだオプリのもとに駆け寄ると。


「お前達は賢く敏捷だった。古い約束に従い、守護神の蹄に賭けて、お前の身体を敬意もって遇することを誓おう」


 既に息も絶え絶えのオプリの鼻面を撫でながら感謝の言葉をつぶやき、腰に食い込んだ薄斧を抜いてやる。

 オプリが言葉を聞き届け、《命の川》に帰っていくことを承知して逝ったのを見届けると、ヤッドはすぐさまケルザドラ(獅子猿)の牙のナイフを使って解体を始める。


 砂と太陽で肉が痛んでしまわないうちに素早く血抜きをし、肝臓を細く切り分けてから、一切れだけ飲み込む。

 すっかり乾いていた身体に、オプリの力強さが流れ込んできて、ついついもう一切れと手が出そうになるのを我慢する。

 オプリの短い角(オプリには、オスにもメスにも角がある)とナイフで皮と肉を分け、皮には両面に砂をまぶして天日干しにする。肉の方は、塊に分けて予備の毛皮に包んでから薄斧に引っ掛けるようにして担ぐ。

 内蔵は砂をまぶしておけば保存は効くし、足の腱も今は道具が無いので束にして持って帰るだけにとどめておく。

 と、そこまでしたところで干していた皮が乾き始めていたので、パリパリになる前に胃袋の中身を刷り込んで、長い骨をそれに包んでしまう。

 最後に、蹄を持ってきていた生紐で胸元に括り付けて、ようやくヤッドは一息ついた。

 なかなかの大荷物になってしまったので、早くサーリルの戻った方がいいだろう。上空にはいつの間にかフーゲ(褐色鴉)が集まってきている。

 ジャルル(斑毛犬)が現れる前に立ち退いた方が懸命だろう。



 ヤッドがその場を離れた途端、フーゲたちが我先にとギャアギャア鳴きながら地面に降り立って獲物の残骸にくちばしをつっこんでいく。

 もっともヤッドの手腕のおかげで小さな肉片が落ちている程度なので、ジャルルが現れる前には彼らも離れるだろうが。




 サーリルからはかなり離れてしまったが、まあ日が暮れるまでには帰れるだろう。

 偉大な族長、アゲダラ・ヤッドはこうして帰途につく。久しぶりの息抜きは終わりだ。

 

 ──またしばらく忙しくなる、次に一人で狩りに出られるのはいつになるのだろうか。

 砂にかすむ空を見上げ、ヤッドはこっそりため息をこぼした。

砂漠のおっさんの話でした。


 ところで以前から《活動報告》に書いてあるのですが(http://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/667064/)、マシュマロは今年受験戦争なる戦にかり出されております。

 懸命な方ならここめで読んだら既に察しはついていると思いますが、最近(ここ2ヶ月くらい)更新が遅いのは、そう言う理由なんです。

 自分の都合で誠に勝手ですが、これから1年くらい、更新速度は今くらいになると思っていてください。



次回(いつになるかは未定!!)「ご挨拶のち砂漠の掟」。

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