夜叉丸
銀香は、翌日から学校へ行かなかった。
アラームはいつもの時間に鳴る。
制服もハンガーにかかっている。
でも、起き上がらない。
ベッドの中で天井を見つめる。
親は何も言わなかった。
「今日はどうする?」とも聞かない。
学校にいけとも言わないのは助かる。
そっとしておく、という選択。
その優しさが逆に痛い。
お昼頃。
学校は昼休みか…
歩美達はいつものようにワイワイやってるかな…
そう思いながらベッドに寝転がり、スマホを開く。
将棋対戦アプリ。
ログイン。
目標はひとつ。
アカウント名『夜叉丸』。
無機質なアイコン。
無駄のない指し回し。
容赦なく攻めてくる。
何度も負けた。
でも、たまに長い終盤戦まで持ち込めるようになった。
「……今日は勝てる気すんだけど。」
独り言。
夜叉丸との対戦だけが、楽しみだった。
学校に行かない日々が、三日、四日と続く。
昼間はぼんやりして、
夜になると目が冴える。
対戦は主に夜。
日中は相手も現れない。
昼夜は、すっかり逆転してしまった。
その間も。
歩美からのLINEは止まらない。
《おいコラ生きてんのかー?》
《既読つけろっての!》
《なに意地張ってんだよバカ!》
スタンプの嵐。
下町育ちの勢いそのまま。
元気で、うるさくて、
お節介で、あったかい。
銀香は、通知を見ては閉じる。
返信できない。
夜。
夜叉丸との対戦。
中盤、押し込まれる。
(ここ、桂打ち……いや待って。)
読みを重ねる。
指す。
数手後。
夜叉丸の王が、じわじわ追い込まれる。
《最近うまくなりましたね》
チャットが表示される。
銀香の心臓が跳ねる。
「は?」
《終盤の粘り、いいです》
ほめられた。
夜叉丸に。
画面越しなのに、胸が熱くなる。
「……ウチ、やば。」
小さく笑う。
学校ではこんな気持ちなったことなかった。
楽しかったけど。
ここでは、評価される。
厳密に。
ある夜。
やっと対戦が終わってそろそろ寝ようかと思った。
LINEを開くと相変わらず歩美からのメッセージの嵐…
銀香は寝落ちした。
スマホを握ったまま。
翌朝。
まぶしい光で目が覚める。
画面にはLINE。
歩美に、なぜか返信している。
送信時刻、深夜3時。
「え、なにこれ……」
すぐ既読がつく。
《お!生きてんじゃねーか!》
《今日会おうぜ!駅前な!16時!決まり!》
「はや……」
一瞬で約束が確定する。
《逃げんなよ?》
困る。
行くか、迷う。
ベッドに潜る。
(行きたくない。でも。)
歩美のしつこさを思い出す。
(どうせ来るよな、家まで。)
ため息。
「……行くか。」
電車の中。
座席に座り、スマホを開く。
対戦。
夜叉丸ではない別の相手。
終盤。
詰み。
「っしゃ!」
思わず声が出た。
周囲の視線が一斉に向く。
サラリーマン、女子高生、老人。
(やば。)
顔が熱くなる。
小さく咳払い。
スマホを胸に抱える。
「……恥っず。」
でも、嬉しい。
少し早めに駅に着く。
ベンチに座る。
ログイン。
夜叉丸、オンライン。
「きた。」
対戦開始。
中盤。
銀香が優勢。
攻めがつながる。
王を追い込む。
(いける、これ。)
一手。
夜叉丸、長考。
銀香は思わず身を乗り出す。
数秒後、相手が指す。
読み通り。
「よし!」
また声が出る。
その瞬間。
すぐ近くから、
「……うわ、マジか。」
落胆の声。
男の声。
銀香は固まる。
(え?)
顔を上げる。
周囲を見渡す。
ベンチ。
立っている人。
スマホを見ている数人。
誰が言ったのかわからない。
(まさか。)
夜叉丸?
近くにいる?
心臓が早くなる。
でも、確証はない。
そのとき。
「おーい!」
明るい声。
振り向く。
歩美が、大きく手を振っている。
「なーに一人でニヤニヤしてんだよ!」
いつもの調子。
元気で、遠慮なくて、
まぶしいくらいに。
銀香はスマホをぎゅっと握る。
さっきの声の主が誰なのか、
まだわからないまま。
歩美が、どかっと隣に座った。




