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桜ヶ丘攻防戦(将棋編)

作者: タクミンP

こんなのどうでしょうか

 外周を囲い通学路である坂道の下まで、延々と続く桜並木が目印の私立桜花坂高校――そのとある教室の一角で――一組の制服姿の男女が、机を挟んで対峙していた。

 机の上には九掛け九――総数八十一の仕切りを刻んだ木盤の上に、計四十もの駒が入り乱れる、かの有名な軍略遊戯――将棋である――が置かれている。

 お互い持ち時間一手三十秒のみ。手持ち切れ負けの早挿し真剣勝負――なのだが、お互いのやる気と態度は完全な対極を位置していた。


「ぬー、ぬぬぬ……えいっ」


 片や顔立ちの整った、ポニーテールの勝気そうな少女。

 彼女はそのやや釣り気味な目を更に細めて、盤上をじっと眺め、唸りながらも慎重かつ迅速に駒を動かすその動きは――見ようによっては玩具で遊ぶ奔放な猫のようにも見えた。

 但し、その表情は真剣そのもので、盤を見据えるその後ろ姿には、静かな闘志が燃え上がっていた。


「ふ、あぁ~~あ……」


 片や長身でやや堀の深い、気の抜けた雰囲気の青年――


 彼はぼさぼさの頭を気だるそうに掻きながら欠伸をし、机に対し椅子と身体を平行に向けてだらけた調子で駒を動かしている。


「――お、誤字みっけー」


 青年の右手には、何かの資料を持っており――時折それに訂正を入れつつ将棋を指すその姿勢は、正に片手間気分といったやる気の欠片も感じられない様子だった。

 まだ対局は始まったばかり。序盤の攻防戦は、お互いの自陣の組み換え――言うなれば、陣形の設営作業に費やされる。


「――香奈(おまえ)、ほんと振り飛車好きなー」

(あんた)も、囲んでばっかりいないで偶には攻めて来なさいよ」


 椅子を傾けながら、呆れ気味に声を出す青年――徹に、少女――香奈は鼻を鳴らしながら挑発する。


「俺の座右の銘は『専守防衛(せんしゅぼうえい)』なんだよ――『イージスの盾の理論』って、知ってるか?」

「……屁理屈屋」


 徹の気の無い口上に、香奈は不満そうな顔を隠そうともせずに、口を尖らせた。

 勝負は序盤から初盤に移り――盤面の端々で徐々に戦端が開き始める。


「――ねぇ――今期のバレー部の部費、そんなに減らして大丈夫なの?」


 青年が眺めている資料――来週開かれる、部活動合同連合会議――通称部活連における、格部活の予定予算案を覗き見た香奈が、不思議そうに質問した。

 資料によれば、バレー部は前年度から半分以上の予算が削られている形になっていて、該当部からの非難の声は、容易に想像出来た。

 そんな無茶振りな予定予算案に、徹は至極あっさりと頷いて見せた。


「あぁ、大した功績も無いのに、部費で温泉旅行に出掛けるような連中だ――新入部員には悪いが、お仕置きは受けて貰わんとなぁ」

「……それ、本当なの?」

「顧問もグルでな――もう裏も取ってる」


 一体何時、どうやって取ったのやら――そもそも、そんな情報自体聞いたことも無かった少女は、驚きと呆れの入り混じった表情で溜息を吐いた。


「相変わらず、あんたの情報網の広さには、驚かされっぱなしね――」

盤上(こっち)でもびっくりだぞー?――ほれっ」


 あくまでもふざけた調子で、盤上に奇策師徹の一手が突き刺さる。


「な――っ」


 完全に予想の外からの動きだったのだろう。少女の両眼は、驚によって大きく見開かれる。

 将棋の音とも言うべき、独特の軽快音と共に置かれたのは、彼が奪い取っていた一枚の銀――

 このたった一手で、敵陣で深く切り込んでいた彼女の駒達が、完全に動きを封じられてしまう形となっていた。


「ほれほれ、盤上で龍が泣いてるぜ?」

「大丈夫……この子は強い子、なんだからっ――」


 からかう青年に向かって歯軋りしながら、それでも少女は攻勢を崩さない。


「ははっ、やっぱそう来るか……」


 緩む事無く続く、香奈の猛攻を完全に読んでいる徹は、それらを至極余裕の表情で受け流していく。

 将棋の実力では、彼の方が遥かに格上なのは、既にお互い承知している――が、やはり勝敗は兵家の常であり、敗北を素直に受け入れられる程、彼女(香奈)のプライドは安くない。

 何とか劣勢を巻き返そうと、香奈は資料への質問を続けて、意識を逸らそうと試みる。


「じゃぁ、軽音部は?あそこも実績なんて無いじゃない。なのに増額って――」

「あそこは新進気鋭で、まだ創立一年目(出来立て)だからなぁ……先行投資だよ」


 少女の思惑を他所に、当の男()は、資料の添削を続けながら将棋を指し、会話まで何ら危なげなくこなしてくる。

 恨めしげな視線を向けられながら、青年はあくまで飄々とした態度を崩さずに、作業と説明を続ける。


「始めたばかりでまだ設備も備品もろくに揃ってない――割には、文化祭での演奏は俺も結構楽しめたからなぁ。ま、貢いどいて(・・・・・)損はしないだろ」

「ふぅーん……」


 徹の言葉の中に一点、気に入らない単語を聞き取った香奈は、声質を大きく落としながら相槌を打つ。

 心無しか、駒を打つ響きにも、低い重低音が加わったような――そんな錯覚さえ感じさせる、深い業を纏っている。


「今期で芽が出なきゃ、来期はまた元に戻すとは伝えてるけどな――って、いきなりどうしたよ?」


 豹変した少女の雰囲気を察して、徹は訝しみながらようやく香奈へと顔を向けた。


「別に……軽音部の部長、結構美人だもんね――部員も可愛い娘ばっかりだしさ……」

「あぁ……妬いてんのか?」

「っ!!」

「がっ!!」


 無遠慮かつ無神経極まる(バカ)の発言に、彼女はポニーテールを逆立てると、椅子に座ったままの体勢でデリカシー皆無な幼馴染の脚を、力の限り蹴り飛ばした。


「お、おぉぉぉぉぉぉ……」

「――あんたの番よ。切れ負け?」


 脚を抱えて悶絶する徹を尻目に、極寒の氷河の如き冷たい視線を向けながら、吐き捨てるように言い放つ香奈。

 徹は涙目になりながら、それでもよろよろと駒を動かした。


「……」


 パチッ――


「……」


 パチッ――


「……」


 パチッ――


「……」


 パチッ――


 それから暫く、やや気まずい雰囲気の中で、お互いの駒音だかが辺りに響き――


「……ねぇ、あんたさ――」


 沈黙を破ったのは、やはり香奈の方からだった。


「あん?」

「……なんで――生徒会長になんて、なったりしたのよ?」


 彼女の唐突な質問に、徹は驚いた様子で一瞬ピクリと反応するが――続いてニヤリと、片側の口角を持ち上げる。


「そこまで伸し上げた人間に、言われたかぁ無いなぁ」


 現生徒会長である青年は、少女――元彼の選挙参謀であり、現生徒会書記――を皮肉りながら、クツクツと肩を揺らす。


「だ、だってそれは……あんたが突然、「立候補する」なんて言い出すから――って、私の事はいいの!今はあんたの話でしょ!?」


 香奈(元選挙参謀)は、しどろもどろに成りながら言い訳を始めるが、防戦は不利と悟って、やや強引に話題を元に戻す。


「あんたはさ――成績も良いし、運動も出来るし、要領も良い――陳腐だけど、天才よね」

「凡人に毛が生えてるだけだよ……せめて秀才と言ってくれ」

「他の人より優秀なのは、否定しないし」

「否定したいが……事実だしなぁ」


 少女の評価に、徹はややウンザリしながらも、消極的な肯定を返す。

 彼が器用貧乏である事は、本人自身、嫌々ながら自覚はしている――だが、それでも度重ねた努力や、日々の研鑽までも、「才能」の一言で切り捨ててしまうその「陳腐な言葉」。それは彼にとって、正直苦味以外の何者でもなかった。

 徹の内心の変化に気付きながらも、彼女は素知らぬ顔で言葉を続ける。


「そんなあんたは――責任とか、権力とか、「誰かの為に」なんて、頭掻き毟る程嫌いじゃない――あっ、それ貰い」

「げっ――」


 余り触れられたくない話題だった為か、青年の布陣には、その油断から綻びが生じていた。封じ込められていた少女の駒が、ここぞとばかりに陣営の一角を突き崩す。

 期せずして、会話による油断を期待した香奈の思惑が、見事に実現した瞬間だった。


「ぬ~……ここに来て、さっきの龍が大暴れだなー」

「言ったでしょう?この子は強いって」


 ニヒヒッと意地悪そうに笑う香奈。徹はそれを見て頭を掻きながら、会話の続きを促す。


「……で、結局、何が言いたいんだよ?」

「つまりね、あんまり大任とか、実権とかに興味の無いあんたが――まぁ、他の人の推薦ならともかく――自分から立候補するなんて、どんな恥ずかしい動機があったのかなぁって」

「待て待て、俺の行動理由は、恥ずかしい事限定なのかよ」


 覗き込むように、上目遣いで見上げてくる香奈に、左手でツッコミを入れる徹。


「だって――話してくれないじゃない」


 入学以前からの知り合いである香奈(幼馴染)は、その不満を隠そうともせずに、頬を大きく膨らませる。

 それを見た徹は、再び頭を掻いて、今度は気まずそうに視線を逸らした。


「別に――御山の大将気取りたかっただけだよ」


 パチッ――


「うそ――あんた目立つの嫌いだし」


 パチッ――


「――選挙活動がしてみたかったんだよ」


 パチッ――


「う・そ――そんな理由だったら、あんた三日目には飽きちゃって、立候補を辞退してるもん」


 パチッ――


「――女にモテたかったんだよっ」


 パチッ――


「それもうそね――就任してからの告白ラッシュ、全部袖にしてたじゃない。それはもう、完膚なきまでに」


 パチッ――


「……」


 ……パチッ――


 語る理由の尽くを否定され、平静だった彼の表情に、徐々に冷や汗が浮かび始める。


 パチッ――


「……そろそろ、詰むわよ?」


 盤上でも、彼の勢力が限りなく劣勢を極めており、投了は最早時間の問題となっていた。


「……」


 前門の虎、後門の狼――進退窮まる状態に、徹はようやく資料から目を離し、暫く無言で盤を眺め続ける。


 ……………………………………………………パチッ――


 ――時間一杯の長考の末、ようやく駒を動かした徹は、観念したのか、ポツポツと小さな声で語り始めた。


「お前……前に言ってたろ?」

「え?」

「学校の設備が古いとか、部員の多いだけの部活が幅利かせてるとか――誰か改善してくれる人が現れないか――とか」

「え? え?」


 視線を合わせようとせず、肩を縮こまらせる彼の姿に、瞳を瞬かせる香奈。

 知り合ってから十年近く経つものの、彼のこんな態度を見た事は、記憶している限り一度としてなかった。

 少女の驚きは、最早驚愕の域に達していると言っていいだろう。


「つまり……そういう事だよ」


 ぶっきら棒に言って、明後日の方角を向いてしまう徹。心なしか、頬が赤い様に見えるのは、横合いから射す夕日のせいだろうか――


「え? え? え? ――――えぇ!?」


 突然の急展開に、彼女の思考は最早パニック寸前だった。

 殆ど、茫然自失のまま駒を動かしながら、そっぽを向く青年を見つめる香奈。

 だが、彼女の表情が朱に染まるより早く――


「――なんてな。はい――王手」


 パチリッ


 にこやかな表情で顔を戻した徹が、その最後の一手を盤上へ繰り出した。


「えっ? ――あ、あぁ!?」


 見れば、追い詰めていた戦況だった筈なのに、何時の間にやら香奈の分身たる玉将に、無慈悲な駒の刃が突き付けられていた。しかもついでとばかりに、完全に逃げ場を塞がれている。

 青年は、先程の態度から百八十度変わって、何時も通りの意地悪そうな笑みを浮かべ、唖然としている少女にヒラヒラと手を振って見せた。


「俺の勝ち~」

「むぅ~」


 香奈は、不意打ち気味の敗北に唇を尖らせながら、不服そうに唸り声を上げている。


「さて、と。資料の見直しも終わったし――さっさと帰るか」


 不満全開で脹れる少女を他所に、徹は何事も無かったかの様にさっさと盤面を片すと、資料と共に鞄の中へと詰め込みを済ませてしまう。


「あっ――待ってよ」


 立ち上がった徹の後を追い、慌てて席を立つ香奈。


 生徒会室を出て下校した後、二人は隣り合いながらも、終始無言で夕暮れに染まる歩道を歩いていた――


「……」

「……」


 互いの沈黙の中、香奈は意を決してその口火を切った。


「――ねぇ……」


 彼女の胸中には今、言葉で言い表せない程の様々な激情が渦巻いている。()の最後の態度――あれだけは確かめなければと、悲壮にも似た覚悟を持って、香奈は口を開いていた。

 どうしても聞き出さなければ、もう今日の夜から、一睡も出来そうに無い程、胸が高鳴っているのが分かる。


「――何だよ」

「さっきの立候補の話、さ……その……ほんと――なの?」



 やや上目遣いで、徹を見上げる少女。



 その瞳には、期待と不安の入り混じった、淡い陽光が煌き、揺らめいている。



 徹は、その潤んだ瞳から、眼を逸らす事無くじっと見下ろして――








「――あんなの嘘に決まってんだろ」


 呆れ顔で、溜息を吐きながら飛び出した言葉が、少女の希望を木端微塵に打ち砕いた。


「え、えぇぇぇぇぇぇ!?」

「負けそうだったから、動揺させようと思っただけだよ――お前、純情過ぎ」

「なにそれ!? 信じらんない!」


 怒りと羞恥で、顔を完熟したトマトの如く真っ赤にした香奈は、力任せに彼の脚を何度も何度も蹴り飛ばす。


「いてっ! いてっ! ――脛を蹴るな! それ、地味に痛いんだぞ!?」

「純心なっ! 乙女心をっ! 弄んだっ! 報いよ!!」


 憤慨した少女は、喋りながら急所への蹴りを続け、遂には鞄を使っての殴打へと制裁を移行する。


「いてぇって!」

「痛くしてんのよ! こら、逃げるなぁ!」


 たまらず、憤怒に染まった幼馴染から逃亡を図る徹。

 付かず離れずの距離で追いかけられながら、彼は人知れず嘆息した。


「言ったろうが……俺は専守防衛(臆病者)だってよ……」

「なんか言った!?」


 後ろから追い付いた香奈が、バシバシと背後から徹の背を叩く。鞄の猛攻を受けながらも、彼の顔は密かに笑みを浮かべていた。


「だから、いてぇって!? 何でもねぇよ!」


 夕日に染まる坂道の中、今日も一組の男女が、じゃれ合いながら岐路に着いていく――



終わり

少しでも楽しんで頂けたなら幸いです


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― 新着の感想 ―
[一言] 和やかな雰囲気がとても素敵でした。面白かったです。これからも執筆がんばってください。
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