踏みにじらない
銀香は、少しずつ将棋部に馴染んでいった。
最初はぎこちなかった部室の空気も、今ではだいぶ柔らかい。
「そこ、金寄ったほうがよくない?」
「え、マジ? そっち?」
ぱちん、と駒を打つたびに、銀香はいちいち目を輝かせる。
「うわ、なにそれ天才じゃん!」
「いや普通の手だ。」
「いやいや、ウチには革命なんだけど!」
その反応が明るくて、素直で、楽しそうで。
教える側の部員たちも、いつの間にか笑っていた。
「神崎、ここはこう。」
「え、そうなん? すご。」
「ほら、詰み。」
「うわああ、マジか!」
部室に笑い声が増える。
一条玲奈は腕を組み、満足そうにうなずく。
「いい傾向だ。」
一方で。
鷹宮は、銀香と一度も盤を挟まなかった。
目が合うと、すっと逸らす。
対戦表に名前が並びそうになると、さりげなく順番を変える。
理由はひとつ。
——あのオンラインの相手だと、ばれたらどうする。
あのアカウントの主が銀香だと知られたら。
動揺が態度に出る。
不器用な思春期の男子そのものだった。
一条玲奈は鷹宮のそんな態度にもあえて何も言わない。
「放っておけ。」
それが彼女なりの配慮だった。
銀香は、鷹宮に避けられていることに気づいていた。
でも。
——まあ、仕方ないし。
そう思うようにしていた。
否定されても仕方ない。
どこかで、そう思う癖があった。
中学の時もそうだった。
特殊な存在…
そして自分でもそんな自分に壁を作っていた。
だから、なおさら誰も関わろうとしなくなる。
それをどうこうする勇気はなかった。
もう始まった自分の立ち位置はどうすることもあの時の自分にはできなかった。
だから、高校生になったら…
過去を清算して最初から自分で決めた立ち位置でスタートしたかった。
「え〜今度将棋教室のトーナメント大会に出ることになりました〜(笑)拍手〜」
拍手はなかったが…
部長の一条玲奈は楽しそうに部員に宣言していた。
一方の部員はというと…
「マジですか!」
「誰が出るの?」
「全員?」
「え、ウチも?」
銀香はまさかと思った。
「当然だ。」
一条玲奈は勝手に登録を済ませていた。
「ちょ、まだ初心者だし!」
「経験は財産だ。(笑)」
団体戦と個人戦。
団体戦の相手は、将棋教室最強メンバー。
一条玲奈、勝利。
鷹宮、勝利。
銀香で勝敗が決まる。
手は震えていない。
でも、頭が真っ白になる。
一手のミス。
崩れる。
「……負けました。」
その瞬間、会場の空気がわずかに変わる。
「まあ、あの子じゃな…」
「見た目からして遊び半分だろ。」
「ギャルが将棋って。(笑)」
ひそひそ。
でも、わざと聞こえる声。
銀香の耳に、はっきり入る。
——見た目。
——チャラチャラ。
——当然。
胸が、ぎゅっと縮む。
個人戦も、完敗だった。
対局が終わったあとも、あちこちで囁きが飛ぶ。
「団体の足引っ張ったな。」
「まあ予想通り。」
「派手な子って続かないよな〜」
笑い声。
その瞬間。
——昔の声が重なる。
小学校。
「元気そうじゃん。」
「仮病じゃね?」
「特別扱いずるくない?」
さんざんいわれた。
外見は元気そうなのに、病気だから免除。
説明しても伝わらない。
信じてもらえない。
小学生の理解なんてそんなもん。
誰も病気になりたくてなったわけじゃない。外見だって、顔色悪くて今にも死にそうとか、見るからにおかしければそれでよかったのか…
血でも吐けばいいのか…
そうなら誰もなにも言わないのか…
足が動かない、手がない…
目が見えない、そんなならいいのか…
そこまでにならないと理解されないのか…
人が人を見る目なんてあやふやでいい加減で独善的で…
あのときと同じ。
外見だけで、決めつけられる。
悔しかった。
でも、言い返せなかった。
今も…
銀香は唇を噛みしめる。
負けたことよりも。
外見で、最初から否定されたことが。
たまらなく、悔しい。
会場を出る。
階段の下の、人目につきにくい場所。
そこで、しゃがみ込む。
「……」
涙が、止まらない。
応援に来ていた歩美は、銀香の姿が見えないことに気づく。
「銀香?」
きょろきょろと探す。
そのとき。
階段の下で泣いている銀香を、別の参加者が見つけた。
「あ、さっきのギャルじゃん。」
「泣いてるし。」
「将棋ナメてるからだろ。」
笑い声が聞こえる。
「見た目でわかるよな。」
笑い声が刺さる。
その光景を、歩美が見た。
一瞬で、目が変わる。
「おい。」
低い声。
「今なんつった?」
相手が振り向く。
「は?」
「バカにしてんじゃねぇよ。」
歩美が一歩前に出る。
「負けたら泣いちゃいけねぇのかよ。」
「見た目で決めつけてんじゃねぇ!」
「あいつはマジなんだよ!マジにやってんだ!」
「ギャルが将棋やっちゃいけないのかよ!」
「うっせぇよ。」
相手が鼻で笑う。
歩美の拳が震える。
その声は、銀香にも聞こえていた。
涙で滲む視界の向こう。—また、守られてる。
それが、嬉しくて。
でも。
申し訳なくて。
「……やめて。」
銀香が立ち上がる。
「歩美、いいから。」
歩美の苛立ちを抑えるように手を引っ張る。
「よくねぇだろ!」
「いいの。」震える声で、でも必死に。
「ウチの問題だから。」
歩美と銀香がもめてるところに
「神崎!」
駆け寄ってくる足音。
一条玲奈だ。
二人の様子を見て、眉を吊り上げる。
「何をしている!」
歩美を睨む。
「うちの部員に何かしたのか!」
ここぞとばかりに銀香を笑った2人は
「行くぞ」
と、去っていった。
「ヤンキーかよ!こっわ(笑)」
「だよなあ〜」
面と向かっていえなくてわざと少し離れてから聞こえよがしにそんなことをいう。
「言いたいならもっとでけえ声でいえ!」
歩美は去っていった二人にまだツッコミ入れていた。
「なにがあった神崎」
「歩美は友達です…」
「あいつら銀香のこと馬鹿にしやがったんだよ!」
一条玲奈は一瞬、固まった。
状況は理解された。
「……早合点だった。」
歩美に向き直る。
「すまない。」
きっぱりと頭を下げる。
歩美はふん、と鼻を鳴らす。
「別に。」
銀香は、二人を見た。
自分を庇って怒る歩美。
心配して駆けつける一条玲奈。
胸の奥に、じんわりと広がる感覚。
——ウチ、ひとりじゃない。
さっきまで、あんなに苦しかったのに。
今は、違う。
涙を拭う。
悔しさは消えない。
でも。
一人で抱えなくていい。
それだけで、少しだけ強くなれた気がした。




