おおとり
大空をいく鳳の翼が堕ちた。
鳳は太陽の光の恵みのような輝かしい好青年だった。眉目秀麗で、均整のとれた大きく伸びやかで逞しい躰つきをしていた。
彼は、人にしては珍しく真実の翼を両の肩から生やしていた。
太陽をその翼の陰で隠し、熱され過ぎた地上を冷まして飢えと貧困を救うのだと常からあつく語っていた。
けれど翔ぶのをやめろ、と僕は言いたかった。
誰の声でもよく聞く鳳のこと、僕も直ぐに彼に見付かった。
僕の小さな抗議の心も漏らさずにとらえ鳳は『一寸二人にならないか』と僕の耳に綺麗な声で囁きを注いだ。
彼が翔ぶと決めそう宣言をしたその前の日に、郷愁を帯びた切ない藍色の夕刻のひと時だけ、彼は僕と過ごした。
本物の……、恋人のように……、僕の涙を指で掬い上げて、その指、自身の、僕に触れたその指に……、哀しげに口付けを落とした。
彼は間違いなく、疑いようもなく、僕へ親しげにして……、いかにも、これ以上はないと言うほど、ほんとうにちかしく……、ヌガーのように甘く濃く焦げたような目線を向けた。
「おちるだろう、と思っているね」
――ねぇ、おちてしまうだろうと君は思っているね、もしも俺がとんでしまったのなら――
「鳳は……、鳳鴻介はイカロスとは違う、違うさ、翼は蝋で出来てはいない!」
――でも、それでも翔んで欲しくはないよ――
「……、戻らないんだろう、戻らない気で翔んでしまって……、だから、僕等は君を英雄にして偶像にして、神話にするしかないんじゃないか!!」
僕は泣いた。
鳳はただ、風を見ている。
もう拭っては貰えない涙を、僕は堪えきれずに次々におとした。
引力に僕の涙は抗わなかった。
「鳳はさ……、僕達に今以上に惨めになれって、言ってるんだ。翔び去って……こころを……、抉る」
「――でも俺は出来る事をしたいんだ」
鳳の翼が、僕を包む。
「宇宙はさ、寒いよ。でも俺は……温かいのを続けられないから。一瞬間、翼を傾けるだけで精一杯なんだ。……お前の傍にいるのは、鳳凰じゃなくても良い。お前の温かさを冷ましたり焼き切ったりする覚悟も勇気も、俺にはないよ」
傍にいたくない、とは言わないのは、鳳にしては煮え切らない。臆病さが彼にもあるのか、と気付いても、鳳の翼のなかで僕には彼の表情を見上げることは叶わなかった。
隠していたい翳り。
青春のなかの恥のいくつか。
「鳳、鳳鴻介。ぼくは君が好きだ。好きだよ。だから君の影に隠れて知らないふりで生かされるのは厭なんだ」
僕は孵化できないまま腐る卵の中の小さな命。
鳳は大空に翔ぶ永遠の自己犠牲の大翼。
「……欲しいものに寄り添ってうたを唄い、欲しいものの上に生きて飛べるような、そんな小さな鳥だったらな」
俺が、鳳じゃなければな。
「――翔ぶのか」
「……あぁ」
「行っちゃうのか」
「そうだ」
「……なんで最後に僕と話したりしたの」
「さぁね、でも……形見、みたいなものかな。俺にとっての地上の……、地上にあって欲しかったものの形見の時間、形見の心象……」
「――翔ばなかったら僕を選ぶの」
「……俺は翔ぶから、明日には翔ぶんだから、だからだよ」
「……ずるいね。恥ずかしいよ。高く高く飛び立って、最後の地平に見たのが僕なんだ? 僕ならその翼を折ったり溶かしたり出来ないとでも思ったの」
「――そう、思っていたんだとしたら」
――君との逢瀬は選ばなかったよ――
「勇気と夢と愛と救いと、希望の全てを背負って翔ぶ我々の現代の英雄に、盛大な拍手を!!」
鳳鴻介、彼は地面を蹴り上げて満面の笑顔で空へ翔んで行った。
「鳳。僕は君をヒーローなんて呼ばない。蛮勇とも言えない君のその慈愛の心は、ただ僕に対しては残酷で恥ずかしいものなんだ。君が僕たちを助ける旅に出てしまうこと、出させてしまった事は僕にとっては恥なんだ、負い目なんだ、落ち度なんだ、だから……、堕ちてきて。どんなに翔んでも僕を思い出して。ねぇ、僕の引力から必死で外れようとして君は翔ぶんだ。僕が待っているこの星に、堕ちてきて欲しいと願うこの星に、救われていない人間がいるこの星に。君はいつか、堕ちてきて……それが最後の僕の願いだよ」
鳳の翔ぶ黄金の虚空。
彼の鳳の翼はもうとっくの昔に堕ちている。
秋空の中で鱗雲が錦に染まり、風に流されていくのを、地上から秋桜が見上げた。
ごじだつじこわい




