両方好き
放課後の教室は、いつもと同じように明るかった。
笑い声。
スマホのシャッター音。
次の休みの予定を決める他愛ない会話。
その輪の中心にいるはずの銀香は、ほんの少しだけズレていた。
スマホが震える。
――LINE。
画面にはギャル友たちのグループトーク。
スタンプが飛び交い、話題がどんどん流れていく。
既読は、つけない。
(あとで返そ……)
そう思ったまま、銀香の頭の中では別の盤面が広がっている。
――あのとき、飛車引かずに打ち込めたよね。
――いや待って、あれ詰んでたかも。
気づけば三十分。
「銀香さー、返信おそくね?」
歩美が笑いながら言う。
「え?うそ、今返そうとしてたし!」
慌ててスタンプを連打する。
テンション高めの言葉を打ち込む。
“まじそれなー!!ウケるんだけど!!”
自分で打った文字が、どこか空っぽに見える。
最近、返信が遅い。
既読スルー。
約束を忘れかける。
ほんの小さなズレ。
でも、そのズレがじわじわと溝を広げていく。
(ウチ、なにやってんの)
帰り道、イヤホンをしても音楽は入ってこない。
ギャルとして、友達と楽しく三年間を送る。
それが夢だった。
小学校の長い入院生活。
白い天井。
「無理しないでね」と遠巻きにされる日々。
中学でも同じだった。
体調を理由に部活は諦め、
輪の外側に立つことに慣れてしまった。
だから決めた。
高校では絶対キラキラするって。
友達たくさん作って、
写真いっぱい撮って、
「青春だった」って言える三年にするって。
なのに。
将棋。
静かな部屋。
盤の前で一人、考え込む世界。
それは、昔の自分に似ている。
また地味な学校生活に戻るんじゃないか。
その恐れが、銀香の胸を締めつける。
その変化に気づいたのは、母親だった。
「最近、ちょっと疲れてない?」
夕食後、台所で皿を拭きながら、さりげなく言う。
「別に。フツーだし。」
「友達とうまくいってる?」
「いってるってば。」
何度か、遠回しな会話が続いた。
そしてある日。
銀香は、ふっと力が抜けた。
「……ママさ。」
リビングのソファ。
テレビは消えている。
「ウチ、将棋ハマってんの。」
母は驚かない。
「そうなんだ。」
「でもさ。ギャルでいたいし。友達とも今まで通りでいたいし。」
銀香は膝を抱える。
「どっちが好きなの?」
母の問いは、やわらかいのに逃げ場がなかった。
「……両方。」
「割合で言ったら?」
「今は……将棋4割、友達6割。」
少し間を置いて、続ける。
「でもさ。このままだと将棋6割になりそうで。最悪9割とか。そしたらウチ、また一人になる気がして怖い。」
母は、内心驚いていた。
そんなに占めているんだ、と。
「もし将棋が9割になったら、ギャルやめるの?」
母の問いに、銀香は黙る。
将棋を指すギャル。
正直、母もすぐには想像できなかった。
銀香は考える。
長い沈黙。
やがて、顔を上げる。
「……やめたくない。」
声は震えているが、目はまっすぐだった。
「前のウチには、戻らない。」
その言葉を聞いた瞬間、母の胸の奥が熱くなる。
母は知っている。
銀香がどれだけ“普通”を望んでいたか。
どれだけ高校生活に夢をかけていたか。
母自身も、高校生のころはギャルだった。
好きなことを好きなだけやった。
派手に笑って、泣いて、恋して。
それを許してくれた自分の親に、今は感謝している。
だから。
娘にも、どちらかを諦めさせたくなかった。
「じゃあさ。」
母は微笑む。
「今のまま将棋やればいいんじゃない?」
「え?」
「ギャルで将棋、ダメって誰が決めたの?」
銀香は言葉を失う。
「両方好きなら、両方やればいい。どっちか諦める必要、ないでしょ。」
その一瞬、母も迷いがよぎった。
本当にできるのか。
うまくいくのか。
でも、娘の顔を見ればわかる。
この子は、どちらも本気だ。
「ウチ……ギャルで将棋やっていいの?」
「いいに決まってる。」
銀香の目に、少しだけ光が戻る。
将棋が9割になっても。
ギャルでいる。
それは矛盾じゃないのかもしれない。
銀香は、初めて“どちらか”ではなく
“どちらも”を選ぶ可能性を見た。
その夜、布団の中で。
盤面を思い浮かべながら、銀香は小さくつぶやく。
「ギャルで将棋とか……アリじゃね?」
恐れはまだ消えない。
でも、逃げる理由も少しだけ減った。
そしてこのまま進めるはずだった…




